第2話 将棋のさくら②

文字数 2,842文字

 さくらは翌日も祖父宅を将棋盤を持って訪ねた。
 祖父は嫌々対局を承諾した。
 その日は7回対局して7回負けた。
 次の日もさくらは祖父宅を訪れた。
 その日は6回対局して1回だけ勝った。
 その次の日もさくらは祖父宅を訪れた。
 その日は7回対局して3回勝った。
 その次の日は7回対局して5回勝った。
 初めて駒に触れてから一週間もすると、祖父は一度もさくらに勝てなくなった。

 こいつは天才かもしれないなと祖父は思った。

 もっと強い人と戦いたいとのさくらの希望を受け、祖父は町内で唯一の将棋道場にさくらを連れて行った。

 さくらが道場に入ると、中は男の子ばかり。
 女の子であるさくらは少し好奇の目で見られた。

「なんだ、女か」

と一人が言った。

「なんだ、男か」

とさくらは言い返した。

 道場に通うようになって初めの頃は、さくらは誰にも勝てなかった。

「基礎がねえよ」

とヤジを飛ばされた。

「基礎ってなによ」

とさくらはまたも言い返した。

 道場の先生は、さくらに将棋の本を貸した。
 さくらは借りた本を一晩で読んだ。
 その後も道場の本を片っ端から読んでいった。
 恐るべき速読で、読んだ内容はほとんど覚えていた。
 みるみる定石が脳内に蓄積された

 入門から三か月経つと、道場の誰もさくらに勝てなくなった。

 この子は天才かもしれないなと道場の先生は思った

 さくらは町内での対局では満足できず、県をまたいで大会に出場するようになった。
 週末は多忙の母を説得し同伴させ、いくつもの大会に出場し表彰された。

 自宅では詰め将棋の本を読むことにも物足らなくなり、普及し始めたネット将棋にのめり込んだ。
 全国の誰かと将棋がいつでも打てる。
 相手の強さにムラはあるが、とにかくずっと対局していられる。

 さくらは、どんどん深いところにはまり込んでいった。
 父母はどうしたらよいものかわからなかった。


 十一歳の時に父が倒れた。
 膵臓がんだった。
 見つかった時には余命いくばくもなかった。
 入院し点滴に繋がれている父をさくらは見舞った。

「いやだいやだお父さん死んじゃやだー」

 さくらは病院全体に響くような大声で叫んだ。
 衰弱している父の耳がぐわんぐわんした。
 さくらは、駄々をこねるみたいに病室で泣きながらばたばたして、はずみで父の点滴が抜けた。抜けたところから出血した。
 ひとしきりばたついた後、さくらは病室で寝てしまった。

「この子が心配だよ」

 父はそうこぼした。
 でも父は微笑んでいた。
 この子には、活きるエネルギーがある。

 四日後に父は死んだ。


 その年に小学生名人の大会があった。
 東海地区の予選でさくらは一位で通過した。
 その頃にはさくらは、地域では名の知られた存在となっていた。

 全国大会に出場し、猛者の少年の集まりの中で、女子はさくら一人だった。
 さくらは近畿地区代表をくだし、決勝に進んだ。
 そしてそこで、ライバルとして生涯渡り合う鏑木翔太と出会った。
 鏑木は関東地区代表だった。

 さくらと鏑木の決勝が行われた。
 結果は鏑木の勝利。
 113手だった。

 その時のことを、鏑木は後に語る。

「覚えているというか、忘れたくても忘れられない。あの時の鈴木はまだ粗削りもいいとこ。序盤でミスがあったから、楽に勝てると思った。序盤で一手半くらいのリードをもらった。普通ならまず負けないパターン。その後も、僕は間違えなかった。最善手を打ってるつもりだった。でもなんだかおかしいんです。中盤のあたりから、気が付くと差が縮まっているんです。どこで縮められたかわからない。こちらも悪い手は指していない。でも手を進めていくうちに、少しずつ詰められていくんです。終盤ではほぼ互角。何が起きているのかわかりませんでした。負けても、わかっていたら納得するんですよ。でもその時は、なんで差が詰まっていくのかわからなかった。すごい混乱したんです。結果的には、最後の最後で僕が粘り勝ちしたんですが、勝った気がしませんでした。その証拠に、あの時の表彰台の写真を見ると、僕は笑っていないんです。名人になったのに。放心しているような、浮かない顔なんです。その横の、2位の表彰台で、彼女は大声でぎゃあぎゃあ泣いていたんです(笑)。泣き顔がばっちり写っちゃっています」

 二位には終わったが、さくらの名前は将棋界で知れ渡った。
 女流将棋界の推薦があり、さくらは女流棋界に入門した。
 すると、すぐに頭角を現した。
 初めてエントリーした時から、破竹の二十一連勝。
 入門からわずか1年半、13歳で女流七冠となった。
 
 一躍世間から脚光を浴びたが、さくらは浮かなかった。
 何かが違うと思っていた。

 その姿を見ていた当時の渡利竜王は、さくらに奨励会に入るよう勧めた。
 渡利竜王とは、さくらが小学校低学年の頃に、将棋のイベントに訪れた時から面識があった。
 他の参加者が竜王に負けることを前提にしている中で、さくらだけは本気で勝とうと挑んできていた。
 竜王と子供という差などまったく意識せずに。
 だから、渡利竜王の記憶に刻まれていた。

 渡利竜王は語る。

「盤を挟んで対峙したら、相手が誰であっても、対等と思って打つというのは、ひとつの理想ではありますよ。でも、普通は、気おくれするものじゃないですか、多少なりとも。彼女にはそれがないんですよね。本当に、心の芯から、盤上では誰だって対等なんだと思っている。相手が竜王だろうが名人だろうが、対等なんだって」

 奨励会で女子が入門することは初めてだった。
 前例がなく前もって検討がなされたが、渡利竜王が強く推し進めた。
 もともと奨励会に男女の規定はないはず。
 強い者は誰でも入る資格がある。


 中学一年で奨励会に入門した。
 同じ年に同い年の鏑木も入門した。
 さくらは初めて壁に当たった。
 そこでは、26歳という年齢制限を背に受けて、死にもの狂いで将棋を打つ者たちがひしめいていた。
 さくらは三段リーグまでは進んだが、そこで勝ち越すことに難儀した。
 鏑木は一足先にプロへと進んだ。

 さくらは高校一年になった。
 地元の高校に通いながら、一人で東京の将棋会館まで新幹線で通った。
 その頃には、さくらはプロ棋士になることを考えていた。
 それ以外の道なら死のうと思っていた。
 何かを変えなくてはならなかった。

 さくらのそれまでのスタイルは、オールラウンダーだった。
 どんな戦型でも柔軟に対応し、攻め受けを自在に操る。
 しかしそれではオール85点程度。三段リーグでは通用しなかった。
 さくらは大幅な戦型の変化を行った。
 一つの95点をつくり、残りは65点でよい。
 自分の強みにすべてを振り切る。
 さくらは攻めが好きだった。
 どうせやるなら好きなやり方で、局面に自分が興味を持てる方にする。
 興味を持てば集中が深まる。
 さくらは大幅に攻めに駒を割く、超攻撃型の振り飛車となった。

 戦型の変更と定着に二年を費やしたが、18歳で全勝で三段リーグを突破しプロに昇格した。
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