義足の男

文字数 13,456文字

 目が覚めるなり、首筋に鈍い痛みが走る。見慣れた寝室の風景ではない事に一瞬混乱するも、すぐに作業場だと気がついた。少し休憩するつもりで椅子に腰掛けた所までは覚えているが、いつの間にか眠ってしまったらしく、作業代替わりのテーブルの上で、持ち込まれた小型作業用アンドロイドの腹部が開きっぱなしだった。
『注意:昨晩の睡眠時間は3時間41分16秒、リラックス度合いは47%です。質の良い睡眠を心がけましょう。詳しくは健康管理福祉局へごアクセスください』
 不用意に伸ばした腕が工具や部品を押しのけ軽快な音を立てる。眠気が残る眼を擦り、網膜内に立ち上がったPI(パーソナルインフォメーション)のコンソールに表示されたメッセージを読み飛ばし、確認した時間は午前7時過ぎを回った辺りだった。
 むず痒さを覚えた頭皮に爪を立てると、絡み付く毛髪はなんだか脂っぽい。30分の仮眠のつもりが4時間半も眠ってしまった。作業用アンドロイドの期限は明日までだ。急がなければならないが、まずは風呂だ。
 手早くシャワーを浴びて新しい下着とシャツに着替える。居住スペースの戸棚から、栄養化合食品を引っ張りだすとパッケージを破り、スティック状のそれを咥え、作業場へと戻る最中、新たな通知が届きまじまじと文を追う。 
 スティックを咀嚼しながら散らばった工具をかき集めると、作業へ取りかかる。通知に記載されていた時間まではまだ余裕があった。その間にこいつを終わらせてしまわなければならない。
 システムチェックが終わった時には予定していた時間をオーバーしていた。配送業者のインターフェースにアンドロイドを預けるとトレイルに乗り込み、通知に記載されていた住所をコンソールに打ち込んだ。走り出したトレイルの中でリストから名前を選びコールすると、ほどなくして低い声が耳朶に響く。
「今向かっているよ。あぁ、すまない。てっきり来週だと思っていたんだ……あぁ、もう少し待っていてくれ」
 穴蔵から念の為に持ってきた工具を確認しながら、作業用アンドロイドの持ち主に修理が完了した旨と、現場での作業の際に不備があった時はまた修理する、というメッセージを送った。システムチェックはできても実動作の確認は穴蔵の中では少々厳しい。壁を吹っ飛ばされてはたまらないから。
 工具をケースへ収めながら窓越しに見える街並は相変わらず真っ白で、面白くはないが他に目を向ける所も特になかった。PIをトレイルのスピーカーとリンクさせる。自分のサーバーへとアクセスし、保存済みの音楽を選ぶ。前奏だけ聞いて次にシフトする。それを何回か繰り返して結局、落ち着いたのは再生数が1番多い聞き慣れた曲だった。それに耳を傾けながら窓枠に肘をついた。目的地まではまだかかる。

 トレイルが2台は収まりそうな中型のガレージの隣には、特殊発泡ポリエステル製の壁に包まれた居住スペースが付随しており、僕の穴蔵と作りは似ていても大きさや耐久性は、こちらの方が遥かに丈夫だと認識できる。
 主電源を落とすと同時にスピーカーを振るわせていた音楽が止まり、瞬く間に静寂が支配するトレイルから降りると、居住スペースのチャイムを鳴らしてカメラに顔を向けた。
『今開ける』
 スピーカー越しなせいか歪みがかってはいるが、数分前に聞いたばかりの声と共に、ロックが解除される。ドアを開けた僕を出迎えたのは、短い白髪を後ろに撫で付けた長身の男だった。ボトムの裾から覗く両足は丁寧に磨かれた革靴で覆われていても、彼が床を踏む度にごとりと重たい足音が響く。
 自動リンクを試みたPIに実行不可能の文字が表示され、それを視界から消すと続けざまに外部デバイスの認証を開始する。ようやく表示されたアロルドの基本情報の中に表記されていた社会的信用度は、数週間前に顔を合わせた時よりも4%ほど下降していた。
「PIは既に取ってあるみたいだな」
「あぁ。健康福祉管理局、生活安全保安局、その他諸々、役所に申請を出さなきゃならなくてなかなかに面倒だったよ。腹も切った。だが、その方がやりやすいんだろう? しかし、外部PIも考え物だな。基本情報を表示する以外に使い道が無い上に、常に携帯していなければならない」
 面倒だとぼやくアロルドの首の両側面に埋め込まれた装置が目につく。水滴を模した形状に白いペイントが施された呼吸補助器具(ギル)は、30代の彼がつけるにはあまりにも早い。アロルドは手招きし、家の奥へ入って行く。案内されたのは彼の書斎だった。ワックスを反射して光る灰色の床には埃1つなく、座るように促されたソファに腰掛けると、書斎机から包みを1つ取り出して正面に腰を降ろす。
「しかし驚いたよ。お前みたいな冴えない男がPIをいじれるなんて」
 包みを広げながら、アロルドの探るような視線とかち合う。
「でなきゃあんな穴蔵で技師は続けられないさ。PI技師でもあるから仕事が来るんだ。PI関連の物は少ないがね」
「あんな所に引き籠っていないで企業で働けばいいじゃないか。収入も安定するし、社会的信用度も回復するぞ? どうせ変わっていないんだろう?」
「変わらないどころか、少し下がったよ。でもいいんだ。あの穴蔵が丁度良い」 
 小脇に抱えていた工具のケースに手を突っ込み、LITOを探り出して電源を入れると、アロルドがPIを静かにテーブルの上に置く。保護カプセルは取り払われ、手のひらよりも少し大きな端末がコトリと鳴る。迷わずそれに手を伸ばしリーダーにセットする。
 少々の間を置いて、リーダーが読み込んだPI情報がLITOへ反映される。アロルドがメモリーに保存しているデータに多少興味が沸きつつも、本人の目の前で堂々と覗きをする勇気は無く、システムを開いてPIその物の基本情報を確認すると最新のヴァージョンがインストールされていた。これがどうも、両足の義肢と相性がよろしくないらしい。頻繁に異物として検出され、基本動作以外に設けられた機能を実行するアプリケーションのインストールも不可のままだ。
 アロルドが着けている義肢は、市場で見かけなくなってからだいぶ久しい。各種サービスも終了しパーツも少なく、半ばジャンク品同然の義肢を持ち込まれた時、使える状態に戻すのに苦労しただけでなく、卵形の身体障害者用全地形対応浮遊型自走式パーソナルチェアに鎮座していた当時の彼は、毎日が不機嫌で頻繁に送られてくる催促の連絡を捌かなければならなかった。
 PIのトップに表示されているブラウザのアイコンに指を重ね、ウェブページを開くと、アロルドの義肢がサポートされていた時期を探りつつ、PIのヴァージョンもチェックする。意外な事に6年前に普及された3世代前のヴァージョンまで、義肢をサポートするアプリケーションが対応していた。
 あまりにもPIをダウングレードしなければならないとなると、日常生活や現在使用しているアプリケーションに支障をきたす。3世代程度であれば日常生活への支障はさほどでもなく、せいぜい使用できなくなるアプリケーションがいくつか出てくる程度で済むだろう。その点について確認を取ると、アロルドは構わないと言い切った。
「バックアップはきちんと取ってある。そうなったら外部デバイスの力を借りるさ。その上で使えなくなるのであれば潔く諦める。こいつを動かすアプリが無ければパワーアシストのオンオフも切り替えられなくてな。歩くと座るだけで精一杯だ。こいつは少しばかり重くてね」
「わざわざ古い義肢にしなくても、支給された義肢があるじゃないか。何でまた、換えたんだ? スキンカラーもあんたの肌に合っていたし、機械部分も露出していないから自然体に振る舞えた。それこそ、PIだって1度摘出しなくてもよかった。あれはあれでなかなか高性能じゃないか」
 アロルドの両足をまじまじと眺める。シンプルな黒いボトムに覆われている両足の半ばから丸みは消失し、特に膝の部分の角張が目立つ。それは本来の人の足の形ではなく、一目で義肢だと分かり、彼が身体欠損者だと物語っている。
 見慣れている、とまでは行かないが、そもそも自分以外の人様が、どんな格好や容姿をしているかなんてどうだってよくて、アロルドの足に対してさほどの興味を抱かない事により、僕は彼と彼の足をひっくるめて肯定できている。
 僕とアロルドとの関係は歳こそ違えど、クライアントとサプライヤーという面においても、友人という面においても恐らく、対等と言える範疇の中に収まっているはずだ。そこに彼の足が持つ要因は関係していない。
 しかし、誰もが僕のような考えを持っているわけではないのは当然で、彼の足の異常性は体の動きや、直に目にする事で視覚的に、重たい足音で聴覚的に、何かしらのきっかけで嫌でも自ずと察する事ができてしまう。
 頭部があり、胴体があり、四肢が付随している、いわゆる完璧な人の形を本来の姿として認識している事に、大抵の人間は何の疑いも抱いていない。それは僕も同じだ。
 故に、彼の足の異常性に気付くと、緊張じみた居心地の悪さが体の強張りを誘発し、胸の辺りがざわめいていい気分ではいられなくなったりするというような、心の均衡の乱れが生じる。それを受け流すか、嫌悪感としてしばらくの間抱えるかは、その人間の裁量にかかっている。
 そんな微細な心の均衡の乱れも、この優しい社会は見逃さなかった。
 いくら社会が優しくなったとしても、危険な現場で働く人間がいなくなるわけではない。アロルドは元航空会社に勤続していたパイロットだった。大手機械工業メーカーである、ゲッコーインダストリートの旅客・航空セクションが彼を引き抜き、新型フライングスーツのテスターにあてがったが、試験飛行の最中に起きたシステムダウンにより背部推進機構が停止し、墜落した。
 鋼鉄製のスーツとスーツ内に設けられたエアバッグ、生命維持装置により一命は取り留めたものの、脊椎や呼吸機能にダメージを負い、修復不可能な両足は半ばから切断せざるをえなかった。呼吸もギルの補助無しでは行えない。
 彼のように、事故や何らかのアクシデントで腕や足や、体の一部分の機能を欠損してしまうような人間はゼロではなく、そんな身体欠損者に向けた支援プログラムの1つとして、義肢の格安提供があるが、提供される義肢はなかなかバカにできない精巧さを誇っていた。
 アンドロイド技術が発展した結果、基礎骨格の太さからスキンカラーのバリエーションに至まで、各人に合わせた義肢の制作と量産が安易になり、現在では医療分野から神経接続技術まで取り入れ、かつてあった手足のように動かし触感すらも蘇らせる事が可能となっている。
 体の一部分が失われた事実は覆らなくとも文字通り、普段通りの生活を営めるのだ。椅子に座る際に掴んだ背もたれの角張りや丸み。食事を取ろうと掴んだナイフやフォークの固さ。皿を洗おうと晒した水の温度まで感じ取れる身体的機能が戻るのは、装着者にとっては夢のようではないかと思う。
 義肢を装着した上での普段通りの生活はもはや建前ではなく、現実の物となった。第3
者に与える視覚的、聴覚的ストレスも感じさせない。身体欠損者が纏うアンバランスは半ば払拭され、身体欠損者はこの社会においてマイノリティではなくなったのだ。
 だからこそ、アロルドの考えが分からなかった。政府提供の義肢により失った日常を一旦取り戻したにもかかわらず、何故旧型の義肢に換装し、腹を裂いてPIを摘出し、僕にダウングレードを依頼してまで、非日常であろうとするのだろうか。それがずっと引っかかっている。
 この質問も、何度重ねただろう。細かい回数なんて覚えていないが、思っている程多くはないはずだ。アロルドから叱責された記憶はまだ無いがとにかく、その質問をすると彼はいつも顔をしかめ、はぐらかすか黙り込むだけだった。
 その様子を見るからに、何かしら彼なりの理由はあるが、脳内で論理が組み上がっておらず、あくまで本能や感覚で感じ取っている段階から抜け出せていないように思える。
 少々気難しい彼は、誠実だ。それをきちんと組み上げたうえで、はっきりと言葉にしてから僕に伝えたいのだろうが、僕からしてみれば断片的でも構わないから、多少なりとも言葉を出して欲しかった。そこから推察する余地も生まれるというのに、確証もないまま彼の気持ちを推し量るのもなかなか難しい。
 今回もやはりアロルドは小さく唸ると、ソファの背もたれに寄りかかって息をつき、何も言わなくなった。表情も、眉間に皺を寄せた厳しい物で固まる。
 手元に視線を落とし、LITOとPIをリンクさせる。視界内に開いているウェブページを一旦全て閉じ、新たなタブを開くとブックマークからURLを選ぶ。真っ白な背景に、空欄が3つあるだけの簡素なページが開かれる。
 空欄にそれぞれ、個人IDとPI技師ナンバーと15桁のパスワードを入力すると、PIの各ヴァージョンや拡張子機能が漂う専用のデータベースへと接続され、そこから先ほど調べたPIのヴァージョンプログラムとダウングレードツールをネットワークから取り出す。
 この2つのプログラムはそれぞれ、24時間後に自動的に完全消去されるだけでなく、PI技師のPIを通さなければ、外部デバイスやガジェットへ転送もできない上に、サーバーにはPI技師の本名の履歴が残る。政府管理下に置かれているデバイスのプログラムなだけあり、管理もその辺りのデータに比べ、徹底されているのは当然だった。
 股の辺りに落ち着きの無さを覚え、席を立った。どうした? と問うアロルドに簡潔にトイレだと答える。
「玄関の方に進んで左だ」
「ご丁寧にどうも」
 アロルドの自宅に訪れたのはこれが2回目で、場所は分かっていたが、それでも教えてくれた律儀な彼に礼を言い、書斎を出ると機械の駆動音が響いていた。客間やリビングへと続くドアの前を通り過ぎる途中、すれ違った住宅用補助アンドロイドから、いらっしゃいませと声を掛けられた。
 逆三角錐のボディからは複数のアームが垂れ下がり、下部に設けられたフロートユニットで漂う姿同様に機械らしく、それ以上の音声を紡ぐ事無くせっせとアームの1本を床へと垂らし、チリを吸い取った端から、もう1本のアームでモップ掛けをする。
 埃を吸い取り、磨かれたばかりの廊下を進んで洗面所の奥へ踏み入ると、用を足しながら目を向けたPIの画面上では、プログラムのダウンロードバーが半ばまで進んでいた。
 ぱたぱたと軽快な足音が近づき、鍵をかけたドアの前で止まったかと思うと、ドアノブが鳴った。『父さん?』なんて、どこかすっぽ抜けた幼い声に一瞬、どう答えようか迷うが声の主は構わず、ドアを叩く。ノックにしてはだいぶ乱暴だ。
「解った、解った、今出るから」
 下着とボトムを上げると自動的に水が流れる。センサーに触れて開錠するとすかさずドアが開いて目の前に現れた少年は硬直する。程よく短い、白みがかった髪は父親と似ているが瞳は大きく、ポッカリと開いた唇は厚みがある。走って帰ってきたのか赤く上気した顔には汗が浮かび、全体的にまだ丸みが取れていない小さな体は上下に揺れ、濡れたシャツは肌に張り付き、汗と皮脂が入り交じった青くて幼い臭いをジャックは放っている。
「ほら、お待たせ」
 我に返ったジャックは何も言わずに足早にトイレへ駆け込む。洗面台で手を洗い、乾燥機に手を突っ込んで水気を取っていると、水が流れる音と共に安堵した表情のジャックが出てくる。僕の隣に立つなり流水に晒した手を激しく擦り合わせ、周囲にばしゃばしゃと水滴を飛び散らせるが、ジャックにそれを気にする素振りは少しも無かった。
「帰ってくるにはまだ早い時間じゃないか? 小学校はまだ授業中のはずだろう」
「今日は早上がりだったんだ。キッドは父さんの足を直しに来たのかい?」
 洗面台の中で手を振るジャックに乾燥機を開けてやったが、面倒臭がった彼は衣服に手を擦り付けながら僕を見上げ、
「あの足、やめて欲しいんだけどな。アンドロイドみたいで変だよ。キッドはそう思わない?」
「僕は別に何も思わないな。前の方が良かったのか?」
「……無い方がいい。それが父さんの、本来の姿だよ。せっかく家にいてくれるようになっても、自分の足しか頭にないんだもん。これじゃあいてもいなくても変わらないよ」
 唇を尖らせ、拗ねたように言ったジャックは洗面所を出ていくと、階段を駆け上って自分の部屋に行ってしまった。
「そう言われてもなぁ……」
 辛辣な答えだ。1人取り残されてしまったバツの悪さを頬に爪を立て誤摩化し、書斎へ戻るとアロルドは片足の義足を抱え、空いている手で太ももを真剣そうにさすっていた。
「ジャックが帰ってきたのか? 今何時だ」
「もう昼だよ、今日は早上がりらしいじゃないか。あんたは何やってんだ」
「ストレッチとマッサージだ。定期的にやらないと付け根の辺りが痛むんでね」
 端的に答えながらアロルドは首元に付いたギル周辺の皮膚を指先で掻く。
「違う、そっちじゃない。父親なんだから出迎えくらいしてやったらどうだ」
「……いいんだ、それは。あの子は私自身をよく思っていない。世話はずっと妻に任せてきたが、3年前に心臓疾患で死んだ。その時私は空にいた。あの子1人ではどうしようもなかった。……それより、ダウンロードの方はどうなんだ? プログラムは落とせたのか?」
 ソファに座り直してPIを開く。落ちた先のフォルダでは早速、ファイルについたタイマーが時間を刻んでいる。接続されているデバイスの中からLITOを選択し、そこからさらにアロルドのPIへアクセスしたところで、聞こえた咳払いに顔を上げる。
「大丈夫だ、心配無い。今設定するから、ちょっと待っててくれ」
「いや、そうじゃない。義足の事だ。変な風に思わないでくれよ? あの義足は……なんというか、気持ちが悪かったんだ」
 PIとLITOを操作する手が止まる。PIを非表示にして、余計な物が無いクリアーな視界の中で、足をほぐし終えたアロルドの両目は、僕を見据えているのとは裏腹に、体の前で組んだ両手の指を動かし、組み替え、どこか落ち着きが無かった。
「ソックスやシューズを履いた時の柔らかさと締め付け、脛をぶつけた時の鋭い痛みや、衣服が表面を掠めたかゆみや、くすぐったさまで再現していた。義足を使い始めた時は感動したよ。失った足が戻って来たような気分だったが、ジャックがそれに気がついてから、微妙な色や形の違いばかりが気になり始めてしまった。あの子はとても目がいいだけじゃなくて、色彩感覚も優れている。……あの義足は、私の足のように微細な刺激を脳は勝手に感じ取るが、確かに私の足ではなくて。それに違和感を覚えてならなかった。政府提供の義体の装着者は誰もが満足しているようだが、私が神経質すぎるんだろうか……?」
 なんだ、そう言う事だったのか。尻の位置を直して、ソファの背もたれに寄りかかると、疑問は解消されたが、心地良いというよりもどこか拍子抜けで、思わず鼻から息が漏れる。それを察したのか、すまないと一言漏らしてアロルドの視線が揺らぐ。
「まぁ、いい。それで? それがジャックとうまくやっていけていない理由なのか? ジャックがさっき漏らしていたぞ。あんたは自分の足の事しか頭に無いって」
「痛い所を突いてくるな。そして事実、その通りだから困る。この前まで赤ん坊だと思っていたんだがな……子供の成長は早いよ。2ヶ月に1度のセミナーではよく、コミュニケーション不足と指摘される。ありきたりだがそれは確かに間違っていなくて、仕事上元々あの子と話せる機会は少なかった。あの子が私に対して壁を作るのも解る。それを少しでも壊そうと、どこかへ連れて行ったり外食をしたりしているが、あまり笑ってはくれないよ」
 それもそのはずだろう。だってあんたはそんな中でさえ、足の事しか考えていないんだから。なんて言葉は飲み込んだ。それはアロルドが一番よく分かっているだろうから、ただアロルドを追いつめるだけだ。PIを再表示して、LITOへダウンロードしたプログラムをドラッグする。
 決してジャックの事が彼の頭に無い訳でもない。ただ彼は、頭が少し固くて切り替えが苦手なだけで、それはある意味、正常な人間の脳をしているという事でもある。人の頭は精巧だがそう都合良くはない。マルチタスクには明らかに不向きだ。
 そんな彼に今足りない物は、率直な言葉で表すのであれば、ジャックに対する素直さだろう。足の問題が解決できたら、きちんとジャックに向き合えるのかはアロルド次第だが、見る限りどうも不安だ。
 1度開いてしまった心の距離を縮めるのは自分1人でなんとかなる物でもなく、誠実さを示してもそう簡単に成果が見えるわけでもない。運の要素も大きく絡む。しかし、それが出やすくなるような手助けを1週間程度ではあるが担えなくはなかった。 別のフォルダを開き、そこに収まっていたプログラムもLITOへコピーする。
「どうした、黙り込んで?」
「いいや、なんでもない。PIを操作していた」
「……なぁキッド、この足の問題が解決できたら、あの子は、私に心を開いてくれるようになるだろうか」
 LITOの画面上には今しがた入れた3つのプログラムがきちんと揃っている。ドライバを起動させ、ヴァージョンプログラムを選択してアロルドのPIに施行する。フォーマットが始まり、それが終わると旧型のヴァージョンのインストールが始まる。
「さぁね。コミュニケーション不足って言われているなら、まずはお互いを理解できる所まで段階を持っていかないといけないな。まずはそこからじゃないのか? 片意地張るなよ。なるようにしかならない。子育ての悩みは僕には解決できない」
 言いつつインストールの終了を確認すると、セットアップに伴い、初期プログラムの選択を迫られた。本来であればそのままセットアップを実行する所だが、今回は僕のPIに入れておいた3つ目のプログラムを選択し、システムの一部としてアロルドのPIへ流し込む。
 ここから先は、僕にも解らない。LITOにセットされているPIがアロルドの腹に戻り、その後1週間、プログラムが自動消去されるまでの間のアロルドの行動に、効果の有無がかかっている。既にこのPIは踏み込みたくても踏み込めない領域にあり、新たなプログラムの構築が終わるのを見届けるだけだった。
「どっちにしろ、不安だよ私は。今の今まで父親の任務は、ほとんど放棄していたからな。今さら遂行するとなると、それなりに覚悟がいる。お前も注意するといい、期せずして父親になってしまわないようにな。少なくとも、算段が整わない内は避妊するに越した事はない」
「手の中に収まり切らない物を、端からこしらえるつもりは無いよ。そんな所有物なんて、厄介以外の何物でもない」
 無機物以上に、素直な物は無い。だから僕は機械が好きだし、道具に愛を感じる。子供なんてもってのほかだ。皮肉に対して皮肉で返してやると、アロルドは薄い笑みを浮かべながら一言、「父親失格だよ俺達のような男は」と呟いた。
 僕の仕事はもう終わったが、セットアップが完了するまでアロルドのPIとLITOを切り離すわけにはいかず、その間を談笑して過ごし家を出ると、庭先で住宅用万能補助アンドロイドと共にエアライナーの模型を飛ばして遊ぶジャックの姿があった。
 トレイルのドアを開けた音で気がついたのか、ふと、振り返った彼と目が合った。重くなりつつある陽光を反射する茶色い瞳は何ら反応を示さず、すぐに自分の家の屋根よりも高い所を飛ぶ模型に顔を戻す。その素っ気無さは目の前のオモチャに夢中だからというよりも、大人という存在に不信感を抱いてならないとでも言っているように、ジャックの小さな背中からは孤独が滲み出ている。
 まぁそれをどうにかするのは僕ではなくアロルドだ。トレイルに乗り込み、コンソールの履歴から集荷場を選択する。非表示にしていたPIにはいつの間にか不在通知が届いていた。きっと昨日の昼間に連絡があった業者からだろう。
 シートに体を預け動き出したトレイルに身を任せると、仄かに疲労と空腹を感じた。荷物を受け取ったら何か食おう。しかし、困ったな。特に食いたい物が思いつかない。

 数時間ぶっ続けで手元に集中していたせいか、いい加減溜り続けた疲労が無視できなくなり、工具をほっぽり出して丁度いい高さのケースに座って息をつく。ビル壁の一端に取り付けられていた広告ホログラムの出力機の部品は、どうしてこう、精密なのだろう。
『健康福祉管理局よりエリア市民総健康強化キャンペーンのお知らせ:今月のエリア市民就寝目標時間は22時が目安となっております。1時間30分オーバーしております。睡眠の不足は心身共に甚大な健康被害に繋がります。ゆっくり体を休めて明日に備えましょう』
 自動的に視界内に表示されたメッセージに対して苛立つ気にもなれず、無言で消去して作業台の上をぼんやりと眺める。今日中に仕上げてしまいたかったが、このまま作業を続けても効率が悪いような気がした。
 シャワーを浴びて、フリッジの中で冷えていた炭酸飲料のボトルに口を付けると、多少目が覚めたようで、肩の辺りが軽くなった。汗と水気を拭き取ったタオルをクリーナーの中へ投げ込み、作業場へ戻りかけたところで、確かにチャイムの音が聞こえ、意識が玄関の方へ向く。時刻は既に深夜に差し掛かっている。非常識な奴だ、一体誰だ。
 PIを起動してカメラにアクセスすると、そいつらは2人組だった。1人はスーツ姿のチビで、その一歩後ろには制服を着たノッポが立っている。
 チビの方はまぎれも無く人間だが、ノッポはよく見ると頭部から顔の半ばまでを半透明のバイザーで覆っており、その奥では四角い目がぼんやりと光っていた。制服はボディに施されたペイントで、鋼鉄製の体の所々にアーマーが張り付いている。
 保安局員とバディマシナリーが訪れる連絡は、メールボックスにもメッセージにも入っていなかった。そんな物が用も無く来る筈がなく、マイクをオンにして今すぐ出ると、彼らに伝える。ひとまず話を聞いてみなければ何も始まらない。
「夜分遅く申し訳ない、緊急の用事でね。ええと? キッドさんで間違いありませんね? 少し聞きたい事がありまして。ところで、現在までは何を?」
 リンクしたPIがチビの局員の情報を表示する。流石は政府機関の1つである保安局に所属しているだけあり、局員の社会的信用度はそれなりに高い。色々とかけずり回って情報を集めていたのか、顔に浮かんだ疲労の色は濃いにも関わらず、物腰と口調はとても落ち着いていた。
「今ですか? ちょうどシャワーを浴びておりまして。これからまた仕事に取りかかろうと思っていた所です。僕は個人でやっていますので、作業の時間は自分で決められます。それで、どういったご用件で」
「アロルド、という名前に聞き覚えは無いでしょうか?」
「アロルドってあの白髪で両足が義足の? 彼の事は友人だと思っていますが……彼が何か……?」
「明日にでもニュースになるでしょうからお伝えしますが……昨晩彼から、息子を殺したと、我々の元に通報があったものでして」
「……今、なんと?」
 あまりにも唐突に投げかけられた言葉に思考は完全に停止して、反射的にそう聞き返していたが、チビの局員は冷静な姿勢を崩さずもう1度同じ事を淡々と述べる。
「現場に駆けつけた時、彼は酷く憔悴していたと同時に混乱状態でもありました。詳しく話を聞いてみると先日、あなたにPIの情報変更を依頼したそうで。その時彼は、何か気になるような発言や、不自然な動作をしていませんでしたか?」
 保安局員が言うのだからその話は真実なのだろう。そうだと解っているぶん、なおさら受け止める余地を確立できなくて、僕はただただ彼らの前で呆然としながら、問いに答えるしかなかった。アロルドが、ジャックを殺しただって? そんなバカな!
「いいえ……いいえ、アロルドは至って普通でした。10日くらい前に、義足のアプリケーションが対応しているヴァージョンまで、ダウングレードしたPIを体内へ戻したという連絡を貰いましたが、その時もいつもの口調で……あぁ、そんな。アロルド!」
「お気持ちは察します。だからこそ、より正確な情報が欲しい。アロルドとはどのくらいの頻度で会っていましたか? 本当に彼から何も感じなかったのですか?」
「……彼は、子育てについて悩んでいるようでした。長らく妻に教育を任せっきりだったが急病で死んでしまい、自分がやらなければならなくなったが、どう子供と接してよいか解らないと、漏らしておりました。自分の足を失ってからそれほど時間も経っていませんし……彼はとても優しく気丈な男です。と言っても、彼とそこまで顔を合わせていたわけではなく、自宅を訪れたのも2回程度なのですが、そんな心根は伺えました。だけど不器用でもあって……そうと解っていながら、どうして僕は彼の苦悩に気付けなかったんだ! 人一倍、思い悩みがちな性格だとも解っていたのに! 本当に、彼がジャックを殺したんですか? 何かの間違いなんじゃ……」
「いいえ、残念ながら事実です。時間を取らせた上に、こんな形でお伝えすることになって申し訳ありませんね、本当に。今日はもう遅いので私達は引き上げますが、もう少し詳しくお話を聞きたいので、後日、保安局まで出頭いただけないでしょうか?」
「解りました。それで彼の過ちがせめて、公平に裁かれるのであれば」
「ご協力ありがとうございます。それでは」
 チビの保安局員とバディマシナリーが背を向けるのを確認し、ドアを閉めた。居住スペースのキッチンテーブルに置きっぱなしだった炭酸飲料のボトルの底には水滴が溜まり、常温に戻りかけている。一口含んで嚥下しつつ手近の椅子に腰を降ろした。動けるようになるまでしばらくかかった。
 PI内に保存されているファイルを開いて、アロルドのPIに組み込ませたプログラムをトップに持ってくる。
 PIが行っている事は、簡単に言ってしまえば個々人の管理である。社会的信用度として具体的な数値を示す事により、個人同士と社会の結びつきを強化し、個人の持つ様々な情報をある程度透明化し一部を共有する。
 各エリアで暮らす個人単体をそれぞれ1とみなすのではなく、あくまで個人は1という組織を構成する歯車であり、その中で生まれる個々人の欲求や要望は、結束を乱す。なんて言われているが、そんな話があるかと僕は思う。
 しかし自信たっぷりにそう豪語する人間がいるのも確かで、自分がするあらゆる行いが社会貢献へと繋がり、社会が理想とする人間像の体現と言わんばかりに胸を張って歩いているが、自己の内から際限なく生まれる欲求を負荷と捉え、苦しむ変わり者がいるのもまた確かである。
 元々このプログラムは、そんな変わり者に向けて作られた拡張子だった。PIを通して血液中を流れる新体管理ナノマシンに命令を送り、神経や脳を刺激して感情の制御を行う事で沸き上がる欲求を抑制し、人為的に理想の人間へと人を近づける。
 だが、その理想とする人間の定義は誰が定めたのだろうか。政府の高官か? それとも政府中枢に設置されたサーバーを保護管理するAIが打ち出したのか? 
 確実なのは理想とする人間像は誰かが決めた物であり、その誰かにとっての理想でしかない。どちらにせよそんな物に近づいても、統制が取りやすい、単なる都合の良い生体パーツに成り下がるだけだ。
 だからちょこっとだけ、手を加えてやった。社会だの人間関係だのコミュニティだのと、余計な事は考えず、人間はもっと自身に対して素直になった方がいい。
 アロルドがジャックを殺すなんて結果に繋がったのはある意味予想外ではあったが、少なからずそういった感情、もしくは不安が彼のどこかに存在していたのだろう。アロルドはジャックを育てて行く事に対して不安を抱いていた。父親としての責任を果たせる自信が無かった。そんな彼の潜在的な欲求を、PIに組み込んだこの拡張子は目的通りに汲み取って実現した。
 半分まで減ったボトルの中身を一気に飲み干し、空のボトルをリサイクルボックスへ投げ込む。突然の局員の来訪に焦りこそしたが、何も知らない友人を、確かに装えたと思う。
 保安局に出向かなければならなくなったのは正直面倒だが、そのくらい我慢しよう。まだまだ改良の余地はあるが、こいつはなかなか使える代物だ。
 甘い欠伸を1つ付き、作業場へと足を向ける。ボディが外されたままのホログラム発生機が僕を待っている。ウィンドウを閉じる前にPI内の時計に目を向けると、深夜を少し過ぎていた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み