文字数 1,443文字

 話は、以下のようであった。
 二百年ほど前、大竹家は、村の名主(なぬし)であった。十数人の近隣の名主の上には、それをまとめる庄屋がいて、藩とのつなぎ役を担っていた。藩、庄屋、名主という上下関係がはっきりしていた。
 ある年、大雨がその地域を襲った。突然の集中豪雨で河川の氾濫、洪水の危険が迫っていた。ところが、藩には連絡が取れず、それどころが、名主をまとめる庄屋が城下に行って帰って来ていない状況であった。だからといって、勝手な行動をすれば罪に問われると知りながら、行動を起こす名主はいなかった。業を煮やしたご先祖の与茂七様は、近隣名主に号令し、堤防の決壊を防ぐために、堤防補強のため、自らが所有する山林の木を伐採し、それでも足りず、庄屋と藩の所有する山から木を切り、ようやく決壊の危機を免れることとなった。
 与茂七は、村人に感謝され、与茂七は、近隣の名主の(かしら)として評判をあげた。面白くないのは、庄屋。大雨が近づいていることを知りながら、城下で遊興していたことをひた隠しにし、それどころか、藩の御用材を無断で使ったと与茂七のことをお上に訴えた。
 彼は、捕らえられ、藩の裁きを受けることとなった。
「庄屋の訴えによると、おぬしは、庄屋や代官の指示を受けることなく、勝手に庄屋や藩の木を切ったということだが、相違ないか」
 彼は、堂々と反論したそうだ。
「この度の大雨は、例年と違い突然でございました。大雨が、川に流れ込み、あわや堤が破れ、田畑が洪水に飲み込まれる寸前でございました。すぐにでも、対処せねばならなかったのでございます。しかし、残念ながら、大雨の中、庄屋様、お代官様にお許しを得る時間も手立てもなかったのでございます」
 与茂七は、やむなく行動をしなければならなかった状況を説明した。
「おぬしが、近隣の名主をまとめ、堤が切れぬよう尽力したことは、調べがついておる。しかし、抜かったのは、人様の木を勝手に切る権限はおぬしにはないことじゃ。しかも、恐れ多くも、藩の山から伐採するとはどういった魂胆じゃ」
「そのことでございます。まず、庄屋様の木を切ったのは、日ごろから、庄屋様は、村人思いで、この度のことも、必ずや意を汲んでいただけると信じておりました」
 庄屋が、苦い顔をした。
「藩の木を切るについては、藩から預かっている田畑を洪水ごときで無くしてなるものかと考え、必要最小限切らせていただきました。加えて、今回堤防の補強に使った材木の正確な記録を残しております」
 与茂七の真摯で理路整然とした説明により、結果、藩としても褒めることであっても、咎めることではないという意見が大方となった。ただ、身分制の厳しい時代であり、訴え出た庄屋の顔を潰せば、「名主が身分が上の庄屋に勝った」と評判になる。そういうわけにもいかず、藩としては、与茂七の行動は、庄屋の指示で行ったものとし、「庄屋も名主たちもよく働いた」ということで、お咎めなしとした。名主や村人たちは、喜び、後世にこの話を伝えることとなったが、同時に、身分の上下がことの善し悪しを決めるという理不尽さも語り継ぐこととなった。
「この話には、まだまだ続きがあるが、うちのばばさまは、この話を語った最後には、正しいことを貫けば、誰からも尊敬され、極楽に行ける。そればっかりだった」
 囚人は、与茂七のその後の話を聞きたがったが、彼は、「忘れた」と、話をすることはなかった。老人もそれ以上は、話を求めることはなかった。しばらくして、彼は、老人とは別の牢に移った。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み