第1話 将棋のさくら①
文字数 1,253文字
5六銀 同歩 4五銀 同歩 7六桂……
5五同銀 同銀 2二歩 同玉 1二歩……
鈴木さくらは静岡県のある海沿いの街で出生した。
海風がいつもぴゅうと吹いて、春に見事な桜吹雪がみられることから、父と母は子をさくらと名付けた。
さくらは一人っ子だったが、流産で生まれることがなかった兄か姉がいた。
父母はともに教師だった。
父は街の西の方の高校の数学教師で、母は街の東の方の小学校教師だった。
さくらは幼少期のころ、明らかな多動児で、落ち着きがなかった。
五秒と同じ場所に居られなかった。
好奇心がいっぱいで、目に映るもの全部が興味の対象で、公園で虫を見かけたら、すぐに駆け出して追いかけ、池で魚を見つけたら、服を着たままざぶりと中に入った。
女の子とは遊ばず、いつも男の子とばかりつるんで、たくさんのいたずらをして、たくさんの喧嘩をした。
体が二回り大きいガキ大将相手でも、さくらは果敢に挑んでいって、殴り合いの大喧嘩をした。
いつも傷が絶えず、顔に痣できても平気だった。
さくらのそんな様子を見て、父と母はとても心配し手を焼いた。
「あの子はどうすれば落ち着くのかしら」
ある日、父母が揃って講習に出かける際、さくらは母方祖父母の家に預けられた。
祖父母は、前の日からびくびくしていた。
案の定、さくらは家で駆けまわり、大事な花瓶なんかも蹴り壊して、お構いなしにボールを投げたりして、家じゅうをしっちゃかめっちゃかにした。
「さくらちゃん。家の中でボール投げやめ。じいちゃんと、これやろ、これ」
困り果てた祖父が思案の末に取り出したのは、将棋盤と駒だった。
これがさくらと将棋の出会いである。
「なあに、それ?」
「将棋っていうゲームだ。駒の動かし方を教えるから、これでじいちゃんと遊ぼ」
さくらは、ぎこちない手で駒を動かした。
祖父は適当に負けてさくらのご機嫌取りをしようと思っていたが、うっかり普通に勝ってしまった。
まずい……
暴れるぞ……
内心ひやひやして構える祖父だったが、意外にもさくらはその場を動かず、神妙な顔でじっと盤を見つめた。そして次第に、ふるふるとその肩を震わせ、目を閉じると、涙が頬を伝った。
一分ほどの無言の涙ののち、
「……もう一回」
と、さくらは絞り出すように言った。
思いなおして駒を並べ、今度こそ負けるぞと、内心意気込む祖父に、
「弱気でやったら暴れるよ」
とさくらは釘を刺した。
その日は七回対局し、さくらは全部負けた。
八時を回って父母が迎えに来て、さくらは将棋盤と駒を家に持ち帰った。
さくらを見送った後、祖父はどっと疲れて倒れこんだ
「じいさん、ぼけたの。布団ないでしょ」
祖母は言い放つ。
自宅に戻ると、さくらは早速将棋盤を置いて駒を並べ、その前に座ってじっと考え込んだ。
駒を動かしては戻し、動かしては戻し、何度も何度も繰り返した。
「あの子が五秒以上、その場にじっとしているの、初めて見たわ」
「五秒どころか二時間あのままだぞ。早く寝かしつけないと」
「あれはあれで心配ねえ」
5五同銀 同銀 2二歩 同玉 1二歩……
鈴木さくらは静岡県のある海沿いの街で出生した。
海風がいつもぴゅうと吹いて、春に見事な桜吹雪がみられることから、父と母は子をさくらと名付けた。
さくらは一人っ子だったが、流産で生まれることがなかった兄か姉がいた。
父母はともに教師だった。
父は街の西の方の高校の数学教師で、母は街の東の方の小学校教師だった。
さくらは幼少期のころ、明らかな多動児で、落ち着きがなかった。
五秒と同じ場所に居られなかった。
好奇心がいっぱいで、目に映るもの全部が興味の対象で、公園で虫を見かけたら、すぐに駆け出して追いかけ、池で魚を見つけたら、服を着たままざぶりと中に入った。
女の子とは遊ばず、いつも男の子とばかりつるんで、たくさんのいたずらをして、たくさんの喧嘩をした。
体が二回り大きいガキ大将相手でも、さくらは果敢に挑んでいって、殴り合いの大喧嘩をした。
いつも傷が絶えず、顔に痣できても平気だった。
さくらのそんな様子を見て、父と母はとても心配し手を焼いた。
「あの子はどうすれば落ち着くのかしら」
ある日、父母が揃って講習に出かける際、さくらは母方祖父母の家に預けられた。
祖父母は、前の日からびくびくしていた。
案の定、さくらは家で駆けまわり、大事な花瓶なんかも蹴り壊して、お構いなしにボールを投げたりして、家じゅうをしっちゃかめっちゃかにした。
「さくらちゃん。家の中でボール投げやめ。じいちゃんと、これやろ、これ」
困り果てた祖父が思案の末に取り出したのは、将棋盤と駒だった。
これがさくらと将棋の出会いである。
「なあに、それ?」
「将棋っていうゲームだ。駒の動かし方を教えるから、これでじいちゃんと遊ぼ」
さくらは、ぎこちない手で駒を動かした。
祖父は適当に負けてさくらのご機嫌取りをしようと思っていたが、うっかり普通に勝ってしまった。
まずい……
暴れるぞ……
内心ひやひやして構える祖父だったが、意外にもさくらはその場を動かず、神妙な顔でじっと盤を見つめた。そして次第に、ふるふるとその肩を震わせ、目を閉じると、涙が頬を伝った。
一分ほどの無言の涙ののち、
「……もう一回」
と、さくらは絞り出すように言った。
思いなおして駒を並べ、今度こそ負けるぞと、内心意気込む祖父に、
「弱気でやったら暴れるよ」
とさくらは釘を刺した。
その日は七回対局し、さくらは全部負けた。
八時を回って父母が迎えに来て、さくらは将棋盤と駒を家に持ち帰った。
さくらを見送った後、祖父はどっと疲れて倒れこんだ
「じいさん、ぼけたの。布団ないでしょ」
祖母は言い放つ。
自宅に戻ると、さくらは早速将棋盤を置いて駒を並べ、その前に座ってじっと考え込んだ。
駒を動かしては戻し、動かしては戻し、何度も何度も繰り返した。
「あの子が五秒以上、その場にじっとしているの、初めて見たわ」
「五秒どころか二時間あのままだぞ。早く寝かしつけないと」
「あれはあれで心配ねえ」