第40話:「最終話」重道の葬儀と埋葬

文字数 1,374文字

 その後、会社に戻って、里見重道が、亡くなったと言う知らせると、さっきの女子事務員が、信じられないと言い、泣き伏した。次に、里見重道の奥さんの和江さんに電話すると号泣してる声が聞こえて、里見明男も、もらい泣きをした。次に、葬儀社に電話を入れると、都内の斎場が、空いていなくて、多摩の斎場が 7月28日、10時から空いてると連絡が入り、予約してもらった。

 多摩斎場は、ここから、約70分の場所。まず、仕事関係者と会社の部下に里見重道の死亡と葬儀の日程を電話で知らせた。それが終わると泣き止んだ事務の女性と手分けして、葬儀の案内を近親者のみの22人を決めて書き始めた。すると、後は頼むと、里見明男は、家に帰って、奥さんの恵子さんにも、兄の死亡のいきさつを話すと、何て冷たいのかしらと怒っていた。

 翌日、会社に出ると、葬儀社から電話で、霊柩車で、ご遺体を自宅に運べますが、何時ごろ、そちらに向かったらよいかと言われ、すぐ来て欲しいと言い、9時過ぎに到着して、病院へ行って、死亡診断書をもらう時、救急の時の先生が、小さな声で、あなたに叱られるかもしれませんがと前置きして、もし助かったら、脳死の状態で大変だったかもしれませんとポツリと言った。

 お礼を言って、葬儀社の人と共に霊柩車に遺体を乗せて、里見重道の自宅へ行くと、泣きはらした奥さんが出てきて、お世話になりましたと言った。その後、遺体を柩に入れてドライアイスをたくさん入れ、2時間位でドライアイスが少なくなったら、補充してくださいと、発泡スチロールの箱を置いていった。数日後、また補充に来ますと言い帰っていった。

 そして7月28日の暑い日、里見明男は、奥さんと近所に住む、男女3名の社員をのせ5人で斎場へ向かう霊柩車の後をついて行った。少し混んでいて80分かけて、多摩丘陵にある多摩斎場に到着に9時前に到着した。すると、里見明男が喪主となって、里見レストランの若手の社員が集まって来て、受付を2人で依頼して、その他、葬儀の時の仕事を指示した。

 10時になり、葬儀が始まり読経と共に、ご焼香が始まり、参列者は約70人にまで、膨らんでいたが、途中退席する人も多かった。里見レストランの納入業者と工場の従業員も来ていたのだった。しかし、途中でかなりの人たちが帰っていった。花輪も納入業者のがほとんどだったが、ハンスとトーマスからの弔電と、スイス里見家の花輪を見た時には。里見昭雄は胸が詰まり涙を流した。

 そして遺体が荼毘に付される時間となり、精進落としで昼食を食べに行った。その時、小さい頃のスイス時代の自分たちの事を里見明男は思い出していた。13時に、儀式にのっとり、里見重道の骨を彼の奥さんと、弟の明男が拾って骨壺に収めた。その時、父、里見賢一の奥さんのシンシアが、父の死後、数か月後、後を追うように亡くなったことが脳裏に浮かんだ。

 その時、重道兄さんが、父、里見賢一と母、シンシアと3人と仲良くやってくと心の中でつぶやいた。その後、12人が車に乗りあって80分かけ横浜の里見家の菩提寺に向かった。父と母が眠る墓に埋葬された明男が両親と兄の墓前で手を合わせた。すると、どこからかカモメが飛んできて、かーと泣いた様な気がして、空を見上げると、白いハトが明男に、ご苦労さんと言ってるような気がした。「終了」
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