野蛮人

文字数 11,347文字

 朝日に照らし出されている倒壊した建物や廃墟は修復こそされているものの、その痕跡がみすぼらしさに拍車をかけていた。かろうじて建っている背の高い建築の外壁には亀裂が入り、無事な窓ガラスなどは見た限りでは皆無である。
 本来、トレイル用の道路が走っている部分には、建物に収まり切らない人間達が金属板や壊れたロボットや機械の部品に布を張り、思い思いに組み立てた掘建て小屋が立ち並んでいた。
 アレックスがコンソールに打ち込んだ座標までの道のりを操縦して、訳4時間。終着点にあった物は巨大ではあるが、街と言うにはあまりに愍然とした様相をしている。
「いつの間にこんな物が……」
「そんなの誰も知らねぇよ。気付いたらこうなっていただけだ」
 突然進路に出てくる人間におっかなびっくりしながらゆっくりと進む。良く言うと寄り集まった人間と廃墟と廃材が織りなす集落。悪く言えば、残りカスが跋扈する街。開いたウィンドウから肘を突き出しながら、アレックスはこの場所をそう称してみせた。
「こっちの方にはしばらく来てなかったのか?」
「あんまり、めぼしい所が無いからな」
「あん? ……そうかねぇ」
 朝っぱらだというのに幸いにも周囲は騒がしく、操縦に集中するフリをして短く返答すると、良く聞こえなかったとでも思ってくれたのか、アレックスは首を傾げながらまた外を見る。
 来なかったのではなく、来たくなかった、と言うのが正しかった。この集落はあの穴蔵からほど近い場所に位置しており、見覚えのある景色に近づいただけで様々な物を想起してしまいそうだった。
 たどり着くまでそんな不安を仄かに抱えていたのだが、隣でくつろぐアレックスと集落がすっかり薄めてしまい、平静を保つのに苦労はしない。
 その角を曲がれ。ここを真っ直ぐだ。次々に言い渡される指示通りにスティックを切る。掘建て小屋はどこまでも続いている。そこかしこに人間が溢れている。こんなにもエリアに人間が残っていた事に驚きつつ、出る時に苦労しそうだなと思った。
「そこで止めろ。違う、もう少し先だ。……そう、そこそこ。そこが俺ん家」
 シンプルな形だが、今にも崩れそうなアパートメントの前まで差し掛かると、トレイルが止まり切らない間に外に出たアレックスはトランクを開け、食料のケースを運び出す。その姿に少なからずムッとはしたものの、中身は既に俺の物ではないので口を挟んだ所で無駄である。
「扉はしっかりロックしておくんだ。大事なもん盗まれても、誰も文句なんか聞いちゃくれないよ。へっへっへ」
 足を地面につき、シートから尻を降ろしかけたまま後部座席を振り向くと、スリープモード中のカーリーとダニーが大人しくしている。
「戻ってくるまで待機だダニー。それと、カーリーを頼む」
 念の為、ダニーを警戒モードにしてからトレイルから出る。さっさと階段を上ってしまったアレックスを追って3階まで登ると、閉まろうとしているドアの隙間から見覚えのある背中が見えた。
「ようやく帰ってこれたぜ。もう無くなっちまったのかと思ってた」
 恐る恐る部屋の中に足を踏み入れた俺になんか目もくれず、アレックスは椅子に腰掛け、親父臭い溜め息なんかをつきながら早速、食料を食べ始めていた。お前も食えよ、なんて偉そうに言いながら渡された食いかけの缶詰の中に指を突っ込みつつ、まじまじと部屋を眺めてみる。
 ボロ布や衣服から始まり、家財道具や廃材、機械のパーツ、何かの液体で満たされたタンク。バッテリーっぽい箱に、何故か山積みになっているぬいぐるみ。これがたぶん、1番異質である。
 さほど広くはない部屋は物であふれ返りそのほとんどがガラクタで、合間に見えるシェルフといった収納の中身はもっと混沌としていそうだった。
「ゴミ部屋じゃねぇか」
「失礼な奴だな。ここにある物は全部、相応の価値がある物ばかりだぜ? なんか少なくなったような気がするな……ま、いっか」
「もっとあったのか?」
「いや、気のせいだ。とにかく金も使えるが、貨幣価値なんざたかが知れてる。それよりも価値があるのは食料と物だ。タイミング次第でこいつらはちゃんと役に立つんだよ」
「汚ねぇぬいぐるみも?」
「汚ねぇぬいぐるみでも」
「おっさん、あんた何者だ?」
「俺かい? アレックスだよ」
「いい加減はぐらかすのを止めて答えろよ」
「そんなもん分かり切ってるだろ。俺もお前と同じで極普通の、ゴミ漁って暮らしてる男だ」
「なんであんな場所に1人でいたんだよ」
「他のゴミ漁り仲間と遠くまでゴミを漁りに出かけてみたら、ぶっ壊れてると思っていた機械に襲われるわ、トレイルには乗り遅れるわで置いてきぼりにされちまって、ぶらぶら彷徨っていた時にお前を見つけたから、乗っけてもらおうとしたの。詮索はこれくらいで充分だろ。さて、出かけるとするか。お前も来い」
 アレックスの返答は簡潔で煮え切らなかったが、おかまい無しにさっさと腹ごなしをすると、食料のケースにいくつかガラクタを詰め込んで手招きする。連れ立って部屋を出てまたトレイルに乗り込むと、起きていたカーリーが「おはよう」といつも通りに言うがその挨拶は、今日は少し場違いに感じる。
「おはようさん」
「……あなた、誰なの?」
「俺アレックス。あんたの持ち主、ちょっと借りてるぜ。さぁ行こうぜライリー。指示通りに操縦しろよ」
 我が物顔のアレックスに対する疑念はまだ消えていないが、こんな所に置き去りにされてもそれはそれで困る。……しかしそれも建前なのかもしれない。
 こんなに大勢の人間を目にするのは久々だった。胡散臭い奴だけどアレックスと交わすコミュニケーションは徐々に、ぎこちなさが取れつつある。不快な廃墟と荒れた道路がどこまでも続く、寂びれて乾いた外の世界に比べこの集落の中はまだ潤いがあった。
『私が眠っている間に何が起きたの?』
 PIにアクセス通知が表示され、現れたテキストウィンドウにはカーリーの名前とそんな一文が綴られていた。こんな時、オートコントロールモジュールがあれば便利なのだろうけど、それは無い物ねだりというものだ。視界を遮るテキストをさりげなく消し、操縦に専念する。カーリーはそれ以上、何も言ってはこなかった。
 崩れていたり、所々に煤がこびり付いていたとしても、立ち並ぶ建物は何かの施設ではなく、明らかに個人住宅とわかる外見をしていた。元の持ち主達はきっと金持ちだったに違いなく、エリアがこうなってしまうまでこの辺りは高級住宅地だったのだろうが、かつてあった明るさや華やかさは消失し、心無しかどんよりと暗い雰囲気が漂っていた。
 そんな近付き難い印象を放っていたとしてもアレックスは動じず、ずかずかと敷地に入りドアをノックした。ほどなくして出てきたのは仏頂面の男だったが、アレックスを目の当たりにするなり、垂れ下がっていた両目が驚きで丸くなる。
「おい、本当にお前かアレックス」
「偽物に見えるかよ。ババアはまだ生きてるか?」
 男が中に引っ込み、しばらくして戸口に立ったのは顔中に皺が刻まれた小さな老婆だった。眼光は鋭く、薄い唇はひん曲がり、年季の入った威圧感に近い気迫は年老いてなお、未だ気圧されるような迫力を放っている。
「よぉ。まだ生きてたとはなぁ」
「……死んだ男が来るなんて思いもしなかったよ。相変わらず臭いね、あんたは」
 互いに憎まれ口を叩きながら軽い抱擁を交わすと「さっそくなんだが」と続けながら、俺に持ってこさせた食料のケースをアレックスは開いてみせる。
「営業時間が変わっていなかったらだが、これであの若造を男にしてくれねぇか?」
 アレックスの陰から身を乗り出した老婆と視線が合う。PIの基本情報を見た限り、マレーネという老婆はケースの中身全てでアレックスの申し出を承諾した。
 中に入るなり、扇情的な下着姿のまま立ち話している2人の女を目の当たりにして、思考が停止する。
「おい! なんだよここ!?」
「何、お前知らないの? あぁそっか、まだ19だもんな」
 エリアが廃墟だらけになる以前、婚約という制度の元、決めた女と添い遂げるのが常識だった。しかし長年連れ添い、両者間の結びつきが順調に強化されるかと言ったら必ずしもそうではない。機械が人間の生活の一端を担い、暮らしが豊かになったからといってもストレスが溜らないわけでもない。
 健全だの道徳だの優しさだの、やる事成す事全部にそれが引っ付いていても人間だって動物で、欲求とは切っても切れないのだ。
 そんな物を抱えていては日常生活に支障がでる。思わぬトラブルに繋がりかねない。それを未然に防ぐ為に、灰色の欲望を満たしてくれるのがこんな場所だとアレックスは続け、もっとも、公序良俗に反するから人目につかない所に追いやられていたし、普通の人間ならそんなサービスを受けられる施設の話なんかしないだろう、と付け加える。
「うちが揃えているのはドールじゃなくて、みんな生身の人間だよ。楽しんでいきな」
 マレーネから送信されてきたリストには注意事項と、女の顔写真と簡単なプロフィールとスリーサイズが書き込んである。この中から選べという事は安易に察したが、気恥ずかしさが勝り、まじまじと眺めるくらいが精一杯だ。できるなら一刻も早く帰りたいが、ここまでのこのこ付いてきてしまったからには、もはやそれも不可能である。
「どうだ、好みの女はいたかよ」
「うるせぇよアレックス、話しかけんな」
「おぉ怖っ、へっへっへ。……なぁ婆さん、1つ聞きたいんだが、最近フランクの野郎は来てるのか?」
「フランク? あの馬面の人相が悪い男なら、さっき部屋に案内したよ」
「ほーん。……なぁ、こいつが出てくるまで中で待っててもいい? 女や他の客には迷惑かけねぇからさ」
「建物を壊さないっていう約束を忘れてるよ。……勝手にしな」
「話の分かるババァでよかったぜ。ライリー、早くしろよ。こういうのはさっさと決めるもんだぜ。俺が選んでやろうか?」
 それだけは死んでも御免だ。もう1度最初から素早くリストに目を通し、赤毛で猫っぽい目をした女にチェックを入れてマレーネにリストを返す。
「惚れるなよ。掃き溜めの中の宝石は高いぜ」
 そんなアレックスの茶化しを聞き流し、マレーネに通された一室は、全ての窓にカーテンが引かれて薄暗く、リストから選んだ通りの顔をした女が腰掛けているベッド以外に、家具は見あたらなかった。
 背後で静かに金具が鳴る。マレーネがドアを閉めたようだった。ドアに鍵はついておらず、いつだって外に出られたが何故か、閉じ込められたような感覚を覚えた。座っていた女が立ち上がる。身長はさほど高くなく痩せていたが、決して貧相な印象を受けないのは、露出している肌の面積故なのかもしれない。
「ライリーで合ってるかしら? こっちへいらっしゃい。そこに座って」
 垣間見たPIの基本情報にはメリッサとある。彼女に言われるままベッドに腰掛けると、慣れた手つきで服を脱がされ、濡らした布が肌にあてがわれる。ひんやりとして気持ちが良く、香水でもつけているのか、メリッサが体を動かす度に甘い匂いが鼻腔をくすぐり、ぼんやりとした虚脱感が浸蝕を開始する。
「あなた、若いわね。緊張しなくても大丈夫よ、力を抜いて」
 全身を撫でるメリッサの手が止まり、不意に近づいてきた顔が唇を塞ぐ。ほんのりと暖かく、舌先は生物の味がした。背中に回した指先が僅かに、柔らかな弾力に包まれる。そのまま抱き寄せ、胸に顔を埋める。鼓動が聞こえる。生き血が通い、血管が脈打っているのが分かる。メリッサはとても暖かかい。匂いがして味がして、柔らかい。
 腕が絡み付き、ベッドの上に倒れ込んだ。耳朶を振るわす粘度のある水音が、ぞくぞくとした興奮を煽る。水分を含むしっとりとした重みが、暖かい泥のようで心地よく、無意識に彼女の足の間に伸ばした手が優しく払われたのが、何故だかとても嬉しかった。払われてしまったのに。受け入れられなかったのに。そんなささやかな拒否が、メリッサが決して命令に従順な機械ではなく、人間だと物語っていた。
「時間ならまだたっぷりあるから。あなたも触ってよ。ほら、怖くないわ」
 思考する機能と言語能力を携えているのは大前提として、体のサイズと年齢が違っているのはさしたる問題ではない。頭や胴体や四肢はただの、外見上の共通点にすぎない。まだ行為という行為もしていないに、メリッサの全てがカーリーとは異なっているのが理解できた。
 対価を支払ったから俺は彼女とこうしている。対価が支払われたから彼女は俺とこうしている。俺とメリッサを結びつけているのは、アレックスが食料と引き換えに買った際限のある一時的な時間。それが生み出した一切の無駄が無くシンプルな関係性に、わざわざ名前を付けるまでもない。
 本能の赴くままに愛撫し、メリッサを抱いた。全ての感覚器官を尖らせ全身で彼女を、生身の人間を受け止める。求めていた人肌の温もりと喜びを同時に噛み締めながら果てる。跨がったままのメリッサが伸ばした指先が、顔中に滲んだ汗を拭い取った。にっこりと笑っている彼女は俺とは対照的に汗1つ浮かべていなくて、急に恥ずかしくなり思わず顔を背ける。幸福感と達成感で、胸がいっぱいだった。
 壁越しに、女の甲高い悲鳴が聞こえた。声質の違う男の野太い怒声がそれに入り交じり、時折鈍い音が混じる。視線を戻すとメリッサはうんざりしたように口角や目尻が下がっており、深く溜め息をつきながら俺の上から退くと、悪いわねと困った笑みを浮かべる。
「たまにいるのよ」
 部屋から廊下にでも出たのか、怒鳴り声が一際大きくなる。比較的近い所で争っているのか、馬鹿野郎だの、この野郎だの、聞くに堪えない幼稚な罵りまで筒抜けだが、それが唐突に途絶えた。
「ちょっと見てくるわ」
 互いに顔を見合わせた後、そう言ってメリッサが外に出て行こうとした刹那、ドアが内側に吹き飛び、2人の男が傾れ込んでくる。
「へっ、伸びたか。本当は殺してやりてぇが、それだけは勘弁してやるよ。命拾いしたな」
 床に倒れて動かない男の顔に見覚えが無い代わりに、額と口元から血を流し、肩で息をしながらそれを見下ろしているのはアレックスだった。
「おっと……みっともないとこ見せちまったなぁ。いや、でもそいつはお互い様か。無事終わった?」
 血液混じりの唾液を、倒れている男の顔面に吐き捨てたアレックスと目が合う。呆気にとられて声を出せないでいると、男達を引き連れてやってきたマレーネ婆さんが、腕組みをしながら猛禽のような目で俺とアレックスをそれぞれ睨んだ後、「ドアはしっかり直してもらうからね」と嘆息しながらぼやいた。

 飢えていた所を助けた時から付き合いは始まった。どれくらいそれが続いたのか一々覚えていないが、年は経っていたのではないかと思う。
 へいこらした臆病な男で妙に擦り寄って来たり、不必要に自分を持ち上げる以外に不満は無く、何かと便利だから付きまとってきても気にしないでいた。
 しばらく2人でゴミを漁っていたが、その内何人か仲間を集めてきた。成り行きでリーダーみたいになってしまったが、人手もトレイルの数も増えて作業効率は上がり、他のゴミを漁っている奴らと対峙した時には戦力にもなったから、まぁいいかと思った。
 近場のストアやレストランの跡地からあらかた食料を取り尽くしてしまったので、少し足を伸ばしてみる事にした。仲間が一緒だと長い旅路もあっという間だった。目的地のホールセールストアは形こそ保っていたが、中身は騒然としていた。腐った死体や食品が散乱し、倒れた巨大な金属製の棚の下敷きになって、リフトアームが付いた貨物運搬用のアンドロイドが機能を停止している。
 気にせず探索をしていたが、仲間の何人かがそのアンドロイドからパーツを引っこ抜こうとした。バッテリーの放電が未完了だったのか、弄くったせいで変に回路が繋がってしまったのか知らないが、完全に停まっていたと思っていたアンドロイドが再起動して襲いかかり、仲間が一目散に逃げ出す様子をストアの奥の方で見ていた。
 逃げ遅れた仲間が1人、吹っ飛ばされた。暴走するアンドロイドをやり過ごしながらそいつを抱えて外に出ると、トレイルの最後の1台が走り出す所だった。リアの窓から覗いていたあいつと、バッチリ目が合った。停まってくれると思ったけど、そのままトレイルは走り去り、肩を貸した仲間は死んでいた。
「まったく、泣けてくるぜぇ。突然、ひとりぼっちの置いてけぼりだもん。お前さんのおかげでなんとか戻ってこれたはいいけどよ。当の本人に停まらなかった理由を問いただしたら、なんて答えたと思うよ? ウンコちびるくらいおっかなかったんだとよ! なにそれ。それで俺が行方不明だと吹いて回って、今は俺に変わってゴミ漁り隊のリーダーやってんだから、そりゃあもう、ぶん殴るしかない訳じゃん? それで済んで感謝して欲しいくらいだ」
 争っていた男の事をアレックスに訪ねると、馴れ初めから喋ってくれたので、先ほど彼の自宅で聞いた時よりも話に合点がいった筈なのに、気分は釈然としないままだった。
「……なるほど、それは確かに大変な目にあったな、おっさん。だけどそれを聞く限り、俺は全くの無関係なわけだ。さらに言えば、ドアをぶっ壊したのもあんたで、これも俺には関係無い」
 ビスを打ち込む手に自然と力が入るあまり、金槌代わりの金属片を変な角度で叩き付け半ばからひん曲げてしまい、辟易する。無駄にしたビスはこれで3本目である。
「なのになんで俺まであんたの尻拭いをしなきゃならねぇんだよ」
「そんなん、1人でケツを拭くより2人で拭いた方が効率いいじゃねぇか。とっとと終わらせちまおうぜ」
「こんなもん俺達がやる必要ないだろ! 無事なハウスキーパーとかいねぇのかよ。そいつらの方がよっぽど奇麗にできるぜ」
「うるせぇなぁ。そんな都合の良い物なんかないよ。街の様子みりゃわかんだろ。暮らしていくだけで精一杯なのに。お前の持ってる、あのちっこいロボットが珍しいくらいだ。大事にしろよ。それ取ってくれ」
 舌打ちをしながら、アレックスが指差した板を手渡してやる。慣れた手つきで鼻歌なんかを歌いながら修繕作業を進めるアレックスの前では、もはや文句も言う気にもなれず、へたくそなりにでもやるよりなかった。
「ここに連れてきたのは、乗っけてもらった礼みたいなもんだ。こっちの報復はついで。これ直したら解放してやるよ」
「おっさん、あんた馬鹿だぜ。昨日の晩、俺を殺していればせっかくの食料は無駄にならなかった。それと引き換えに女も抱けた。あんたを見捨てたあのクズを、なんで生かしたまま帰したんだよ。もう、妙に優しかった社会は無いんだぜ?」
 ビスを打つ手を止め、金具の留り具合を確認しながらアレックスは、口元に生えた無精髭を撫でる。
「そんなもん関係ねぇよ。別に、殺す必要もねぇかなぁって。そいつの人生終わらせて、この世から消し去って、何がどう変わるってんだよ。いつどこで、誰がどうなろうと、こんな有様じゃ誰も気に留めねぇんだから、だったら別に殺す必要なんかないじゃん? そこまですんのもめんどくせぇよ。0か10かでしか物を考えられない辺り、お前さんこそまだまだ若造だな。ドールとばっかとヤッてっからだよ。へっへっへっ」
 ぬっ、と腕が伸びてくる。小突かれると思って身構える。握られていた太い指が開き、比較的大き目の手のひらが頭を掴んで、髪をがしがしと乱され面食らう。
「なにすんだよ」
「うるせーよ、お前なんかこうだクソ餓鬼。ちっとも可愛くねぇでやんの」
 手にさらに力が籠り、頭が下がる。それに負けじと顎を引いて抗い、アレックスを正面に捉える。そうするアレックスに毎晩繰り返し見る夢の中のキッドの姿が被る。
 アレックスの言う通り俺はまだまだ19歳の若造で、それは俺自身の事だから重々理解していた。誰からも、それこそ自分自身にすら気取られたくなくて、語気を荒くし必要の無い虚勢を張っている。
 それでも、本心までは誤摩化し切る事ができなかった。孤独に寂しさを抱いてしまうような子供である反面、ダニーやカーリーでは満たされないくらいには大人でもある。
 キッドにとって機械がそうであるように触れられていれさえすればいいと、生き方まで左右されてしまうくらい固執できる特定の物も無く、手持ち無沙汰の状態が続きおまけに常に空腹だ。
 炎の中を彷徨っていたあの時の俺は心細くて、そんな心理状態と現状は一致してしまっている。あの夢は俺自身が俺自身に放つ警鐘だったのだ。
 夢の中でキッドはそうしてはくれなかったが、目の前のアレックスの手はまだ髪をかき乱している。いつ、その願望が芽生えたのか、そんな願望がはたして本当に芽生えていたか定かではないが、ずっと誰かにこうされたかったような気がした。
 アレックスは相変わらず憎たらしいし、掴み所の無い笑みは何を考えているか分からないが、温かな手の平は正直心地良くて、ちょっとムカつく。多少強引ではあるがアレックスの、押しつけではない動的な優しさは触れていてそう、悪い物でもなかった。
 ドアの修繕作業が終わると、約束通りアレックスは俺を解放した。
 アパートメントまで戻ると何の後腐れも無く「じゃあな」と言ってさっさと中に入って行く。アレックスの背中が消えたアパートメントの階段をしばらく眺め、トレイルを出した。ポッカリと空いた隣の座席が妙に広い。アレックスの臭い体は無駄に大きかったから、なおさらそう感じるのかもしれない。
「大丈夫? 変な事されなかった?」
 座席の隙間を通り、後にいたカーリーがそこへ納まった。定位置のようなものだから彼女は自然とそうしたのかもしれないが、アレックスが拡大した空白を埋めるには小さく、醸す気配も希薄だった。
「ずっとトレイルの中にいなければならなくて退屈だったわ。ダニーはお喋りできないもの。もう、夕方ね。すぐに暗くなってしまうわ。……どこへ行こうとしてるの、ライリー」
 この寂れた、寄せ集めの街から出るのは億劫だったが、宿のような宿泊施設が存在するのか分からなければ、あったとしても引き換えに出来る物品は何も無かった。カーリーやダニーやトランクの飲料水生成機は、1泊の対価とするにはあまりにも高価だ。シリコンスキンや緩衝ゲルなど、カーリーのパーツは使えそうな気がしなくもないが、さほど量があるわけでもない。廃墟ならそこら中にある。ひとまず今日の寝床はそのどれかにする事にした。
『警告:睡眠不足により疲労が蓄積され、血糖値が低下状態にあります。規則正しい生活リズムと生活習慣は健康的な体を作り、労働の能率を向上させます。充分な休息と食事を心がけましょう。詳しくは、健康福祉管理局までお問い合わせください』
 そう言われても、食料は全て渡してしまったから、腹に入れられる物は水しか無く、それも大量にあるわけではなかった。流石に今から探索に出る体力的な余裕は余っておらず、生成機の水を腹に入れ、かつて寝室であった所に足を踏み入れる。ガラスが割れ落ちてしまった窓から、街の明かりが見える。
 寝転んだマットレスはとても埃っぽかったが柔らかく、ぐっすり眠れそうだった。しばらくして、いつものようにやってきたカーリーが隣に寝転び腕を伸ばしてきたが、そんな気分ではなかったので寝返りを打ち、背中を向ける。
「……床じゃないのね」
「たまにはいいだろ。今日は疲れてる。お前も寝ろ」
「解った。それじゃあスリープモードに入るわ」
 肩越しに振り返ると既にカーリーの目は閉じ微動だにしなくなっており、横顔に触れた手はもちろん、暖かくはならない。それだけ確かめ、俺も目を閉じた。その日の夜、夢にキッドは出てこなかった。
 空腹で目が覚めた。埃や微細な虫にでも食われたのか体の至る所が痒みを発していたが、やはり床よりもマットレスの方がぐっすりと眠れる。隣からカーリーの姿が消えている。トレイルにでも戻っているのだろうか。睡眠時間は8時間49分だった。スリープモードの解除時間は、とっくに過ぎていた。
 肌に爪を立てながらベッドから降りる。眠った時間がずいぶん早かったせいか、仄かに白んでいる空にまだ朝日は昇っていない。冷たい空気を取り込み、トレイルの周囲を規則的に回っているダニーとタッチを交わす。トランクを開け、メディカルキットの中に突っ込んでおいた痒み止めのクリームを塗りたくると、準備は終わった。
 トレイルに乗り込み光が灯ったコンソールとマップ相手に睨めっこを始める。アレックスの話じゃ、この辺りの物は全て取り尽くしてしまったようだが、取りこぼしくらいなら落ちているかもしれない。数日分の食料は見つけられなくても、今すぐこの飢えをなんとかできればよかった。
 大型ショッピングモールの跡地に向かう事にした。コンソールの座標を打ち込み、進路を打ち出す。スティックを握りトレイルを走らせようとした所で、呼び止めらたカーリーがあれはなにかしらと指をさす。その方向に目をこらしてみると、薄闇の中で動いている物が見え、トレイルのフロントを向けてライトを灯した。
「アレックス!」
 光の中に浮かんだ人間を認識するなり、思わずそんな声がこぼれる。トレイルから降りて駆け寄ると、声音はそのままでも昨日に比べ、アレックスがずいぶんと疲弊しているのが分かる。
「まだ、近くにいると思った。夜通し探しまわった甲斐があったぜ」
 アレックスに肩を貸し、トレイルまで運ぶ。生成機から汲んだ水を飲ませてやる。タンクの中身が空になった。飲み物はもう、僅かな酒の瓶しか残っていない。
「何があったか気になるだろ? 言われる前に教えてやるよ。部屋を追い出されちまったんだ! お前の言う通り、フランクの野郎は殺しておくべきだったのかもしれないな。色んな所に余計な事を言いふらしやがって! もう泣くに泣けねぇぜ。最初から全部やり直しだ! もう1杯くれ」
「それで最後だ。また溜るのを待たなきゃならねぇ。あとは酒しかねぇよ。食い物持ってるか? それと交換だ」
 服の上からポケットを叩くがそれらしい物は出てこず、突然倒れてきた巨体をダニーが両手で受け止める。
「しかたねぇよおっさん。あんた人徳、無さそうだし。こんな所で腐るんじゃねぇよ、邪魔だ」
「ライリー、お前さんこれからゴミ漁りに行くんだろ? 俺も連れてってよ。なんもかんも失ったおっさんを独りにしないでくれぇ……」
 今までに無く情けない声を上げたと思ったら、イビキが聞こえてくる。本当にどうしようもないおっさんだ。溜め息すら出てこない。
「ダニー、降ろしていいぞ。丁寧にしなくてもいい」
 命令に従順なダニーはアレックスを支えながら体の下から出ると、伸ばしたアームを素早く引っ込める。巨体がシートの上に沈み、トレイルが僅かに揺れる。投げ出した足をたたんでトレイルに詰めてようやく、ドアが閉まるようになった。
 イビキはうるさく、体臭はキツく。昨日も今日も突然現れ、何もかも狂わしていく。訳の分からない存在ではあるが、なんとなくこういうのに限って長生きしそうだなと思った。
「他にツテとかあっただろうよ。何で俺なんだ」
 ぶつくさと文句を言いながら、トレイルの操縦席に座る。1人分重くなっても経年でよれよれのトレイルはガタガタと進む。
「ライリーあなた、なんでそんな顔をしているの」
「どんな顔だよ」 
「それは怒っているの? それとも笑っているの?」
 しらねぇと答える。差し込んだ陽光に顔をしかめた。
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