取材に行け!

文字数 2,549文字

 こんなことは初めてだった。
 新聞記者じゃあるまいし、脚本家が現地取材をするなど聞いたことがない。しかも一人で行ってこいとの命令である……いくらなんでも(ひど)すぎる。

 普段は物語の質を高めるため、資料を読んだり専門家に話を聞くこともあるが、大抵のことは都市部から離れずに用件を済ませることができた。出不精(でぶしょう)の私にとって、家を離れて何かをするという行為は苦痛以外何ものでもなく、専門家に話を聞くときでさえ、誰かと一緒でなければ会う気すら起こらなかった。
 ――怠惰(たいだ)の極みだと(ののし)られるかもしれないが、事実なのだからしょうがない。

 そんな自分に一人で現地取材してこいと、あの愚かな映画監督は蟀谷(こめかみ)の血管が切れるかのような怒り顔で私に命令した。日頃からおかしな男だとは思っていたが、今回ばかりは性格どころか神経さえも疑ったものである。

 ――ことの発端は、あの監督が倉庫で余計な原稿を見つけ出した一件から始まる。

 今回、私が手掛ける仕事の内容は、過去にお蔵入りになった脚本を改めて書き直すというものだった。いくらネタ切れの状態とはいえ、戦争が終わった直後に書かれた(つたない)い作品を引っ張り出してくるとは、あの監督もとうとう頭の回線が切れたと思ったくらいである。

 だが詳しい話を聞くと、それなりの理由があった。1976年の夏、映画制作の業界でちょっとした事件が起こったからである。
 当時は邦画産業がまったくと言って良いほど元気がなく、満員御礼となるのは洋画ばかりで、日本で制作された映画のほとんどは「ヒット」という恩恵にあやかれないでいた。その状況において、異彩を放った作品が世に投じられた。

 映画『犬神家の一族』である。

 原作は横溝正史。言わずと知れた探偵小説の大作家である。『犬神家の一族』において探偵を務めるのは金田一耕助であり、横溝小説に欠かせない存在として広く知られている。

 ――ただ、私は『犬神家の一族』が横溝正史の代表作であるとは思っていない。公開された当時、なぜ他の作品を取り上げなかったのかと(いぶかる)るほどであった。だが、劇場に足を運んで作品を鑑賞した時、言いようのない興奮を覚えた。鳥肌すら立ったほどである。

(あの作品が、これほど良質な映画に生まれ変わるというのか……)

 あの作品が……とは大作家に対して失礼な話だが、私にとって金田一作品の最高傑作は『獄門島』なのである。閉鎖された孤島は、アガサ・クリスティーによる『そして誰もいなくなった』の世界観を彷彿とさせる舞台設定であり、見立てによる殺人もこれに準じている。
 金田一耕助の作品は、過去に何本か映像化されているものがあったが、戦後の混沌とした時代であったため、お世辞にも原作に忠実な内容とは言えなかった。
 特に主人公となる金田一耕助役は、GHQの影響により大幅な改変が加わった。金田一はスーツ姿で、原作とはかけ離れた振る舞いをしていたため、映像化した作品に当時の人は違和感を覚えたに違いなかった。

 ――話が逸れてしまったが、ヒット作にあやかりたいというのは、どの映画会社も同じ心境である。当然、亜流となる作品が世に(あふ)れ出した。
 横溝作品だけでなく、金の卵を掴めとばかりに戦後の探偵小説や、お蔵入りとなった作品を映画会社がハイエナのように掻き集めた。
 簡単に説明をすれば、『犬神家の一族』によく似た探偵小説があれば良いという話であり、物語の質などお構いなしに、各制作会社が競って映画を撮り始めた。そういった思惑が絡む中で、私はあの物語と出会うこととなった。

 作品の題名は『鬼の眠る場所』。

 最初に古い脚本を手渡されたとき、私は何をしたら良いのかまったく理解していなかった。聞けば「この作品を新しく書き直してくれ」とのことである。私は随分(ずいぶん)と気楽な仕事を引き受けたと内心ほくそ笑んだ。
 新しく書き直せば良いのだから、殺人のトリックや舞台設定、台詞など自分でアイデアを出さず、そのまま丸写しすれば済む話である。ようするに重要なことはほとんど考えなくて良いため、面倒な作業が一掃されるのだ。

 しかしながら、そんな美味しい話など転がっているはずもなく、私は物語を読み進めるうちに致命的な欠落を見出した。
 確かに人物描写は完璧で、台詞もほとんど埋まっている……また少なからず驚いたが、物語の舞台となった地域があり、過去に起きた実際の殺人事件と関わりがあることを、作品と一緒に添付された資料により知らされた。
 なにより救いだったのは、物語がそれなりに面白かったのである。いくら書き写しの作品とはいえ、つまらない内容を手掛けるのは嫌だった。

 そして脚本の最後のページを(めく)ったとき、私の顔は引き()った。肝心の最終章のページが丸ごと抜き取られ、結末を読むことができなかったのである。
 ――もちろん、殺人事件の犯人がまったく分からない。
 私は途方にくれた状態のまま、ほぼ丸写しの状態で脚本を「新しく」書き直してみせた。

 そして脚本の提出から一週間後、あの愚かな映画監督から呼び出しがあり、嫌々ながらもスタジオに顔を出した。当然、監督から怒りの雷が落ちる。

「そんなに怒らんでください……最後のページが抜け落ちているんです。結末が分からなければ書きようがない」
 私は事情を説明したが、監督はさらに顔を紅潮させて口調を荒げた。
「馬鹿野郎! それをおまえさんが考えるんだよ!」
 ――予想していたとはいえ、一番嫌な指摘をされた。
 また、こんなやり取りもあった。

「この台詞にはどんな意味があるんだ?」
「さあ……? 原作者じゃないのでなんとも」
「この殺人はどうして起こったんだよ?」
「恐らく衝動的に起こしたんだと思います」
「肝心の犯人は誰なんだ?」
「知らないですし、まったく分かりません」
「なんで説明できないんだよ、探偵ものの作品として成り立たないだろうが!」
「……はあ」

 毎回こんな感じのやり取りが続くのである。曖昧(あいまい)な説明しかできない自分に嫌気も差すが、聞く方は眉間に皺が寄る一方である。
 無駄に時間が流れた後、監督は深い溜息を吐くとあの忌々(いまいま)しい命令を私に下した。

「現地行って取材してこい!」
 ――こうして私、土方誠一は、殺人事件のあった地域を取材することになった。

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