第14話

文字数 2,913文字

 メディッテ盆地に入って2日目の夜。
 順調な航野なんて存在しない。事件は必ず起きる。
 ガス灯が無ければ手元も怪しい新月の夜。誰もが寝静まっていても、風だけは止まずに黄色い大地を走り抜けている。
 この仕事を始めてから、私は熟睡をしたことが無い。夢と現実の間くらいをふらふらしている。人間死にそうな思いをすれば、先祖返りして野生動物と同じようになるのだ。
 傭兵の為の掘っ立て小屋の狭い室内で、けたたましく鐘が揺れて鳴った。
 私は飛び起きるとその勢いのままハンモックを飛び降り、外套を羽織った。
 この鐘は、船の外壁に何かがへばりついた事を知らせる合図。鳴子だ。
 掘っ立て小屋を飛び出して、小屋の入り口脇につるされているガス灯を手に取り、鐘の鳴った方、左舷側を注視する。
 星々の弱々しい光に照らされて、宵闇の中で轟々と音を立てて回る縦型風車がぼんやりと浮き上がる。それほど暗い。
 甲板の縁、手すりから何かが顔を出した。
 私がそこまで距離を詰める数秒で、賊は身軽にはしごからひょいと飛んで甲板へと乗り込んできた。
 これは、早急に片付けないと面倒だ。
 敵の総数は5人。刺す、切るが得意そうな切っ先鋭い曲短刀を手に携え構えている。
 能力は使いたくない。使わなくても、これくらいなら倒せる。
 敵は大道芸人のように身のこなしが上手く、武器は機動性重視。という事はおそらく刃先には毒が塗られている可能性が高い。一撃でも当たれば必殺は免れない。
 この世界には経験値だなんだという”いかにもなモノ”はない。○○耐性だとかそういう物は存在しない。当たれば死ぬし、どれだけの熟練した兵士でも、素人の投げた石ころで死ぬ事もある。この異世界は徹底的に現実的である。私の恋焦がれた異世界幻想譚なんて存在しない。
 私は甲板の上を全力で駆け、まずは1人目。今上がって来たばかり、一番甲板の縁に近い人物の顔面をしっかり勢いを載せて蹴った。いわゆる飛び蹴り。
 私だって人並みに体重があるわけで、しかもそれが全力で走っているモノだ。それ相応の力の塊になるわけで、哀れ長く揺れるはしごを登ってきた賊の1人は、真っ逆さまになって甲板から転げ落ちる。
 次いで2人目。これには夜ならではの手段を使う。
 腰の小物入れから取り出したのは、分銅のついた砂龍の体毛で作った糸。
 私は分銅を回して加速させると、侵入者の足めがけて投げる。
 ガス灯が無ければ手元も怪しい暗さだ、私が何を投げたのかすら見当もつかないはず。
 私は決して強くない。むしろチートが無ければとっくの昔に死んでいただろう。
 神様は可哀そうな私に、慈悲の心でこの異世界転生を与えると言っていたが、あれはおそらく嘘だ。きっと暇つぶしか享楽の一環で与えたに決まっている。
 この世界はどうしようもなく現実的で、少しのミスで即死に繋がる場所だ。ひとまずの生の保証があった故郷とは、大きく異なる。
 だから私は、何としてでも生き残る決意をした。
 その為にあらゆる技術を身に着けた。
 私が投擲した分銅は、狙い通りに相手の両足に絡まった。後ずさろうとするその人物は盛大に転んで倒れる。その頭部を全力で蹴りつけた。躊躇いは自分を殺す。遠慮は無用だ。
 さて残りは3人だ。
 私は腰から曲刀を抜いて構えた。
 すると闇夜の中から金属が滑る、何らかの刃物を鞘から抜く音がいくつも聞こえた。
 準備は周到にしよう。
 ガス灯の調整弁を最大に開けて足元に置いた。火力が増して周囲が照らされる。
 賊はあと3人。最初に見た数から2人引いた数だ。
 賊は動きやすそうな半そでのシャツと裾を絞ったワイドパンツ。足元は足袋のような履物。そして手にはやはり曲短刀だ。
 相手も人間。数は圧倒的に劣勢というわけではない。
 大丈夫。このくらいなら、いつもの事だ。
 私は息を吐いて腰を落とす。さあいつでもかかってこいという意思を相手に見せる。
 この状態なら普通に考えて、数で取り囲み押し切れば勝てる。
 そうなるようにこっちも予想している。
 ほぼ一斉、いや、微妙に間隔をあけて飛び込んでくる敵。
 私は2番に向けて、剣を投げた。
 1番目にはしっかり曲短刀の動きを見てギリギリで避け、腕にしがみついて、足をかけて転ばせる。こっちが踏ん張れば、相手の体重で腕はぼきりと音を立てて折れる。
「ッ!?」
 苦悶の呻きを漏らした瞬間、顔面に渾身の力を込めて膝蹴りを見舞う。
 そして突然剣を投げつけられてひるんだ2人目以降の敵達。まず折れた事で落とした曲短刀を即座に拾って3人目へ投げつける。それと同時に姿勢を低くして走り、2人目の腰へとびかかり、小物入れから刺突短剣(スティレット)を取り出し、渾身の力で脇腹へ突き立て捻る。
「ぐ、ぁ。か」
 ひとまずそれで2人目は放置。3人目は運よく曲短刀が肌を浅く切っていてくれた。慌てふためく所を見ると、やはり刃に毒が塗られていたようだ。
 そこでガス灯の明りが消えた。
 私は足音を消して3人目へ駆け寄り、腕を掴んで思いっきり一本背負いを決める。もちろん船外へ向けてだ。
 最後の一人は明りも消え、瞬く間に仲間が倒されてパニック状態だ。私は手すりに掛けられた縄を一本手に取り、投げつけた。輪投げだ。
 首にかかった縄に驚き悲鳴を漏らした最後の一人。縄の反対を空へ向けて放り投げる。
 何かに誘われるように縄はマストの風車に絡まり、賊の身体を闇夜へ放り上げ、そしてぼりぼりと音を立てた。
 さて、これでお仕舞だろう。
 それと同時に甲板へ船夫達が明りをもって出てきた。甲板は瞬く間に明るくなる。
「残敵を探して! まだいるかもしれない」
 私がそう言うが、彼らはすでに隈なく甲板を捜索していた。
「それ、もらう」
 私は船夫の持っていたガス灯をひとつ借りると、側舷へ向けて落とした。
 その下には小さな舟がひとつある。賊が乗ってきたものだ。
 そこにはまだ2名、船を操作してた乗組員がいたが、落ちたガス灯は落着の瞬間に大きな炎を上げて一瞬で小舟を巨大な松明へ変えた。
 速力を失い、離れていく小舟。
「傭兵殿! 終わったのか?」
 生者の顔色じゃないドルテが寝巻用の薄着のまま飛び出してきた。船夫たちは雇用主である彼の周りをしっかり固めている。
 おそらくもう他にはいないはずだが、油断はできない。
「ほかの乗組員にも警戒をさせてください。側舷や足にしがみついている奴もいるかもしれない」
「わ、わかった」
 きっと彼はこの航路で、この仕事を請負ってから一度たりとも生きた心地がしていないだろう。可哀そうに。
 働く人間というのは時として自分の能力以上の労力を求められる事がある。彼は今回の旅路がまさにそれだろう。
 この世界に安定したものなんて何もない。豊かな街を統べる統治者とて常に外敵や、政敵に怯えている。資源が少ないのだ。常に奪い奪われを繰り返している。
 この男も、先ほど私が殺した賊も、何も変わらない。ただただ必死に生きているだけなのだ。
 久しぶりの大立ち回りのせいか、気分が滅入ってきた。
 私は掘っ立て小屋に戻り、自分のハンモックに飛び乗った。
 となりでは酒臭い小娘が、大事そうに酒瓶を抱えて寝息を立てていた。
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