『銀河鉄道の夜』について

文字数 2,204文字

 ずっと気になりながら読んでいない本、『銀河鉄道の夜』はそんな本の一つだった。かなり有名で人気があり、評価されている童話なので、つまり肯定的な評価をしないと、鑑賞力が疑われることになるような童話かもしれない。自分の場合、世間体を気にする必要性も感じないので、思ったことを記そうと思う。
 まず、文体というか、読みやすさに関していえば、それほど読みやすいものでないと思う。とはいっても文語体でもなく、一般に普及していない用語がときどき使われるぐらいだから、数ページ読んで読書がだんだん苦痛になってくるとかいうそんな感じにはならない。ときどき出てくるわからない語句に注釈があると助かるな、程度のものだと思う。そうはいっても、大衆文化が好きの子供がすらすら読めて、夢中になるようなものかと問われれば、そういうものじゃない、という印象ではある。

 純文学の場合、ストーリーが説明されたところで、そこに面白みはなく、読書の楽しみが減るわけがないと勝手に思っていて、ぼくなんかは作品の解説書を読んだりしたうえで文学や哲学の本を読んだりもする。まあ、ネタバレ嫌いな人にとっては、はなはだ迷惑な人ではある。そういう人もいるとわかったうえで、あらすじをいうと、「主人公のジョバンニが、運ばれなかった牛乳をとりにいき、帰ってくる途中で丘の草原でねむってしまい、銀河鉄道にのって、溺死したキリスト教徒やカムパネルラたちと旅をする」話である。
 「ジョバンニは眼をひらきました。もとの丘の草の中につかれてねむっていたのでした。」と書かれているので、ジョバンニが旅した世界は、夢の世界ということになるのだろうけれど、鳥捕りという登場人物に「不完全な幻想第四次の銀河鉄道」と語らせているので、ジョバンニの夢は幻想第四次の世界といってもよさそうである。
 この第四次という語句は、解読に苦労する『春と修羅』の序文の最後でも、次のようにつかわれている。

「すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます」

 それで、今度はその第四次延長とは何なんだ、ということになるけれど、西田良子の説明によると、これは人間の知覚を越えた思索の世界であり、理念の世界であり、こころに思い描かれた世界だそうである¹。
 そういうわけで、ジョバンニは銀河の世界というよりは、宮沢賢治の心象世界である銀河鉄道の世界を旅したと考えられそうだ。
 宮沢賢治の文学は仏教の影響が大きく、吉本隆明も銀河鉄道の夜にでてくる登場人物の構図は、法華経の「妙荘(みょうしょう)厳王(ごんのう)(ほん)事品(じほん)」になぞらえてつくられたという印象を受けたそうだ²。しかし、この『銀河鉄道の夜』の幻想第四次の世界ではキリスト教の世界、というか天国らしきものが描写されている。まあ、ジョバンニのポケットには「ほんとうの天上へさえ行ける切符」がいつのまにか入れられていて、ジョバンニと、天上にむかう青年たちと「ほんとうの神さま」について議論する場面があるので、宮沢賢治が考える「ほんとうの天上」と対比された、死後に関する異教徒の世界観が描かれていることにはなるかもしれないけれど。

 ぼくは、賢治が描く幻想第四次の世界を体験し、死を媒介とした宇宙とのつながりを感じ取った。死と宇宙とのつながりは、「永訣(えいけつ)の朝」という詩でも言及されている。

「銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを……」

「おまえがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが 兜卒の天の(じき)(かわ)って
やがてはおまえとみんなとに
聖い資糧(しりょう)をもたらすことを
わたくしのすべてのさいわいをかけてねがう」

これは、妹の臨終における賢治の心情を詩にしたものだと思われるけれど、ここには宇宙とつながった死生観があると思う。

追記

 賢治の芸術思想は、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という文句が出てくる「農民芸術概論綱要」によく示されている。その序には、こういう文章がある。

自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである

また、賢治はこう呼びかけもする。

……おお朋だちよ いっしょに正しい力を併せ われらのすべての田園とわれらのすべての生活を一つの巨きな第四次元の芸術に創りあげようでないか……

 「永訣の朝」や「銀河鉄道」も、この考えに沿って創作されたと考えられる。梅原も次のように評している。

『銀河鉄道の夜』という童話の銀河鉄道も、こういう形でとらえられたものです。ただの宇宙科学の銀河鉄道ではなくて、宇宙がひとつの意識になり、心のなかに宇宙が入っているという賢治の思想から生みだされた。ここで賢治は、仏教哲学を中心とし、科学を媒介にして、ひとつの見事な世界観をこしらえたわけです³。

 梅原はこの思想を仏教に影響されたものと捉えているようであるが、正確には古いインドで育まれた世界観に影響されたものといったほうが正確だろう。



₁ 西田良子. 『宮沢賢治 その独自性と同時代性』
₂ 吉本隆明. Ⅱ章「宮沢賢治」『吉本隆明全集 23巻』
₃ 梅原猛. 2002. 梅原猛の授業 仏教. 朝日出版社. pp.229-230
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