第51話 銀行預金横領犯人、中村洋子の自白

文字数 2,233文字

 銀行預金横領犯人、中村洋子の自首は新聞やテレビ、週刊誌などでセンセーショナルに報道された。「美人銀行員のカネと男」「犯行の陰に男あり」・・・
 中村洋子、本名 橋本久美は平成〇年〇月〇日、埼玉県の越谷市で生まれた。公務員の父に中学教師の母、兄一人、姉一人の末っ子だった。
 子供の頃は友達も少なく本を読むことの好きな内気な少女だった。
地元の商業高校へ入学してからも休日にはクラシック音楽を聴き、ポピュラーや歌謡曲などは敬遠していた。男の子とデートするよりは女の子同士でピクニックに行く方が楽しいという性格で恋愛経験も無かった。だが、夢想する異性の理想は高かった。眼が綺麗で背が高く星の王子様みたいな人・・・相当のロマンチストで面食いだった。
 高校卒業後、久美は進路指導の先生から勧められて、メガバンクに就職し地元の越谷支店に配属された。銀行は久美にとっては適職だった。久美は小遣い帳を購入して一円単位まで正確に記録し、金は出来る限り使わず、趣味は貯金。金銭に対する感覚は細かく、家族に対してさえ例外ではなかった。
親子であっても金は他人だ・・・金銭に執着する生真面目な性格の女性だった。
面食いという男性の好みは、社会人になってからも相変わらずだった。合コンをしても見合いをしても、見た目が気に入らないと断り、身長を訊いては断った。無論、太った男は論外だった。
 そんな久美が初めて男性を好きになったのは二十歳の時だった。
相手は銀行に出入りする二十八歳の顧客で、名前を西田利夫と言った。青年会議所のメンバーで旅行代理店を営む西田は高級レストランで久美を口説いた。キャデラックに乗り、服装や身の回り品もブランドで固め、財布にはいつも二、三十万円が入っていた。一八〇センチの長身で超ハンサム、青年実業家と言った感じで、夢にまで見た理想の男性だった。久美は忽ち夢中になり肉体の関係も直ぐに出来た。
だが、久美が金持と思って疑わなかった西田は、実際には、代理店の経営に行き詰まり金策に走り回っている状況だった。
 関係が出来た二週間後、西田は久美に三十万円の借金を頼み、久美は、直ぐに返して貰える、と思って了承した。そして、その後も五十万円、八十万円と、様々な理由をつけてせびる西田に久美は金を貸し続けた。キャッシュカードまで彼に預けたことも有った。西田が金をむしんするのは何時もホテルのベッドの中だった。
「家族でも金銭は他人」という感覚を持っていた久美は次第に不安に思うようになったが、その都度、西田は甘言を弄して久美から金を巻き上げた。
「もう直ぐ纏まった金が入るから、そうしたら倍にして返してやるよ」
 だが、久美の貯金がゼロに近づいた頃、西田は銀行のオンライン詐欺を久美に持ち掛けた。久美は頑なに拒否したが、西田は必死に久美を口説いた。
「二人で九州へ行って、江戸前の料理屋でも開いて暮らそう、な」
久美は西田の夢物語で犯行を決意した訳ではなかった。西田には既に七五〇万円余りもの金を用立てていた。
もし西田の言うことを聞かなければ、このまま彼と別れてしまえば、貸した七五〇万円は返って来ない。これまでコツコツと貯めた大切な財産が無くなってしまう・・・貯金も無くなり、その上、彼に捨てられたら、私は生きて行けない・・・そう強く感じたことが犯行を決意する大きな動機となった。
 
 犯行当日の一月二十五日、出社した久美はオンライン操作をし、事前に開設して置いた三つの架空口座に計一億二千万円を入金した。時間にして三十分足らずだった。
「体調が悪いので、早退させて頂きます」
そう言って銀行を出た久美は東京駅、浜松町と移動し、六千万円の現金を引き出した後、待ち構えた西田にその金を渡した。西田はその内の一千万円をその場で久美に渡した。借りた金の返済分と手切れ金の二五〇万円だった。
「ねえ、一緒に逃げてよ」
「駄目だ!二人で逃げたら目立つだろう。一か月後には必ず行くから・・・」
捨てられたとも悟らずに久美はそのまま羽田空港から直行便で宮崎へと飛び立った、西田の言葉を信じて・・・だが、西田は一カ月経っても宮崎へは現れなかった。
 オンライン犯行が発覚した当初、銀行の上司たちは久美が関与したとは思いも寄らなかった。五年間真面目に働いて来た久美は周囲からの信頼も厚かったし、品行も極めて良かった。だが、端末機や伝票記録を調べたところ、架空入金をしたのは姿を消した橋本久美だと判明して誰もが大いに驚いた。

 自首した後、久美の身柄は宮津警察署から捜査本部の置かれていた埼玉県警越谷署に移送された。
 空が四角に見える薄暗い独房の中で、久美は、否、洋子は裕次のことを思っていた。
裕次さん、真実に有難う。あなたのような人は初めてだった。あなたにはもっと若い頃に出逢いたかった、そうしたら私の人生も随分と変わっていただろうに・・・でも、もう私のことは忘れて下さい。あなたは旅館の支配人として、将来はグループを牽引する一人として、刑務所とは無縁の安全地帯に居る普通の社会の人なのだから・・・私とは別の世界の人だから・・・それに、一度犯した罪は決してこの世から無くなったり消えたりすることは無いのだから・・・私はあなたの純粋な愛に縋って生きて行くような柔な生き方をしてはいけないのだから・・・あなたのことは決して忘れないわ、裕次さん・・・
 四角い空を眺める洋子の眼にうっすらと涙が滲んだ。その涙の中で裕次の笑顔が揺らめいた。
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