第16話 海パンの人

文字数 1,423文字

 商売にも慣れ、客にも慣れ、精神的にも安定して来た頃。
秋(飽き)が来た。

九月、祭りも過ぎたある暑い日の事であった。
今日もまた、愛すべき常連の「変客」が、朝から買い物に来ている。
午後、忙しさも一段落した頃、いつものように石田が、『おでん制作中! 暫し待て』の 札(フダ)を鍋にぶら提げ、おでんを作り替えている。
静子はフロアーに出て、売れ残った朝刊の返却整理をしている。
するとドアーチャイムが鳴り、男が店に入って来る。
静子はお客様の足元に邪魔にならないょうに、整理した新聞をフロアーの隅に・・・。

 「いらっしゃいませー」

静子は男を見上げる。
男の風体(フウテイ)は上から順番に、まず阪神タイガーズの野球帽を被り、アロハシャツを羽織って耳に「赤鉛筆」を挿している。
が? その下は、濃紺の競泳用『海水パンツ』にビーチサンダルである。
静子は急いで視線を逸(ソ)らす。
男は「おでんを制作中」 の石田の前に来て ジッ と鍋の中を覗(ノゾ)いている。

 「オデンはまだ出来てないっスよ」

男は薄気味悪い笑いを浮かべて一言。

 「シラタキ」

石田は怒って、

 「オデンは出来てないでスッ!」
 「いいよ」

石田は声をはって、

 「売れませんッ!」

男は石田の言葉を無視して、

 「シタラキ」

石田は呆れた顔で、

 「オナカ壊(コワ)しても知りませんよ」

男は石田の忠告を無視して、

 「二つ」

石田が舌打ちをし、

 「暖(アッタ)めてから食べて下さいよ」

シブシブ、発泡スチロールのトレイを取り出しシラタキを入れる石田。
男はまた不気味な笑いを浮かべて、

 「クシ!」
 「え〜え、だめですよー」
 「カマネエーよ」

石田は男を睨みながら串を一本、トレイに入れる。
男は小銭をカウンターに置き、トレイを片手に店を出て行く。
ハエが一匹、男の後を追って行く。
静子は、そっとその男を目で追う。
弾ける様な海パンの腰に、『競馬新聞』が折り曲げて挿してある。
すると、男は道路の真ん中にしゃがみ込み、競馬新聞を見みながらシラタキを串に刺して、旨そうに食べ始める。
男は静子の視線を感じたのか、振り返り静子に笑顔を送る。
静子は急いで視線を逸らす。
石田はおでんの味見をしながら

 「・・・あんなのばっかりっスよ」
 「あのお客さん水着だったわね」
 「え? ああ、アイツ、夏は海パンで通してるんス。洗濯しなくて良いからでしょ」
 「え〜えッ! そんな。・・・でも、あんなの食べてお腹壊さないかしら」
 「だって、本人が冷たくたて良いッて言うンだもん。アイツ、トコロテンか何かと間違ってんじゃないスか。『ウマキチ』だけっスよ。あんなの喰えるヤツは」
 「ウマキチ? ああ、あの競馬新聞ね」
 「違いますよ。アイツの名前(ナ・マ・エ)!」
 「ええッ!?」
 「アイツこの前、うちの店留メ(ミセドメ)で田舎からリンゴ、送って来(コ)させたんスよ。そこに、藤田馬吉って書いてあったんス」
 「ああ、それで・・・」
 「最初、夜勤(バイト)の藤田のヤツかなっと思ってたんスけれど。アレが取りに来たんス」
 「でも、うちの店留めって、馬吉さん住む所ないのかしら」
 「知らないっスよ、そんな事まで。だいたい、この店の住所を家代わりに使ってるヤツは 山谷の町 広しといえど、あの海パン男だけっスよ」

静子は思わず笑いを堪え、

 「イシちゃん、アンタって本当に面白い娘(コ)ねえ」
 「なに言ってんスか。面白いのはこの店の客っスよ」
                    つづく
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