4 日下部電源開発㈱と文化の継承者

文字数 6,839文字

 旅人たちはみみっちく値切った五千サウスYENを北岸発着場で自発的に追加清算したあと、最寄りの町へまる半日かけて歩き通した。
 北岸の補給基地である〈信濃〉で船外に投棄した旅装を整え、シャトル便サービスを利用して東北への前線基地〈常陸〉に到着した時点で暦は十二月に入った。旅は予備日を含めればおおむね予定通りに推移してはいるものの、残り一か月で千キロ以上もの大縦断をこなさねばならないことを考えれば、まったく予断を許さない状況だった。
 彼らにとって幸いなことに、〈常陸〉から〈陸奥〉は現役で稼働している新幹線が存在する。それに乗っていけば蝦夷地は目前だ。
「見てよこれ」駅の張り紙を指さし、香苗は肩をすくめた。「『次便は未定。定員が埋まり次第発車』だって」
「そらそうやろ。どんだけ維持コストかかっとる思てんねん」
「どうします。また車を見つけますか」
 槇村の案は五百キロ以上の行程を走り切るほどの信頼性が、道路にも車にもないとして退けられた。一インチごとにガソリンスタンドのあった前〈エリミネイト〉時代とちがい、当節は一度でもなんらかの理由でエンストしたが最後、再稼働の助けになる施設が周囲五十キロ以内で見つかる見込みは限りなく低い。
 旅人たちは早速運行管理者に噛みつきにいった。この手の交渉では最初に絶対通らない無理難題をふっかけ、そこから徐々に譲歩するていで自分たちの要求を通すのが定石である。当然和泉はそんなこと百も承知だったので、開口一番こう言った。「なあおばちゃん、新幹線動かしてくれや」
 管理者はいっさい返事をしなかった。いすに座って帳簿記入に没頭している。
 和泉はせき払いをして仕切り直した。「なあ

、俺ら困ってんねん」
 いま初めて三人の姿を認めたとでもいうかのように、外向き用の笑顔を浮かべる。「みなさんそうおっしゃいます。席が埋まるまでお待ちください」
「じゃあええわ。べつの交通機関使うさかい」
「どうぞご自由に」
「冗談やがな」わざとらしく指を鳴らす。「ええこと思いついたで。採算取れるよう運賃を値上げしたらええんや」
「現行料金での利用を決めたお客が乗車を取りやめたらどうするの。本末転倒ですよ」
「告知するだけでもええんや。ごっそり抜けるようやったら撤回すんねん」
「あなたは料金の値上げを『やっぱりやーめた』ですます会社を信じられるの」
「ディスカウントやったらええやろ。余ってる席だけこそっと安値で売りさばくねん」
「値引き料金を隠し通すのが無理なことくらいわかるでしょ。契約済みのお客が総出で同一運賃にしろって押しかけてきて、元の木阿弥になっちゃう」
「よおし俺も男や。足りてへん席数を言うてみい。全部払ったるさかい」
 彼女は無言で帳簿を見せた。比較的懐の温かい彼らでも全額負担をためらう額だった。蝦夷地で防寒用具一式を購入する必要が生じるのを考えると、いまここで散財するのは得策ではない。
「すまん、やっぱ無理や。出直してくる」去り際に振り返り、「なんでもええから採算が取れたらええ。そういうこっちゃな?」
 運行管理者は厳かにうなずいた。

 香苗は経理部に首を突っ込んで、帳簿上の数字をごまかすマジックを従業員に吹き込んだ。彼女は滔々と弁じたてた。いわく、結局のところ貸し方と借り方の合計がゼロになりさえすればよいのであって、あとはその見栄えがいかに美しくなるかの問題にすぎない。光熱費や減価償却費といった決して耳に心地よいとはいえない勘定科目をばか正直に使う必要はない。稼働用投資とかなんとか書いたところで一向に差し支えはないはずだ。
 赤字覚悟での運行はしない。一見これは百パーセント損しない戦略のように思える。けれどもあなたがたはサンクコストという概念を忘れている。新幹線を再稼働させるのに莫大な投資がなされた以上、

。少しばかりの赤字が出るからといって稼働を渋っていてはいけない。
 今年は雨が多かった。運行するしないにかかわらず車体は劣化しているかもしれない。維持費を確保するためだけにでも発車を決意すべきではないか? いざ走らせようと思ったときに錆びついた鉄の塊になっていましたでは話にならないではないか。
 現状、あなたがたの評判はすこぶる悪い。一度止まると半世紀は動かないなんて揶揄する向きもあるほどだ。ここらで不名誉な評判をそぎ落とすためにも一発、連中をあっと言わせてみてはどうか、うんぬん。
 彼女の口八丁は運行閾値を二割ほども減少させた。

 和泉はもっと単純な方法に訴えた。客が足りないのなら増やせばよい。
 忙しそうに人びとが行き交う街路に立ち、彼は思いつく限りの嘘八百を並べ立てた。いわく、奥州にはまだ見ぬビジネスチャンスがごまんと埋まっている。こんなところでくすぶっていてよいのか、少しでも腕に覚えがあるのなら、リスクを背負い込んで北へ旅立つべきではないのか?
 奥州には広大な土地を利用した農業帝国が勃興していると聞く。そこで暮らすもよし、なんらかの取引を始めるもよし、事業を始めるもよし。さあ旅人たちよ、ともに奥州へいこうではないか! うんぬん。
 くすぶっていた山師たちは和泉の長広舌に食指を動かされたらしく、安酒の入ったコップを置いて代金を清算すると、おもむろに席を立った。数時間後、乗車窓口に切符の購入行列ができた。

 新幹線の稼働には多量の電力を消費する。ことに電力産生設備のほとんどを失った当節では、相対的な消費量は天文学的な数字といってよい。それを支えているのが日下部電源開発株式会社である。
 もと技術系高級官僚だった日下部真琴は〈エリミネイト〉で妻子を失い(ついでにもう一人の配偶者である国そのものをも失い)、一日にして天涯孤独の身に転落した。すべての希望を奪われた彼は、ガレージに放置されていた荒縄を持ち出して梁に結びつけた。もう片方の末端を自分の首に括りつけ、あとはいすを蹴倒すだけになったそのとき、脳裏に生前の妻子たちがちらついた。
 毎夜遅くまで帰ってこない時代遅れな夫の仕事一筋根性を揶揄しつつも、つねに理解のあった彼女。知らない男の人と化しているはずの日下部を父と言い張ってくれた娘。彼女たちの献身があって初めて、日下部自身が成り立っていた。それはとりもなおさず日本の土木工事がある程度、妻子によって成り立っていたことを意味する。
 いまここで二人のあとを追うのはたやすい。官僚はそうする代わりに荒縄の結び目を解き、日本再生を決意した。
 意外なことに官僚時代の出張地獄がアドバンテージとなった。霞が関の官庁街はもはや倒壊したビル群の墓場と化しており、それらにはなんの機能もない。いっぽう一年の三分の一を地方のダム工事進捗管理に費やしていた彼は、頼れる仲間が大勢いたのである。
 延焼と二次火災でもうもうたる黒煙を上げる東京を尻目に、官僚は歩いた。ひたすら西へ。乗り捨てられた自動車を失敬できるときもあったが、行程の五分の四は徒歩であった。
 二週間かけて彼は第二の故郷であるダム建築現場にやってきた。予想していたとはいえ、がっちり組まれたロックフィル工法に亀裂が入っている姿を見るのは忍びなかった。にぎわっていた飯場は当然空っぽで、打ち捨てられた現場には悲壮感が漂っていた。
 それでも日下部はもう荒縄を持ちだしたりしなかった。命ある限り全力で取り組むと決めたのだ。散らかった道具を集め、在庫をチェック。当面は生存に必要ないと判断されたのか、盗難に遭った工具はごくわずかだった。
 たったそれだけでも大きな励みになった。いったん山を降り、電気も水道もガスも止まって死を待つばかりだと諦観の境地に達している住民たちに喝を入れた。「ライフラインが止まってるくらいでぎゃあつく騒ぐな。供給されないなら自分たちで供給してやればいいじゃないか!」
 かつて仕事を委託していた零細企業の作業員たちをリクルートするのは、想像以上に骨の折れるキャンペーンだった。死亡や離散でフルメンバーの三分の一だけが見つかるにとどまった。起きた災害の規模からすれば、これでも十分な実績である。
「きみたちは日本を救う第一世代になるだろう」と日下部は得意の演説を始めた。「軌道に乗るまでたいへんな苦労が待っているだろうし、たぶんきみたちが生きてるあいだにめざましい効果すら拝めないだろう。それでもぼくはきみたちが全力を尽くしてくれるものと信じる」
 こうして〈エリミネイト〉からわずか半年後、日下部電源開発株式会社が誕生したのである。
 同社のCEOは経営資金調達のために大胆な手法に訴えた。社債や株式を発行する代わりに、支持者には投資額に応じた年数分だけ無償での電力供給を約束したのである。合理的な計算ができる人間にとって、法貨が消滅して怪しげな新興通貨が一夜にして三ダースほども出回る昨今、安定したリターンの得られる投資は願ってもないチャンスである。たちまち希望者が殺到し、創業資金の問題は片がついた。
「日下部のだんな」現場監督は集まった資金を目前にして青ざめた。「俺はダム以外のことはさっぱりだが、これがどえらい話だってことくらいはわかる。こんなばらまきをやらかして大丈夫かい」
「徳さん、将来的にぼくたちがどう呼ばれることになりそうか、ふたつの可能性がある」
「聞こうかね、その可能性とやらを」
「約束した電気を送らないまま逃げ出したペテン師集団か、困難な状況にも屈せずに仁義を通したプロ集団」
「それで、前者になっちまわないための腹案はあるのかい」
 もと官僚は不敵に微笑んだ。「水力発電帝国を築くのさ」
 エネルギー輸入が完全にストップするのを見越していた日下部の読みは当たった。その後訪れる外国籍の船舶はどれもヨットや沈没寸前の漁船ばかりで、タンカーは待てど暮らせど現れなかった。
 並みの人間なら高効率の熱交換率を誇る火力の復旧に目をつけただろう。そして遠からず燃料切れのために、ペテン師の汚名を着せられていたにちがいない。
 日下部は手始めに既存の水力発電所の修理に全力を尽くした。作業は困難を極めた。当たり前のように使えた重機やズリ出しトロッコはすべて、化石燃料か電力を必要とする。それらが枯渇する前に修理を完遂しなければならない。
 CEOは時間の経過とともに軽油が高騰するのを見越し、商社の燃料備蓄基地巡礼の旅に出た。大部分は略奪されたあとだったが、なかには細々と切り売りしている拠点もあった。彼はありったけの資金を投入して燃料を買い占めた。
 天候の不順と栄養状態の悪化によって多数の死者を出しながらも、ダムの復旧は三年後に完了する。慰霊碑が建立され、作業員たちはいまは亡き仲間たちのために黙祷をささげた。懸命にこらえたにもかかわらず、社長は涙を抑えることができなかった。
 いったん主要な電源が復活してしまえば、本格的な開発に乗り出せる。復旧ダム一号を皮切りにして、日下部電源開発は山間部を徹底的に踏査、国土地理院の地図と現場を照合して沢のありかを執拗に物色した。沢あるところに滝あり。ダムの主役はまちがいなくロックフィルなどの大規模工法ではある。とはいえ落差十メートル程度の小水力発電も多数集まれば、無視できない電力を生み出せる。
 調査が完了すると、日下部は落差のある沢という沢に小水力発電所を建造する旨、取締役会で堂々たる宣言をした。激論が戦わされたのちに投票が実施され、満場一致で可決された。社長の閉会の言葉は次の通りである。
「地球から雨と重力がなくならない限り、水力発電は永遠に不滅である」

 槇村少年はいま、日下部電源開発の事務所に顔を出したところだった。「あのう、電気を売ってほしいんですけど」
「新規加入の申し込みだね」作業服を着た壮年の男がぶっきらぼうに尋ねた。
「ええと、スポットでの購入希望です」
「何キロワットくらいいるんだね」
 彼は試算したメモ帳を提出した。「だいたいこのくらいです」
 男は目を丸くした。「ずいぶん大口の取引だな。いったいなんに使うんだ」
「新幹線の稼働です」
「あそことは長期契約のはずだが、なにか緊急事態かね」
 少年は事情を説明した。なんとしても近日中に北へいかねばならないこと。そのためには新幹線を動かさねばならないこと。
「それで、どうにか安く電力を仕入れられたらと思ってここへきたわけだ」
「その通りです」
「なあ坊主、新規の客を差別するわけじゃないが、お得意よりもお前さんに特価で売る理由があると思うか」
「ないと思います」
 露骨なため息「一応見積もりは出せるよ。でも期待はせんでくれ」
 数分後、金額が提示された。明らかに予算オーバーだった。少年の考えは甘かった。無理もないことであるが、彼はコンテナシャーシの燃料費を基準にしていた。新幹線の消費量は文字通り桁がちがったのである。
 落胆して帰ろうとしたところで、ちょうど事務所に入ってきた人物と鉢合わせた。真っ黒に日焼けした肌、対照的に真っ白な頭髪、深く刻まれたしわ。老人は年齢を感じさせない矍鑠たる歩みで外套を脱ぎ、ハンガーにかけた。「新しいお客さんかね。かっこうからすると南部の人のようだが」
「社長、実はこの坊主が電気を売ってほしいと言ってるんですよ」
「売ってやればいいじゃないか。なにか問題でもあるのかね」
 作業員は肩をすくめた。「金がないそうです」
 このとき初めて、老人と少年は目を合わせた。老兵の瞳には底知れぬ深みがあった。目を逸らしたら負けだと直感的に理解した槇村は、ひたすら試練に耐えた。
 数世紀ほども経ったあと、老人は破顔した。「なにに使うか教えてくれないかね」

「これが小水力発電所だ」日下部は急峻な山肌にへばりついている水圧鉄管を叩いた。「このなかに上流の沢から引いてきた水が通してあって、タービンの水車にぶち当たる。すると回転によって電磁誘導が起こって、電力が発生する。わかるかね」
 洗いざらい理由を説明すると、老人はだしぬけに少し時間はあるかと聞いてきた。あると答えると二時間ほど歩かされ、こじんまりとした電力設備に辿り着いたのだった。
 槇村は設備を驚嘆のまなざしで見つめていた。漠然と電力については学んでいたけれども、位置エネルギーを運動エネルギーに変換してしまうという発想には脱帽だった。限られた化石燃料を巡って同族相食むような争いに身を置くキャラバン隊の人間にとって、電力は夢のエネルギーであった。
「有限資源をあてにできない以上、どうしたって自然から拝借するしかない。供給量は微々たるものだけど、ぼくはこいつが最良の方法だと確信してるんだよ」
 道中聞かされた話によれば、この設備は比較的落差の小さなもので、本流では落差百メートル級の特大設備もあるという。まったく超弩級の話ではないか。
「さて、エンジニアの卵としてなにか言いたいことはあるかな」
 槇村は呆けたように開いていた口を閉じ、老人と相対した。「まったく驚きました」
「それだけかね」
 挑戦的なせき払いをひとつ。「ぼくはずっとキャラバン隊の存続問題を気にしてきました。いずれガソリンは底を尽きます。そうでなくてももう、高騰しすぎて手が出ないくらいなんです。でもこれを見て解決法を思いつきました」
「教えてもらえるかね、その解決法を」
「モーターで動くトラックを作るんです」
「いいアイデアだが、化石燃料が生み出す爆発力に電力が太刀打ちできるかな」
「最初はガソリンエンジンとのハイブリッドで実験して、その結果次第で本格的な完全電動車を作る。欲張らずに一歩ずつ段階を踏めばきっとできるはずです」
 沈黙が訪れた。老人は穏やかな表情で水車が回るのを眺めている。せき払いをひとつしたあと、だしぬけに、「必要なだけ電気を持っていきたまえ」
「えっ?」
「運行管理者にはこちらから連絡しておく」
「ありがとうございます。でも、なんで急に?」
 日下部は少年の肩に手を置き、満面の笑みを浮かべた。「きみみたいな若者が日本にいることを、ぼくは嬉しく思うよ」

 旅人たちは〈陸奥〉まで一足飛びに移動し、痛む腰をかばいつつ降車した。大きく西に傾いた陽に不気味さを覚えつつ、海峡を渡る二通りの方法のどちらを選ぶか話し合った。
 彼らは海を見たのは初めてだったので、連絡船なるものの信頼性に疑義を呈すなというほうに無理があった(槇村だけは冷静に問題なしと評価を下したけれども、いずれにせよ運賃が高すぎた)。
 結果、消去法でもうひとつの方法――すなわち青函トンネルの徒歩による通行が選択された。少年少女は〈エリミネイト〉ですら破壊できなかった堅牢な海中トンネルを、一日半で歩き通した。五十四キロは決して短くなかったけれども、海水滴る暗黒の通路は、彼らを一瞬たりとも退屈させなかった。
 十二月二週め、ついに三人は蝦夷地入りを果たした。
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