1―3

文字数 5,214文字

「ゾアったらあの後すっかりガキ大将っぽくなったよね」

 

 嬉嬉として、思い出話をセレアは話す。

 ゾアの勇姿を讃えては、偉い偉いと連呼した。

 その都度ゾアは、顔の前で手を振り大げさな否定の仕草をする。が、綻んだ口元から浮き出る表情は、明らかに得意のそれだった。

 一方、窓の表情は、寒いこの時期にも緑を萌やす針葉樹の群生。

 車輪は緩やかな坂道を登り出し、自動車はエネルギーを燃やす匂いを撒き散らす。

 その間も、変わらず思い出話に花が咲く。

 話の中心は専らゾアの事であったが、一番に盛り上がるのは、意外にもそれとは違う思い出だった。

 それは、テムの一言がきっかけで巻き起こる。

 

「みんな、ゾアが助けに来た後、驚かなかった? ルーカンがいきなり泣きだすもんだからさ」

 

 瞬間、ゾアとセレアの相槌が、交互に打たれた。

 二人もその話を始めようとしていたらしく、考えが一致したのが面白かったようだ。高揚とした様子で件の話題をし出す。特に、ゾアはすこぶる快調だった。

 セレアが、なんで泣き出したのかとルーカンに聞けば、「びびったからだろう」と小馬鹿にし、安心したからじゃないかとテムが言えば、「びびっていたからだ」と尚も返す。本人の出る隙を与えない返答ぶりを披露した。

 

「セレアに頭を撫でられて、真似したルイナにも慰められて。全くうらやましい限りだよ」

 

 ハンドルを握るテムの手が楽しげに震えている。

 表情までは見えないが、容易に想像が付く。ルーカンは、思わず苦笑い。

 

 面白おかしい時間は、その後しばらく続いた。    

 なぜかルーカンの過去話ばかりだったため、本人は終始赤面。

 隣に座ったルイナの口数の少なさと、時々まじまじと見つめる瞳が気にはなったが、それどころではなかった。

 

「でもあの頃は楽しかったよな」

 

 落ち着いたゾアが静かに零した。

 孤児院という閉鎖的な場所で過ごした過去は、ルーカン達にとって掛け替えのないものだった。

 ともすれば暗いものになりうる過去だが、皆の絆が明るいものへと変えたのだ。

 だが、そこに一つおかしな点があった。

 五人は孤児院に入る前から一緒にいた関係。なら、さらに古い時期の話題も出るのが自然である。しかし、誰の口からもそれは現れない。むしろ、避けているような、妙な空気さえあった。ルーカンも、無論そうだった。

 

「孤児院か。僕はすぐに引き取られたからな。思い出が少なくて残念だよ」

 

 声を落とし、テムが言う。

 

 国が、捨て子の解決策として導入した孤児院制度は、今ではどの国よりも発達していた。特に力を入れた里親制度は、ルーカン達が孤児院に入った時には既に成熟。院生になってから一~三年以内で里親は見つかるほどだった。

 テムは孤児院に入った一年後に、ある企業の社長に気に入られ、養子となった。

 そこは時代の最先端を行く自動車の製造企業。今のテムは若くして副社長の地位にいた。

 そして企業は現在、小型航空機に着目している。テムは、子供の頃から憧れていた航空機事業に携わる事が出来たのだった。

 

 

「おっと、そろそろ準備しないと」

 

 思い出話は一旦途切れる。

 鼻を微かにくすぐる土の香りと、聞き慣れない動物の鳴き声…… ルーカンは改めて街から遠く離れた事を悟った。

 澄んだ空に、四方を囲む、紅葉繁る森の景。

 緩やかな坂道を登り終えた自動車は、右側の茂みへと続く脇道に僅かに入った。

 停止の短いブレーキ音が、山林の谷間に消えていく。

 止まった窓の景色を眺めるルーカンの目に、自動車の後方に備えられた荷室(トランク)、に向かうテムの姿が映る。

 と、トランクが開いた。 中からは五着、揃いの服が取り出された。

 

「みんな、これに着替えてくれ」

 

 それは、丈夫な布で作られた、カーキ色の作業着だった。

 ルーカン達は男女に別れ、木の影へと身を移す。

 

「覗いちゃダメよ」

「誰が覗くか!」

 

 離れた場所から伝うセレアの戯れに、ゾアは山彦より早く返事をする。

 そんなやりとりを、ルーカンはテムと笑った。

 

 その後、自動車は元の道へ戻り、更に前進。坂は次第に急になる。

 ゆっくりと右にカーブする坂道を進み、次は左にカーブ…… それを何度か繰り返す。

 ようやく蛇行を終え、道が直線になった時、石造りの巨大な門が行く手に現れた。そこには、立ち入りを見張る警備員が配置されていた。

 

「居ないと思ってんだけどな。仕方ないか」

 

 テムの呟きと共に、自動車は門の手前で停止する。

 ここを通る旨を、テムは警備員に伝え始めた。

 結果は…… なぜか門前払い。

 こうなれば、とテムが呟く。

 矢先、懐から白い紙が取り出された。

 

「これを提出するけど…… いいかな?」

 

 ルーカンは一番に頷いた。

 白い紙に書かれた内容を見た途端、警備員の態度は一転。渋い顔をしながらも、進むことに是を出した。

 

 新たな道を、車輪は声を上げ進み出す。

 警備員とのやりとりに、ルーカンは大いに感心した。

 テムが言うには、この先にある「小さな廃鉱の調査」という名目で、進入を許可させたらしい。万一の為に用意していたという証明書と、社会的地位の高いテムが、それの信憑性を高めた様だ。

 

「民間の警備員じゃ国家の方針には逆らえないからね」

 

 

 ――産業が急成長をしていく今日、鉱物は非常に重要なものだった。なるべく他国に頼らず、国内で取得するのが望ましいが、簡単にはいかない。

 そこで国は、破棄された鉱山の見直し案を新たに打ち立てた。どんな小規模な廃鉱でも再調査し、出来うる限り採掘するのが狙いである。

 最も、鉱物自体はまだ至る所に埋蔵されているため、新鉱山を造れば早いのだが……

 

「〝あれ〟のおかげで国も苦労してるよね」

 

 得意気に語るテムは、窓を流れる針葉樹の森を指差した。

 

 それから更に一〇分。ひたすら登りだった道は、一旦平坦へと変わった。左右に手を伸ばせば木の枝に届くほどの狭い道である。

 が、そこには思わぬ障害が待っていた。

 今までは固い素材で作られていた道が、ボロボロに散乱していたのである。倒木も広範囲に見られ、数本は道を塞いでいた。これでは自動車は進めない…… 歩いて行くしかないだろう。

 

「これって〝あの日〟の影響かな?」

 

 それは、何気なしだったであろうルイナの言。

 だが、ルーカンはそれを耳にし息をのみ、ルイナを思わず直視した。

 この反応は自分だけではない…… とルイナの泣き出しそうな表情と、周りの空気から感じ取る。

 

「……関係ないよ。もしそうならもっと酷い有様だろうしね」

 

 涙目のルイナをかばってか、柔らかな口調でテムは言う。

 結果、残骸は単純に風化によるものだろうと結論付く。

 ここはもう一〇年以上使われていない。その間、道路状況も変化していた。

 

 古い道路は、動物の骨等を素材に作られた脆いものだった。馬車が主役の時代ではそれでも十分だったが、自動車が増えつつある都市部ではそうもいかない。そのため道路は強化されたが、こういった偏狭の場所では手直し前の状態のため風化が激しいのだ。

 

「……俺たちが意識していたこの一〇年はそれだけ激動だったって事、か」

 

 赤みがかった葉が一枚、風に吹かれて飛んでくる。ふっと湧いた、ルーカンの記憶の泉に舞い落ちるように。

 

 浮かんだ情景は、孤児院時代よりもっと古いものだった。

 小さな山間の村。それを小高い場所から仲間と一望する淡い記憶。

 何かを打ち付ける小気味よい音が村から聞こえる。虫の声に乗った、タン、タタンという乾いた音色。

 

(懐かしいな)

 

 と、思い起こしていた時、耳にも、脳裏に流れた様な音が入って来た。

 現実に戻り、音を探る。

 音の主は、両手に持った木の枝を、一本の木に打ちつけるセレアだった。

 思い馳せていたルーカンに響かせる様に、一心に打ち鳴らされる音。それの持つ意味は、十分に伝わった。

 

(祭りの音、か)

 

 とある村に、家屋や木々などにバチを打ち付け厄払いをする行事があった。

 時期になると、丸一日村の何処かしらから心地よい音が聞こえてくる。セレアの出す音は、それと同じものだった。

 しかし、その行事はもう存在しない。いや、村自体が存在しない。約一〇年前…… 村は、ある現象により、姿を消したのだ。

 

「みんな、逃げてたでしょ? 記憶から…… でも、今から行くんだからすっきり話そうよ」

 

 セレアは尚も音を立てていく。

 ルーカンは、仲間達と顔を見合わせて小さく笑った。そして、木の枝を拾い、自動車の前に揃い立つ。

 率先して煽り立てるテムにほだされ、車体に音を刻んでいく。

 セレアに機転は、結果的に皆の笑顔を引き出した。

 だが、同時に惹き付けられるものもあった。

(ん、今のは……)

 動物の咆哮がかすかに聞こえた。

 何かが来る…… 予感した時、それはどんどん近く凶暴になっていく。

 

「……みんな、中に入るか?」

 

 隣でゾアが小さく言う。

 ルーカンは首を横に振った。

 自動車に入った所で、この先の悪路は進めない。戻ろうにも、なにぶん狭い道である。進行方向を変えるには時間が掛かるだろう。

 

「だよな。仕方ない、なんとかするか」

 

 皆、なぜか冷静に見えた。

 内心恐怖を感じていたルーカンは、臆病といえるルイナでさえも落ちいている事に疑問を覚えた。

 

(来る……)

 

 彷徨(ほうこう)する咆哮。それが、左側の茂みを引き裂くようにして、ついに現れた。

 熊。それも、かなりの巨体である。

 

 瞬間、隣のゾアが後方を見た。ルーカンも振り向き、その行動の意味を知る。

 道路の進行方向から見て右側にあたるその地帯は、数メートル先に崖がある。茂みを超える必要はあるが、うまくいけば熊をそこから転落させる事ができる。

 

「俺が引きつける」

 

 撃退の計画を終えたのかゾアが力む。 

 ……その時だった。

 

「俺が」

「僕が……」

「わたしが……!」

 

 同時に響く、ルーカン、テム、ルイナの声。

 互いの瞳に、仰天する各々の姿が映る。だが、それ以上に、ゾアとセレアが、三人に対し驚愕している様だった。

 どちらかといえば弱気な印象の三人が勇んだのだから無理もない。だが、それが僅かな隙を生む事になる。

 うなりをあげ、巨体が向かってくる。空に轟くうなり声、地を這う鈍い振動が、しだいに足下を振るわせる。

 と、ルーカンは殺気を隣で感じる。ゾアが、拳を握り今にも突き進む構えでいた。

 

(まずい)

 

 瞬間、ルーカンは素早く動いた。

 叫ぶゾアを置き、落ちていた枝を右手に持つ。

 そして、右肩を後方に下げ左足を前に出し、遠投の構えを見せる。

 棒きれを投げただけでは、逆に興奮させるだけ。

 十分承知と意を決す。

 

「やめ……!」

 

 ゾア達が言葉を出し切るより先に、投げた枝が宙を舞った。

 綺麗な放物線を描き、そのまま熊に……

 ……否。

 瞬く間にそれは起こった。

 投げた物は、細長い棒切れ…… 細長い棒切れで間違いないはずだが、それが、〝それ〟では無くなったのだ。

 今、広がる光景は、鳥籠の様に形成された木の根のようなものが、熊を取り囲むというものだった。

 それは更に、熊が動ける空間を減らし、ついには音を立て、熊の巨体を締め上げ始めた。

 どう猛なうなり声が、うめき声に変わる。

 場が静まるまでそう時間はかからなかった。

 ふぅ、とルーカンは息をつく。

 ひとまずの安堵…… が、仲間の唖然とした表情を見、再び落ち着かない思いをする事になる。

 

「……俺は見た。枝が空中で膨れ上がって網みたいに伸びていくのを」

 

 苦虫を潰した様な声がやって来る。

 熊に向けたはずのゾアの握り拳は、未だに硬く閉じていた。

 

「……説明して貰おうか」

 

 脅威が去ったこの場所に、鳥達が再び舞い戻る。

 それはルーカン達を囲む様に、陽気な囀りを響かせた――
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