33 言葉は私をめぐる

文字数 1,468文字

考えてることがうまく"言葉"になった瞬間がとても心地よい。

頭の中の、モヤッとしていた、グニョッとしていた、色も形も判らない感情が
心の中の、ずっと深い森に潜んでいて、今まで目にすることのなかった新種の生き物が、
発見され、それが何の仲間で、だいたい何処に分布しているか、いろいろが解って、そうして、ついにピッタリの名前がつく。

私はその瞬間がとても好きだ。

歌詞でも童話でも、小説でもエッセイでも、
"書く"という事は、どんな過程であっても大なり小なりみんなそう、

自身の言葉の源にアクセスする行為だ。


頭でも心でも、あるいは魂でも何でも構わないのだけど、
言葉の源泉が人の体にはあって、それは、過去とも未来とも、勿論"今"とも繋がっているのだ。

言葉は、世界と私をひとつにする血液なんだ。

そして私は言葉にすることが得意だ!
ずっと仕事で培ってきた能力をそのまま応用できる。

ここ数年は、総務と経理関連に追われて数字ばかりを相手にしているけれど、営業、企画、コンテンツ制作の経験もある。
そのどの現場でも、そこそこの業績を残せたのは多分"言葉にする力"が他のみんなよりもあったからだ。

人の頭の中と同じで、企業にも、あるいは、そこで扱うプロジェクトの中にも、モヤッとしてグニョッとした生き物が潜んでいる。
何か上手く進まない、
員に利があるハズなのに賛同が得られない、
得体の知れないその生き物は、社内にそんな気持ちを生み出す。

私は、その得体の知れない生き物に名前をつけ、飼い馴らすことが出来た。


創作。

最初は良かった。

とても楽しかった。

湯水のように言葉が沸いた。

ある時、痛みに驚いた。
突然、胸が軋むような痛みだった。
心の、触れてはいけない場所を不意にかすってしまい、あとはもうどうにも止まらない疼きに悶えた。

私は、

…思い上がっていた。

…完全にうぬぼれていた。

言葉になりたくないからこそ、暗がりに逃げ込んでいた生き物を無理に追い立て、白昼の光にさらし、そのあまりの醜さに衝撃を受けた。

それは、もはや化け物だった。

進学のこと、入社当時のこと、職場で耳に入る陰口のこと

そして

緒川はるか、のこと


仕事のため、効率のため、部長だから、と正当性を盾にそれらをすべて些事として済ませた。
その些事が心に刺さる痛みもまた、些細なものだった。

、かに思えた…。


だが、決してそうではなく…、


その小さな痛みは心の深部に落ち、化け物の餌になった。

餌を与えられ続け膨れ上がった、暗がりに潜む化け物の気配に、まったく気づけなかった…。

鋼の鎧を装着すれば、そよ風を感じることが出来ないように。



――永井先輩!!
到着するエレベーターの中から誰かの声が聞こえた、ような気がした。
扉が開くと、緒川はるかと永井玲奈が抱き合っていた。

疋嶋丸に気付くと、弾かれたように2人は離れ、彼女と入れ違いにエレベーターを出て行く。

社内風紀を乱す行為として看過できない。
ここ最近は部下を全く叱っていないが、だが流石は泣く子も黙る疋嶋丸ひろ子、全盛期(?)の氷を研いだナイフのような視線と斥責が飛ぶ。

「少しはわきまえなさいね。」

相手の謝罪も弁明も待たずにエレベーターは閉じた。

エレベーターが動き出す。

「っ?!…。」
立っていられずそのままエレベーターの壁にもたれた。
心臓も呼吸も意識も、多分数秒停止した。
という程の強いショックと驚きだった。無意識で、ほぼ部長としての脊髄反射だけで乗り切った局面だった。

疋嶋丸ひろ子は、震えていた。

それが一週間前の事だ。
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登場人物紹介

疋嶋丸ひろ子 (ひきしまる ひろこ)

36歳。部長を務めるマネジメント部は一般企業の総務と経理業務を受け持つ。ストレスで情緒不安定となっていたが趣味を持ち、人生が変わってゆく。



緒川はるか (おがわ はるか)

24歳。極度の口下手だが頭の中では"超"饒舌。部長に激しく叱責される事を至上の悦びとし、本来は有能だが叱られたいがためにわざとミスを繰り返している。よく夢をみる体質であり睡眠が浅い。

伏島 将太

31歳。同じ部署のグループリーダー。

落ち込んでいる緒川を慰めてくれる。

疋嶋丸を苦手にしているが一方で尊敬もしている。

楠 鼓舞 (くすのき こぶ) 

25歳。緒川の先輩。先日部署を移動し、現在は疋嶋丸と同期の女性上司、松田節子チーフの下で働いている。松田に連れられて観劇したことをきっかけに、女性シンガーソングライターを応援し、ライブ等に足を運ぶようになった。

永井玲奈 (ながい れいな)

24歳。同じ部署の女性社員。緒川に好意をよせているかもしれない。天然ぽく振舞っているが観察眼は鋭く策士である。

大森 明日菜 (おおもり あすな)

疋嶋丸の親友であり元同僚。演劇や音楽など、多彩な才能を持つが、運営は苦手で節子に手伝ってもらっている。

松田 節子 (まつだ せつこ)

疋嶋丸の親友であり他部署ではあるが現在も同じ職場にいる。

箱川 六瀬  (はこがわ むつせ)

20歳 ということになっているが本当は24歳。バイトしながら地下アイドルをやっている。明日菜の主宰する劇団にも所属している。

若林 武  (わかばやし たけし)

大物プロデューサー風のおじさん。

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