7 部長は謝れずに出て行く
文字数 1,173文字
週明け。
疋嶋丸がオフィスに到着したのは本来の出社時間からだいぶ遅れてのことだった。
みな既にお昼休憩に入っている。
二日酔いで寝坊、という訳ではなく社外での打合せを一件済ませ、その足で個人的な買い物をして来たのだ。
オフィスに入ると、コーヒーマシンで滅多に飲まないエスプレッソを淹れて一度デスクに着き、ノートパソコンを開き立ち上げた。
——先ず落ち着かなければならない。すん、と苦味の深い湯気を吸い込み、バッグから出したペットボトルのミルクティを軽く口に含んだ。
疋嶋丸は足元の紙袋を持って立ち上がった。
紙袋には打合せの後、デパートで買った男物のビジネスシャツが入っていた。勿論先週インクで衣類を汚してしまった緒川への詫びの品である。プレゼント用の包装などは、やりすぎかな、と思ったのでしていない。
オフィスの中に緒川はいた。緒川は多くの男性社員と違って昼食を外でとらない。呼びつけてもいいのだが、お詫びなのだからやはりここは自分から彼のデスクへ出向くべきだろう。
「緒川君!」
明るく快活な声がオフィスに響く。
だが、彼を呼んだのは疋嶋丸ではなかった。
同じ部署の永井玲奈であった。
「これ、良かったら使ってね。」そう言って差し出したのはカジュアルな洋服ブランドの袋だった。
「えぇ…、あ、はい。」緒川は驚いて戸惑っていた。
周囲の女性社員と僅かに残っていた男性社員が視界の端で様子をうかがっているが、はやしたてるような声はない。
「似合うと思うんだ、開けてみる?」と言って封を解いたのは永井玲奈自身であった。
袋から出てきたのはライトブルーのシャツだった。
その眩しい青に、疋嶋丸はハっとした。
それは弾かれるような衝撃だった。
疋嶋丸の入社当時と今ではオフィスの雰囲気はかなり違う。社員がクルーやスタッフと呼ばれるようになり、主任はリーダー、係長はマネージャー、課長はチーフ、そう言えば何故か部長は部長のままだ…。
オフィスもそう。事務机も事務用品も書類の山も消えて、お洒落なビジネスデスクにノートパソコンがあるだけになった。働く者の服装もビジネススーツに拘らずに基本自由になった。女性はお洒落を楽しみ、男性は自分らしく働ける服を着て仕事をしている。
確かに私はいつも紺かダークグレイのスーツくらいしか着てこない。
でもそれが私の考える上に立つ者らしさで、部長らしさで、そして私らしさだった。
なのに永井が緒川に贈ったライトブルーのシャツが
――お前は移り変わる時の中で馬鹿みたいに変われないでいる、地味で、古くて、垢抜けない、絵にかいたような昭和のお局様だ、
と言ったように感じた。私らしさを否定されたように感じた。
そしてまだ渡せてもいない、まだ紙袋から出してもいない、疋嶋丸が彼に贈ろうとした白いビジネスシャツが何だかとてもとても時代遅れで陳腐で恥ずかしい品物のように思えてしまった。
疋嶋丸がオフィスに到着したのは本来の出社時間からだいぶ遅れてのことだった。
みな既にお昼休憩に入っている。
二日酔いで寝坊、という訳ではなく社外での打合せを一件済ませ、その足で個人的な買い物をして来たのだ。
オフィスに入ると、コーヒーマシンで滅多に飲まないエスプレッソを淹れて一度デスクに着き、ノートパソコンを開き立ち上げた。
——先ず落ち着かなければならない。すん、と苦味の深い湯気を吸い込み、バッグから出したペットボトルのミルクティを軽く口に含んだ。
疋嶋丸は足元の紙袋を持って立ち上がった。
紙袋には打合せの後、デパートで買った男物のビジネスシャツが入っていた。勿論先週インクで衣類を汚してしまった緒川への詫びの品である。プレゼント用の包装などは、やりすぎかな、と思ったのでしていない。
オフィスの中に緒川はいた。緒川は多くの男性社員と違って昼食を外でとらない。呼びつけてもいいのだが、お詫びなのだからやはりここは自分から彼のデスクへ出向くべきだろう。
「緒川君!」
明るく快活な声がオフィスに響く。
だが、彼を呼んだのは疋嶋丸ではなかった。
同じ部署の永井玲奈であった。
「これ、良かったら使ってね。」そう言って差し出したのはカジュアルな洋服ブランドの袋だった。
「えぇ…、あ、はい。」緒川は驚いて戸惑っていた。
周囲の女性社員と僅かに残っていた男性社員が視界の端で様子をうかがっているが、はやしたてるような声はない。
「似合うと思うんだ、開けてみる?」と言って封を解いたのは永井玲奈自身であった。
袋から出てきたのはライトブルーのシャツだった。
その眩しい青に、疋嶋丸はハっとした。
それは弾かれるような衝撃だった。
疋嶋丸の入社当時と今ではオフィスの雰囲気はかなり違う。社員がクルーやスタッフと呼ばれるようになり、主任はリーダー、係長はマネージャー、課長はチーフ、そう言えば何故か部長は部長のままだ…。
オフィスもそう。事務机も事務用品も書類の山も消えて、お洒落なビジネスデスクにノートパソコンがあるだけになった。働く者の服装もビジネススーツに拘らずに基本自由になった。女性はお洒落を楽しみ、男性は自分らしく働ける服を着て仕事をしている。
確かに私はいつも紺かダークグレイのスーツくらいしか着てこない。
でもそれが私の考える上に立つ者らしさで、部長らしさで、そして私らしさだった。
なのに永井が緒川に贈ったライトブルーのシャツが
――お前は移り変わる時の中で馬鹿みたいに変われないでいる、地味で、古くて、垢抜けない、絵にかいたような昭和のお局様だ、
と言ったように感じた。私らしさを否定されたように感じた。
そしてまだ渡せてもいない、まだ紙袋から出してもいない、疋嶋丸が彼に贈ろうとした白いビジネスシャツが何だかとてもとても時代遅れで陳腐で恥ずかしい品物のように思えてしまった。