第48話

文字数 2,197文字

 暗い。
 夜の平野は、まるで海原のように暗い。
 しかし明りを点けるわけにもいかないので、星を眺めて自分たちの位置を確認する。
「ね」
「ん?」
 おそらく手の届くぎりぎりの所。舟の縁に背を預けて空を見ている彼女。
 貸与された小型艇で、真っ暗な平野を走る。1対になった小さな風車は、私の背丈とそれほど変わらない。たったの2本しかなく小さいそれだが、人間が普通に走るのと同じくらいの速さは出せる。曲りなりにも軍用の快速船である。
 トカゲは夜行性の種もいるので、油断はできないが、旅娘の話だとこの辺りに獣たちは来ないらしい。
「なんで、傭兵なんてしてんの?」
 たぷんと、酒瓶が傾く音が聞こえた。この娘アルコール依存症の可能性が高い。
「なんでって、そりゃ、あんたがなんで賊なんてやってるのかってのと同じ愚問じゃないか?」
 私の返答に、たしかにとつぶやいてけらけら笑う。
 風の吹かない夜は、新月であるため、手元すらまともに見えない。彼女が一体どんな顔をしているのかは分からない。
 ヒトの生に意味なんてない。ただ生まれ、生きて、死んでいくだけ。
 生に意味を見出すのは、その日を確実に生きていける余裕がある人種だけだ。
 この世界でいえば、貴族や教会の高級僧侶くらいだ。ほとんどの人種が今日生き残るのに必死である。その中で漠然と自分が何で生まれ、生きているのだろうなんて、考える余裕なんてない。
「生き残る為、っていうかなぁ。孤児院の畑を肥やすのも悪くなかったかもしれないけど」
 生に意味なんてない。意味がないと分かりつつも、あえて傭兵を選んだのは私だ。前世(ちきゅう)での経験、まさに無駄な人生。仕事の為に仕事をする毎日。巨大なからくりを回すための歯車、その歯車を回すための小さな歯車の群れ。それがあの世界だった。
 それに比べてここは、大きな歯車なんてない。仕事の為の仕事がない世界。それぞれが生きる為に仕事をしている。
「結局、生まれ持った力があったから。教会だなんだに追いかけまわされるのさ」
 チート能力で、楽して生きられると思ったら大間違いだ。
 能力があれば魔女、魔法使いとして罪を着せられ殺される。
 あの神とやらも、どうやら私に楽をさせるために転生さてくれた訳ではないらしい。
 それもそうだ。この世界、どの世界でも楽で甘い話なんてあるはずがない。
 だからこそ、必死で生き残るのだ。それが神を自称する方々の道楽の一環だったとしても、私は今ここで生きている。
「生きているんだ。生きているから、死ぬまでは生き続けてやる」
 もちろん、易々死んでたまるか。その為には何だってする。
「死ぬまで生きる、か。いいね」
 酒臭い吐息が、耳に吹きかけられた。
 いつの間にこんな近くに。
 私の足の間に身を滑り込ませた旅娘は、背を預けていた手すりに手をついて覆いかぶさる。
 わずかな星の明りで見えた顔は、妙に色っぽい。
「また盛ってるのか?」
「あたしはいつも、ねーさんみたいなきれーなお嬢さんを見ると、たまらなくなるのさ」
 鼻歌まじりに私の首筋に顔を埋めてくる。
 それを拒もうとは思わないし、嬉しいとも思わない。
「なんでこれから戦争だっていうのに、そんなにやる気満々なわけ?」
「ちがうよ。これからヒトの生を奪いに行くから、欲情するんだ」
 顔を上げ、私を覗き込み旅娘の顔は、まるで獲物を弄ぶ豹か何かの様だ。ぞくりと、背筋が打ち震えるのを悟られないように、私は顔を背けた。
「戦う前だから、奪いに行く前だからこそ、今こうして生きている事を実感したい」
 彼女はくつくつ喉を鳴らして笑い、体に体重をかけてしなだれてくる。
 しなだれる彼女は私の胸の上でじゃれつき、まるでマーキングする猫ように頬や額を私にこすりつけてきた。
 故郷で聞いたことがあるな。昔の戦士は戦の前に盛るというが、そういう事か。
 じゃれつく彼女の肩にそっと手を添える。
 100年か。この体は地平線が続くこの世界で、独りで旅を続けていたのだろう。
 決してたくましくはない。どちらかというと華奢とも云える。他の船乗りと比べればだが。
 この細い体で、彼女は7つの平野を駆け抜け、恐怖と名声をばらまいたのか。
 想像もつかない。私の知る彼女は色呆けでダークがへたくそ。ぺらぺらよく喋り、肝心な時にはいつもいない。そういう少女だ。
 伝説の平野の大魔女なんて、これっぽっちも想像がつかない。
「なに……?」
 私で戯れていた彼女は、不思議そうに顔を上げてきた。上気した顔が、幼く見える。
「あんたが、ねぇ。って思ったら、嘘くさくて笑えて来た」
 笑う私に、首を傾げて、そしてにやりと笑った。
「なるほど。それじゃあ、あたしの超絶技巧で、ねーさんを一発で極楽にとばしてあげよーか?」
「なんでそうなんだ」
 いまいち意味を理解していなさそうな彼女は、するすると魔法のように私の肌を夜風にさらしていく。服がまるで包み紙のように剥かれていた。
「ちょっとまて! じょうだん。じょうだん!」
「冗談なんてあたしには通じませーん。なんてたってあたしは……」
 紅い唇がそっと触れる。
 熱が移った。
「欲しい物は全部奪う。手に入れられないものなんて、この世にない。そうしてきた」
 ぺろっと唇を舐めた。
「あと、半刻もない……」
「それだけあれば、十分」
 膜がかかったような思考の中で、私は、熱に浮かされるように、彼女という奔流に弄ばれるだけだった。
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