第38話:リーマンショックとデフレに強い商売をめざす

文字数 1,671文字

 パリバのファンド凍結は、やはり米国を始めとしたサブプライムローンが原因でもあり、パリバのファンドも米国同様に収入が低い所得者に対して高額な物件のローンを組ませていた。つまり米国の審査基準とパリバの審査基準が同じようなローンの貸付基準だったことも原因。米国の不景気なニュースをそのままヨーロッパ、世界でも同じように二次的に起こった訳だ。 

 その後、2008年9月15日、アメリカ合衆国の投資銀行であるリーマン・ブラザーズが、経営破綻したことに端を発して、連鎖的に世界規模の金融危機が発生した経済的な大事件。この倒産により、同社が発行している社債や投信を保有している企業への影響、取引先への波及と連鎖などの恐れ、及びそれに対するアメリカ合衆国議会・アメリカ合衆国連邦政府の対策の遅れた。

 そのためアメリカ合衆国の経済に対する不安が広がり、世界的な金融危機へと連鎖した。2008年10月3日には、アメリカ合衆国大統領ジョージ・W・ブッシュが、金融システムに7千億ドルの金銭支援を行う緊急経済安定化法案に署名。リーマン・ブラザーズは、負債総額約6千億ドル「約64兆円」というアメリカ合衆国の歴史上最大の企業倒産で世界連鎖的な金融危機を招いた。

 最終的に残ったのはバンク・オブ・アメリカ、メリルリンチ、バークレイズであったが、アメリカ合衆国連邦政府が公的資金の注入を拒否していたことから交渉不調に終わった。しかし交渉以前に損失拡大に苦しむメリルリンチはバンク・オブ・アメリカへの買収打診が内々に決定され、バークレイズも巨額の損失を抱え、すでにリーマン・ブラザーズを買収する余力はなかった。

 日本は長引く不景気からサブプライムローン関連債権などに手を出していなかったため金融会社では大和生命保険が倒産したり農林中央金庫が大幅な評価損を被ったが直接的な影響は当初は軽微。しかし、リーマン・ショックを境に世界的な経済の冷え込みから消費の落ち込み金融不安で各種通貨から急速な円高ドル安で、アメリカ経済への依存が強い輸出産業が駄目になり日本経済の大幅も景気後退をしいられた。

 そんな、大混乱の中2008年が終わり、2009年を迎えた。日本が、不景気になると、値段の安い里見レストランに、お客さんが集まって来て、忙しくなった。また、賞味期限の近い商品を加工して格安で販売したり、訳アリ商品の販売で、デフレのひどい日本の中で、順調に利益を伸ばしていった。そして既存の食品工場の限界となった。

 そこで、2009年3月に大田区の湾岸エリアの売り工場を探し回り、広さと周りの環境で気に入った物件が見つかり、貸借契約を結んだ。その後、工場の周辺を整地、内部を改修し、自分たちの望む食品工場を作った。工事の完了が9月となり、新工場が稼働し開始。そのために新しくパートさんと正社員の合計38人のを募集し採用した。

 環状八号線、産業道路、国道1号線も近く、良い立地。そして、東京、横浜の里見レストラン、販売店へ普通トラックと冷凍車で1人に数回、調理済み食品、冷凍食品、食品材料、訳アリ食品を運んだ。里見レストランの経営は、安定して、年単位では順調に売り上げ、利益を伸ばして、つぶれた店があれば。居抜きで買い取り、新店舗を出店いった。

 そして、今年は、千葉の沿岸部と首都圏の内陸部への出店を強化していきたいと里見重道、明男の兄弟は、考えて、レストランの休みの日に、車で、その周辺を回りながら、出店候補地を探し続けていた。そこで考えたのが、ララポートをはじめとした、巨大ショッピングモール、アウトレットモールなど、集客数の多い店舗への積極的な出店であった。

 早速、会議にかけてララポート幕張、横浜、横浜ワールドポーターズ、イオンモールなどが候補となり、賃料と集客数を調べて、成功の確率を計算し始めた。その結果、ララポート幕張、横浜ワールドポーターズ、イオンモールが候補に上がり、2009年中に出店計画をまとめて、2010年には5軒の里見レストランを出店することが運営会議で決定した。
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