文字数 1,021文字

 外は、明治三十九年四月の明け方だった。
「お目覚めになりましたか」
 一瞬、茂蔵と思ったが、いとこの由雄(よしお)であった。
 由雄は、貫一が、東京で投獄中も、地元の様子を手紙で伝えてくれ、彼の指示を受け、地域を守ってくれる存在になっていた。
「無実が証明され、自由の身になった貫一さんは、これからなにをやられるおつもりですか」
 彼は、水を持ってきてもらうと、一気に飲み干し、語った。
「儂は、与茂七。いや、与茂七様がやろうとしてできなかったことに取り組む」
「与茂七様は何をやり残したと」
 由雄は尋ねた。
「まずは、この地を豊かにするために、この地域の治水をしっかりとやらなければならないと思っている。国を動かす大規模な工事が必要じゃ。川の流れを変えるような荒療治をせねばならん。由雄よ、儂が東京で、お前がこの地で、一緒に災害のない故郷をつくろうではないか」
 由雄は、にっこりと微笑み、
「よしわかった。貫一さんの力になれることなら、なんでも協力するさ」
 由雄は、村長として活躍しているだけでなく、最近は県全体へ活躍の場を広げて、地元で貫一をおおいに支えることとなった。
「そして、もう一つ。これは、今回の投獄でより思いが強くなったのだ。儂は、議論で国政を変えることができると信じ、集会を企画したのだ。しかし、民衆はそれを信じられず、暴徒と化した。政府はそれを力でねじ伏せた。これでは、封建時代と同じじゃ。その原因は、国民のほとんどが、国政選挙の投票権をもたず、そもそも議論で国政を変える場を与えられていないからだ。儂は、多くの国民が選挙権を持てるように活動しようと思う」
 当時、選挙権は男子のみであり、しかも、国民の二・二%でしかなかった。
「それは、いいことだが、風当たりも強いことになるのではないか。命がけの仕事になるぞ」
「恐れることはない。ご先祖の与茂七様の志を継ぐまでのことだ。正しいと思ったら、どんなことが起こっても、弱気にならないことだ。願いはいつか叶う。たとえ、儂が生きている間に実現できなくとも、儂は礎となる覚悟はできている」
「貫一さんは、苦難にくじけることなく前を見据えておられる。まるで、天からやるべきことの声が聞こえているようだ」
 彼は、思った。天の声とは、神の声だけではない。今は亡き先達の声でもある。また、今を生きる民の声でもあると。
「まあ、儂の神様は、不親切で、ちょっと貧乏臭いがのう」
 彼は、昇る朝日のなかで、晴れ晴れと決意した。
(了)
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