第17話

文字数 11,105文字

 ~2005年5月17日~
 丘佐紀さんとの映画館デートを終えてから10日あまりが経った。
あれからというもの、僕の携帯電話は着信量が増大の一途をたどっていた。
丘佐紀さんからのメールや電話はもちろんのこと、大沼さんからも着信が入ってきて大盛況となっていた。
 ほんの2ヶ月前までは、僕の携帯に女の子から着信が入ることなんて、まったくなかった。
それが川下主催の合コンに参加してからというもの、僕の携帯は鳴りっぱなしだ。
前年比どころか、生涯比何千何万パーセントアップどころの話ではない。
遅れてやって来た春とも言うべき僕の携帯電話の着信バブルは、率直にうれしくもあり、過去を繰り返しやり直してきた自分自身の頑張りに対する、ある意味正当な成果とも言えるだろう。
 ただ、本業である大学生としての日々に加えて、タイムリープによってすっからかんになってしまった銀行口座の残高を補填するためのアルバイトに勤しむ毎日の中で、なかなか2人の女の子と満足の行くやり取りをすることは、時間的にも体力的にも精神的にも難しい側面を持っていることは否定できなかった。

  おまけに僕は現在、いわゆる就職活動の真っ只中にいた。
連日様々な会社や企業に出向いては、内定をもらうために必死な毎日を送っていた。
しかし僕が在学している大学は有名大学とは程遠く、一流大学に通う秀才たちと比べると、コネクションの幅には若干のハンデがあるのは否めなかった。
そんなハンデによる余波は、僕にとっても例外ではなく、今のところ内定は1つももらうことができていなかった。
丘佐紀さんとの輝く未来を現実にするためには、早く足元を固めたいという焦りばかりが募って来てもいた。
大学生活での単位習得はまずまず順調なため、なおさら早く決めなければならない。
そうでないと、大学を卒業できてもアルバイト生活を続けなければならなくなってしまう。

 ~2005年6月13日~
 部屋の中に差し込んでくる、朝陽がやけにまぶしかった。
横たわったままの僕に、ふかふかした弾力のベッドの感触が覚醒を妨げようとしていた。
が、閉じられた瞼に容赦なく差し込む光の矢が突き刺さって、眠気を吹き飛ばされてしまい、僕はゆっくりと目を開いていった。
「見慣れない天井」がぼんやりとしている視界に入って来て、意識の覚醒と共に鮮明に映し出されていった。
だがはっきり見えるようになったからと言って、僕には身に覚えのない風景なことに変わりはなかった。
それに身体がやけにひんやりするなと先ほどから感じていた答えも、己の目によってすぐに納得を得ることになる。
僕は裸だった、一糸まとわぬ姿でベッドで寝ていたのだった。
『眠る時に身に着けるのは香水だけ」なんていう妖艶さも色気も習慣もない僕にとっては、それだけで充分に異常な事態だと言える。
 これは夢なのだろうか?
現実逃避とはまた異なる、至極真っ当な疑問が脳裏に浮かんでくる。
だって自分が横たわっていたベッドや、天上からぶら下がっているシャンデリア、室内の装飾や色彩が嫌味なくらい鮮やかすぎて煌びやかだったから。
普段自分が寝起きする住み慣れた自宅の自室とは別世界のそんな光景を目にしたら、夢や幻を見ているのかと勘繰ったところで、自然な反応だろう。
 ここはもう1度寝直して、再度本格的な意識の目覚めを迎えようか?
もそもそと布団の中に潜り込んで2度寝を試みてみるが、裸で眠る習慣がない僕には、どうにも直にベッドの中に横たわるのが感覚的に落ち着かない。
そこで2度寝を断念した僕は、どうせ夢なのだからと割り切って、素っ裸のままベッドから抜け出しては、室内を物色してみることにしたのだった。
構造的にはホテルの1室のような造りになっているが、それにしたっていささか派手すぎる内装ではないだろうか。
あらかた室内の物を触り、夢の中で自分が今置かれている状況を把握し終えた僕は、さてこれからどうしようかと佇んでいる時だった。
 
 「ガチャリ」と白い部屋のドアが開けられ、誰かが入ってくる気配を感じた。
何でもありの夢の中なのだから、別に驚くようなことでもないだろうと、僕は露になった裸身をまるで隠そうともせずに、入室者の姿を確かめようとしていた。
真っ裸の僕が仁王立ちの室内に入ってきたのは、大沼さんだった。
「朝から元気だね。」
と、僕の身体のある1点を見つめながら言う大沼さん。
僕の恥部を目にしても悲鳴の1つも上げない彼女の様子に、現実ではありえないシチュエーションも相まって、いよいよもってこれは夢なんだと確信を持った。
まぁ、大沼さんの姿形も声も、目に映るすべての光景が現実と変わらないほどやけにリアルだな、とは思ったけれど・・・・。
 とりあえず女の子が隣にいることで、ベッド脇に畳まれていた服に手を伸ばし、僕は着衣を完了させてマナーという体裁は整えた。
「よく眠れた?」
カジュアルな服装に身を包んだ大沼さんが、いつものように明るく朗らかに問いかけてくる。
「どうだろう、何か頭は重いし、腰の辺りが痛いんだけど・・・・。」
そう、夢の中にいるにしては、僕の頭には二日酔いの朝のような鈍痛があり、腰を中心とした下半身にも急激な運動をした翌日のような筋肉痛を伴った痛みがあるのは不思議だった。
「だって、昨夜はかなり飲んでたよ~。」
軽い口調で僕に告げてくる大沼さん、なるほどなるほど、そういう設定の夢なんだな。
が、続けて彼女の口から語られた内容に、僕は少なからず衝撃を受けてしまうことになる。
「それに・・・、昨夜の奔瑚君、とっても激しくて・・・・すごかったんだから・・・・。」
それまで見せていた明るいトーンでの馴染み深い雰囲気から一転、大沼さんは遠い目をしながら思い出し噛み締めるように言葉を紡いでは、意味深に頬を赤らめ始めたのだった。
「へ?」
現実世界であっても女の子にこのような態度を取られたら、間違いなくドキッとしてしまう。
でもここは夢の中なわけだし、なるほどなるほど、性欲が溜まっている時に見がちなちょっとエロめの夢なんだな、うん。
けれど大沼さんは熱情を引きずった瞳と表情で僕の眼前に迫ってきて、意味ありげに尋ねてきた。
「本当に・・・・覚えてないの・・・?」
「う・・うん・・・・。」
いやいやいやいや、そんな風に聞かれても、そんな顔されても!!
僕にはまったく身に覚えがないのは事実だし、そもそも夢でしょうこれは!!
僕、困っちゃうよ!!
「残念。」
誰に聞かせるわけでもない弁明に辻褄を合わせようとしている僕に向かって、彼女は心底残念そうにぽつりと呟いた。
え~、何この胸に去来する罪悪感、夢にしては少々リアルすぎやしませんか!?
「まあいっか、ちゃんと証拠もあるし・・・。」
大沼さんは僕に聞き取れないくらいの声で、何かとてつもなく怖ろしいことを言った気がするんだけど・・・・・。
「支度が終わったらチェックアウトして、朝ごはん食べに行こうよ!!」
いつもの明るさを取り戻した彼女からの提案を受け、僕は言われるがままに洗面所へと向かっていった。
 洗面台に置かれていた歯ブラシを開封した僕は歯を磨き、口をゆすいだ後流水で顔も洗った。
冷たいし、塩素の香りを含んだ水道水の匂いもちゃんと感じる、五感が正常時と何ら変わることなく機能するとは、やけにハイクオリティーで親切設計の夢だと思った。
ところがだ、鏡に映った自分の顔に手で触れ、何となく頬をつねったことで真実を思い知らされることになった。
 痛いのだ、ものすごく痛いのだ。
頬をつねり痛みを感じないことで、自分が夢の中にいることを実感するという、お決まりにしてお約束の確認行動を取った結果、僕は今、夢の中ではなく現実世界にいるのだと認識した。
いや、実は起きた時から薄々その懸念は感じていて、大沼さんとの会話や直前の歯磨きや洗顔においても、懸念は確信へと変わりつつあった。
だけど、まさかそんなわけがないだろうと思いたい、僕の希望的欲求が脳内で必死の言い訳を構築して、真実と認めることを先延ばしにしようと悪あがきしていただけだった。
強くつねりすぎた頬にはくっきりと爪痕が残り、僕の全身は遅れてやって来た現実味を帯びたリアリティーと矛盾と、理解できない記憶のないいくつかの疑問、そんな様々な感覚が一斉に押し寄せてきたのだった。
「ギャアアアァァァァァァァァーーーーーー!!!!」
ウソだ、これは何かの間違いだーー!!

 洗面所を飛び出し、部屋に戻った僕は取り乱しながら、荒々しく大沼さんの手を取っては問いただしていた。
「どういうこと!?何で僕はここにいるの!?大沼さんと何で一緒にいるの!?」
「落ち着いて、奔瑚君!!」
僕とは対照的に平然としている大沼さんは、掴まれた腕をやんわりと振りほどきながら、冷静になることを求めてきた。
「ご・・ごめん、少し取り乱しちゃった。」
そう言いつつも、乱れた心はちっとも収まる気配がしなかったが・・・。
「昨日は、私と由希と奔瑚君と川下君の4人で飲んでて・・・・」
そうだった、言われて記憶をたどる僕は薄ぼんやりとした先に、わずかに思い当たる光景が見えた。
 昨日は急に川下から夕方に電話がかかってきて、「これから大沼さんと丘佐紀さんと飲むことになったんだけど、奔瑚も来ないか?」と誘われて、僕はバイトがなかったのをいいことに出掛けて行ったのだった。
場所は丘佐紀さんと大沼さんが住む最寄り駅近くの居酒屋で、僕が到着した頃にはすでに結構盛り上がっていて。
僕は席に通されるなり、「駆けつけ三杯」という川下の口車に乗せられて、空腹のままに苦手なビールを立て続けに飲んだんだった・・・・・。
「奔瑚君は来てすぐに酔っぱらっちゃって・・・・」
えぇ~、丘佐紀さんがいる前で酔っぱらっちゃったの!?
ありえない、何たる失態、何てざまだ!!
でも大沼さんの言う通り、いくら記憶を遡ってみても、そこから先が全然覚えていない。
ということは、酔っ払って正気を失ったことは本当なのか・・・・・。
「2時間くらい皆で飲んでたんだけど、9時過ぎに由希が明日仕事で早いからって言って先に帰って、それから少ししたら川下君も1限目から講義があるからって言って帰っていって。」
「・・・うん・・・・。」
どうしよう、何だかそこから先の展開を聞くのが、たまらなく怖くなってきてしまったぞ。
「もちろん・・・僕も川下と一緒に帰ったんだよねぇ・・・・・?」
「え、そんなわけないじゃん!!一緒に帰ったのなら、今ここにいないし。」
ですよねぇ~、うん、今のはわかってて聞きました。
「確かに川下君は、酔っ払った奔瑚君を連れて帰ろうとはしたんだけど・・・・」
「けど?」
「そこまで私に言わせるの~?」
大沼さんはややオーバーリアクション気味に首を嫌々と横に振る仕草を見せて、「ポッ♡」と頬を朱に染めだした。
「・・・・・・・・・。」
もしかして・・・・僕、やっちまったんだろうか・・・・・?
丘佐紀さんという心に決めた人がいるにもかかわらず、大沼さんと一夜の過ちを犯してしまったというのだろうか・・・・・?
いやいやいやいやいや、待て待て待て待て待て、いくら酔っ払ってたって言っても、僕にだって最低限の理性や分別が働くはずだ。
きっと飲み屋をはしごとかしているうちに終電を逃してしまい、放っておけなくなった大沼さんが親切にも僕に付き合って、ホテルに一緒に泊まってくれただけなんだろう。
うん、きっとそうだと僕は自分に言い聞かせながら、彼女に聞いてみた。
「てことは・・・、そのまま酔いつぶれてここで僕は寝てしまって、大沼さんはそれに付き合ってくれただけだよね?ね!?」
ここは非常に大事、と言わんばかりに迫る僕の迫力が伝わったのか、大沼さんは携帯を取り出すとボタンを操作して、とある画面を開いて僕に向けて見せてくれた。
そこには・・・・・、裸でシーツにくるまった大沼さんに、抱きついているように見える一糸まとわぬ僕の姿があった・・・・・・・。
見ようによっては、酒の勢いに任せて大沼さんに襲いかかり、ちっともおめでたくない形で童貞を卒業したように見えなくもない写真。
僕の視界は真っ暗になり、心はどこまでも底が見えない暗黒のどん底へと叩き落されていくようであった・・・・・・。

 その後ホテルを後にした僕と大沼さんは、近くの店で朝食を取ったものの、僕はショックのあまり気分は最悪、逆流しそうになる胃の動きに抗って、無理やりに食事を喉に流し込みはした。
そこが何屋で、何を食したのか、味覚にも記憶にもまったく残らなかったけれど。
 そのまま駅へと向かった僕たちは、朝の通勤や通学客でごった返す人波の中で、自分がたった1人世界から隔絶された存在であるような気分を味わいながら、それぞれ帰路についていった。
その別れ際、大沼さんは妙にさばさばしていて、僕が知り得る彼女と相違なくはつらつとしていたのが印象的だった。
上りの電車に揺られ行く中、僕は取り返しのつかないことになってしまったと、朝の活気に似つかわしくなく頭を抱えていたのだった。

 ~2005年6月13日12時30分~
 昨夜は奔瑚君たちとお酒を飲んで楽しかったけれど、彼はちゃんと帰れただろうか?
お昼休みに入った私は、コンビニで買ってきたサンドイッチと野菜ジュースを前にして、奔瑚君のことを心配するように物思いにふけっていた。
するとマナーモードにしてある私の携帯が震えて、メールが届いたことを知らせてきた。
「・・・ぬまっちからだ・・・・。」
画面を開いて届いたばかりのメールを開封すると、「昨日、あれから素敵なことがあったよ!!」という短い文章と一緒に、画像が添付されていた。
私は何も躊躇うことなく、添付されていたファイルを開いたのだけれど、そこに映っていたものは・・・・・・、
「・・えっ、・・・・何・・・・・・これ・・・・・・・・?」
 ラブホテルのベッドの上に、裸で抱き合っているぬまっちと奔瑚君の姿が映っていた。
一体どうして?何で奔瑚君がぬまっちと?
私の手からは驚きの余り携帯が離れていき、固くて冷たい床の上に落ちていった。
2人はそんな関係だったの?
私が知らなかっただけで、奔瑚君はぬまっちともう付き合っていたの?
まったく考えたこともなかった展開が、写真という「証拠」として私に事実を突きつけてきていた。
何かの間違いであってほしいと思うけれど、目にした写真は決定的すぎた。
それと合わせて、親友のぬまっちも奔瑚君に好意を持っていたことが追い打ちをかけてショックだった。
何も知らなかった気付けなかった、私自身の無力さが悲しくてとても辛かった。

 ~2005年6月13日20時過ぎ~
 昨夜の僕が犯した過ちの真偽を確かめるために、ショックからまだ立ち直れてはいなかったが、僕は強引に川下の家に押しかけていた。
何でもいい、僕が潔白だという手掛かりが少しでも掴めるのならと、藁にも縋る思いで。
 実家暮らしの僕とは違い、川下は1人暮らしをしていた。
彼の住むアパートに着き、部屋の前まで全速力でやって来た僕は、1秒も無駄にするまいと呼び鈴を鳴らし続けていった。
「ピンポン!!ピンポン!!ピンポン!!ピンポン!!ピンポン!!」
別に多く鳴らしたからと言って、川下との接触がさして早まるわけではないのだが、心にまるで余裕がない僕は呼び鈴を押す手を止めることはなかった。
「はいはい!!はいはーい!!」
部屋の奥深くからうっすら聞こえていた返事が近付いて来ても、僕の挙動は変わらない。
「ピンポン!!ピンポン!!ピンポン!!ピンポン!!ピンポン!!ピンポン!!」
「じゃかあしいなぁーー!!わかってるわい!!」
すでに2ケタに及んでいた呼び鈴の音が鳴り止まぬタイミングで、乱暴に内側から部屋のドアが開け放たれ、イラついた様子の川下が出て来た。
「1回鳴らせばわかりますがな!!誰だ、まったくよう!!」
柄があまりよろしくない彼だったが、来訪者の正体が僕だとわかると、瞬間的な怒りが冷めていくようだった。
「何だ、奔瑚かよ。どうした、突然来て?」
「今ちょっといいか?良くなくても邪魔させてもらうよ!!」
「お、おい!!何やねんなあ、もう~!!」
僕は川下の了解を取るまでもなく、有無を言わせぬ勢いでもって室内へと突入していった。

 アポなしの突然の来訪に加えて、明らかに冷静さを欠いた様子の僕に川下は若干の戸惑いを見せながらも、一応客人として2つのグラスに甘酒を並々と注いで運んできてくれた。
というか、何で甘酒?さらに喉乾いちゃうよ。
「どうしたんだ、奔瑚?」
「・・・昨日の夜のことなんだけどさ・・・・」
「おう、なかなか楽しい飲み会だったなぁ。」
「それが・・・そうでもなくて・・・・。ちょっと、困ったことになっててさ・・・・。」
「何だ、大沼さんと何かあったのか!?」
野次馬根性丸出しに身を乗り出しては愉快に聞いてくる川下の言葉に、僕は口に含んでいた甘酒を吐き出すと、ねっとりとした甘い感触が零れ落ちてきて、首筋を伝っていく。
「・・・昨日のこと・・、実は全然覚えてなくてさ、記憶がないんだよ。」
「そりゃあ、あんだけ一気にビールを飲めば酔いもするわ。」
誰が飲ませた、誰のせいだ!?
はい、それは間違いなく川下さんであります!!
「・・・その点は反省もしているよ。川下に乗せられたからと言って、らしくなかったよ。」
「そうだぞ~!!良くないぞ~!!」
確かに彼の言う通り、昨夜の僕は就職活動が思うように進展しないストレスや、バイトで疲れていたこともあって無茶な飲み方をしてしまった。
ビール自体苦手で、まず自分からは口にしようとしないにもかかわらずだ、調子に乗って川下に勧められるままに飲んでしまったことは、僕自身の落ち度であり大いに反省すべきことだ。
だが僕に反省の念を抱かせようと、これ見よがしに悪乗りしてくる川下には、失礼ながら少し腹が立つのも事実だった。
 さておき、僕がここにやって来たのは、昨夜の詳細な情報を得るためだ。
昨夜僕が酔っ払ってしまった後、どのような会話が繰り広げられ、どのような流れになっていったのか、大沼さんから聞かされた断片的な証言と擦り合わせることで、真実に近付けることは間違いないだろう。
そしてその先に、現状かなり黒に近い位置に置かれている僕の潔白を、証明できるようにするために。
今朝方大沼さんと別れて自宅に帰った僕は、二日酔いの症状もひどかったために大学をさぼった。
ズキズキと痛む頭を冷やし横たわりながら、僕は真偽が定かではない疑惑にもかかわらず、丘佐紀さんに対して妙に後ろめたくて、一切連絡を取れずにいた。
 「奔瑚が合流してすぐに、まずお前さんは酔いつぶれてな。」
「うん、そこまではうっすらと覚えているんだ。問題はその先!!」
「テーブルに突っ伏して眠ってしまった奔瑚を見た俺たちは、さぞかし疲れていたんだろうなと思いました。」
「それ、ただの感想!!小学生か!!」
「よ~、今日はやけに突っ込みに切れがあるねぇ~!!」
お笑い的要素のスキルを褒められたところで、今の僕はちっともうれしくはなかった。
「その後どうなったのさ!?」
「どうと言われも・・・・。しばらくは奔瑚抜きに、普通に3人でワイワイと話しながら飲んだだけだけどなぁ~。」
「・・・・・・・・・。」
「ほいで、奔瑚も起きる様子もないからってことで、丘佐紀さんがまず仕事で早いからって帰ったなぁ。」
「・・・・それで・・・・・?」
「丘佐紀さんが帰った後、大沼さんと飲んで・・・、あそうそう、ぼん尻が美味かったわ!!」
「料理の感想はいいから!!」
ぼん尻、僕も好きだけどね!!
「そう言えば・・・・、大沼さんには今好きな人がいるんだけれど、なかなか相手が振り向いてくれない、みたいなこと言ってたなぁ・・・・。」
「!?」
これはなかなか引っ掛かる証言だ、こんなことを考えると自惚れているみたいで嫌なんだけど、もしも大沼さんが好きな人ってのが僕だとしたら、僕は丘佐紀さんに夢中なわけだし辻褄は合うぞ。
「その後、俺も朝一で講義があるから帰ることにしてな。奔瑚を担いで帰ろうとしたんだけど、諦めて大沼さんに任せたのさ。」
「任せんなよ!!そこは引きずってでも、僕を連れて帰ってくれよう!!」
「いや、だいぶお前さん酔ってたし。大の男を1人担いで帰るのって、正直めんどいやん!?」
「ちっともめんどくねぇよ!!君が僕を連れて帰ってくれさえしていれば、何も問題はなかったんじゃんよう!!」
「そんなこと言われても・・・・。最悪、タクシー使ってでも送り届けるって大沼さん言ってたし・・・・。それにさぁ~、寝ゲロとか吐かれたら嫌やん!?」
「吐かねぇよ!!友情って言葉を、いっぺん辞書で引いてみようか!?」
「そんなわけで、酔いつぶれた奔瑚を残して、俺は電車で帰ったのでした。」
「・・・・・・・・・。」
うん、根本的に何も解決していないよね。
 大沼さんが僕を好きかもしれないという有力な情報を得ることはできたが、僕と彼女が2人きりで一夜を過ごしたことはまず確定したために、陰謀の匂いが深まりこそすれ、僕にかけられている疑惑は逆に濃くなってしまった。
川下が電車に乗り込んだのが午後10時45分頃、そこから大沼さんと2人きりで過ごしたであろう約8時間の記憶の存在しない時間、間違いが起きるには充分すぎる・・・・・。
 僕は黒さが増した感のする疑惑の渦中に晒されたまま、川下家を後にしてとぼとぼと帰っていったのだった。

 ~2005年6月16日~
 あれから3日が経過した。
何1つ白黒を付けられぬまま、僕は日常を過ごすしかなかった。
過ちを犯してしまったかもしれない相手の大沼さんはおろか、丘佐紀さんにさえ、僕はまるっきり何の連絡も取れないでいた。 
だってそうだろう、自分の身の潔白を証明し切れていない現状で、何と丘佐紀さんに言葉を交わせばいいというのか?
それにひょっとするとひょっとして、大沼さんから丘佐紀さんに対して、あの夜の疑惑の時間のことについて連絡がいっているかもしれない。
僕と大沼さんがその何だ、男女の関係になってしまったかもしれないと知られたのかもと思うと、何と怖ろしいことか、想像しただけで全身の毛穴から嫌な汗が噴き出してきた。
ならばまず直接大沼さんを問い詰めて真偽のほどを確かめるのが正攻法なんだろうけれど、川下からの証言によって、彼女が僕に対して何かしらの企みと思惑を抱いていたことが感じられて、そうなると聞いたところで真実を聞き出せるかは多分に怪しかった。
いやそれ以上に、僕は大沼さんのことを恐れてもいた。
僕にとって未知なる存在の女性という異性が、ひとたび愛欲のために行動に出たとするならばまさに未知数であり、対処の仕方もわからなければ思い詰めた末に突きつけられる言い分が、たとえどんなに真実と逸脱していたとしても、押し切られれば跳ね返せる自信がまったくないから。

 だが、ショックを引きずったまま塞ぎ込んでいても、決して事態が好転することはない。
ここは気持ちを立て直して、前向きに情報を整理して今後の方針を練ろうではないか。
 まず、飲み会の席で僕がビールを飲んで酔いつぶれてしまったことは、大沼さんと川下からの証言が一致していることで、信じてよさそうだ。
 次に、飲み会に参加した4名の帰宅時間の整理だ。
丘佐紀さんは翌朝の仕事に備えて1番最初に店を後にした、時刻は21時から21時30分の間と思われる。
その後しばらくは僕を含めた3人で飲み会は継続して、川下が大学の講義のために帰ることになったのを合図に、僕たちは居酒屋を後にしたらしい。
川下が駅から電車に乗り込んだ時刻が22時45分頃だったということから推察すると、居酒屋を後にしたのは22時20分前後ということになるだろうか。
そこから僕は大沼さんに介抱される形で2人きりになってしまい、ホテルにて目を覚ましたのが翌朝6時前、つまり7時間30分ほどの時間が空白というわけだ。
 続いて、大沼さんが僕に好意を持っていたのかもしれないという点についてだが・・・・。
川下はあの夜居酒屋で、大沼さんから恋愛相談を受けたそうだ。
その内容が、「今好きな人がいるけれど、なかなか振り向いてくれない」というもの。
もしも今回の事件が、大沼さんによって仕組まれたものだとしたら・・・・。
その場合の「好きな人」は僕であり、「振り向いてくれない」というのは、僕の本命が丘佐紀さんで攻略に夢中のためという仮説が条件に当てはまる。
 そして最も肝心なことは、僕が大沼さんとやってしまったのか、エッチしてしまったかどうかということだ。
8時間弱という空白の時間だけを見れば、男女が行為に及ぶには充分すぎる時間だと言えるだろう。
だが引っ掛かるのは、僕が酒に酔いつぶれて記憶と意識を無くすほどに泥酔していたということだ。
おまけに当日の夜は、大学の講義やバイトに加えて、慣れない就職活動に奔走していたことにより、自分でもひどく疲れていたことは実感していた。
ビールが苦手で普段めったに口にしないとはいえ、酒自体にはそこまで弱くもなく、生まれてこの方酔いつぶれてしまった経験は僕にはなかった。
そんな僕が数杯のビールに酔いつぶれてしまったのだから、肉体的にも精神的にもかなり疲れていたことは容易に想像できる。
ラブホテルに2人で入ったことは間違いないが、そんな条件下で童貞の僕が、特別な感情を抱いてはいない大沼さんに欲情して襲いかかれるだけの体力があったかと考えれば、大いに疑問が残る。
女遊びが盛んな手慣れたジゴロならいざ知らず、とりつくろってはいても所詮恋愛経験皆無の童貞の僕に、泥酔状態でそこまでの行為に及べるのか?
冷静に考えると無理だろう、普通に考えてホテルにチェックインしたのはいいが、酔いつぶれたままベッドで眠りこけてそのまま朝を迎えたという方が、よっぽど理にかなっていると思えてならなかった。
 うん、そうだよそうだよな~、何だやっぱり俺は何もしていないじゃないかぁ~。
朝を迎えた時の大沼さんの意味深な態度と発言は気になるものの、僕をはめるための策略だとすれば、それはそれで怖いけれど矛盾は解けていく。
何だか急に気分が前向きになってきたぞ、今夜はよく眠れそうだ。
自分なりの疑惑への解釈を見いだせたからか、まだ少し空元気な感は否めなかったが視界は良好になっていった。

 「♪♪~♪♪!!」
元気を取り戻した僕が、今日は早めに眠ろうかと思ったそんな矢先、携帯電話が鳴り着信を知らせてきた。
携帯を手に取った僕が画面を見ると、そこには「丘佐紀由希」という文字が浮かんでいて、彼女から電話がかかってきたことを意味していた。
その途端、またしても急激な不安感が押し寄せてきたのを感じつつも、僕は通話ボタンを押したのだった。
「・・・もしもし・・・・」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

奔瑚雨汰・・・(ほんこ うた)。

主人公で21歳の大学生。

これまで女の子と付き合ったことがなく、恋愛に奥手の平凡な男。

丘佐紀由希・・・(おかさき ゆき)。

21歳、主人公と同い年で市役所勤務。

奔瑚の親友川下と同じ高校・少林寺拳法部に所属していた。

川下臓漢・・・(かわした ぞうかん)。

21歳の大学生。

奔瑚雨汰とは小・中学校の同級生で、野球部で共に汗を流した親友。

大沼怜美・・・(おおぬま れみ)。

21歳、川下や由希と同級生で、同じ少林寺拳法部に所属。

明朗快活な性格で、高校卒業後アパレル関係の仕事をしている。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み