第7話 ボヘミアン

文字数 1,840文字

 石田は面接を終えて、売り場に出て行く。
龍太郎も石田の後を追って売り場へ。
トイレの前まで来ると・・・。

 「あれ? 電気が点けっぱなしじゃないか。ッたく」

龍太郎がスイッチを切る。
するとトイレの中から情けない声が。

 「ア~!」

龍太郎は驚いて、

 「あッ! すいません」

急いでスイッチを元に戻す。
龍太郎は売り場に出て来てレジカウンターの静子に、

 「トイレ、誰か使ってるの?」
 「トイレ? ・・・ああ! そうだ。そう言えばあの人」

静子は売り場の時計を見る。

 「・・・長いわねえ」
 「いつ入ったんだ」
 「三十分位前かな?」

龍太郎は静子の顔を見て、

 「三十分マエ?」
 「オナカでも壊したんじゃない?」
 「ウンなあ・・・。何やってんだろう」

静子は怒って、

 「知らないわよ」

そこにバックルームから商品を抱えた石田が出て来る。
静子の傍に来て、

 「店長!トイレって誰か使ってんスか?」
 「そうなの。ず~と」
 「おかしいっスよ。水、流れっ放しみたい」

さすがの静子も気持ちが悪くなり、

 「ちょっと。オーナー! 見て来てよ」
 「見て来てよって言ったって、入ってるんだろ。それは出来ないだろう」
 「首でも吊ってたらどうするの」
 「それは無い。さっき知らないでトイレの電気消したら変な声がしたから」
 「変な声? いいから、行って来なさいよ」
 「誰が?」
 「誰がって、アンタしか居ないじゃない」

気の進まない龍太郎。
静子を見て、

 「何て言えば良いんだよ」
 「そんな事、丈夫ですか? しかないじゃない」
 「ええ?」

すると石田が、

 「アタシ、行きましょうか」

そう言われたら龍太郎の面子(メンツ)が立たたない。

 「いいッ! 俺が行く」

龍太郎は仕方なくバックルームに入って行く。
心配そうに見送る静子と石田。
トイレの前に立ち尽くす龍太郎。
カウンターからジッと見つめる静子と石田。
龍太郎は心細そうに二人を見る。
怖い顔をした静子が、龍太郎に目配せをする。
意を決して龍太郎が、

 「あ、あの〜、すいません。お客さ~ん、トイレ借りたい人が待ってるんですけれど」 

返事が無い。
トイレの水はまだ流れっ放しの様である。

 「お客さ~ん! どうかしましたか? 大丈夫ですか~」

するとまた、あの情けない奇妙な声が。

 「は~い。大丈夫で~す」
 「あの~、トイレを借りたい人が」
 「は~い。今、出ま~す」

石田がそっと龍太郎の傍に来て、

 「何やってンでしょう」
 「うん? う~ん」

石田が逃げる体勢でトイレのドアーを思いっ切り叩く。

 「ドンドン!」
 「お客さーんッ! 営業妨害ですよ。警察呼びますよ~」
 「は~い。今、出ま~す」

シビレを切らした龍太郎が声を荒げて、

 「ヨシッ、不法占拠だ! 石田さん、警察ッ!」
 「ハイ」

するとトイレのドアーがソ~と開き、中から髪の毛を濡らし、スッキリとした顔の男が出て来る。
トイレの床は水びたしである。
龍太郎と石田は男の姿に呆気に取られ目が点。

 「お、おい、君、トイレで何をしてた。オイ!」

男は何も言わずに店を出て行く。
龍太郎は男を追いかけて店を出て行く。

 ダストボックスの上で『雉トラ』が龍太郎を見ている。

暫くして龍太郎が一人、店に戻って来る。
カウンターから静子が心配そうに、

 「どう、捕まえた?」
 「うん?・・・うん」

トイレの掃除を終え、濡れたモップを持った石田が龍太郎の傍に来て、

 「プー(プー太郎・浮浪者)でしょう」
 「プ~?・・・うん。まあな」

静子が浮かない顔の龍太郎を見て、

 「どうかしたの? 元気がないわね。何か遭ったの?」
 「うん? うん。アイツ、・・・うちのトイレを風呂代わりに使ってたらしい」
 「ええッ!」
 「ついでに洗濯もしてたみたいだ」

石田が目を丸くして、

 「風呂?」

静子も一瞬、男が便器の中で洗濯するのを思い描いて、

 「セッ、洗濯?」
 「ウッソー! 信じられない。変なヤツがいっぱい来るけど、店のトイレを風呂代わりに使った客なんて初めてだよ。この店、また一つ伝説が増えた」

すると、龍太郎が初めて目の当たりに見た『ホームレスの実態』を解説するように、

 「石田サン。あれは客じゃない。まさに絵に描いた様な人生の放浪者だ。ボヘミアンなんだよ。これがこの街の実態なんだよ」
 「あのボヘミアンて何スか?」
 「プー太郎だよ」
 「ああ、浮浪者(フロウシャ)ね」

石田は笑いをこらえ切れず、事務所に走り込んで行く。
 この日から龍太郎の頭の中が、変(ヘン)に成って行く。
                    つづく
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