2―4

文字数 4,444文字

 緩やかな曲がり道を右に走る。
 進んだ先の左方に、高い背の草薮の空間。その数一〇メートル先には、山の斜面を削り三段の高さに分かれた地帯が。
 そこには数件の家屋が立ち並び、ルーカンの暮らした家もあった。そこに行こうという話が出た、その時だった。

「ね、ねぇ、あそこ……」

 ルイナが恐々と手前の草やぶを指差す。
 見ると、草に隠れて気付きにくいが、何やら巨大な穴があった。
 子どもの頃には無かったはず…… 思い出し、訝しむ。
 当時無かったという事は、大爆発の後に出来たもの、いや、ともすれば大爆発に関係する何かである可能性もある。となれば、調べない手はない。

「近づくのは危険じゃないか?」

 テムが一度引き止める。安全を最優先にしたいらしい。
 だが、それは今更である。
 すかさずゾアが異を唱える。ルーカンもそれに賛同した。
 結果、皆で穴に向かう旨が決まる。
 ゾアを先頭に、朝露に濡れた藪を切り分け前進。泥濘(ぬかるみ)に足を取られつつも、容易に穴の前にたどり着いた。
 広がる暗闇。まじまじと見た時、ルーカンは思わず息を呑んだ。
 穴の大きさは、直径三メートル程と小さいが、驚くべきはその深さ。覗いても底が見えないのである。自然に出来た穴、というには、不自然極まりない。
 もっと調べてみようと、ゾアが言う。ルーカンも同意するが、再びテムに制止される。
 穴の前で、議論になりかけた、その時。

「あ、何か光っ……」

 呟くルイナは、そのまま穴の手前で身を屈めた。
 危険だと諌めつつ、ルーカンも同じようにのぞき込む。すると、確かに闇の奥底で何か光るものがあった。
 鉱物か…… だとすれば誰かが露天掘り(直接地表を掘り進めて鉱物を取る方法)をしたのか。ルーカンはそう思案。同時に、この場所にはかつて何かが建っていた事を、記憶から掘り起こす。

(確かここには誰かの小屋が……)

「な、なんだあれ!?」

 突如響いたテムの叫びが、記憶の穴を塞ぎ込む。
 驚き、ルイナと共に振り返る。

(何かがいる)

 すぐに理解出来た。だが……

「お、おい、ありゃ一体……」

 ゾアですら、額から汗を滲ませていた。
 白い人影、いや、濃い霧が人の形に濃縮された様な、例えるならば霧の化物といった形状の異様の存在が現れる。しかもそれは、動作もつけず滑るように近付いてくる。

「……みんな、何を見てるの?」

 皆が警戒を強める中、セレアはキョトンと明後日の方を眺めていた。
 予想外の言葉に、ルーカンは仲間と顔を見合わせる。
 皆、その存在は認識出来ている。
 セレアだけが見えていないのか…… 理由は解らないが、そうらしい。
 と、件の〝白影〟が僅かに震えた。かと思うと、正面の草が強風に吹かれたように薙ぎ倒されていく。それは凄まじい速さでテムの方へと展開していった。
 次の瞬間、唖然とするルーカン達の前で、テムは空中高く吹き飛んだ。
 時間にして数秒。このまま落下すれば命の保証はない……
 しかし、見開いたままのルーカンの瞳は捉えていた。
 テムが下方に透明な楕円形の膜、そう…… 先刻見せた不可思議な力で、空気の膜を作り、死への衝撃を緩和していたのを。

 瞬きを二、三。ゾアの呼びかけでハッと我に返ったルーカンは、瞳に焼き付いた情報を整理し事態を理解した。
 テムの無事に安堵しつつ、仲間の様子を伺う。
 宙に浮き、滑る様に移動して来る白影を、セリア以外の者は睨み、僅かに後ずさり。速くはないが、その不気味な様はじわりとした恐怖心を与えていく。

「ル、ルイナ!」

 と、ルーカンは力一杯に叫んだ。
 恐怖心で大きく後退していただろうルイナ。そのすぐ背後に、件の深い穴があったのだ。
 
「あっ」

 ……遅かった。

 ルイナは短く声を上げると、悲鳴をあげる間も無く暗闇へと吸い込まれた。そこは生と死を分かつトンネル。あるのは、絶望。

「そんな……」

 皆も気付き、白影の恐怖も忘れてその場に崩れ落ちる。
 中でもテムは、懺悔をする様な姿勢で名を叫び、泣き崩れていた。
 と、皆の動揺に触発されたか、白影が小刻みに震え出した。

「……今はあれを何とかしないとな」

 危険を察知しルーカンは構える。
 ゾアと一瞬目があった。
 決意に満ちた眼光と、小さな頷きがやって来る。
 ゾアはそのままセレアの元へ向かい、両手を広げ前に立つ。白影を認識出来ていないセリアを守るためだ。
 頼もしさは承知。ルーカンは、迷いなく白影の元へ駆け出した。
 当然、向こうも動き出す。
 人間でいう、腕に当たる部位を真っ直ぐ伸ばし、掌のようなものを向けてくる。
 強風に近い何かの衝撃が、草薮を吹き飛ばしながら迫り来る。
 ルーカンは、両足で力強く地を蹴り横っ跳び。
 回避し、両手を地につけた後、転がり受身を取る。その間、対抗する手段を思案した。

(もっと早く動く必要があるな)

 思うと同時、動きを止め無意識に靴を掌で包み込んだ。

「ルーカン、どうした!」

 ゾアの声ではっと我に帰る。その隙を狙ってか、白影は次の一手を放って来た。
 緑の香りを纏(まと)いながら攻め立てる衝撃が二波。とても避けられるものではない。
 ……が、ルーカンは、衝撃波どころか、その先に居る白影の懐に〝瞬間的〟に入り込み、勢いよく体当たりを決め込んだ。
 白影と共に地面に倒れ込むルーカンの靴は、僅かに輝いていた。

(ぶつかることができた。なら!)

 相手は、得体の知れない霧状の存在。ともすればすり抜けてしまうと考えていただけに、接触出来た事は大きな発見だった。
 立ち上がる最中、傍にあった小石を掴む。
 僅かながら、打開策も掴んでいた。
 
 しかし白影も負けてはいない。倒れこんだ状態から、まさかの衝撃波による反撃を仕掛けてきた。
 予想外の一撃に、ルーカンは空中に弾かれた。
 驚きはあるが、痛みはない…… 冷静になったルーカンは、ふいに身をくるりと回転させた。
 そして、今後は自分のした事に驚くことになる。
 まるで、直角の壁に足を吸着させているような状態で空中に静止していたのだ。
 驚愕する気を勢いに変え、ルーカンは、気合い一勢。
 叫び、空中を蹴り、瞬足をもって、迫り来る無数の衝撃波を掻い潜る。小石を握った右手が輝く。
 白影は、もはや目の前。

(決める!)

 思い切り、自分ごと倒れる勢いで、白影の頭上から拳を強く打ち付ける。
 巻上がる土煙。飛び散る砂粒。
 戦闘の勢いが一部始終を見ていたゾアの方まで降り注ぐ。
 煙の中、ルーカンは足元を見ていた。
 陥没した地面に、自分のした事の凄烈(せいれつ)さを知る。
 煙が晴れ、辺りが広がっていく。

「ど、どうなった……」

 涙目で目を擦るゾア。そして……

「ルーカン!」

 セレアが、眉が晴れた顔で駆け寄って来た。
 これで一件落着。
 かと思われたが、直ぐに耐え難い現実がやって来る。

「ルイナ……」

 テムは未だ、うずくまって泣いていた。その脳裏には、今し方の闘争すら記憶されていないだろう。
 ルーカンは、かける言葉が見当たらず、ただルイナの死を静かに悼み、俯いた。

(……おーい)

 耳に何かが触れた。
 声、それも聞き覚えのある、声。
 ハッとし、テムと共に意識を集中させる。

「おーい」

 間違いない。ルイナの声だ。

「何か捕まるものがあれば良いんだけど」

 意外なほど、正常さを保った返事が届く。
 無事を知りホッとするが、穴に届くような長いものは辺りに無い。
 途方に暮れていたその時、ルーカンは一つ閃いた。そして、悩みは明ける事になる。

「これなら……!」

 茂る草を掴み取る。
 途端、掴んだそれは光を放ち、周りに密集する草を渦巻く様により合わせ、ロープ状のものに変化した。
 早速それを穴に垂らし、反応を見る。すると、体重が加わる感覚が。急いで仲間と力を合わせ、引き上げる。
 力むテムは、先ほどの涙より多くの汗を排出し、助力した。
 筋力自慢のゾアも驚く奮迅(ふんじん)ぶりだった。
 その勢いは直ぐに功を奏する。

「た、ただいま」

 五分後、無事に救出は果たされた。
 申し訳ない、と肩を窄めるルイナ。
 ルーカンは、皆と一緒に喜び出迎えた。

 しかし、殆ど無傷で生還出来たのは何故だろうか? ルイナにあるのは、登る時に受けたと思われる右腕の擦り傷のみ。穴の深さを考えれば、あまりに軽すぎる。

「何処か痛む所は……」

 声を掛け、ルイナを見るテムだったが、なぜか一瞬固まった。
 視線の先は、右腕にある無数の擦り傷。

(ん?)

 その時、思いがけない光景をルーカンは目にすることになる。

「こ、これは……」

 青白い光、だった。
 ルイナの右腕近くに現れたそれは、傷に向かって集約していく。かと思うと直ぐに消滅、同時に傷も消え去っていた。
 
「一八才の時、こうなるようになって。痛みはあるけどどんな怪我もすぐに……」

 話すルイナは涙目だった。
 ルーカンは察する。
 おそらくは自分と同じく、不可思議な力によるものだろうと。
 だが、涙目のルイナ相手に、これ以上の追求は出来なかった。

「ま、いいじゃないか。無事だったんだからな」

 ゾアの機転により、話は幕を下ろす。
 今度こそ、一段落である。
 時刻はまだ午後三時。これからどうするか、皆で話し合う。
 そして――







「これで良かったんだよな」

 急歩するルーカン達。
 その足が向かうのは、村の奥ではなく村はずれ。
 そう、ルーカン達はこれ以上は危険と判断し、引く事にしたのだった。
 もっと調査をしても大丈夫…… そんな気持ちは残っていた。だが、やはりあの白影が他にも居る可能性を考えれば、無理は出来ない。

「あ、ちょっと……」

 ルーカンは立ち止まり、左側の茂みを指さす。
 山の奥へと通じる登り道が、そこにはあった。
 皆、その道に歩を進ませる。

 紅葉が、夕日と溶け合い騒ぎ出す。
 落ちた枝を踏み歩き、約一〇分。
 村を一望出来る見晴らしの良い場所へと辿り着いた。
 
子どもの頃は前は一時間は掛かったよね」

 隣のセレアがポツリと言う。その目は、陽の紅を滲ませていた。

 あの日、ここで五人は凄惨を見た。
 開いた天からやって来た、青白い巨大な火球。それが村に迫り爆発する恐怖を確かに見た。
 しかし今、ルーカンは笑っていた。
 仲間と一緒にほほえみ合った。

「また、来よう。今度は弁当でも持ってさ」

 瞳に溜めた夕日の紅を、瞼で奥へと押し込んだ。
 そして、再び帰路につく。
 辺りでは、虫が元気にないていた――
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