「雨ニモマケズ」の「デクノボー」について

文字数 1,096文字

 「雨ニモマケズ」は詩として扱われることが多いと思われるけれども、これは元は手帳に記された文章であり、どのように捉えるか確定していないそうだ。
 『春と修羅』の難解な詩に比べると、この文章はずいぶんわかりやすい文章で、つまり、読んで意味がよくわかる文章である。この中に「デクノボー」という表現が出てくる。この語もいろいろと解釈されるものだが、北川(きたがわ)前肇(ぜんちょう)によれば、このデクノボーは法華経に記された(じょう)不軽(ふきょう)菩薩(ぼさつ)のことだと捉えており、彼の考えに基づいてつくられたNHKの番組では、「この菩薩こそ賢治が生きる指針とした『デクノボー』の正体であると考えられます」と断言されていた。
 竜口(たつぐち)という人が、「手帳の中の記述に法華経信仰に基づく内容が多い点から、賢治の人生および信仰に結びつけて論じるものが多数を占める」と言っているけれども、これもそのひとつだと思われる。北川解釈を耳にしたとき、ぼくは、いい解釈を聞いたと思ったけれど、少し調べてみると、NHKがこの解釈を唯一のもののように放送したのはいけなかったんじゃないかという気になった。
 番組では、常不軽菩薩は(ののし)られ、杖や木で打たれ、遠くに逃げたところから、大きな声で、「みなさんは仏になる人たちですから、私は決して軽んじません」と言うような人だったと紹介されていた。愚直なまでに『涅槃経』の悉有仏性を信じる大乗のお坊さんを思わせるもので、法華経の愛読者であった宮沢賢治も、このような人に対して立派な人格だと思っていたのかもしれない。しかし、「雨ニモマケズ」に描かれたデクノボーと呼ばれる人物は、クニモサレズに生きている人物なのだから、罵られ、杖や木で打たれるような人物ではあるまい。こういうことを考えるぼくとしては、「デクノボー」を常不軽菩薩だと確定するような解釈に抵抗を覚えてしまう。

追記

 「明治以後の文学者のなかで、これからの世界にもっとも大きな意味をもつのは宮沢賢治だと思います」と高く評価する梅原猛は、日蓮の思想と賢治との関係について、「日蓮の思想の排他的で戦闘的な面は受けつがず、すべての生きとし生けるものと共感するという面を日蓮から受け継いでいます」と述べている¹。
 ケンジは、田中智学が結成した蓮華会に始まる国柱会の信者だったが、国体思想についてはどの程度共感していたのだろうか。彼の文学作品からはうかがい知れない。


注釈
₁ 梅原猛. 2002. 梅原猛の授業 仏教. 朝日出版社. pp.204-0205

参考資料
竜口佐知子. 2023. 「宮沢賢治の『理想』について : 『デクノボー』とグスコーブドリ・ゴーシュ」. 『福岡大学日本語日本文学』
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