第17話:ホテル大繁盛と地球環境問題

文字数 1,581文字

 1952年1月、里見重道と里見明男が、日本に行きたいと言った。
「その理由を聞くと、日本で、まだ祖国日本に行ったことがない事」。
「また、日本のこれからの将来の発展のために役立ちたいという気持ちだと両親に打ち明けた」。
そこで、父の里見賢一が、奥さんのシンシアを伴って日本旅行を計画した。

 スケジュールは、1952年4月12日、チューリッヒ空港から羽田行きの飛行機で出かけた。4月28日、日本は。サンフランシスコ平和条約が発効した日、日米安全保障条約も発効しました。日米安全保障条約は、前文で、日本が「自国の防衛のため漸増的に自ら責任を負うことを期待する」としている。

 また、極東における平和と安全を維持するために、アメリカ軍がひきつづき日本に駐留し日本が基地を提供することを定めましたがアメリカが他国の侵略から日本を防衛する義務は規定されておらず日本の義務のみを定める片務的なものでした。

 そして米軍が、日本の近代的な施設である、東京の帝国ホテル、ホテルニューグランド、川奈ホテル、札幌グランドホテル、山王ホテル、第一ホテル、宝塚ホテル、日光金谷ホテル、白雲楼ホテル、バンドホテル、琵琶湖ホテル、富士屋ホテル、山の上ホテル、山手234番館、六甲山ホテルなどが日本に返された。

 ちなみに、他に接収した施設としては、NHK東京放送会館、大阪証券ビル本館、大阪赤十字病院、警視庁 、財務省 、聖路加国際病院、東京宝塚劇場、宝塚大劇場、同愛記念病院、東京証券ビル本館、星薬科大学、三菱本館、明治神宮野球場、横浜赤レンガ倉庫、横浜オデヲン座、横浜競馬場がある。

 その他、横浜公園平和野球場、横浜市開港記念会館、横浜税関本関、横浜地方裁判所、両国国技館。また、この時期、朝鮮戦争による特需景気でセメント、テント生地、金属製品が飛ぶように売れた。戦後の復興の日本人の姿を見て、里見重道と里見明男は感動した。

 その話をホテルで4人で話して、里見賢一が奥さんのシンシアもその意見に賛同した。スイスに戻ったら、その話を里見一郎さんに話してみると言った。その後、ホテルニューグランドと東京帝国ホテルの宿泊して皇居を見学して、横浜中華街のおいしい中華料理を食べた。

「その後、日本のアルプスの入り口の松本に移動し満開の松本城の桜を見て感動のあまり涙を流した」。
「里見家の若手は、松本城の天守閣に登り向こうに見える北アルプスの峰々を感動しながら眺めた」。
その後、浅間温泉に泊り、温泉の気持ちよさを実感した。

 翌日、東京に戻り、箱根に向かった。昼近くに、箱根沼本に到着して、さらに進み、芦ノ湖に着いた。
「そこで、日本の霊峰富士と芦ノ湖の景色に感動し、長老たちは、富士を仰ぎ手を合わせに涙を流し拝んだ」。
そして多くの写真を撮った。その晩は、芦ノ湖畔で料理で有名なホテルに泊まって、おいしいステーキやしゃぶしゃぶを食べてきた。

 そうして4泊6日の日本旅行を楽しんで、里見賢一が奥さんのシンシアと息子の里見重道と里見明男が羽田を飛び立って、スイス、チューリッヒ空港に到着。列車で2時間かけて、レマン湖畔の自宅へ帰った。その後、日本のお土産を仲間たちに渡して回った。

「その旅の話を現在の里見一族の長、里見一郎さんに話して、日本に帰りたいと一部の若手が言うと日本に言ったら、こっちから一切援助しないが、それでも行きたいと言うのなら、日本行きを許可してやろうと言った」。
そして、里見賢一とシンシアは、どうするのかと聞かれた。

「すると、私たちも、故郷である日本に帰り、故郷に貢献したいと言った」。
「里見一郎は、そうかと言い、体に気をつけて。頑張れと肩をたたいた」。
「いつ頃、日本に立つ予定だと聞かれ、今年の秋までには、日本に旅立ちたいと伝えた」。
「そうかと言い、里見一郎は、宙を見て、仕方あるまいと答えた」。
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