第1話 時を駆けるトランペット

文字数 1,202文字

「2ndトランペット そこ出遅れないでください」

イケ面指揮者に注意されて、アサミはぺろっと舌を出した。そことは、べートーヴェン交響曲第7番第3楽章で1stとのオクターブで強奏しロングトーンする部分である。
C市交響楽団の定期演奏会は、第73回を数えアサミが前回この曲を経験したは13年前で、今日は再演の日を迎えていた。そして本番。リハーサルでだめだしが出たので、アサミは問題の箇所を前に細心の注意で楽器を構えた。指揮者が振りかぶる。

「いまだ!」 

今度は、ばっちりのタイミングで入ると、アサミの目の前が真っ白となり一瞬体が浮遊する感覚を覚えた。
我に返ったアサミは、周りの異変に目を疑った。

「指揮者が違う!」 

痩身のイケ面指揮者ではなく、茶髪のエネルギッシュな指揮者が髪を振り乱して、棒を振り回している。
アサミは、動揺しながらも、なんとか曲の最後までついていった。

「ブラボー」

演奏効果抜群のベト7のクライマックスに、場内は拍手喝采。
半信半疑のアサミは隣の奏者の顔を見た。そこには見慣れた相棒の笑顔がと思いきや、強面の先輩奏者の顔が。ホール見ると、客席も改装前である。

(ワタシ 時を駆ける少女になっちゃった)

終演後の打ち上げの席でアサミは、13年若返った団員1人1人にこのことを告げたが、だれも本気にしてくれなかった。

「まっ いいか」 

プラス思考のアサミは、リピートされた人生を楽しもうと切換えた。
まずは転職しキャリアアップ。この後急成長する企業が判っているのでたやすいことである。そして、その後別れ話でもめることになる恋人に早々に別れを告げ、新しいパートナーを見つけた。変わっていないのは、C市交響楽団の団員ということだけである。
あっという間に13年が過ぎ、またべト7の本番を迎え、そして、また同じことが繰り返された。どうやら、C市民文化会館の2ndトランペットの位置がパワースポットのようだ。

(ワタシ 永遠の命を手に入れたのね)

この秘密をもう誰にも話さなくなったアサミは、リピート人生を楽しんだ。もちろんリピートの度に、違う恋人と、それぞれの恋を。

もう何回目が判らなくなった、ベト7の本番の日。 その日、アサミは、慢心していた。

(相変わらず、もじゃもじゃ頭ね。だらしない)

前の席に座るファゴット奏者に気を取られたアサミは、例の場所で慌てて音を出したが、一瞬早かった。

(あれ ここはどこ?)
 
アサミは、客席にいた。ステージ上では、ベト7が演奏されているが、団員は知らない顔ばかり。2ndトランペットは、つぶらな瞳の少女である。 アサミは、自分の手を見て、声をあげそうになった。 しわくちゃなのである。
終演後、呆然と席に座ったまま立ち上がれないでいるアサミに、つぶらな瞳の少女が駆け寄ってきた。

「おばあちゃん。来てくれたのね。ヨシコの演奏 どうだった?」

無邪気な孫娘を前に、アサミは苦笑するしかなかった。

おしまい
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