第12話:バブル時代、村の投資の成功

文字数 1,555文字

 5月のゴールデンウイークも順調で、特に今年は、地元の豚肉のベーコンの売れ行きが良く、近郊のレストランでもメニューに入れてくれ、知名度が上がった。6月末、梅雨が明け、暑くなると観光客が増え、村を流れる道志川の川遊びや村営のバンガロー、バーベキューが繁盛した。今年から試供品として、この村の特産品を宣伝し始めた。

 まず、道の駅、レストラン、旅館、最寄りの3駅に置いて試食してもらう様に工夫をしたところ、売上が2~3割増えた。また今年から土日に、村の若者が、トレッキング、山登りの案内を始めて子供から中年まで、道志村に来てくれるようになった。その後、11月を終えて昨年よりも2割ほど、観光客が増え、観光シーズンが終わった。

 しばらくして1984年となり1月に555円で8万株を4440万円で購入したトヨタ株が1140円で全株9120万円で売れ、税引き後純利益が3740万円となり、これが最初の日本株売買の利益となった。加藤末吉の長男の加藤和夫が、今年、地元の小学校に入学して、元気に登校していった。

 1984年も例年通り観光客が来て観光客数が若干増えた。マイカーが、増えてきて、日帰りで買える観光客が増えたのが、最近の特徴と言える。そうして1984年が終わり1985年を迎えた。1985年2月にトヨタ株が、再び下げてきたので、1株753円で8万株、6024万円で購入した。

 1985年6月にソニー株か上昇し1982年1月にソニー株を1300円で1985年6月、2200円で、全株4万株が、8800万円で売れ、税引き後純利益2876万円となり、株売却による純利益は6616万円。この頃、日本では車などがアメリカにすごい勢いで輸出され日米貿易摩擦として日本車がみんなの前で壊されると言うパフォーマンスが放映された。

 プラザ合意とは、ドルが高すぎるので貿易摩擦が起きると言い1985年9月22日にニューヨークのプラザホテルで開催された先進5ヵ国蔵相・中央銀行総裁会議 G5で討議されたドル高是正のための一連の合意の事を指す。当時,アメリカは巨額の財政赤字や高金利を背景にドルの独歩高を通じて膨大な貿易収支の赤字を発生させ,世界的な対外不均衡が問題となっていた。

 さらにアメリカ国内で台頭してきた保護貿易主義に対抗することもあって、ドルの独歩高の修正を通じて対外不均衡を為替レートの調整で是正しようとするものであった。この合意に基づき各国はドル売りの協調介入に乗出し、円・ドルレートでみれば1ドルが240円台となっていたが,1985年末には1ドル、200円まで一気に修正された。

 1986年になると、日本ではバブル景気で投機が大流行で、この村にも温泉をひいた豪華ホテルを造らせて欲しいと言う申し出が2軒ほどあり許可して、急遽、ブルドーザーで見晴らしの良い2つの山間地を整地した。以前、この山間地は、坪1万円程度だったのが、5万円で2千坪1億円で売れ、翌年、1987年には、観光ホテルとして開業した。

 これによって、村に1.5億円の予期せぬ収入が入った。1987年4月開業後、村のメインの道路を拡張して、観光バスが入れるようにして、多くのお客さんが、やってきた。しかし、バブルというものは、いつか、弾ける。弾けた時、初めてバブルとわかる。当時の日本でも1992年には、景気が息切れして、少しずつ、この村でも観光客が減りだした。

 しかし、この5年間で、約5億円の収入が村に持たされて、村の総資産は約10億と巨額となった。加えて、株投資による利益も増えたので村営の施設の全てと保育園、幼稚園、小学校、村営バスも、この村の住人には、無料とした。その後は、福祉が充実した村として、相模原、八王子、厚木からも住人が少しずつ入ってきた。
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