第42話 靖彦、初恋の真理子と想い出巡り

文字数 3,030文字

 桜の花も散り去り新緑が芽生えた黄金週間の真中のことだった。夜遅くに靖彦の家の固定電話が鳴った。
「もしもし、靖彦さん?私、真理子です、高木真理子・・・」
一瞬、虚を突かれた様に靖彦は返事が出来なかった。
暫くして、漸く思い出した。高校を卒業するまでの二年間、靖彦が交際していた同級生だった。
「ああ、高木か、高木真理子か・・・」
「やっと思い出してくれたのね、そう、真理子です」
「でもどうしたんだ?急に、電話なんかして来て」
「あのね、私、今度、結婚することになったの」
「そうか、結婚するのか、それは、おめでとう」
「有難う。でね、独身最後の思い出にあなたと一日ゆっくり過ごしたいの、二人きりで。どう?付き合ってくれるでしょう?いえ、お願い、一日付き合ってよ、ね、お願い」
哀願するように請われて、靖彦にも断わる理由は無かった。
「解かった、良いよ」
「嬉しい!じゃ、明日の朝、九時に新高岡駅の正面エントランスで待って居るわ。今から楽しみだわ」
最後に真理子は、今夜は眠れそうにないわ、と言って電話を切った。

 靖彦と真理子は高校一年の文化祭で上演する演劇のキャスティングで知り合った。どういう訳か、靖彦が主役を務め真理子がヒロインを演じることになって、二人は連日、厖大なセリフと芝居の稽古に没頭した。内容は、今はもうよく覚えてはいないが、若い高校生の悩み多き青春を描いたシリアスドラマだったと、靖彦は記憶している。真理子は長い髪を首の後ろでひっ詰め、長い足で颯爽と歩く高一にしては大人びた貌の美形だった。良く動く大きな瞳に小さめの唇、高い鼻梁、小麦色の肌、靖彦は何処か眩しくて真面に彼女の眼を見ることが出来なかった。上演した劇は好評で校長賞を授かり、二人は学園のスターの一人となった。そして、二年生に進級して、二人は同じクラスに組み入れられた。二人の通った高校は県内有数の進学校だったので、学業成績の良い子がスターだったし、真理子は忽ちにしてその仲間入りをした。が、真理子は誰をさて置いても、旧知の靖彦に積極的に接近して来た。二人はノートを見せ合い勉強を教え合って、才色兼備の真理子に靖彦は直ぐに彼女の虜になった。腰が括れ、胸が大きくなった真理子の姿態に靖彦は欲情さえ覚えた。河原や公園で二人きりになると、手を繋ぎ、肩を抱き合って、時には淡い接吻さえ交わした。然し、高校生の二人にはその先へ進む勇気は無かった。卒業後、真理子は地元の国立大学へ進学し、靖彦は京都の私大へ通う為に故郷の街を出て、二人はそれっ切り疎遠になった。靖彦が帰省しても顔を合わせることは無く、既に七年の歳月が流れ過ぎた。

「お待たせしちゃってご免なさい」
大きく手を挙げて靖彦の前に現れた真理子は見紛うほどに大人の女に成長して、その美貌は一段と増していた。
「お久し振りね。お元気そうで何よりだわ」
「ああ、君も元気そうだね、一段とその美貌は増したし・・・。然し、君のご主人になる男はこの上なく幸せだね。結婚するんだってな、改めて、おめでよう!」
「有難う。で、その祝う気持を一杯にして、今日一日、私の言う通りに付き合って欲しいの」
「解かった。何処で何をするか、君に任せるよ」
 
 金沢駅に降り立った二人が兼六園口を出ると、「もてなしドーム」というガラスのドームに迎えられた。
「こんなドーム、昔から在ったかな?」
「在ったわよ、これは十年余り前に造られたんだから」
「そうか、全然覚えていないな」
ドーム横のバスターミナルで真理子は周遊バスの一日フリー乗車券を買った。程無く二人は右回りコースの周遊バスに乗り込んだ。
 十分ほど走った橋場町バス停で真理子が先導して二人は降車した。三分ほど歩くと「ひがし茶屋町」界隈だった。此処は金沢三茶屋町の一つで、出格子の風情あるお茶屋が軒を並べていた。
「あっ、あそこ」
真理子が指差した先に「志摩」と言う見学出来るお茶屋建築が在った。二人は入館料を払って中へ入って行った。ひょっとして着物姿の艶やかな芸姑さんに出逢えるかと靖彦は期待したがそれは叶わなかった。
「志摩」を出た後、金箔や加賀友禅などの工芸品を扱う土産店や抹茶や和菓子を味わえるお休み処などを左右に観乍ら二人は「ひがし茶屋町」を一巡りした。
 二人は又、バスに乗って兼六園や金沢城方面を目指し、五分ほど揺られて兼六園下に着いた。バス停から桂坂を上ると左側が「兼六園」だった。
兼六園は水戸偕楽園、岡山後楽園と並ぶ日本三名園の一つで、四季の折々に美しい姿を見せ、特に冬の雪吊りの幽玄美は有名な「コトジ灯籠」と共に金沢の象徴とも言われている。
兼六園下に在る「石川県観光物産館」では金沢を初め石川県内の名産品の展示販売の他に和菓子づくりや郷土玩具づくりなどを体験できた。二人は小一時間かけて「加賀八幡起上り手描き」に挑戦した。恰好の旅の記念品が出来上がった。
 それから二人は石川橋を渡って、見事な石積みの「石川門」を潜った。金沢城の敷地に足を踏み入れると、復元された「菱櫓」「五十間長屋」「橋爪門続櫓」「河北門」などの優美な姿が表れた。二年前に再現された大名庭園「玉泉院丸庭園」も見事だった。この玉泉院で二人は和菓子付きの抹茶を喫した。
 玉泉院丸から、旧県庁庁舎である「しいのき迎賓館」を臨みつつ玉泉院丸口へと降り立って芝生広場を抜けた二人は少し空腹感を覚え、「金沢二十一世紀美術館」の直ぐ近くに在った洒落たレストランへ入った。
「あの時、十七歳だった俺たちも、こんな瀟洒なレストランで昼飯を食ったのかな?」
「そんな訳ないでしょう。あの時は、近くに在ったマクドナルドでハンバーガーをかじったのよ。あなたは大口を開けてパクパクかぶりついていたけど、わたしは格好悪いし恥ずかしいしで、凄く食べ難かったのよ」
「あっはっはっは。然し、大体、何でこの金沢でデートすることになったんだっけ?」
「そりゃ、高岡や富山ではクラスメイトや知合いに出会う危険性があったからでしょ。でも、金沢へ来ても、何処で何をして良いのか皆目分からず、結局、一日周遊バスに乗って、今日と同じコースを見て廻ったって言う次第よ」
「そうか、そうだったな。それで、今こうしてその思い出の場所を訪ね歩いている訳なんだな」
 昼食の後、二人は金沢の新しい文化の象徴とも言える現代美術の施設を横目に見て、徒歩で、広坂通りの市役所や繁華街の香林坊を通って「長町武家屋敷跡」へ向かった。
 十分少し歩くと、藩政期の姿を其の儘に、用水が流れ土塀に囲まれた屋敷の連なる一帯が見えて来た。靖彦は武士の気分に、真理子は奥方の気分になって散策を楽しんだ。そして、武家屋敷の一つである「野村家」に入って屋敷内を見学し、茶室でお茶を戴いた。
往時の雰囲気を満喫した後、五分ほど歩いて香林坊まで戻り、再びバスに乗って武蔵ケ辻の「近江町市場」へ向かった。
 金沢の代表的な観光スポットの締め括りに欠かせないと言われているのが「近江町市場」である。金沢近海の鮮魚や海産物或は加賀野菜などを扱う店がぎっしり集まっている伝統の市場だった。
 その後、バスに乗って五分余りで金沢駅に着いた二人は駅構内に在る「金沢百番街あんと」に立ち寄って名物の和菓子類などを見て廻った。
 靖彦が、これで帰るのか、と思っていると真理子が徐に言った。
「ちょっと駆け足での思い出辿りだったけど、これからは今の私たちに相応しい大人の思い出を一緒に作りましょうよ」
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