第15話:村の資産で分譲地とリーマンショック

文字数 1,604文字

 そして、税引き後利益83960万円となった。1982年1月、セブンイレブン株1070円、1万株1070万が1999年12月に、分割を繰り返して214000万円で売れ、税引き後16260万円となった。1981年からの株投資で17億円の利益を得て、当時の村の資産残金3億円と会わせて2000年1月の村の資産合計が20億円強となった。

 そこで加藤一郎村長と、重野副村長が村の資産の巨額投資の方法について相談して、日本株投資から、外貨投資に切り替えることを決めた。2000年11月豪ドル円が58円で5.8億円で1千万豪ドルを買い、村の資産が14億5千万円となった。その後、2001年から、村の平坦地の整地に3億円をかけて、50坪単位で土地を分譲して行く事を決めた。

 そこで、この村では、過疎化対策として、近隣の市、町から転入者を増やすため、5人以上の家族には子供の高校までの教育費、給食台、医療費を全額村が補助し、月4万円で4LDKの戸建て住宅を貸す様にして、人口を増やしていった。建て売り住宅や分譲地に建てた家、分譲した土地の全て売却され、更に2億円が入り、資産合計が20億円となった。

 しかし、2001年はネットバブル崩壊で、日本株が、大きく下げ、2002年1月を底に、回復しはじめた。ところが2000年頃からの平成の大合併で相次いで合併が行われた。しかし、その周辺の残された過疎地域の旧市町村では、合併された市町村に比べて、大きく人口が減少した。そこで、村の役場で、神奈川県内のバス会社に依頼して大型バスを出してもらった。

 朝の7時から9時まで、計9本、夜19時~21時に9本、その他の1時間に1本、高尾駅、海老名駅、橋本駅に出してもらい、赤字が、ある程度以上になった段階で補助金を入れる約束をして継続してお願いした。その他、団体客は、村のマイクロバス2台で送迎する事にした。2002年には、民間の2軒の豪華ホテルも売りに出てしまった。

 そして買い手が付かないので、村が買い取り、最初、村営ホテルとして運営したが、その部屋を村民に賃貸マンションとして貸した。この村の資産を活用した投資で多くの若い家族を村外から呼び込む事に成功して、人口が、以前比べて2割増えて平均年齢も大きく下がった。この成功を考えて3年に1回、毎年、転入者を増やすべくインターネット広告を出した。

 その内容は、先着50家族、5人以上の家族に子供の高校までの教育費、給食費、医療費を全額村が補助し、月4万円で4LDKの戸建て住宅を貸すというもの。2004年1月1日に広告を出すと、1月中に、50組が決まり、役場で各家族と面接して、不適格な家族が5家族いて、その後、再度募集し3月末には、全部の新入村者が確定した。

 この頃には、以前、村の分譲地に家を建てた人達が、建売住宅を売り出す件数が増えてきて、かなり戸数、供給できることが判明。一方、アメリカでは、2007年の住宅バブル崩壊をきっかけとしてサブプライム住宅ローン危機を始め、プライムローン、オークション・レート証券、カードローン関連債券など多分野にわたる資産価格の暴落が起こった。

 2007年からの住宅市場の大幅な悪化と伴に、危機的状態となっていたファニー・メイやフレディ・マックなどの連邦住宅抵当公庫へは、政府支援機関における買取単価上限額の引上げや、投資上限額の撤廃など様々な手を尽くしていたもののサブプライムローンなどの延滞率は更に上昇し、住宅差押え件数も増加を続けていた。

 歯止めが効かないことを受け、2008年9月8日、アメリカ合衆国財務省が追加で約3兆ドルをつぎ込む救済政策が決定。「大き過ぎて潰せない」の最初の事例となる。リーマン・ブラザーズも例外ではなく、多大な損失を抱えており、2008年9月15日に、リーマン・ブラザーズは連邦倒産法第11章の適用を連邦裁判所に申請。
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