◎日差しのもとを歩くんだ。
文字数 3,529文字
その日は、日差しがサンサンと地面に降り注ぐ、よく晴れた日だった。
夏がやってきたのだ。
日差しのもとを歩いていると、滝のような汗があとからあとから流れて行く。ある者は日傘をさし、ある者は自分の鞄を頭にのせ、ある者は日差しから逃れるために日陰をゆく。
――そんな昼下がり。
美しく艶のある黒髪をなびかせた麦わら帽子の少女が、汗を一滴もたらすことなく日陰を歩いていた。まるでその空間だけ夏を忘れたかのような、涼しそうな無表情だ。
ふと、少女は足を止めた。
視線の先にいる、頭にタオルを巻いた真っ黒い肌の少年がじっとこちらを見ていたからだ。
対照的に白い肌の少女は首を傾げて問いかけた。
「なにか?」
「……ッ、い、いやっ。なんでも」
真っ黒の肌をほんのりと赤くして、少年がそっぽを向く。
用がないならと少女は彼の横を通ろうとしたが、少年に腕を掴まれた。
「ま、まった!」
静かな目で、少女は少年を見やる。
少年は、なんでこんなことしているんだろうとでもいうような顔で口をパクパクしていた。
「……とりあえず、手を離してくれないかしら」
ずっと掴まれた状態だと話しにくいと少女がそう言うと、少年はすんなり手を放してくれた。
そして取り繕うように両手をパタパタ忙しなく顔の前で振りながら、弁解する。
「ご、ごめん。あ、あまりにも、その……オレの理想だったから」
「理想?」
「う、うん。なんというか、肌白くて、そんなにも黒い髪の同い年のやつって、この町にはいないんだよ。だから、そのッ……」
「…………」
「ち、ちょっと、お話しようよ」
しばらく考えたあと、少女は頷く。
「いいわよ」
よし、と少年が嬉しそうにガッツポーズした。それから、コホンと咳をして指を一本立てる。
「じゃ、じゃあ、まずは自己紹介からだね」
「べつにいらないわ。名前なんて知ったところで、すぐ別れるのだから意味ないもの」
「いや、そんなことないぞ! 名前を名乗るのは、紳士の嗜みなのさッ。というか、き、きみの名前を、オレは知りたいんだっ」
「そう」
少女は少し迷ったが、大人しく名乗ることにした。
「リリ」
「リリ……それが、きみの名前なんだな!」
「そうよ」
「リリ……リリ……いい名前だッ! じゃあ、オレの名前は」
「必要ないわ。どうせ、すぐに忘れるもの」
冷たいリリの声に、呆然とする少年。
「えっと」と頬をぽりぽり掻き、少年は優しく笑った。
「そうかもな。でも、気が変わったら訊いてくれよ。いつでも教えるからさ」
「わかったわ」
「よし、じゃあ、なにを話そうか」
少年の言葉に、少女は不思議そうに首を傾げる。
「考えていなかったの?」
「……あ、いや。ほんとうにただきみと話がしたくて……。あ、きみは学生?」
「違うわ」
「俺は十五なんだけど」
「あたしは十四歳」
「年齢近いじゃん! ……やった」
「それで?」
「あ、えっと、学生じゃないなら……働いているの?」
「たまに」
「すっげぇ! その年で仕事してんのとか尊敬するなぁ」
「生きてくために必要だから」
「この町にきたのは、もしかしてはじめて?」
「ええ。昨日来たばかりよ」
「だから見たことなかったわけだ! じゃあ、この町を案内するよ」
「……ありがとう」
リリの手を、少年が掴む。抵抗するのも馬鹿らしくなり、リリは少年の後について歩きだした。
「ここが、この町一番の賑わいを見せている商店街だ!」
「……へぇー」
「て、今日人すくねぇ。いつもは、もーっと、人がいっぱいいるんだぜ」
「そうなの」
「そ、そうさ」
「ここがオレの通っている学校。六歳から十五歳までの子供が通っているんだぜ」
「結構古い建物ね」
「確か百年ぐらいやってるんだっけか」
「そうなんだ」
「だけど、小さい町だから子供も少ないんだ。確か全校生徒百人もいないんじゃなかったっけ。て、おうっ! レイクおはー……って、バカちげぇよ。か、かかか彼女なわけないだろ。この町に旅行にきたばかりだから、案内しているだけだ。……が、頑張れってなにをだよぉー!」
「で、ここがこの町の一番の見どころだ」
「……海。海があるのね」
「ああ、綺麗だろ」
「そうね、地面の砂が見えるほど清んでいるわ」
思わず感心してリリはため息をつく。
少年は満足そうに頷いた。
「この町の人間は、海を大切にしているんだぜ。なんでだか知りたくない?」
「ええ、教えて」
「お安いごようさ!」
少年は砂浜に躍り出ると、両手を大きく広げて誇らしそうに声を上げた。
「海は、世界を繋いでいる!」
少年の背中に陽の光がさし、にこやかな笑顔を見せる少年を浮かび上がらせた。
リリは少し目を見開く。
「海は、世界中の人々の誇りと言ってもいい、大切な自然だ。そんな海を汚したら、みんなが悲しむだろ? 海にはそこを寝床にする魚たちもいるし、水浴びする動物たちにも水は大切なもんだ。だから、綺麗なほうが、みんなが幸せになれる」
「そうね」
リリは囁いた。それは、遠くにいる少年の耳に届かないほどの小さな声だった。
「……海は昔から変わらないわ」
「で、次はどこに行く?」
少年の問いかけに、リリは日陰から空を見上げると、首を振った。
「もういいわ。そろそろ宿に戻るから」
「え? なんで? まだ夕方だぜ? これから夜景が綺麗に見えるところに連れていこうと思ったのに」
「ありがとう。今日は、楽しかったわ」
「マジ?」
「ええ。とても有意義な時間を過ごせたわ」
「えへへ」
なにがそんなに嬉しいのか、照れたように少年が頬を掻く。
それを、リリは静かな目で眺めていた。
「ねえ、訊いてもいい?」
「え、なになに! なんでも答えるぜ」
「あなたは、どうしてそんなにも黒いの?」
街を歩いていてわかったことがある。この町の十人は、白人はいないものの、この少年のように真っ黒な人もいない。それに彼の肌の黒さは、こんがりと焼いている黒さに見えた。
少年はにかっと白い歯を見せて笑うと、誇らしそうに日差しのもとに躍り出た。そして、空を見上げる。
「オレは、日差しのもとを歩くんだ」
リリは日陰から彼を見ていた。
「日陰にいると、どうしても暗い想像ばかりしちまう。そんなことばかり考えていると、ジメジメと気持ちが落ち込んで、イヤになるだろ? だから、いくら暑くても、いくら汗が出ても、いくら肌が焼け焦げても、いくらつらい思いをして泣き出したくって挫けそうになっても、オレは太陽の光を浴びて、遠くを目指すって決めてんだ」
「遠く?」
「ああ、遠くだ! オレは大人になったらこの壮大な海を渡り歩いて、世界中を旅するんだ! それが、オレの夢だ!」
「そう」
リリはうっすらと微笑んだ。
「頑張ってね」
「あ、ああっ。もちろんだ!」
黒い顔を赤くしながら少年が胸を張り頷く。
リリは麦わら帽子を深く被りなおした。
「今日は楽しかったわ。さようなら」
日陰と日向の区別がつかなくなった夜に近い時刻。
リリは少年に別れを告げた。
もう会うことはないだろうけれど、という言葉を飲み込み、リリは背を向ける。
「あのっ!」
少年の叫び声に、リリは足を止める。
「やっぱり、オレの名前言わせろよ! 憶えなくてもいいからさ!」
「……」
「サン! オレの名前は、サン!」
「……サン」
「オレが大人になって旅に出たとき、もしかしたらどこかで会うかもしれないだろ? その時に、覚えていたら声をかけてくれよ。オレもリリを見つけたら真っ先に声をかけるからさ!」
リリは背を向けたまま、サンに答える。
「わかったわ」
無理よ。
「また、会えるといいわね」
一生、会えないもの。
サンは、これから成長していくのだろう。身長が伸び、筋肉がつき、男らしい顔になって、逞しくなって旅をするはずだ。
だけどリリは違う。
リリは不老不死だ。成長しないし、死にもしない。
もしもどこかでサンに再会したところで、彼が探しているのは大人になったリリに違いない。
子供のままのリリに、彼が気づくとは思えない。
「またなぁ!」
後ろから、サンの嬉しそうな声が聞こえてくる。
それにむず痒い思いをしながら、リリは日陰に向けて歩きだした。
もう日陰と日向の区別はつかないけれど、それでもリリは陽の光の届かない日陰のほうが好きだ。
影は自分を隠してくれるから。
死なない自分を。目立たないように静かに見守ってくれるから。
だから、リリは日陰を好んでいる。
夏がやってきたのだ。
日差しのもとを歩いていると、滝のような汗があとからあとから流れて行く。ある者は日傘をさし、ある者は自分の鞄を頭にのせ、ある者は日差しから逃れるために日陰をゆく。
――そんな昼下がり。
美しく艶のある黒髪をなびかせた麦わら帽子の少女が、汗を一滴もたらすことなく日陰を歩いていた。まるでその空間だけ夏を忘れたかのような、涼しそうな無表情だ。
ふと、少女は足を止めた。
視線の先にいる、頭にタオルを巻いた真っ黒い肌の少年がじっとこちらを見ていたからだ。
対照的に白い肌の少女は首を傾げて問いかけた。
「なにか?」
「……ッ、い、いやっ。なんでも」
真っ黒の肌をほんのりと赤くして、少年がそっぽを向く。
用がないならと少女は彼の横を通ろうとしたが、少年に腕を掴まれた。
「ま、まった!」
静かな目で、少女は少年を見やる。
少年は、なんでこんなことしているんだろうとでもいうような顔で口をパクパクしていた。
「……とりあえず、手を離してくれないかしら」
ずっと掴まれた状態だと話しにくいと少女がそう言うと、少年はすんなり手を放してくれた。
そして取り繕うように両手をパタパタ忙しなく顔の前で振りながら、弁解する。
「ご、ごめん。あ、あまりにも、その……オレの理想だったから」
「理想?」
「う、うん。なんというか、肌白くて、そんなにも黒い髪の同い年のやつって、この町にはいないんだよ。だから、そのッ……」
「…………」
「ち、ちょっと、お話しようよ」
しばらく考えたあと、少女は頷く。
「いいわよ」
よし、と少年が嬉しそうにガッツポーズした。それから、コホンと咳をして指を一本立てる。
「じゃ、じゃあ、まずは自己紹介からだね」
「べつにいらないわ。名前なんて知ったところで、すぐ別れるのだから意味ないもの」
「いや、そんなことないぞ! 名前を名乗るのは、紳士の嗜みなのさッ。というか、き、きみの名前を、オレは知りたいんだっ」
「そう」
少女は少し迷ったが、大人しく名乗ることにした。
「リリ」
「リリ……それが、きみの名前なんだな!」
「そうよ」
「リリ……リリ……いい名前だッ! じゃあ、オレの名前は」
「必要ないわ。どうせ、すぐに忘れるもの」
冷たいリリの声に、呆然とする少年。
「えっと」と頬をぽりぽり掻き、少年は優しく笑った。
「そうかもな。でも、気が変わったら訊いてくれよ。いつでも教えるからさ」
「わかったわ」
「よし、じゃあ、なにを話そうか」
少年の言葉に、少女は不思議そうに首を傾げる。
「考えていなかったの?」
「……あ、いや。ほんとうにただきみと話がしたくて……。あ、きみは学生?」
「違うわ」
「俺は十五なんだけど」
「あたしは十四歳」
「年齢近いじゃん! ……やった」
「それで?」
「あ、えっと、学生じゃないなら……働いているの?」
「たまに」
「すっげぇ! その年で仕事してんのとか尊敬するなぁ」
「生きてくために必要だから」
「この町にきたのは、もしかしてはじめて?」
「ええ。昨日来たばかりよ」
「だから見たことなかったわけだ! じゃあ、この町を案内するよ」
「……ありがとう」
リリの手を、少年が掴む。抵抗するのも馬鹿らしくなり、リリは少年の後について歩きだした。
「ここが、この町一番の賑わいを見せている商店街だ!」
「……へぇー」
「て、今日人すくねぇ。いつもは、もーっと、人がいっぱいいるんだぜ」
「そうなの」
「そ、そうさ」
「ここがオレの通っている学校。六歳から十五歳までの子供が通っているんだぜ」
「結構古い建物ね」
「確か百年ぐらいやってるんだっけか」
「そうなんだ」
「だけど、小さい町だから子供も少ないんだ。確か全校生徒百人もいないんじゃなかったっけ。て、おうっ! レイクおはー……って、バカちげぇよ。か、かかか彼女なわけないだろ。この町に旅行にきたばかりだから、案内しているだけだ。……が、頑張れってなにをだよぉー!」
「で、ここがこの町の一番の見どころだ」
「……海。海があるのね」
「ああ、綺麗だろ」
「そうね、地面の砂が見えるほど清んでいるわ」
思わず感心してリリはため息をつく。
少年は満足そうに頷いた。
「この町の人間は、海を大切にしているんだぜ。なんでだか知りたくない?」
「ええ、教えて」
「お安いごようさ!」
少年は砂浜に躍り出ると、両手を大きく広げて誇らしそうに声を上げた。
「海は、世界を繋いでいる!」
少年の背中に陽の光がさし、にこやかな笑顔を見せる少年を浮かび上がらせた。
リリは少し目を見開く。
「海は、世界中の人々の誇りと言ってもいい、大切な自然だ。そんな海を汚したら、みんなが悲しむだろ? 海にはそこを寝床にする魚たちもいるし、水浴びする動物たちにも水は大切なもんだ。だから、綺麗なほうが、みんなが幸せになれる」
「そうね」
リリは囁いた。それは、遠くにいる少年の耳に届かないほどの小さな声だった。
「……海は昔から変わらないわ」
「で、次はどこに行く?」
少年の問いかけに、リリは日陰から空を見上げると、首を振った。
「もういいわ。そろそろ宿に戻るから」
「え? なんで? まだ夕方だぜ? これから夜景が綺麗に見えるところに連れていこうと思ったのに」
「ありがとう。今日は、楽しかったわ」
「マジ?」
「ええ。とても有意義な時間を過ごせたわ」
「えへへ」
なにがそんなに嬉しいのか、照れたように少年が頬を掻く。
それを、リリは静かな目で眺めていた。
「ねえ、訊いてもいい?」
「え、なになに! なんでも答えるぜ」
「あなたは、どうしてそんなにも黒いの?」
街を歩いていてわかったことがある。この町の十人は、白人はいないものの、この少年のように真っ黒な人もいない。それに彼の肌の黒さは、こんがりと焼いている黒さに見えた。
少年はにかっと白い歯を見せて笑うと、誇らしそうに日差しのもとに躍り出た。そして、空を見上げる。
「オレは、日差しのもとを歩くんだ」
リリは日陰から彼を見ていた。
「日陰にいると、どうしても暗い想像ばかりしちまう。そんなことばかり考えていると、ジメジメと気持ちが落ち込んで、イヤになるだろ? だから、いくら暑くても、いくら汗が出ても、いくら肌が焼け焦げても、いくらつらい思いをして泣き出したくって挫けそうになっても、オレは太陽の光を浴びて、遠くを目指すって決めてんだ」
「遠く?」
「ああ、遠くだ! オレは大人になったらこの壮大な海を渡り歩いて、世界中を旅するんだ! それが、オレの夢だ!」
「そう」
リリはうっすらと微笑んだ。
「頑張ってね」
「あ、ああっ。もちろんだ!」
黒い顔を赤くしながら少年が胸を張り頷く。
リリは麦わら帽子を深く被りなおした。
「今日は楽しかったわ。さようなら」
日陰と日向の区別がつかなくなった夜に近い時刻。
リリは少年に別れを告げた。
もう会うことはないだろうけれど、という言葉を飲み込み、リリは背を向ける。
「あのっ!」
少年の叫び声に、リリは足を止める。
「やっぱり、オレの名前言わせろよ! 憶えなくてもいいからさ!」
「……」
「サン! オレの名前は、サン!」
「……サン」
「オレが大人になって旅に出たとき、もしかしたらどこかで会うかもしれないだろ? その時に、覚えていたら声をかけてくれよ。オレもリリを見つけたら真っ先に声をかけるからさ!」
リリは背を向けたまま、サンに答える。
「わかったわ」
無理よ。
「また、会えるといいわね」
一生、会えないもの。
サンは、これから成長していくのだろう。身長が伸び、筋肉がつき、男らしい顔になって、逞しくなって旅をするはずだ。
だけどリリは違う。
リリは不老不死だ。成長しないし、死にもしない。
もしもどこかでサンに再会したところで、彼が探しているのは大人になったリリに違いない。
子供のままのリリに、彼が気づくとは思えない。
「またなぁ!」
後ろから、サンの嬉しそうな声が聞こえてくる。
それにむず痒い思いをしながら、リリは日陰に向けて歩きだした。
もう日陰と日向の区別はつかないけれど、それでもリリは陽の光の届かない日陰のほうが好きだ。
影は自分を隠してくれるから。
死なない自分を。目立たないように静かに見守ってくれるから。
だから、リリは日陰を好んでいる。