1-4 ツチノコ研究第一人者
文字数 4,408文字
総合棟、と書かれた看板がある建物の前に着くと、入口に何人かの男女が入っていく。ようやく人の気配を少し感じて、蕾生 はほっとした。
永 とともに中に入ると、小さなエントランスに小さく粗末な机が置いてあり、白衣をまとった女性が二人を見て話しかけてきた。
「こんにちは、見学の方ですね?」
小さな顔に大きな丸眼鏡で長い髪を後ろでひとつにまとめた、いかにも研究者風のその女性は永と蕾生の首元のネームカードと手元のバインダーを見比べて言った。
「周防 永 さんと唯 蕾生 さんですね。良かったわ、もう時間なのになかなかいらっしゃらないから心配しました」
「あ、スミマセン。ちょっと寝坊しちゃって。彼が」
永はにこやかに答えながら、肘で蕾生の胸をつついた。
「……っス」
特に悪びれずに蕾生は軽く会釈だけした。
職員であろうその女性は軽く微笑んで二人にパンフレットを渡した。
「もう皆さんお揃いですから始めますよ。空いてる席に座ってね」
「ハーイ」
永の良い子のお返事に笑顔を絶やさない女性の口元には真っ赤な口紅がひかれており、そこだけが紅く光る月のように際立って見えた。
映画館にあるような重い扉を開くと、小さなコンサートホールが目の前に現れた。ちらほらと人が座っており、微かに話し声も聞こえる。
二人は真ん中より少し後ろの列の通路側の席についた。座った途端、永が蕾生に話しかける。
「ネネネ、さっきの女の人いくつぐらいかな?」
「知らねえけど、二十七、八くらいだろ」
どうでも良かったので、蕾生はパンフレットに目を落としながら答える。
「だよねえ、それくらいに見える、ネ」
永にしても興味なんかないだろうに、何故そんな話題を振るのか蕾生は少し苛ついた。しかし、急に照明が落とされたのでそんな感情はすぐに忘れてしまった。
一際明るくなった舞台の袖に、先程入口で会った職員の女性がマイクを持って立っていた。よく通る、滑らかな口調で彼女は客席に向かって話し始める。
「本日は私共銀騎 研究所の見学会にお越しいただきまして誠にありがとうございます。司会をつとめます佐藤と申します。まずは当研究所を代表して、副所長の銀騎 皓矢 が挨拶をさせていただきます」
女性の言葉が終わると同時に、逆側の袖から背の高い、やはり白衣を着た年若い男性が登場する。
彼は背筋をまっすぐ伸ばして歩き、ステージの中央で真正面を向いて深々とお辞儀をした。
「副所長なのに代表なのか?」
蕾生の疑問に、永が小声で答える。
「所長の銀騎博士は高齢だからね、最近はあまり人目に出ないらしいよ。ていうか、副所長めっちゃイケメンだな」
永の言う通り、副所長の銀騎皓矢は高身長で足も長くモデルのようなプロポーションだ。
蕾生の偏見にはなるが研究者なのに眼鏡もかけておらず、涼しげな目元をしている。髪型が少し野暮ったく伸ばされているが、ちょっと整えれば芸能人のように輝き出すかもしれない。
この所感はあながち間違っていないようで、女性客達が途端にざわつき始めた。
「皆さんはじめまして、銀騎研究所の副所長をしております銀騎皓矢と申します。
本当ならば私の祖父であります所長の銀騎 詮充郎 が挨拶をするべきですが、今日は論文の締め切りが近く手がはなせないため登壇できない無礼をお許しください。さて、当研究所では──」
朗々と語る銀騎皓矢の声は会場によく通り、彼の真摯な性格を物語る。会場の客席の誰もが、この好感しかない青年の声に聞き入っている。
蕾生は銀騎研究所の沿革が説明され、続いて主な研究成果の説明が始まるところで睡魔との戦いを開始した。
「では、ここからプログラムの一番目、銀騎詮充郎博士のツチノコ研究に関する講話を引き続き銀騎皓矢先生にしていただきます」
女性の声で蕾生ははっと目を開いた。顔を上げると、ステージの上では机と椅子が用意され、プロジェクターが設置されているところだった。
「ちょっとライくん、眠くなるのが早いんじゃないのぉ?」
「……悪い」
「ここからが面白いところなんだから、ちゃんと聞いてよね」
「あぁ……」
からかうような口調の永に、自信なさげに蕾生は返事をする。どうせ自分は付き添いだしツチノコにも興味がないのだが、終わった後何も覚えていないと永は根に持つので、少し背筋を伸ばして座り直した。
「まず、銀騎博士がツチノコと思われる生物の死骸を発見したのは、フィールドワークで出かけておりました山中でした。
当時既にツチノコは未確認生物として広く知られており、過去に何度も別種類の蛇であったりトカゲの見間違いであったりしたため、蛇の突然変異種などの可能性が濃厚として採取したのが始まりです」
銀騎皓矢の説明とともに、後ろのスクリーンには当時の未確認生物の死骸が映し出された。
頭は蛇によく似ており、胴が短く膨らんでいる。所謂「ツチノコ」を連想させるような見た目だった。
体表の色は死骸だからだろうか、全体が黒っぽく少し干からびていた。
ここまでの展開は、今では動画サイトでも検索に時間をかけないと出てこない、昔の超常現象を扱うテレビ番組と同じような雰囲気である。
小学生の頃、永に毎日と言っていいほど見せられていた蕾生は、この手の話題には食傷気味だ。隣の永をチラと見ると、口元を緩めて楽しそうに聞いていた。
「銀騎博士はこの死骸を詳しく分析し、DNA鑑定をした結果、未知のDNAを発見しました。それは蛇やトカゲはもちろん、地球上のどの生物も持っていない全く未知のDNAだったのです」
銀騎皓矢の説明に、観客は小さく感嘆の声を漏らしながら聴いている。蕾生はますますSF映画の様になっていく展開に、本当にこれは科学の講話なのか首を傾げずにはいられなかった。
「このDNAに関しましては、現在も当研究所で研究中であり、全容はまだ解明されていません。
しかしながら、とにかく未知の因子を持つ生物が存在している可能性が濃厚だとして、銀騎博士は一年かけて発見場所を詳細に調べました。
糞や巣穴の痕跡などが徐々に見つかり、遂には生きている個体の捕獲に成功しました」
そしてスクリーンには、先程の死骸とは姿は同じでも雰囲気が全く違う、生気に満ちた蛇のような生物が映し出された。
土色の体の表面は鱗で覆われ、子どもの頃動画で見たCGでの想像図と良く似た姿だった。
「これが、銀騎博士が新生物として登録したツチノコであります。
爬虫類有鱗目……ツチノコは古来ノヅチとも呼ばれたことから、ノヅチ亜目ノヅチ科ツチノコ属ツチノコと分類しました。
ノヅチ亜目は今後細分化が可能だと銀騎博士は考えており、ツチノコ研究はまだ入口の扉を開けたに過ぎないのです」
そして、銀騎皓矢は観客を真っ直ぐに見据え、いっそう力強く言い放つ。
「我々銀騎研究所一同は銀騎博士の指導の元、今後も未知の生物の探求とDNAの調査を行い、地球の生物の新たなる謎の解明に邁進していきます」
すると観客席からワッと歓声と拍手が湧き上がる。演説に成功した若き研究者は少しはにかみながらその場でお辞儀をした。
蕾生はなんとなく鈍い光を感じて視線をずらすと、ステージ袖で司会の女性が拍手をしながらも眼鏡の奥の表情が見えないことに少し不気味さを感じていた。
「ではこのプログラムの最後に、予め録画しておいたものにはなりますが、銀騎詮充郎博士よりお集まりの皆様にメッセージがございます」
銀騎皓矢のその言葉を合図に、ステージが再び暗くなりプロジェクターの可動音だけが会場内に響き渡る。
少しの沈黙の後、白い画面が浮かび上がり老齢の白衣を着た男性が映った。深い皺が刻まれた痩せ型の姿は、見ている者に畏敬の念を抱かせるには充分の鋭い眼差しをしている。
まるで静止画のようにしばらくピクリとも動かなかったが、ようやく開いた口から出てくる声は身もすくむほど威圧に満ちたものだった。
「……銀騎詮充郎で御座います。本日は当研究所にお越しいただき、厚く御礼申し上げる。
私は自らの探究心に従い、この世界の真理というものを追いかけ続けている。
一般民衆の諸君、疑問に思ったことを放棄するべきではない。何故ならそこには必ず矛盾があるからだ。
考えることを止めるな。考え続けることだけが、我々人間に与えられたただひとつの武器なのだから」
一方的にまくしたてながら動画が終わる。観客達はそれまでの浮かれた熱が一気に冷まされたように静まり返った。
「あ、し、失礼しました!祖父は研究のことしか頭にありませんで、自分の研究理念を端的に申し上げたつもりなのですが、ご覧の通りの強面なので……」
会場の空気を察してか、銀騎皓矢が焦った声で援護すると、「強面」の部分で何人かが笑った。
すると緊張がとけて、拍手が起こる。
壇上の銀騎皓矢はほっとした表情を浮かべ、ペコペコと頭を下げた。先程までは副所長としての威厳を感じるような振る舞いだったが、今の彼にはそれが見当たらない。
もしかしたら、こちらの方が素顔なのかもしれないと蕾生は思って苦笑した。
「ではこれからいくつかのグループにわかれて、研究所内をご案内いたします。誘導する職員がお声がけするまでそのままお待ちください」
司会の女性がそう言うと、銀騎皓矢はステージを去り、会場内も明るくなったので客達は思い思いに雑談をし始める。
「さっきのさ……」
不意に永が口を開いた。随分と久しぶりに声を聞いた気がする。それだけ講和にいつの間にか集中していたのかと蕾生は不思議な気持ちになった。
「銀騎博士のこと、どう思った?」
そう尋ねる永の表情が心なしか強張って見え、忘れていた違和感を思い出す。
「どうって……、なんかこえーし、空気読めないジジイだなってくらいしか」
蕾生の答えに永は吹き出して笑う。
「ジジイって……!めっちゃ偉い博士なのに……っ」
「でも圧が凄くて、あんまり会いたくないタイプのジジイだ」
「ハハ!そうだね、写真で見るくらいがちょうどいいよね」
永はひとしきり笑った後、諦観めいた顔をしてボソリと呟いた。
「できるなら、二度と会いたくなかったなあ……」
会ったことがあるのかと言いかけて、蕾生は口を噤んだ。掘り下げてはいけない話題のように感じたからだ。
「周防様、唯様、いらっしゃいますか?」
職員らしい男性の声に、永も蕾生も思わず立ち上がった。
「呼ばれたから行こっか」
そう言う永の表情はもう元の通りだった。
「さ、楽しいオリエンテーリングの始まりだね」
十五年の付き合いの中で、こんなに不安定な永を見るのは初めてだ。
この研究所に何があるというのか。できれば気のせいであって欲しい蕾生だが、頭の奥では警報が鳴り響いていた。
「こんにちは、見学の方ですね?」
小さな顔に大きな丸眼鏡で長い髪を後ろでひとつにまとめた、いかにも研究者風のその女性は永と蕾生の首元のネームカードと手元のバインダーを見比べて言った。
「
「あ、スミマセン。ちょっと寝坊しちゃって。彼が」
永はにこやかに答えながら、肘で蕾生の胸をつついた。
「……っス」
特に悪びれずに蕾生は軽く会釈だけした。
職員であろうその女性は軽く微笑んで二人にパンフレットを渡した。
「もう皆さんお揃いですから始めますよ。空いてる席に座ってね」
「ハーイ」
永の良い子のお返事に笑顔を絶やさない女性の口元には真っ赤な口紅がひかれており、そこだけが紅く光る月のように際立って見えた。
映画館にあるような重い扉を開くと、小さなコンサートホールが目の前に現れた。ちらほらと人が座っており、微かに話し声も聞こえる。
二人は真ん中より少し後ろの列の通路側の席についた。座った途端、永が蕾生に話しかける。
「ネネネ、さっきの女の人いくつぐらいかな?」
「知らねえけど、二十七、八くらいだろ」
どうでも良かったので、蕾生はパンフレットに目を落としながら答える。
「だよねえ、それくらいに見える、ネ」
永にしても興味なんかないだろうに、何故そんな話題を振るのか蕾生は少し苛ついた。しかし、急に照明が落とされたのでそんな感情はすぐに忘れてしまった。
一際明るくなった舞台の袖に、先程入口で会った職員の女性がマイクを持って立っていた。よく通る、滑らかな口調で彼女は客席に向かって話し始める。
「本日は私共
女性の言葉が終わると同時に、逆側の袖から背の高い、やはり白衣を着た年若い男性が登場する。
彼は背筋をまっすぐ伸ばして歩き、ステージの中央で真正面を向いて深々とお辞儀をした。
「副所長なのに代表なのか?」
蕾生の疑問に、永が小声で答える。
「所長の銀騎博士は高齢だからね、最近はあまり人目に出ないらしいよ。ていうか、副所長めっちゃイケメンだな」
永の言う通り、副所長の銀騎皓矢は高身長で足も長くモデルのようなプロポーションだ。
蕾生の偏見にはなるが研究者なのに眼鏡もかけておらず、涼しげな目元をしている。髪型が少し野暮ったく伸ばされているが、ちょっと整えれば芸能人のように輝き出すかもしれない。
この所感はあながち間違っていないようで、女性客達が途端にざわつき始めた。
「皆さんはじめまして、銀騎研究所の副所長をしております銀騎皓矢と申します。
本当ならば私の祖父であります所長の
朗々と語る銀騎皓矢の声は会場によく通り、彼の真摯な性格を物語る。会場の客席の誰もが、この好感しかない青年の声に聞き入っている。
蕾生は銀騎研究所の沿革が説明され、続いて主な研究成果の説明が始まるところで睡魔との戦いを開始した。
「では、ここからプログラムの一番目、銀騎詮充郎博士のツチノコ研究に関する講話を引き続き銀騎皓矢先生にしていただきます」
女性の声で蕾生ははっと目を開いた。顔を上げると、ステージの上では机と椅子が用意され、プロジェクターが設置されているところだった。
「ちょっとライくん、眠くなるのが早いんじゃないのぉ?」
「……悪い」
「ここからが面白いところなんだから、ちゃんと聞いてよね」
「あぁ……」
からかうような口調の永に、自信なさげに蕾生は返事をする。どうせ自分は付き添いだしツチノコにも興味がないのだが、終わった後何も覚えていないと永は根に持つので、少し背筋を伸ばして座り直した。
「まず、銀騎博士がツチノコと思われる生物の死骸を発見したのは、フィールドワークで出かけておりました山中でした。
当時既にツチノコは未確認生物として広く知られており、過去に何度も別種類の蛇であったりトカゲの見間違いであったりしたため、蛇の突然変異種などの可能性が濃厚として採取したのが始まりです」
銀騎皓矢の説明とともに、後ろのスクリーンには当時の未確認生物の死骸が映し出された。
頭は蛇によく似ており、胴が短く膨らんでいる。所謂「ツチノコ」を連想させるような見た目だった。
体表の色は死骸だからだろうか、全体が黒っぽく少し干からびていた。
ここまでの展開は、今では動画サイトでも検索に時間をかけないと出てこない、昔の超常現象を扱うテレビ番組と同じような雰囲気である。
小学生の頃、永に毎日と言っていいほど見せられていた蕾生は、この手の話題には食傷気味だ。隣の永をチラと見ると、口元を緩めて楽しそうに聞いていた。
「銀騎博士はこの死骸を詳しく分析し、DNA鑑定をした結果、未知のDNAを発見しました。それは蛇やトカゲはもちろん、地球上のどの生物も持っていない全く未知のDNAだったのです」
銀騎皓矢の説明に、観客は小さく感嘆の声を漏らしながら聴いている。蕾生はますますSF映画の様になっていく展開に、本当にこれは科学の講話なのか首を傾げずにはいられなかった。
「このDNAに関しましては、現在も当研究所で研究中であり、全容はまだ解明されていません。
しかしながら、とにかく未知の因子を持つ生物が存在している可能性が濃厚だとして、銀騎博士は一年かけて発見場所を詳細に調べました。
糞や巣穴の痕跡などが徐々に見つかり、遂には生きている個体の捕獲に成功しました」
そしてスクリーンには、先程の死骸とは姿は同じでも雰囲気が全く違う、生気に満ちた蛇のような生物が映し出された。
土色の体の表面は鱗で覆われ、子どもの頃動画で見たCGでの想像図と良く似た姿だった。
「これが、銀騎博士が新生物として登録したツチノコであります。
爬虫類有鱗目……ツチノコは古来ノヅチとも呼ばれたことから、ノヅチ亜目ノヅチ科ツチノコ属ツチノコと分類しました。
ノヅチ亜目は今後細分化が可能だと銀騎博士は考えており、ツチノコ研究はまだ入口の扉を開けたに過ぎないのです」
そして、銀騎皓矢は観客を真っ直ぐに見据え、いっそう力強く言い放つ。
「我々銀騎研究所一同は銀騎博士の指導の元、今後も未知の生物の探求とDNAの調査を行い、地球の生物の新たなる謎の解明に邁進していきます」
すると観客席からワッと歓声と拍手が湧き上がる。演説に成功した若き研究者は少しはにかみながらその場でお辞儀をした。
蕾生はなんとなく鈍い光を感じて視線をずらすと、ステージ袖で司会の女性が拍手をしながらも眼鏡の奥の表情が見えないことに少し不気味さを感じていた。
「ではこのプログラムの最後に、予め録画しておいたものにはなりますが、銀騎詮充郎博士よりお集まりの皆様にメッセージがございます」
銀騎皓矢のその言葉を合図に、ステージが再び暗くなりプロジェクターの可動音だけが会場内に響き渡る。
少しの沈黙の後、白い画面が浮かび上がり老齢の白衣を着た男性が映った。深い皺が刻まれた痩せ型の姿は、見ている者に畏敬の念を抱かせるには充分の鋭い眼差しをしている。
まるで静止画のようにしばらくピクリとも動かなかったが、ようやく開いた口から出てくる声は身もすくむほど威圧に満ちたものだった。
「……銀騎詮充郎で御座います。本日は当研究所にお越しいただき、厚く御礼申し上げる。
私は自らの探究心に従い、この世界の真理というものを追いかけ続けている。
一般民衆の諸君、疑問に思ったことを放棄するべきではない。何故ならそこには必ず矛盾があるからだ。
考えることを止めるな。考え続けることだけが、我々人間に与えられたただひとつの武器なのだから」
一方的にまくしたてながら動画が終わる。観客達はそれまでの浮かれた熱が一気に冷まされたように静まり返った。
「あ、し、失礼しました!祖父は研究のことしか頭にありませんで、自分の研究理念を端的に申し上げたつもりなのですが、ご覧の通りの強面なので……」
会場の空気を察してか、銀騎皓矢が焦った声で援護すると、「強面」の部分で何人かが笑った。
すると緊張がとけて、拍手が起こる。
壇上の銀騎皓矢はほっとした表情を浮かべ、ペコペコと頭を下げた。先程までは副所長としての威厳を感じるような振る舞いだったが、今の彼にはそれが見当たらない。
もしかしたら、こちらの方が素顔なのかもしれないと蕾生は思って苦笑した。
「ではこれからいくつかのグループにわかれて、研究所内をご案内いたします。誘導する職員がお声がけするまでそのままお待ちください」
司会の女性がそう言うと、銀騎皓矢はステージを去り、会場内も明るくなったので客達は思い思いに雑談をし始める。
「さっきのさ……」
不意に永が口を開いた。随分と久しぶりに声を聞いた気がする。それだけ講和にいつの間にか集中していたのかと蕾生は不思議な気持ちになった。
「銀騎博士のこと、どう思った?」
そう尋ねる永の表情が心なしか強張って見え、忘れていた違和感を思い出す。
「どうって……、なんかこえーし、空気読めないジジイだなってくらいしか」
蕾生の答えに永は吹き出して笑う。
「ジジイって……!めっちゃ偉い博士なのに……っ」
「でも圧が凄くて、あんまり会いたくないタイプのジジイだ」
「ハハ!そうだね、写真で見るくらいがちょうどいいよね」
永はひとしきり笑った後、諦観めいた顔をしてボソリと呟いた。
「できるなら、二度と会いたくなかったなあ……」
会ったことがあるのかと言いかけて、蕾生は口を噤んだ。掘り下げてはいけない話題のように感じたからだ。
「周防様、唯様、いらっしゃいますか?」
職員らしい男性の声に、永も蕾生も思わず立ち上がった。
「呼ばれたから行こっか」
そう言う永の表情はもう元の通りだった。
「さ、楽しいオリエンテーリングの始まりだね」
十五年の付き合いの中で、こんなに不安定な永を見るのは初めてだ。
この研究所に何があるというのか。できれば気のせいであって欲しい蕾生だが、頭の奥では警報が鳴り響いていた。