第13話:投資成功と子供の成長

文字数 1,577文字

 そこで、村の急峻地を住宅用として平坦にして、村外から入居してくる人に建て売り住宅として土地40坪、建坪30坪の2階建て戸建てを月6万円で25年300ケ月均等払い、総額1800万円で売り出したところ、20軒、建設し1988年7月迄に広告を出し2週間で完売。そのため、1989年も同じ戸数、20軒を作り、広告を出すと1ケ月で、売り切れた。

 1989年4月に、1985年2月に1株753円で8万株のトヨタ株が上昇し1株2400円で8万株が19200万円で売れ、税引き後利益10533万円となった。1989年10月に、1987年3月に1株1180円で8万株のソニーが上昇し1株4300円で売れ、税引き後利益19960万円となった。

 1990年4月になると、長男の加藤和男が、八王子の小学校を卒業し近くの中学校へ入学。中学では、数学と理科と英語が得意。中学1年からクラスベスト5に入った。夢は、東大、東工大か早稲田の理工学部と考えていた。1年生の夏に、その目標を掲げて自分の部屋で黙々と勉強をしていた。1991年中学2年でクラストップの成績となり学年でもベスト5に入った。

 1992年中学3年を迎えた。その頃、長女の美代子がお兄ちゃんと同じ中学に入学。英語の授業は、それ知ってると言うので、退屈そうにしていた。その割に数学は、得意ではないようで、特に定義については、その必要性を良く理解できないと数学の先生にくってかかる始末だった。成績も英語は5、数学は3、理科4、国語5と完全に文系の頭の持ち主になっていた。

 中学1年の時、英語検定3級を取って、中学2年生で、英語検定2級にも合格して、英語の先生が、我が校、始まって以来だわと驚くほどだった。中学3年になり、数学の苦手を克服するため、とにかく定義を暗記して、数学の受験問題を数多くこなして覚えまくった。長男の加藤和男は、1988年4月に中学から近い、八王子東高校に合格した。

 八王子東高校に入って回りの子が優秀で、なかなか上位の成績が取れなくて、悩んでいたが、クラスでベスト10になったものの、めざしていた東大、東工大か早稲田大学理工学部の合格確率が70%を越えなくて、やむを得ず、1991年、八王子から近い、東京都立大学理工学部
に合格した。

 その頃、長女の美代子は、1990年4月に都立の名門・国立高校に合格し米軍横田基地のアメリカ人のスージーの英語の特訓の、お陰で高校1年で英語検定1級を取得。自分は英語が得意なので上智大学英文科をめざすと言った。高校2年なり問題集を使い徹底的に勉強し過去の上智大学の受験問題集を使い勉強。1993年、念願の上智大学英文科に合格した。

 1994年3月に、1991年10月に1株1200円で8万株のソニー株が上昇し1株3100円で売れ、税引き後利益12152万円となった。その後、1989~1991年の100坪単位の電気、上下水道付きの土地を30区画を造成して売り出すと、応募が多く、4倍近くの競争率で全て、売れ、村の資産は14億円に増えた。

 しかし1990年夏のイラクのクウェート侵攻で原油が急騰しバブルは崩壊し、その後の金融システム不安、「失われた十年」とよばれる長期の停滞状態が続き、この村の観光産業も落ち行った。一方、加藤末吉の子供達は、1998年に長男の東京都立大学理工学部を卒業して、ソニー厚木事業所に入社して、半導体の仕事についた。

 1997年、新しもの好きの長女、加藤美代子は、上智大学を卒業。出来たばかりのヤフー日本に入社。そして長男も長女も加藤末吉の家を出て一人暮らしを開始。加藤美代子は、1997年8月の夏休み、実家で夏休みを過ごし今年中にヤフー日本が上場するから株を買う良いと、その晩、ちょうど来ていた加藤一郎町長、父の末吉、兄の加藤和男にも話した。
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