2 商人の卵、サウスYENを荒稼ぎ

文字数 5,750文字

 隊長から支給されたのは地図とコンパス、使い古されたザック、ドライバーや鉈などの小道具、野営設備一式、それにいくばくかのサウスYENだけだった。食料なし、移動手段なし、なんにもなしだ。必要な物資は商人らしく現地調達しろということらしい。
 三人は砂ぼこりを巻き上げて遠ざかっていくコンテナトラックを不安げな面持ちで見送った。それが山間の峠道を登って完全に見えなくなるまで三人とも微動だにしなかった。やがて香苗がため息をついた。「辞退すべきだったかもね、こんな気ちがい沙汰は」
 槇村少年も続いてため息をつく。「最短距離でも二千キロ近くはあります。徒歩じゃとても無理ですね」
「ちょい待ち。おまはんら、ホンマに蝦夷地北端までいくつもりなんか」和泉は首を突き出して目を丸くしている。「適当にそこらへんぶらついて、いったふりしたらええやんけ」
「それはぼくも考えました。で、隊長の質問攻めをどうやってさばくんです。土地の風俗、住民の見た目、なにより初日の出とやらの光景。ぼくらはなんにも知らないんですよ」
「うまいことごまかせへんかな」
「和泉くん、なんで隊長が初日の出なんかをあたしたちに拝ませたいんだと思う」香苗は隊の古株らしく先輩風を吹かせた。「キャラバン隊のメンバーとして通用する経験を積ませるためでしょ」
「さいでっか」上方人は耳をほじくりながら、「ほな計画立てようや」
 鳩首会談が始まった。地図を穴の空くほど眺めつつ、先輩たちから聞きかじった最新の情報をそれにミックスさせる。地図は前〈エリミネイト〉時代のものなので参考程度にしかならない。情報は鮮度が命なのだ。
 議論は百出し、侃々諤々、夜中まで続いた。その結果大枠だけは固まった。大意以下の通りである。

ウエストサイド → 大地の裂け目 徒歩もしくは自動車 ※大地の裂け目は気流船?
大地の裂け目 → ノースサイド 列車
ノースサイド → 蝦夷地 徒歩
蝦夷地 → 蝦夷地北端 徒歩、あるいは現地の移動手段

 キャラバン隊が比較的ウエストサイドの南部を根城にしていることもあり、北へいけばいくほど情報は不足していた。とくに蝦夷地はほとんど未知の領域である。うわさでは太陽が完全に沈んでしまっており、人びとは月明かりを頼りに生活しているとか……。
「とにかく、出発するしかないよ」香苗の楽天的な宣言により、一同はザックを背負い、サウスYENを後生大事に懐にしまい込み、元気いっぱい歩き出した。
 当座の目標はウエストサイド最大の都市、〈近江〉である。

〈近江〉の西に広がる〈塩湖〉は近年浸食が著しく、西からのアプローチは困難を極める。汽水が周辺の地下に浸透し、伏流となって流れ込んでいるのだ。その結果あたりは広大な湿地帯となり、徒歩以外の移動手段をいっさい寄せつけない。
 とはいえ三人の旅人は幸いにも徒歩以外の移動手段は持ち合わせていないため、満場一致で湿地帯を横切ることに決まった。
 湿地帯には〈エリミネイト〉後に爆発的な繁殖を遂げた丈の高い植物が繁茂しており、先人たちがつけてくれた轍が消滅の危機にさらされていた。鉈でこれらを伐採しながら進むのだが、植物の耐久力が見た目以上に高いうえに足元が不安定なせいで踏ん張りが効かず、伐採は想像以上の難事業だった。
 不足しがちな水だけはいくらでも手に入ったけれども(近年ウエストサイドはますます乾燥が著しい)、汽水はそのままでは飲用に適さないため、煮沸して濾過しなければならない。また歩き出す先からずっしりと沈み込むような不安定な場所で幕営するわけにもいかず、彼らは不眠不休の強行軍を強いられた。
〈近江〉が見えてきたころには誰もが全身泥まみれヒルまみれ、少なくとも四キロはやせ細り、睡眠不足のせいで目が深く落ちくぼんでいた。彼らはどんな理由があるにせよ、二度と湿地帯に踏み込むまいと心に誓った。
〈近江〉は誰にでも開かれた自由都市である(というのは、自衛を理由に要塞じみた防壁を築いている町もあるのだ)。北陸と美濃の合流点である当地は、さすがに地方の小都市とは比べものにならない活況を呈していた。外套とクーフィーヤをまとった人びとが忙しそうに行き交い、アラブ系の言語がそこかしこで飛び交う。街路にひざまずいてメッカへ祈りをささげている男たち、目元だけを妖しくのぞかせる褐色の女たち。
「ねえおじさん」香苗は買い物ついでに聞いてみた。「あの人たち、どこの人? あんまり見かけない顔立ちだけど」
 老人はターバンからのぞく白髪がなにか重要なものででもあるかのように、じっと魅入っている。「地球が止まってからこっち、緯度の低い乾燥地帯はとても人間が住めるような環境じゃなくなっちまった。まあそれを言ったらこの星全部がそうかもしれんがね。俺はいっかないまの環境に慣れん。お前さんたち若者世代は気にならんそうだが、いつまでもおてんとさんが昇りっぱなしで、その横に薄汚い〈ネメシス〉だかいう月のばったもんがかかってるなんてのは異常だよ。おかげさまで年中不眠症さ、ちくしょうめ」
 三人は顔を見合わせ、同時に肩をすくめた。彼らは太陽が昇りっぱなしで大きな第二の月があるのを不思議に思ったことはなかった。
 香苗が先をうながした。「それで、わけのわかんない言葉をしゃべってる人たちのことは?」
「ああすまん、乾燥地帯がメタメタになった話だったな。それで中東諸国なんかはもろに割を食ったわけさ。自前のヨットで故郷から逃げ出せた幸運な一部の連中が流れ流れてここ、〈近江〉に辿り着いた。おかしな宗教を信奉してるのを除けば、案外付き合いやすいやつらだよ。なに言ってるのかわかればもっと付き合いやすいんだけどな」
 三人はモスクで祈りをささげるグループをじっと見つめた。彼らは破格の取引相手になりうるかもしれない。言語の壁に阻まれて売りたくても売れず、貴重な品物の在庫を持て余している可能性は十分ある。交渉はもちろんネゴシエーターである和泉の役割だ。祈りの邪魔をしないよう慎重な足取りで近づき、とんとんと肩を叩く。
「おっさんら、車持ってへんか」
 ひげづらの男たちは目を盛んにしばたいている。外国人嫌いの土着民から話しかけられることはまれなのだろう。案の定、返答は意味不明の言語だった。和泉は両手を斜めに交差させ、首を横に振った。
 男たちはなにやら相談し合ったのち、今度は聞き覚えのある言語が返ってきた。隊にいる白人が使っていた言葉――英語だ。これなら和泉でもある程度は理解できる。
「あなたたちは車を持っていますか?」大阪人は一語ずつ区切ってはっきり発音した。ネイティヴが聞いたら笑い転げるようなしろものではあるが、英語にはちがいない。
「俺たち、車、持つ」年かさの男は身振りつきで返してきた。「お前たち、車、いるか?」
「わたしたちは車がほしいです。いくらで売ってくれますか?」
 その後はお定まりの価格交渉である。出だしはアラブ人たちのぼったくり精神が交渉を長引かせるかに思えたが、三人がサウスYENを持っていることがわかると途端に友好的になり、その後は滞りなく契約は進んだ。サウスYENは大地の裂け目以南ではほぼどこでも使える基軸通貨であり、その他の弱小通貨とちがって価値の変動も緩やかである。
 モスクの地下に掘られた秘密のガレージにそれは眠っていた。かつて隆盛を誇っていた世界的自動車企業のピックアップ・トラックである。製造年月日は半世紀前と古いが、組み立てラインから飛び出してきたばっかりのように動く、というふれこみだった。故郷ではこの手の車に機銃座を乗せ、悪しきスンニ派と戦ったものだとオーナーは述懐した。
 アラブ人たちと握手を交わし、一同は〈近江〉をあとにした。大地の裂け目までは快適なドライブが楽しめそうだった。

 もちろん快適なドライブにはならなかった。ピックアップはアラブ人たちが保証したようには当然動かず、三十キロも故障なしで走ればましなほうで、ちょっとした勾配に差しかかるたびにエンストを起こし、凹凸の激しい道路でバンパーをこすろうものなら即停止、というありさまだった。
 その都度エンジニアの卵が飛び出していって応急処置を施すものの、それは死にかかっている患者にカンフル剤を打つようなもので、劇的な効果は期待できない。ほうほうのていで北陸の大都市〈越前〉に着いたときには、一日の半分はニュートラルにしたピックアップを三人仲よく押しているという顛末。
 北進している関係でいくぶん陽射しが和らいでいなければ、脱水症状で全員ぶっ倒れていただろう。
「見てよこれ」香苗は二の腕に力を入れた。「力こぶができちゃった。あたしか弱い女の子なのに」
「か弱い女の子ねえ」と槇村。「ちょうど性格と身体のバランスが取れたんじゃないですか」
「もういっぺん言ってみなよ」
「痴話げんかはええから仕入れ手伝ってくれや。新鮮な魚買うといて内陸へちょっとばかし寄り道して卸すねん。そんだけで大儲けやさかい」
 機械的な輸送手段に乏しい当節では、日持ちのしない生ものの価値は生産地から遠ざかるほど急上昇する。〈越前〉から〈飛騨〉を経由して北進すれば、当分はサウスYENの確保に汲々としなくてすむ。
〈越前〉はさすが人材と資材の集積地として名高いだけあって、種種雑多な人びとと品物であふれ返っていた。大規模なコンテナ船が就航しなくなって久しい昨今、貿易相手は近隣の中国と韓国に限られている(もっとも二国とももはや国家としてのていをなしていないが)。中国大陸には多国籍企業が残していった工場が多数残っており、それはいまなおちっぽけな島の物資供給基地として機能している。
「かなやんは必需品、俺は魚、槇村はんはぽんこつ用のスペアパーツ。手分けして集めるで」
 和泉の号令一下、三人はいっせいに町へ散っていった。期限は十日。その間におのおのの才覚だけで金を稼ぎ、それを元手にして課せられた物資を手に入れるのだ。

 香苗は繁盛している輸入卸店ののれんを潜った。「ごめんください」
「誰、あんた」奥から出たきのは猜疑心の強そうな中国系の男だった。ドジョウひげに糸のように細い目。「なにかほしいもの、あるか」
「あたしを一週間だけ雇ってください。そのあいだにお店の売り上げを劇的に改善してあげますよ」
「悪いけど、間に合ってる」
「騙されたと思って帳簿を見せてください」
 自分では完璧だと思っていても、往々にしてなにかしら取引には無駄があるものだ。古くからの付き合いだから、仕入れ先は同国人限定にしたい、Aで損が出てもBで取り返せばよい、その他いろいろ。
 彼女は一ダースもの改善点を発見し、即座に経営コンサルタントとして採用された。当節は雇用に際して子どもであることは必ずしもマイナスに作用しない。有能であれば年齢は関係ないばかりか、若くして能力のある人物は稀有な人材として珍重されるほどだ。
 十日後、彼女は中国人にいまの七倍出すからどうか腰を落ち着けてくれと懇願されつつも、それを振り切って退職した。手もとには三人が半月分は食べていけるだけの食料を購入できるサウスYENが燦然と輝いていた。

 和泉は新鮮な魚を手に入れるのに、単純明快な方法を採用した。
 いままさに出港しようとしている漁船にアポなしで乗り込み、船長に雇ってくれるよう申し出たのだ。報酬は水揚げだけでよいと告げると、深刻な若手不足に悩む船長は二つ返事で承諾してくれた。
「お若いのはどこからきたんだね」漁師の一人が漁網を手繰り寄せながら聞いた。「昨今じゃ健康的な若い野郎に会うのもめっきり少なくなったよ、正味な話」
「出身は……上方や」和泉は息も絶え絶えに、「漁ってごっつしんどいねんな」
「すぐ慣れるさ」漁師が二の腕に力を込めると、規格外の筋肉に青筋が浮いた。「上方はべらぼうな大都市だったらしいね」
「いこうなんて思わんほうがええで。アウトローの住みつく魔境やさかい」
 大規模な漁のできる漁船が激減した昨今、水産資源の回復は著しいものがある。和泉の乗った漁船も例に漏れず沈没寸前の小型船だったけれども、それですら記録的な水揚げに恵まれた。イワシ、サンマ、ブリ、マグロ。気をよくした船長は大盤振る舞いをやらかし、和泉は抱えきれないほどの鮮魚を手に入れた。

 エンジニアの卵である槇村は町の往来をぶらつき、目ざとくガレージつきの旅籠に停車しているキャラバン隊のトラックを見つけた。
 いまどきめずらしい十トントラックの平車で、あおりには〈倉本キャラバン隊〉とペイントしてある。険しい飛騨路を超え、さらにその先、イーストサイド方面へ北アルプスをまたいで行商する最大手である。
 最大手であるということは、車両はメンテナンスされずに酷使されているということだ。外装をざっと一瞥しただけでトラックの劣化は一目でわかった。タイヤの溝はすり減り、荷台は風雨にさらされて見るも無残に傷ついている。内装のラジエータやエンジンもガタがきているにちがいない。長いあいだまともなメカニックの手入れを受けていない証拠だ。
 槇村少年は早速旅籠ののれんを潜った。「ごめんください、キャラバン隊のオーナーに会いたいのですが」
 数世紀ほども待たされたあと、やつれ果てた初老の男が足を引きずりながら姿を現した。このくらいの年齢の人間がみんなそうであるように、積年にわたる紫外線のせいで皮膚にはしみが浮き出している。「わたしがオーナーだが」
「あなたのシャーシを拝見しました。あと十キロも走れば走行中に分解しちゃいますよ」
「わざわざ指摘されるまでもない」崩れ落ちるようにあぐらをかいた。「白血病でメカニックを失って一か月。進退窮まったとはこのことさ」
「ぼくはメカニックとしての修練を積んでます。たぶんお役に立てると思いますけど」
 オーナーはうつろな瞳で少年を見つめた。「きみ、いくつだね」
「十八です」
「生まれたばかりの子どもに自分の運命を託すことになるとはね」
〈倉本キャラバン隊〉のオーナーは北アルプス越えに耐えうるトラックを手に入れ、少年は小型車用のスペアパーツとガソリンを手に入れた。双方大満足の取引だった。
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