第2話

文字数 7,163文字

 僕の名前は奔瑚雨汰(ほんこ うた)、21歳の大学生だ。
三流大学に通い、これまで生きてきた21年間、特筆すべきドラマチックな体験も何一つないままに、今に至っている。
とりたてて勉強ができるわけでも、運動に秀でているわけでもない。
平々凡々と自身を形容するのはいささか気が引けてしまうが、どこにでもいる学生にすぎないと分類されても文句は言えないだろう。
ならばせめて、これから先の将来にくらいは希望を見出したいところなのだが、あいにく輝く将来性への展望も具体性の有無を問わず見当たらない。
何だかため息ばかりに終わりそうな僕の人生、だがそんなある日、あの子に出会った。

 ~2005年3月26日~
 大学は春休み中、アルバイトも休みだった僕はその日、昼までたっぷりと寝て過ごすと、目覚めてからもベッドから抜け出すこともないまま、テレビをつけてCS放送のプロ野球中継を見ていた。
この日はちょうどペナントレースの開幕戦で、まだ肌寒い気候の中でもスタジアムに詰めかけたファンの熱烈な声援を受けて、各地で熱戦が繰り広げられていた。
僕は布団をかぶったまま、ファンであるライオンズの試合を見ながらダラダラしているという、平和な1日を過ごしていた。
試合は劇的なサヨナラ勝ちで、ライオンズは見事に開幕戦を白星発進。
その歓喜の輪を目にしながら、室内には夕陽が差し込んできていた。
さすがにそろそろ起きようかと、僕はベッドから抜け出し着替えていた。
すると折り畳み式の僕の携帯電話が鳴り、着信音を奏でだしたのだった。
 「もしもし。」
「ああ俺俺、川下!!」
電話の向こうから聞こえてきたのは、親友川下の声だった。
「いよいよ奔瑚の出番が来たぜ!!」
「はっ!?どういうこと!?」
「いいからいいから、何も聞かないで今から言う店にすぐに来てくれ!!」
「いや、だから・・・」
「いいな、絶対来いよ!!」
僕の疑問には何も答えることなく、用件だけ伝えた川下はすぐに電話を切ってしまった。
Tシャツを羽織る隙さえなかった僕は、パンツ一丁のまま「プープープー」と言い続ける携帯を握りしめて佇んでいた。
まったくわけがわからないよ!!
電話をかけてきた川下とは、小学校・中学校と同じ学校で過ごした腐れ縁であり、中学時代には野球部で共に汗を流した戦友と呼べる親友だった。
別々の進路に進んだ高校時代以降も親交は続き、20歳を超えて成人してからも酒を酌み交わしたり、遊びに出掛けたりするようになっていた。
基本的に物事には慎重な姿勢を崩さず、何事も冷静沈着なタイプの川下だったが、一方で時折タガが外れたようにその時のテンションに身を任せた行動を閃きのままに取ることがままあった。
この時の電話もそれに該当するだろう。
普段であれば前もって念入りにアポイントメントを取るくせに、有無を言わせず今すぐ来いという、彼はなかなかどうして、ご機嫌であるようだった。
しかし、この時の川下からの電話が、僕の運命を大きく変えるターニングポイントとなることとなる。
川下からしてみれば、おそらくそこまでの深い考えはなかったのだろうが・・・・。

 身支度も最小限に整え家を出た僕は、自転車を立ちこぎでこぎ目的地へと急いでいた。
先程の川下からの電話で指定された待ち合わせ場所、駅前にある居酒屋のようである。
店の存在は知っていたが、前を通りかかるだけで実際に利用したことはなかった。
こじんまりとした佇まいの居酒屋にたどり着いた僕は、店先に邪魔にならないように自転車を停めて、引き戸を引いて入店してみた。
 暖簾を潜った僕は店内を見渡し川下を探してみた。
店内はカウンター席が10席ほどと、あとはテーブル席が4つあるだけ。
「おーい、奔瑚ーー!!こっちだこっち!!」
が、僕が見付けるより先に川下の方が見付けて手を振ってきた。
壁際のテーブル席に陣取っている川下は、すでに中ジョッキに注がれたビールを平らげていて、やっぱりご機嫌のようであった。
僕はその呼びかけに応えるように、小さく右手を挙げて近付いていった。
ところがだ、対面式に3人ずつ座れるであろうそのテーブル席には、川下以外に3つの人影があった。
上機嫌でテンションアゲアゲの川下につられて、その人影たちが僕の姿を確認している。
女の子が3人、様々な態度で僕を見やっていた。
1人は明朗快活に笑顔を浮かべてにこやかに、1人は男性が苦手なのだろうか落ち着きがなくキョロキョロと視線をこちらに向けてきていた。
そして残る1人は、清楚で控えめに会釈しながらも、背後に大輪の花を咲かせていると錯覚するほどに、僕の目には眩しく映った。
僕は無意識に足を止めてしまい、突っ立ったまま思わず見惚れてしまっていた。
「・・・・・・・・・。」
言葉を失い思わず息を飲むとは、多分こういうことを言うのだろう。
思えばこの時すでに、僕の心は射貫かれていたのかもしれない。
 「奔瑚さんよ、そんなとこ突っ立ってないで早よ来んしゃい!!」
赤ら顔で若干酒臭い息を吐く川下に手を取られテーブルに連れて行かれなければ、おそらく永遠に見つめていたのではなかろうか。
「あ・・あぁ・・・」
ともかく僕は導かれるままにテーブルへとたどり着き、ようやく椅子に腰かけることができた。

 テーブル席に着いた僕だったが、心臓が飛び出しそうなくらい早鐘を鳴らしては脈打つことを止めずに、平静を保てずにいた。
目の前に磯川さん(男性が苦手か挙動不審)、その隣に川下、向かいまして体面に大沼さん(明朗快活系)、その隣に僕を挟んで、ひときわ輝くあの子が座っているという席順。
川下が注文していた僕の分の生ビールが運ばれてきて、乾杯となったはいいが、胸の高鳴りと混乱は激しさを増すばかりで治まる気配を見せなかった。
僕は苦手なビールを1口口に含んだまま、勢いに任せて「ちょっとすみません」と断りを入れつつ川下を伴って席を離れていった。
「ちょっとちょっと、一体これはどういうことよ!?ていうか、あの娘たちは誰!?」
「まあまあ落ち着きなよ。」
「無理だね!!全然落ち着ける気がしないね!!」
混乱に任せて前のめりに問いただそうとする僕を制するように、川下は落ち着き払って窘めようと語りだした。
「あの娘たちはな、俺の高校の同じ少林寺拳法部の娘らだ。」
「うん。」
「ところがな、磯川さんがこの春から引っ越すことになってな。」
「うんうん、どれが磯川さんかよくわからんけど!!」
「そんでさ今日はな、磯川さんの送別会をしようってことになってさ。こうして集まったんだけども。」
「うん。」
「どうせなら奔瑚を呼んで、紹介したろうと思ったってわけさ!!」
「どんなわけさ!?」
「だって~、奔瑚まだ童貞じゃん!?だから、この川下さんが一肌脱いでやろうと思ってな!!」
「なっ!?」
川下の言った通り、僕は童貞だった。
それどころか、ここまで21年生きてきたけれど、彼女がいたことはおろか甘い青春の日々とは無縁の道を歩んできていたのは、動かし難いれっきとした真実だった。
「出会いもなかなかないであろう奔瑚にさ、人生の先輩として俺が道を示してやるべさ!!」
「フンス!!」と胸を張っている川下だったが、彼もこの時彼女はいなかった。
僕よりはまだ多少恋愛のイロハを知ってはいたが、そこまでモテまくっているという話は聞いたことがない。
それでも先輩風を吹かす同級生の川下は、今日僕を招いたからには何とかカップル成立を成就させんと、妙に盛り上がっていたのが印象的だった。
まあぶっちゃけ、親友としての案ずる気持ち4割、僕に彼女ができた後の経過を観察したい好奇心6割といったところだろうが。
「なるほど・・・、とりあえず事情はわかった。で、具体的には僕は何をすればいいの?」
「その辺は俺に任せとき!!バッチリプランは出来上がっているから!!」
「お・・・おう・・・・。」
どこからその自信が湧いてくるのか甚だ疑問は残ったが、ここは親友の好意に素直に感謝して託すこととしよう。

 席に戻った僕と川下、これでこの日のメンバーが出揃ったことになる。
再び川下の音頭で乾杯をした僕たちは、余所者1名の乱入により多少ぎくしゃくした感はあるものの、送別会兼カップル成立大作戦の幕は開かれた。
各々がビールのジョッキやカクテルの入ったグラスを手に取り、運ばれてきた料理の数々に舌鼓を打っている。
川下が級友である女の子たちに、簡単に僕の自己紹介をしてくれたおかげで、会話も徐々に広がりを見せていたので、最初の関門は突破できたように思われた。
 だが、僕がちびちびと苦手なビールのジョッキをようやく空にできそうになった瞬間、川下のプランとやらがついに行動に移されたのだった。
「ビールの味はどうですか、織田〇二さん?」
それは何の前触れもなく、モノマネ芸人に向けられたバラエティー番組さながらの無茶振りだった。
思わず僕はビールを噴き出しそうになるも何とか耐えて、川下を見やる。
すると川下は、「行け!行け!お前が舵を取れ!!」と言いだしそうな身振りを交えたジェスチャーをしていた。
「・・・・・・、どうして・・・・どうして居酒屋に血が流れるんだ!!」
やってしまった、川下の急な無茶振りに応えて織田さんのモノマネをやってしまった。
唐突だったのはもちろん僕だけではなく、同席した女子3名も同じなわけで、固まっているではないか!!
「・・・・・・・・。」
やっちまったよ、やらかしちまったよ僕は!!
その流れた沈黙がやけに長く感じていた僕は、白装束に着替えて自ら腹を切りたい気分だった。
「すごい!!めっちゃ似てる~!!」
ところが、実際には一拍置いた程度の沈黙が解けると大沼さんの称賛する声が返ってきたのを皮切りに、磯川さんは無言を貫いているがパチパチと拍手をしていて、僕が心を射貫かれたあの子・丘佐紀(おかさき)さんまで、眩しいくらいの素敵な笑顔を持って讃えてくれていた。
「実はなこの奔瑚、モノマネが超絶上手いんやーー!!」
川下はしたり顔でハードルを上げながらネタ晴らしをして、一同の疑問が吹き飛んでいった。
静寂の後の喝采に、僕にも生きた心地が戻ってきていた。
 僕の特技と言うか取り柄に、モノマネと歌があった。
もちろんその道のプロとは比較になるほどの技量ではもちろんなかったが、今回のような飲み会や合コンにおいては大いに役立つスキルと言えたかもしれない。
川下は当然として、その事実を知っている僕の友人たちは、女の子を招いてのこういった場では、場を盛り上げるためにもネタを仕込んで振ってくることも珍しくはなかった。
でもまあ、事前の打ち合わせもなしの川下の振り方は、いささか度が過ぎているが・・・。
 
 その後も磯川さんの送別会であるはずの飲み会は、僕のワンマンショーへと川下のプロデュースで変わり果てていくのだった。
いつどのタイミングでネタを振られるのかわからないため、おちおち料理を食べて腹を満たすこともままならない。
時間の経過と共に、つたないながらも女の子たちと会話ができるようになってきた僕に向かって、突如として川下の無茶振りが飛んでくる。
世間話をしていたら、「はい、藤岡さん!!」。
取り分けてくれた料理を口に含んだ瞬間、「はい、大滝さん!!」
阿部さんに水谷さんたち芸能人の出演ドラマや映画のワンシーンを再現させられたり、アニメのキャラクターに至るまで、女の子たちが知っていようがいまいが問答無用に振られては、ご丁寧に披露しなければならないという、あれこれ何かの罰ゲーム!?
そんな僕の持ち芸を女の子たちよりも誰よりも、腹を抱えて笑い転げている川下、あれひょっとして君が楽しみたいだけなんじゃ!?
しまいには割り箸をマイクに見立てて、僕が尊敬してやまない長渕さんの曲をフルコーラス歌うことになるなど、もはやちょっとしたディナーショーであった。
誰よりもはしゃいでいた川下が間奏の間、交互に拳を突き上げていたのは印象深くてたまらない。
 送別会開始から2時間近く経った頃、ひとしきり持ちネタをやり尽くして若干ぐったりしていた僕を、川下はトイレに行く体を装って席から連れ出した。
「いやいや、よくやった!!奔瑚、感動した!!」
君が感動してどうする!!
「それで・・・どうだ、どの子が気に入った?」
「ふぇっ!?」
「どの子と付き合いたいんや~!!恥ずかしがらないで、俺に言ってみ!!」
「うぅぅ・・・・。」
「磯川さんか?」
「・・・・・・。」
「大沼さん?」
「・・・・・・。」
「ということは~!!丘佐紀さんけ!?」
「・・・あぁ・・・・。」
「ほおうっぅぅ!!そう来たか、そう来ちゃうかーー!!」
やはり川下は超楽しんでいる、実にノリノリであった。
「声がでけぇよ!!聞こえちゃうだろ!!」
「すまんすまん!!」
てんで悪びれずに興味がそそられてたまらない様子の川下は、アルコールを含んだ鼻息を盛大に吹き出し荒々しく詰め寄ってくる。
「よっしゃ!!そしたらこの後、連絡先を交換できるようにするだけだな!!」
「・・・それはそうなんだけど・・・、どうやって切り出したらいいのか・・・・。」
恋愛経験の極端な無さ、女の子に対するアプローチがまるでわからない、自分の無力さが情けない。
「まあ任せとけって!!」
そんな僕に対して、鳩胸を力強く叩いてはゲップを1つしてから、川下は得意げに答えた。

 一次会である居酒屋を後にした僕たちは、駅前の商店街が居並ぶアーケードを歩いていた。
何て言うか、女の子が3人横並びに歩いているだけで、華やかすぎてまぶしい。
僕は一団の最後尾に、自転車を押しながら付いて行っていた。
もしも僕の思いが叶ったのなら、丘佐紀さんと2人きりでこんな風に歩く日が来るのか・・・。
時刻は解散しても差支えのない頃合いだったが、終電まではまだかなり余裕があった。
アーケードの中を少し歩いた僕たちは、ゲームセンターの前で歩みを止めた。
川下は軍隊の雪中行軍を静止させるかのように号令をかけて、ここで遊ぼうと提案しだした。
女の子たちからも特に異論は出ず、煌びやかな光と爆音を奏でている筐体の群生地帯へと僕たちは入っていった。
 エアホッケーやリズムゲームなど、多人数で遊ぶことができるゲームを選んでプレーしていく楽しい時間が流れていった。
だがそんな時ほど、神が与えし体感する時間配分は不公平であり、そろそろ女の子たちが帰らなければならない時刻が、刻々と迫って来ていた。
別れ難い名残惜しさを吹き飛ばすかの如く、またしても川下が立ち上がった。
「みんなで今日の記念にこれ撮ろうぜ!!」
そう言い放ち彼が指し示したのは、プリントシールの筐体だった。
女子高生を中心にギャルのテリトリーである、美肌撮影を売り文句とした、僕にはおおよそ不釣り合いなプリントシール撮影。
でも女の子が3人同行している今日に限っては、僕の苦手意識も杞憂に終わるだろうし、何より純粋に僕は丘佐紀さんたちと同じフレームに収まっての撮影をしたかった。
川下グッジョブ!!いい仕事してはりますねぇ~!!
 ゲームセンターの中ではその一角を占拠し、1台あたりもスペースを要求するプリントシールの筐体ではあるが、さすがに5人も中に入ると手狭に感じられた。
画面に映し出されているフレームにも、余白があまりない。
ともあれお金を投入した僕たちは、女の子3人を手前にして、少し下がった後方に僕と川下が立ち何とかフレーム内に収まってみた。
微妙に立ち位置を変えて、ポーズた表情を変えて何パターンかの撮影を終えると、女の子たちはきゃいきゃい言いながら文字を書き込んでいる。
言うまでもなく僕の視線は丘佐紀さんだけにロックオンされており、捉えて離すことは微塵もなかった。
すべての行程を終えて、筐体から印刷されたプリントシールが出て来た。
筐体に備え付けのハサミを使って、女の子たちが手慣れた様子で切り分けている。
そうして人数分均等にされたシールを、丘佐紀さんが僕に手渡してくれた。
「はい、これ奔瑚君の分!」
「あっ、どうも。」
僕はしどろもどろになりながら受け取ったものの、内心不愛想な奴と思われたらどうしよう、違うよシャイなだけなんだよ!!と絶叫していた。
そんな僕の体たらくを見ていた川下の目がギロリと光り、携帯を掲げて提案してきた。
「ついでにさ、奔瑚と連絡先交換したってや!!またみんなで集まりたいし!!」
「うん、わかった!」
「いいよ~!!」
「・・・・・・。」
三者三葉なリアクションながら、女の子たちは応じてくれるようで何よりだ。
もしここで、「えっ、それはちょっと・・・・」とかいう反応をされた日には、僕はしばらく旅に出ていただろう。
川下の主導の元、赤外線通信を終えて僕は、丘佐紀さんをはじめとして3人の女の子たちの電話番号とメールアドレスを入手することに成功したのだった。
 電車に乗るため改札を通ていった丘佐紀さんたちを見送った僕は、帰りの道中細い目を目玉が飛び出すほど大きく見開いて、川下に何度も何度もお礼を述べていた。
彼女たちと一緒に写った記念のシールには、「モノマネごちでした!!」と可愛らしい文字で書き込まれており、僕はその一言だけで1ヶ月は白飯を平らげられる思いだった。

 こうして僕は、運命を変えることになる丘佐紀さんと出会った。

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登場人物紹介

奔瑚雨汰・・・(ほんこ うた)。

主人公で21歳の大学生。

これまで女の子と付き合ったことがなく、恋愛に奥手の平凡な男。

丘佐紀由希・・・(おかさき ゆき)。

21歳、主人公と同い年で市役所勤務。

奔瑚の親友川下と同じ高校・少林寺拳法部に所属していた。

川下臓漢・・・(かわした ぞうかん)。

21歳の大学生。

奔瑚雨汰とは小・中学校の同級生で、野球部で共に汗を流した親友。

大沼怜美・・・(おおぬま れみ)。

21歳、川下や由希と同級生で、同じ少林寺拳法部に所属。

明朗快活な性格で、高校卒業後アパレル関係の仕事をしている。

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