処理に使われた少女

文字数 11,907文字

 トレイルを路肩に止め、遅めの昼食を食べていると網膜内のPIが立ち上がり、新着メッセージの通知が現れムッとした。
 どうせまた、健康福祉管理局からの通達に違いない。栄養バランスや睡眠時間がうんぬん、人格向上セミナーに参加しろうんぬん、という文が綴ってあるに決まっている。
 四六時中、血液中のナノマシンに全身を監視され、情報をPIが政府へ送信していると思うとうんざりする。無視して食事を続けようと思ったが、視界の隅っこで左右に揺れるメッセージボックスのアイコンが煩わしく、高カフェイン飲料のボトルをホルダーに突っ込みアイコンに指をあわせた。
『不在通知:1件のお荷物をお預かりしています。下記よりお手続きください。なお、3日以内にお返事を頂けない場合、送り主様に返送させて頂きますのでご注意ください』
 なんだ、仕事のほうだったか。端的に表すとこうなる配送業者からのメッセージと一緒に記載されていたURLから、荷物の現在位置を確認すると集荷場へ戻っている途中だった。
 軽食の残りを食べ終えると、2ヶ月に1回、参加を義務づけられている地域社会貢献セミナー当日の朝のような重い溜め息が出た。普段ならグシャグシャに丸める包み紙、口元を拭いたナプキン、紙袋を丁寧にたたむ。
 高カフェイン飲料を舌で転がし、炭酸の刺激と甘いとろみを味わいながらPIをネットワークに接続する。そのままお気に入りのミュージックビデオをいくつか見ていたら10分が過ぎていた。いい加減、働こう。
 トレイルのコンソールに「228番集荷場」と打ち込み、動き出したトレイルは車列へ混じる。清潔感を全面にアピールするあまり、不健康な気さえする真っ白なビル群と、中空に投影された数々の広告ホログラムの下でスピードを上げていく。

 シャッターを押し上げると金属の臭いに混じって、工業製品特有の科学的な香りが鼻腔をくすぐった。完全に巻き取られて天井と半ば一体化するのを見届けると、傍らに止めておいた台車の柄を握る。台車のホバーはコンクリートの上を滑らかに進む。
 部屋の中央付近に無造作に佇むテーブルの横で台車を止めると、急なブレーキで体が崩れ、シリコンスキンに覆われた左腕が転がった。力任せに切られたような潰れた切断面から、深紅の緩衝ゲルが滲み出る。
 拾い上げると、細かく砕けた部品が粘つくゲルとともに足元に落ちて鈍い音を立てる。腕を台車に戻し、シャッターを閉め明かりをつけた。
 テーブルにシートを引き、台車から抱え上げた体を寝かせ、千切れた腕を保護帯が張り付いている肩部の隣に並べる。すると裸体の少女、もしくは少年ができあがる。
 切断された腕以外にも、両足のふくらはぎや太ももは、たわんだシリコンスキンが破け、疑似筋繊維が露出している。光を失ったカメラの片方はレンズが割れて陥没し、半開きの上部ホールの周囲にはうっすら黄色い拭き残しがこびりついている。本来、なだらかに膨らんでいるはずの腹部の一部が不自然に盛り上がり、そこにぶっかけられていた乾いた粘液は拭かれてすらいなかった。
 こんな物を請け合うのは久々だ。さて、どこから手をつけたものか。
 首筋辺りに垂れ下がる髪を掻き上げ、弾力のあるシリコンスキンに何度か爪を立てると、密着していた毛髪シートが少しだけ捲れ、親指の腹と人差し指の側面で摘み、剥がして行く。
 中性的に形作られた顔(フェイス)はただでさえ片方のカメラが割られ、辱めを受けているというのに、丸坊主にしてしまうのは彼女、もしくは彼の尊厳を著しく傷つるようで、あまり良い気分はしない。
 胸ポケットのLITOを起動し、左耳の裏側、シリコンスキンに透けているシリアルコードにリーダーをかざした。すぐに管理者が設定したパスコードの解析が始まり、それが終わるとクリアーな画面にメーカーと形式番号と年式が表示される。
 彼女、もしくは彼の生みの親はU-20。番号は372ur60ih。3年前から量産が始まり、多く普及しているドールの内の1体で、ペーパーシートにクリーナーを垂らし、彼女、もしくは彼の所へ戻るとちょうど、LITOは人格のローディングを終えようとしていた。
「……ロー、ハロー、あなたは誰? 私は372ur60ih」
 腹部に残された薄ら黄色い汚れを拭き取りにかかった辺りで、LITOを介して彼女が喋りだす。ハスキーで地味な音声だったから彼女か彼か一瞬迷ったが、どうやら「彼女」らしかった。
「ハロー、ハロー? ええと、372ur60ih。聞こえる? 僕はキッド。なかなか酷い目にあったらしいね。よかったら話を聞かせてくれないか」
「ええいいわ。お話ししましょうキッド。昨日のご主人様はなんだかいつもよりおかしかったわ。すごくむしゃくしゃしていたみたい。体はボロボロにされてしまったけど平気よ。私に感覚は無いから。ただ、された行為に対してそれ相応の反応を返せばいいの。だから上部ホールに突っ込まれた時は嫌がりながらもおいしそうなフリをして、お尻を叩かれた時は痛がりながら気持ちいいフリをして、左腕を落とそうとご主人様が大きな鋏を持ち出しても、お願いやめてって懇願しながらドキドキするフリをするだけ。ただ、やっぱりショックは大きかったみたい。気絶しちゃった。処理しきれなかったのよ。だけどすぐに再起動して、鋏で何度もお腹を打って、顔を殴りつけて右のカメラを壊した後、ご褒美をくださったご主人様の姿も、その後やってきて足を思い切り噛んでいったワンちゃんの姿も、私は最後まで左のカメラで捉えていたわ」
 372ur60ihの人格は語尾を上げ、どう? 偉いでしょう? 私は私の仕事を最後まで果たしたの。と、少女の声で嬉しそうに語る。外傷を見てそれ相応の事をされたんだなと、充分に判断できた、というよりせざるを得なかったのだが、少女の幼気な声だとなおさらに悲劇的に聞こえる。
 彼女の言う通り、主人の行為を受け止めるのが彼女の目的であり、存在意義でもある。だから僕は慰めの言葉をかけなければ、372ur60ihの主人を貶したりもしない。ただ一言、汚れを拭き取りながら「君はよくやった」とささやかな賞賛を送ってやると、彼女は素直に笑った。
「さて。372ur60ih、僕はこれから君を直そうと思っている。ただその間、一人で作業をするのも心細いから話し相手になってくれないか?」
「ええいいわ。お話ししましょうキッド。どんな事を話す? 昨日なにをされたかはもう言ったから、一昨日の事がいいかしら? それともこの前、ご主人様のワンちゃんと戯れた時の話がいい?」
 腹部の汚物、上部ホールの汚物、鋏で切られたという左腕に、血痕のように付着した緩衝ゲルをすっかり拭い、吸引機の先端を腹部に突き刺しスイッチを入れる。徐々に張りを失って行くシリコンスキンが、疑似筋繊維とさらに下の基礎骨格(シャーシ)の形を浮き彫りにし、タンクの中がねっとりと、鮮血のように真っ赤な緩衝ゲルで満たされていく。
「いや、そういうのはやめよう。まずはそうだな……君をなんと呼べばいい? 372ur60ihは人間には言い辛い」
「ご主人様は私をカーリーと呼ぶわ。ご近所に住むお姉様のご友人の2番目のお嬢様と同じ名前なんですって。声もそっくりなの」
 なかなか筋金入りだ、というのが率直な感想ではあったが、素敵だね、と肯定しておいた。なんて事はない。ドールの持ち主は多種多様な趣向の持ち主だ。そんな人物がいてもおかしくはない。
 ゲルをすっかり吸い取ると色づきかけの年頃を再現した薄赤い乳首はそのままに、境界線が曖昧な胸の付け根から、小さなブレードを滑らせた。腹部のシリコンスキンを四角く切り取り、疑似筋繊維の中心を広げる。上半身と下半身を繋ぐ交骨に酷い損傷は無く、衝撃を受け続けたせいで外れかけたパーツの一部が、腹部の疑似筋繊維とシリコンスキンを押し上げていただけだった。
 もともとカーリーのようなドールは激しい遊びにも耐えられるよう、およそ7歳から10才前後の人間の少女より遥かに丈夫だ。カーリーの言う大きな鋏がどれくらいで、どんな物を切る時に使われるのかは知らないが、疑似筋繊維や緩衝ゲルに包まれる基礎骨格は、やすやすとは壊れない。腕の切断は苦労したはずだが途中で断念しなかった辺り、よほどカーリーに当たりたかったのだろう。
「君のご主人様はどんな仕事をしているんだい?」
「お仕事は分からないわ。初めてお会いした時に質問したら言いたくないとおっしゃられたから、その話題は禁止設定にしたの。だけど素敵な方よ。お家も立派なの。部屋がいくつもあってどれも広いんだから」
「大変なお仕事なんだろうね。君と遊ぶ時くらい、忘れたかったんだろう」
 隙間のゲルを拭き取り、古いパーツを交換して顔面に取りかかる。こめかみの辺りから損傷したレンズ周りを切り進めると、シリコンとシリコンの合間が赤い跡になる。
 文字通り皮を剥ぎ、剥(む)き出しとなった疑似筋繊維を上下に押し広げると、支えから外れたカメラは明後日を向き、レンズを覆うカバーは割れ、亀裂から入り込んだゲルが内部をすっかり浸蝕していた。
 摘出用ピンセットを無遠慮に突っ込んで、CPUへと繋がるケーブルごと引っ張りだす。手術を施しているような気分だが、こんな患者に何の配慮も無く、繊細さを欠いた暴力的な施術は自分は勘弁願いたい。
「私の体はどうかしらキッド。あなたでも直せる?」
「あなたでも、とは失礼だな」
 使い物にならなくなったカメラをケーブルから外すと、カーリーが小さく悲鳴を上げた。
「ちょっと、もう少し丁寧にやってよ」
「なんだ、接続を切っていたのかと思ったよ」
「右のカメラにアクセスができなくなっていたのよ。本当に大丈夫かしら」
「先に言っておいてくれよ」
「あまり信用できないわ。確認も取らないし、私はさっきからこんなに自分の事を話しているのに、あなたは質問しかしていないんだもの」
 カバーとレンズを廃材箱へ投げ込んで思わず、鼻息が漏れた。カーリーに限った事ではないが、ドールはいちいちアンドロイド然としておらず、感心する。朝昼晩、決まったルートを通りながらいかにも機械的な歪み声で、街を奇麗にしましょう、と繰り返しながらスポンサー企業の新商品の宣伝文句を唱っている清掃アンドロイドとはえらい違いだ。あいつらに挨拶しても「おはようございます。良い天気ですね」としか返ってこない。
 パーツが並ぶガラス棚からレンズがブルーのカメラと眼部カバーを取ってくると、LITOのマイクにスキャンと呟き、右顔面を頭から顎の先まで読み取らせる。CPUの接続部分や周辺に異常はなく、ケーブルの断線や劣化でもなかった。接続不良は単純にカメラの故障だけが原因だったようだ。
「これまで右目辺りに何か衝撃を加えられた事は?」
「さっきの目になってから26回かしら。人間のカーリーが事故にあった時からご主人様は右のカメラと戯れる事を好むようになったわ。何回かカメラの交換をしたの。彼女、右目の色が変わっちゃったのよ。色が薄くなったというか、瞳がちっちゃくなっちゃったというか」 
「なるほど。殴っただけで壊れるのはおかしいと思っていたんだ。付け替えたらちょっと動かしてみてくれないか」
 端子を新品のカメラ後部へ接続し、内部へケーブルを納め眼窩にカメラを嵌めると、クリアーなカバーの向こうで眼球型のレンズが上下左右にぐりぐり動く。
「なかなかいい感じよ。ちょっと画素が荒いけど調整するわ。あら、あなた意外と四角い顔をしているのね。頬が痩(こ)けてるわ。顔色も悪いみたい」
「うわっ、なんだ!?」
 システム音と共に腹の中のPIが、カーリーからのアクセス通知を、連動している網膜のレンズに投影する。呆れながらメッセージウィンドウ左端の、灰色の丸で囲まれた白いバツ印に中指を重ねて枠を閉じた。
「ずっと栄養化合食しか食べていないじゃない。就寝時間も不規則だわ。毎朝注意文が表示されて鬱陶しいんじゃないの?」
「勝手に僕を見るなよ。放っといてくれ」
 切り取ったシリコンスキンに癒合剤を塗布すると、脂肪の塊のように撓んで揺れるそれを腹部と眼部へ戻し、表面を浅く縫い合わせた。
 残るは腕と足だ。シリコンスキンが千切れた足とは違い、腕は二の腕の半ばから切断されている。肘部パーツと肩部ジョイントだけでなく、ボロボロになったシリコンスキンや疑似筋繊維も交換しなければならない。こうなると、部分的に直すよりも腕1本丸々取り替えてしまったほうが早い。
 市場に出たのが3年前と、彼女は古くもなく新しくもなく、流通が安定した現在、純正、サードパーティ製共にパーツは潤沢なはずだ。先日、腕部パーツを仕入れた時に対応している腕があったはずだが、設定されている年齢まで一致しているかは不確かだった。
 U-20は大手アンドロイドメーカー傘下のドール企業の1つで、少女型ドールを精力的に生産しているが、12歳から14歳、もしくは15歳から18歳の少年少女をコンセプトにした製品が主力だった。ここに運ばれてくるのもその辺りが多く、それ以下であるカーリーに合うパーツはあっただろうか?
 視界の端に並ぶアイコンに中指を重ね、開いたメニューの中から現在のパーツリストを呼び出すと、『372ur60ih 左腕』を検索に掛ける。
 彼女は機能性重視のアンドロイドではなく、外見重視のドールだ。どんな時も良い天気ですねと返しながら仕事を全うする清掃アンドロイドとは違い、コミュニケーションの他にも審美性が求められる。各部の大きさはもちろん、長さと太さも対称でなければならない。僕ら人間がおおむねそうであるように。
 対応しているとは言えど、他の年齢用の腕を取り付けてクライアントに渡せばクレームは間違いない。かといってパーツを注文し、届くまでの間、応急手当として別の腕を着けておくことも、シリアルコードを読み取ったドールでなければ稼動させる事ができなくなってしまうので無駄になる。
 システムをロンダリングし、セキュリティを無効化してパーツを売りさばく業者もいるが、彼らへのアクセスはそれはそれで手間がかかる。
 自分で行うにも技師止まりの僕にハッキングのスキルは無く、無慮にパーツを失うようなリスクは犯せない。肩部の保護帯を取りながらふと、目を向けたバイタルの心拍数値は僅かながら上がっていた。
 ローディングのアイコンが消失し、「該当」の文字とマーカーが着いた倉庫の見取り図が現れ安堵した。それを頼りに、パーツとシリコンスキンのブロックを持ってくる。それらをカーリーの隣に広げ、包装を破った。カーリーからはあまり感じられない新品のシリコン特有の臭いはむっとしつつも、どこか癖になる。
 肩の付け根に沈めたブレードを縦に1周させると、残った腕からシリコンスキンが奇麗に抜け、押さえ込まれていた断裂した疑似筋繊維が干涸びた花びらのように広がった。
「ねぇキッド、さっきから1回ずつパーツを取りに行っているけど、それって非効率的じゃない? 壊れている部分が解っているなら1度に全部持ってくればいいのに。作業スペースのちょっとした拡張もできないのは忙しいから? それとも貧乏だから?」
「別に不便だとは思っていないからだよ」
 そう返しながら基礎骨格から疑似筋繊維組織を剥がしていると、居住スペースからベルの鳴る音がして手が止まる。
「誰か来たんじゃないかしら?」
 指に着いたゲルを拭い、PIで玄関先のカメラへアクセスすると、趣味の悪い丸メガネをかけ、満面の笑みを浮かべたキツネのような女がクリアボードとペンを持って立っていた。
「出なくていいの?」
「あぁ。今朝、地域の緑化運動がどうたらってメッセージが届いていたからその案内か、マイナスイオン発生機のセールスだ。どちらも必要無い物だよ」
 それだけ確認してカメラとの接続を切り、作業の続きへ戻るが、またベルが鳴る。ドアをノックされる。3回目のベルにもなると苛立ちが募り、4回目でもう我慢できずカメラへアクセスしてマイクをオンにした。
「どちら様」
「あらキッドさんやっぱりいらっしゃると思っていたのよ! 3番地のアニーです、今朝、今度の緑化運動の日程をお送りしたのだけど読んでいただけたかしら? 参加者名簿を作っているのだけど直接ご自宅にお伺いしたほうがよろしいかと思って。ああでもご都合もあるだろうし、すぐに答えなくても大丈夫よ。まず、明後日に予定している交流センターでの相談説明会に来て頂いて、議論の内容を聞いてから見当されても結構よ。いきなりこんな事を言われても困っちゃうでしょう? キッドさんには是非、参加していただきたいわ。みんなあなたと話したがっているの。ほら、2ヶ月に1度の定例会にしか顔を出してくれないでしょう? せっかくこういう場があるのだから参加しないと損だわ。義務でやっていてもつまらないじゃない、どうかしら?」
 一息にまくしたてた後、ただでさえカメラの真ん前に立っていた女はさらに詰め寄り、思わず半身を後ろに引く。やはり、出ない方が懸命だったようである。
「案内は読んだ。だけど申し訳ないが、その日も仕事が入っていて今も作業中なんだ。悪いが、帰ってくれないか」
「あら、それはごめんなさい。でもたまにはこういう意見交換も必要だと思うのよ。ほら、この前の定例会で今回の緑化運動の話になった時にキッドさんから頂いた『別に必要ないんじゃないか』という意見も、きっとそれだけじゃないと思うの。そこからさらに深めれば、あなたの本当の気持ちも見えてくるし、みんなも安心できるわ。それにあまりお顔が見られないと、せっかくコミュニティに所属している意味がないじゃない? お仕事で忙しいのかもしれないけれど、あなたの社会的信用度も同じくらい重要だわ。ここ3年間、PIの社会的信用度の数値が46から変動していないんですもの! もっと下がってしまうとあなたが生き辛くなってしまうわ。だからお願い、参加していただけない? それから……」
「必要ないってのはそのまんまの意味だ。年に何回無駄な集まりをすれば気が済むんだ! そちらで勝手にやっててくれ」
 無理矢理に言葉を遮り、一方的にカメラとの接続を切る。そうしなければあの女は延々と喋り続けたに違いない。諦めたのか、それ以降ベルが鳴ったりドアはノックされなかった。あの女には悪いが緑化運動なんぞこれっぽっちの関心も無い。断る身にもなって欲しい。真摯な姿勢で来られるぶん、はっきりと物を言うのもなかなかに辛い。少しだけ頭痛がした。
「そんな言い方はないんじゃない? 聞いた所を見ると、その運動の案内か何かだったんでしょう? あなた、人嫌いなの?」
「……必要以上に顔を合わせたくないだけだ。PIがあるから。生年月日、年齢、職業だけならまだいいけど、社会的信用度まで相手に表示されてしまうのがね。だから君とは気兼ねなく話せるのさ。そんなもの関係無いから、考えをすんなり口にできる。何年も付き合いを続けている近所の人間よりもね」
「よく分からないわ。それってあなたが、隣人の心に深く入り込もうとしなかった結果じゃないの? 社会的信用度の問題じゃないわ」
「わざわざ集まって答えがいつまでも出ない議論を重ねて、有意義な時間を過ごした気になっただけ。そうやってPIの社会的信用度を高め合うのが普遍的になっている空気に耐えられないんだ。僕の意識はそこまで高くないし、存在を示す必要性も感じていない」
「処世術って言葉、知ってる?」
「……なんだって?」
 冷ややかに呆れながら継ぎ接ぎ顔のカーリーは、拡大と縮小を繰り返すカメラで僕を見据えている。腕に動力ケーブルが接続された手応えを感じながら、LITOから飛び出したカーリーの台詞を聞き返していた。まさかドールから処世術なんて、いかにも人間らしい言葉が飛び出してくるとは思いもしなかったから。
「キッド、あなた単純に頭が悪いのね。なぜそんなに捻くれているのよ? 会話の内容が理解できなくてつまらないから、なんて言わないでしょうね」
「まさか。そんなコミュニティに出入りしていると気色の悪い奴らみたいな考えや言動になってくるからだ。義務化された定例会があるんだからその範疇内で充分さ」
 PI制度が導入された事により、他者と自分が常時、半強制的に繋がり見たくなくても情報が飛び込んでくる。誰もが誰かをそっとはしておけない。それ故に、社会は天国のように優しくなったのだが、そんな物はまやかしだ。必要以上にうわっ面を善人で塗り固めるようになった反面、裏側はさらに見難くなった。
 誰もが優しさと温もりの表情をたたえ、欲望を隠して本心に付け入る隙を必死になって隠している。街で友人と歩いている時、とびきりセクシーな女とすれ違っても、あんな女とセックスがしてみたいと一時の盛り上がりも無く、人格向上セミナーと奉仕活動の話が大半を占める町の、健全なコミュニティは気だるさと苦痛以外の何物でもなかった。
 PIは人々との会話から悪を奪い、その隙間をよりによって優しさと温もりなんて物で埋めた。しかしその裏では間逆の悪意が募り、蠢いているというのに。
 最たる例がカーリーだ。暴行を受ける事で心の隙間を埋める役目を与えられたカーリーのようなドールなんて、こんな社会には存在しなくたっていいはずだ。
 運ばれてきたドールや、ある程度の会話が可能なアンドロイドの前では少なくとも、人間と相対している時よりも本心で会話ができた。うっかり出くわしてしまった近所の人間と交わした全くらしくない会話の記憶がふと蘇り、一人罵声を連ねても誰かに聞かれる心配もない。狭い自宅は、どこよりも居心地が良かった。
「まだ20代なのにこんな穴蔵みたいな所に籠っているなんておかしいわ」
 きっぱりと言い切ったカーリーに対して苛立ちは沸いてこなかった。むしろ、起動して3年も経っているにも関わらず、自身に設定された年齢以上と思われる言葉と言動で自己主張を行っていて驚愕した。
 ドールは設定された年齢の範囲内で人格が一定以上発達したとCPUが認識した時点で強制的に学習を止め、忠実な下婢(げひ)、あるいは下僕となる。それが成熟の証であり「ドールとの華やかな生活を永遠に」と銘打った企業側の購買戦略でもあった。
 要はドールの人格的な成長に意図的に上限を設けて使用者を飽きさせ、ドレスアップパーツや新たなドールを買わせようという魂胆だ。タイミングは違ってもおおよそ半年から1年前後で、ドールはそれに至ると言われているのだが……。
「君はまだ、学習を続けているのかい?」
「実際のカーリーは成長しているのよ? 私はカーリを手に入れたくても手に入れられないご主人様の願望を叶え続けなければならないんだから」
 カーリーの学習はとっくに止まっているはずだった。だが、ツンと尖らせたハスキーな声で「当たり前じゃない」と、当然のようにシステムを否定した。これはエラーなのか? 3年前にリリースされた彼女がいつ、主人の手元に渡ったかは知らないが、成熟度合いから考えると少なくとも、確実に1年以上は経っている。その間、日常的に物理的衝撃を加え続けられ、何度か修理にも出されているのを鑑みると、慢性的な動作不良の1つや2つ起きていても不思議ではない。これもその1つなのだろうか。
「……君のご主人様は相当、執着心が強いようだね」
 LITOに向かって喋りつつ、エラーチェッカーのアイコンに指を重ねた。
「情熱的、と言ってくれないかしら。それにご主人様はあまり関係無いわ。ご主人様の望みは私が特定の年齢期のカーリーではなく、カーリーそのものになり変わる事。だけど私がなんなのかは理解しているし、私は永久にカーリーにはなれない。私はカーリーだけどカーリーではないわ」
 LITOがカーリーのプログラムを解析しはじめるがすぐに、させた所で無駄だったと気付く。彼女の喋った内容が既に矛盾している。やはりこれはエラーだ。なりたい物になれないと分かっていてもなろうとしているなんて、1つの目的の達成を合理的に行う機械にはあり得ない挙動だ。
 PIの業者リストを開き、腕の良いプログラマーがいる委託先を思案する。1通り作業が終わったら連絡し、依頼主には料金の変動と修理期間の延長を伝えなければならない。
「だけどある時気付いたの。カーリーに焦がれているご主人様を満たす役割は、とても生物的だし外見だけじゃなく、ホールに注がれたご主人様の精液を分解して劣化した緩衝ゲルと一緒に排出する仕組みなんて人そのもの。違いなんて有機物か無機物かだけ。この前、1回だけ言いつけを破って外に出てみたの。制服を着た保安局の人からお嬢ちゃんこんな時間にどうしたのって声を掛けられたわ。道行く誰もが、私をドールだと疑いもしなかった。カーリーにはなれなくても、機械でもあれるし人間としても承認されるのであれば、私は拠り所であるご主人様が〝そうあれかし〟と望む方の存在を目指し続けるわ」
 そうあれかし、か。なんて力強く、他力本願で切ない言葉なのだ。リストを閉じてLITOを放り出し縫い目の走るカーリーへ目を向けると、髪を剥がされ、ゲルを抜かれ口角を引き結んだ髑髏のような顔面の中心で、2つのカメラがなおも僕を捉えて離さない。
「あなたはどう、キッド。穴蔵に籠って見た所、家族も恋人も趣味も無さそう。拠り所を仕事しか持たないあなたは人間? それとも、機械?」
 彼女がエラーを起こしているか否か、その判断を下すのはもはや不可能に思えた。そもそもエラーという言葉が今、彼女に起きている現象に本当に当てはまる言葉なのだろうか。
 漂い始めた静謐(せいひつ)が至る所に刺さる。深い呼吸を数回繰り返す。胸の辺りを締め付けるような感覚はそれだけでは拭えなくとも、幾分か冷静になった頭でカーリーからの質問の答えを述べる。
「悪いけど、拠り所は仕事だけじゃない。僕は技師である以前に、この穴蔵の主だ。穴蔵があるから僕は人でいられる。僕がいるから穴蔵は廃墟じゃない。そして君のような機械とのお喋りが彩りを加える。僕は人間だよ。機械じゃない。まごうことなき人間だ」
 簡潔に言い終えると、ふふっと声を漏らしてから間もなく、カーリーは設定された年齢相応の無邪気な声音で1つ、笑ってみせる。
「あぁキッド、良かったわ。あなたが機械のような人間で。それ以下だったらどうしようかと思った。いくら何でも、獣に修理なんかされたくないもの」
「獣?  獣だって? それは……どういう意味だ?」 
「ムキにならないでちょうだい。これはただのお喋りなのよ?」
 一息に僕を突き放したカーリーへ、どう返すか迷ったがうまい言葉が見つからない。無理に返答せず、脚部のシリコンスキンを切除し、食い込んだ犬の歯が破った疑似筋繊維組織を繋ぎ合わせて補修する。ブロックから切り出した新しいシリコンスキンを縫い付けると、全ての損傷箇所の修繕は完了した。
 癒合剤が完全に生体パーツのシリコンスキン同士を繋げるのに2日はかかる。抜糸して緩衝ゲルの再注入を行った後、毛髪を取りつければカーリーは本来の姿に戻る。
 くっつけたばかりの腕がずれないよう、保護帯を巻き付け固定し、LITOを胸に入れてカーリーを抱き上げる。柔らかく吸い付くシリコンスキンの中で、固く細い基礎骨格の感触が不安定で落ち着かなかった。
「私はいつ、ご主人様の所へ帰れるの?」
「もうしばらくかかる。だからそれまで、眠っていればいい」
 薄暗い倉庫の片隅にポツンと置いてあるだけの複数のパーツに別れた椅子は各部分がなだらかに反り、カーリーを黙って受け入れる。
「こんなものに座らせて……本当に帰してくれるの? ご主人様以外の人間を頭から信用できないわ」
 尖った口ぶりと合わさって、感情の無いカメラが軽蔑じみたものを孕んだ光を反射する。
「さすがに、盗人にはなりたくない。さぁ、おやすみカーリー」
「おやすみ、お馬鹿さん」
 最後の憎まれ口を叩き、人格との接続を切る。会話ログを消去した所でシステム音と共に表示されたエラーチェックの結果は全て正常だった。やはり彼女が言っていたように、学習が停止しないのはシステムの認識によるものなのだろうか。
 恐らくバグではなく、しかしエラーとしても検出されないとなると、そう言う事にしておくよりない。全てのドールが同じ環境で成熟を迎えるわけではないのだ。多少なりとも個体差があっても不自然ではない。
 シャットダウンすると、彼女のカメラが小さな瞼に覆われる。2日後に一通りの動作確認を終えて緩衝ゲルを注入すれば、カーリーは僕の元を去る。何故か、他のドールとの別れに比べて名残惜しかったが、彼女は僕の所有物ではない。これ以上の踏み込みは必要ない。
 しばらく彼女の寝顔を見つめて箱を出る。道具が出しっ放しの作業場へ戻る途中、そうあれかしと1つ、呟く。何か暖かい物が飲みたかった。
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