第3話 将棋のさくら③

文字数 2,152文字

 プロ棋士となったさくらは、すぐに世間の話題をさらった。
 女性初のプロ棋士。
 端麗な容姿に歯に衣着せぬ率直な発言。
 そして何よりそのプレースタイル。
 より多くの駒を攻めに割き防御は最小限。
 それはひとたびはまれば強者にも牙をむき、一方で読みが外れたら一気に負けることもある。
 その極端さの振れ幅に、みな惹かれた。

 後に渡利竜王は語る。

「たった一球のものすごい変化球を武器に、アマチュアがプロに乗り込んできたような印象。粗削りで弱点も多い。それもプロとしてやっていくには致命的な弱点がある。それでも極端に先鋭化した、彼女にしかない特殊な要素を持っていて、それだけで戦っている」

 
 さくらは複数の研究会を掛け持ちし、暇があれば棋士同士で序盤を中心に最新の形を研究し、一人の時も部屋に籠ってじっと盤の前に座った。
 東京で一人暮らしをしていたが、狭いアパートには最低限の生活用品と、あとは将棋盤と駒と本という、あまりに簡素な暮らしだった。
 そこには、生活の匂いというものがなかった。


 B級に昇格してまた壁に当たった。
 勝ったり負けたりが五分という状況で、さくらはさらなる変化を求めた。
 このままではだめなのだ。
 さくらはプロ昇格後の一年で、自身の致命的な欠点を自覚していた。
 他棋士と比べての終盤の集中力である。
 それは、長時間の対局に耐えうる体力と同義だった。
 体力の差。
 それは、周りが男で自分は女ということに関わるかもしれないが、すぐにその考えを振り払った。

 勝てなければ意味がない。
 負ければ終わり。

 インタビューでもこう語る。

「曲芸みたいなことをしてまで泥臭く勝ちを拾いに行くのは、そうしなければ強くなれないから。私にとっては、勝つために強くなるのではなく、強くなるためには勝つしかないんです」

 さくらは極端に実践型だった。
 格上を相手に逆転勝利を収める一方で、格下相手に呆気なく負けることも多かった。
 強い相手と緊迫した一手を考えるときに集中が高まる。
 その経験が自分の強さを後押しする。
 強い相手と戦うには勝ち進まなければならない。
 だから、強くなるには勝つしかない。

「棋理なんて私にとってはどうでもいいことです。そんなお上品なことに興味はない。そんなことは、たとえば鏑木みたいな、おぼっちゃまに任せておけばいいんです。私は、とにかく目の前の相手に勝ちたい。それだけです」

 さくらはオーソドックスな研究と並行して、過去にさかのぼり昔の棋譜を熱心に調べるようになった。
 古くは江戸時代の棋譜も残っている。
 そのどれもが現代将棋に生かせるものではなかったが、過去の棋士の執念が伝わった。

 さくらは勝負勘を磨く手立てとして、他のボードゲームも学んだ。

 チェス、オセロ、囲碁。
 どれも嗜んではおりそれなりの実力を持っていたが、一日の後半をこれらのゲームの研究にあてた。
 これらに共通することは、いずれも二人零和有限確定完全情報ゲームということである。
 偶然の要素が入るものをさくらは好まなかった

 皮肉にも、チェスは将棋よりも早い速度で上達し国内でのランキングを上げ、元より競技人口の少ないオセロでは始めて一年で国内大会で優勝した。

 半日は将棋に没頭し、もう半日はチェスかオセロか囲碁。
 ゲームに始まりゲームに終わる日常が続いた。


 さくらの指す将棋には徐々に変化が見え始めていた。
 前のめりの極端な攻めと同時に、善悪のわからない混沌に引きずり込む将棋となった。
 明確でない局面ほどさくらは強さを発揮した。
 攻め続ける中で、いつしか混沌をつくり、形勢不明の展開を引き延ばしていく。そのさなかで相手がミスをすれば、それは見逃さない。
 ともに持ち時間を切らし一分将棋となると、短時間での思考の瞬発力に長けたさくらが有利となった。

 鏑木は語る。

「野生の将棋って感じなんですよね、彼女の将棋は。まったく型にはまっていない。誰か、特定の師匠についてちゃんとした教育を受けたら、むしろああいう将棋は指せない。だめだろ、って矯正される。あくまで我流で、おそらくネット将棋を相当やったんでしょうけど、強い奴とも弱い奴とも気が遠くなるくらいの対局をして、実践の中で磨かれた将棋です。無数の野戦で磨かれた勘みたいなものがある。曖昧な、よくわからない局面で、立ち位置を見失わないのは、そういうところから来ていると思う」

 さくらはB級2組の時に、竜王戦で勝ち進み挑戦権を得た。
 その時、鏑木との対局は、鏑木が当日インフルエンザで不戦敗となっていた。
 さくらは当時三冠の渡利竜王相手に挑み、二勝四敗で屈した。

「……負けました」

 という一言の後、さくらは項垂れて肩を震わせ、動かなかった。
 感想戦は十分も遅れた。

 何も語りたくないさくらだったが、報道陣の前に立たなければならなかった。
 向けられるマイクに向かって、さくらは言った。

「渡利竜王は……私に将棋の道を示してくれた恩人です。渡利竜王と戦う場に立つだけでも光栄なことと想像していたんだけれど……。でも、今回はっきりわかりました。私、やっぱり負けるのは嫌なんです。戦うだけで満足なんて、そんなできた人間じゃないんです。絶対絶対負けたくないんです。たとえ、その相手が渡利竜王であっても」
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