第3話 黄金のフルート『魔笛』

文字数 3,367文字

「また、4位か……」

 景子は肩を落とした。2年に一回行われる、全日本フルートコンテストで、3回連続4位入賞である。3位までは賞金が出て、海外コンクールの出場権も与えられるのだが、4~6位は、表彰状1枚なのだ。
 受賞者は壇上に上がって、表彰されたあと審査委員長の総評を聞く。

「今回も、非常にレベルが高かったです。テクニック的には、4位の……」

 総評も前回と同じである。景子は今年28歳で、コンクールはこれが最後と決めていた。今年優勝したのは、アイドルグループに入っても、遜色ないルックスとスタイルを持った、16歳の高校生であった。本選のコンチェルトでは、彼女のミスで2回も演奏が止まりそうになったが、審査委員長曰く、

「技術的な伸びしろが、まだ残されており、将来性を期待してのことで……」

(なに言ってのよ。エロ爺ども!)

 優勝した女の子が、嬉し泣きしながらインタビューを受けているのを見て、しらけ切った景子は、早々に舞台上から降りて、客席を通り、ホールの外へ出ようとした。

「ちょっと、そこのお嬢ちゃん」

 景子が振り向くと、声の主は杖を付いた老婆である。

「あんた、本当は自分が優勝で、そうならないのはエロ爺審査員の依怙贔屓だと、思ってる?」

「そんなこと……」

「あんたのテクニックは完璧だった。だだ、それだけのことよ。プロのソリストになるには、たりないものがある」

「それは、なんですか?」

「このババアが教えてやろう。ついといで」

 老婆が杖をつきながら審査員席を通過すると、残っていた審査員は、みんな直立不動になって挨拶している。

(このおばあさん、何者なのかしら)

 楽屋の狭い控室に2人きりとなった。

「さあ、この楽器を吹いてみて頂戴」

 渡されたのは、相当古いケースに入った、黄金のフルートである。

 景子は、言われるがままにその楽器を構えると、楽器が自分にぴったりと吸い付いている感覚に襲われる。そして、いつの間にかバッハ作曲の無伴奏フルート曲を吹き、その音色に景子の魂は震えた。

「ブラボー、お嬢ちゃん。あんたはこの黄金のフルート『魔笛』の演奏者として合格よ」

 呆然として景子が持つ『魔笛』は、不思議なことにすこし熱を帯びているように感じられる。

「これから、どんどん公演するわよ。最初に言っとくけど、ギャラは折半ね。一つだけ注意は、決して『魔笛』を嫉妬させちゃだめよ。怪我人が、下手したら死人がでるから」

「おばあさん、いや先生。この素晴らしい楽器は、なにか特別なものなんですか?」

「『魔笛』の伝説を教えようか」


 老婆が語った、『魔笛』の伝説。

 この黄金のフルートは、18世紀のフランスで作られた。裕福な伯爵が、フルートの名手である夫人の為に、オーダーメードしたものだ。午後のひととき、伯爵のチェンバロ伴奏で演奏する夫人は、身ごもっており、夫婦は幸せの絶頂にいた。
 ところがこの幸せは、歴史の荒波にいとも簡単に消え去った。フランス革命である。伯爵邸に革命軍を騙った盗賊集団がなだれ込んできた。伯爵は家族を守るために勇敢に戦うが、殺されてしまう。残されたのは、2階に逃げていた夫人と乳飲み子と乳母である。そこで夫人は、黄金のフルートを吹き始める。すると、盗賊集団の足がなぜか動かなくなった。こうして時間稼ぎをして、わが子を乳母に託して逃がした夫人であったが、とうとう息があがり、フルートの音が途切れた。舌なめずりして迫ってくる盗賊達。夫人は、バルコニーから庭へ我が身を投げる。そして哀しくも、庭で殺害された伯爵の亡骸と寄り添うように息絶えた。

「この『魔笛』には、伯爵の精霊が宿っているのよ。だから、誰でも吹けるわけじゃなく、夫人と同じ完璧なテクニックをもって、夫人にどこかしら似ている女流奏者が、これまで何人か選ばれたの」

 景子は、聞かされた悲劇に関わる『魔笛』を畏怖したが、その音色に魅了され、老婆の提案を受け入れることにした。


 ◇◇◇◇

 景子の魔笛による、リサイタルは、最初は小さなホールから始まったが、その圧倒的な演奏の評判は愛好家達に伝わって、回を重ねるごとにホールが大きくなり、とうとうサントリーホールでのリサイタルが行われた。予定された曲目を終え、場内の熱狂にこたえアンコールをしようとしたとき、客席から1人の男性が舞台上に上がってきた。新進気鋭のイケメンピアニストである。

「ぜひ、私に伴奏を弾かせてください」

 景子は、彼の大ファンであったので、顔を上気させてこの異例の申し出を受け入れてしまった。ピアノ伴奏が始まる。しかし、景子が持つ『魔笛』の温度がどんどん冷たくなっていく。そして、フルートの出番となる部分が来た時に、異変が起きた。ピアノの鍵盤の蓋がいきなりガタンと音をたてて閉まったのだ。

「ぎゃー」

 10本の指を挟まれたピアニストの絶叫がホールに響いた。
 このハプニングに老婆は、景子を初めて叱責した。

「だから、あれほど嫉妬に注意と言ったでしょ。今回は魔笛も手加減したから、あのピアニストの指は、軽い打撲ですんだんだけど……」

「先生、すみません。気を付けます」

 次の公演は、著名指揮者のオーケストラ伴奏による、「フルート協奏曲の夕べ」である。公演は大成功で、聴衆は熱狂し何度もカーテンコールがかかった。次に舞台に出るときは、アンコール曲を演奏する段取りである。その時、舞台袖で指揮者が景子に耳打ちする。

「舞台がはねたら、隣のホテルのラウンジで待ってる」

 景子が持つ魔笛の温度が冷たくなっていく。

(だめよ。なにか、おきちゃう!)

 アンコールの為に、指揮者が指揮台に駆け上がり上り、かっこよくタクトを振り下ろそうとしたその瞬間、指揮者はバランスを崩して、指揮台から客席に落下し場内は騒然となった。救急車で病院行きとなったが、幸い左足の捻挫だけで済んだ。

 ◇◇◇◇

 生演奏では大絶賛の景子の演奏であったが、録音・録画・ネット配信された音は、『魂が抜けたような音。まるで別人』と評論家から酷評された。そして、景子は公演をこなすたびに疲弊して、体重は5キロも落ちた。

「先生。実は私、自分で演奏しているというより、この魔笛に吹かされてると思うんです」

「おーほっほっほ。今頃気づいたのね」

「もう、体力的にも限界です。決まっている公演を終えたら、最後に引退公演をしておしまいにします」

 景子は、引退公演の場所を地元に古くからある小さなホールに決め、家族、友人、恩師を招待した。この日ばかりは、景子は魔笛に吹かされるままでなく、自分の気持ちを込めて、懸命に演奏した。アンコールが終わると、1人の男性が舞台の下から、花束を渡そうとする。

「先輩!」

 高校の吹奏楽部の1つ上のホルンの先輩で、景子が密かに恋心を抱いていた男性である。花束を受け取って、景子の恋心が再燃すると、魔笛が冷たくなっていく。と同時に舞台の上で、異音が発生する。

「先輩! 逃げて!」

 次の瞬間、舞台の上に吊るされていた、緞帳が落下して、景子と先輩がその下敷きになってしまった。救急車で運ばれた景子と先輩は、奇跡的に軽症ですみ、2人とも念のため入院した。

 景子は、事故での入院をきっかけに先輩と交際するようになり、半年後に結婚した。新居の一室で近所の子供たちの為のフルート教室を開いて、愛する人とともに、幸せな日々を送っている。

 ◇◇◇◇◇

 一方、老婆は。

「あのお嬢ちゃんがんばったけど、やっぱり1年間はもたなかったわね。でも最後の公演は見事だった。最初から、あの演奏してれば、コンクールも、すぐ1位をとれただろうに。さてと、どれだけたまってるかしら」

 老婆は、魔笛の歌口から、なにかを吸い取っていった。すると、老婆の姿がどんどん若返り、髪の毛はつやつやの黒髪に、お肌は、すべすべに白く、ぐびっとくびれたウエストを挟んで、豊かなバストと桃尻が現れた。

 姿鏡を見て、元老婆は大満足。

「この状態をキープできるのは、5年くらいかしら。それまでに、また奏者を見つけなきゃ。それにしても、伯爵。自分の好みの女性奏者を、とっかえひっかえして、あんたが一番エロ爺ね」

 肯定したのか、魔笛の金色が、一瞬さらに光輝いた。

「でもまあ、しばらくは、エンジョイタイムよね。まずはパリに行きましょう!」


 おしまい
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