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 状況が変わったのは、彼が投獄されてから、一ヶ月後。貫一ら、集会の主催者を救うために、全国から、百五十人余の弁護士が東京に結集した。そして、事件から半年が過ぎた明治三十九年四月に、ようやく証拠不十分として無罪の判決を勝ち取り、彼は釈放された。
 自由になった彼は、東京で支援者に感謝の挨拶回りを行い、一段落すると、帰郷し英気を養うこととした。彼の頭の中には、次の政治活動のイメージがまだつかめていない状態であった。故郷で今後のことをじっくりと考えることも今回の目的でもあった。
 故郷の駅に着いた彼は、大勢の歓迎に息を飲んだ。数千人が、駅から祝賀会場までの沿道を埋め尽くしていた。大竹家の家紋を描いた小旗をうち振るもの。紅白餅を配るもの。花火を打ち上げるものもいた。「大竹先生万歳」の大合唱の中、先頭に地元の名士、後方に東京で活躍した弁護士に挟まれ、紋付き姿の彼は、三台の人力車でゆっくりと会場への道を進んだ。
 会場に着くと、名士の挨拶、弁護士による裁判の報告。そして、貫一の演説と続き、その後は、大騒ぎの祝賀会であった。宴は、夜を徹して行われ、翌日も続いた。彼は、生きて故郷に帰れたことを仲間とともに喜び、大いに飲み、大いに語った。
「正論は、どんな障害にも負けない。必ず歴史が評価してくれる」
と彼が述べると、
「さすがじゃ。与茂七様の生まれ変わりじゃ」
と声がかかった。
 故郷の人々が、民を助けるために立ち向かった偉大なるご先祖の与茂七様と彼を重ね合わせ、称賛してくれることを彼は喜んだ。また、故郷の人々にとって、与茂七様が、郷土の誇りであり、生きる指針となっていることに、末裔として彼は感動した。
 二日目の夜は、さすがに彼も疲れたのか、早々に寝ることとした。
 寝室は、この日に備え、畳替えした二階の部屋。まだ、春半ばの季節であり、牢獄での夜具と違い、やわらかく厚い布団を掛けて眠りについた。
 明け方近くになって、人の気配がして、目を覚ました。驚いたことに、牢獄で一緒であった老人が、枕元に座っていた。顔を老人の方に向けると、
「釈放された気分は、どうじゃ。いい気分か」
 老人が、声をかけてきた。
「おぬしは、儂は生きて牢屋からは出られぬといったが、こうして、無罪放免じゃ」
「おうよ、あの時は、脅かして、申し訳なかったのう。お前に、死の覚悟をもってもらおうと思って言ったのじゃ」
「大きなお世話だ」
「わしは、人ではない。人の死を司るものじゃ。だから、あえて、牢獄を仮の住まいとしている」
「ほう、そんな神様には、死刑にならなかった儂は、用がないのではないか」
「まあそういうもんではない。儂は、いろいろな時代を行き来して、仕事をしておるのだ。お前が牢獄で語った与茂七の伝説のことも知っておる」
 老人は、少し言いにくそうに目をそらし、
「実は、お前が尊敬する与茂七が、あの伝説の大雨の日に死んでいるのだ。しかし、それでは、この村の言い伝えが消えてしまう。それは、あってはならない」
「なにを言っているんだ。与茂七様が、言い伝えの活躍ができずに亡くなったなどあり得ないし、そのような戯れ言、許されることではないぞ」
「わかっておる。だから、儂は、お前の前に姿を現した。お前が、儂の切り札なのだ」
「どういうことだ」
「現世では、一瞬のことであるが、お前には、あの時代に行き、与茂七の代わりを担ってもらう。そのために、牢獄生活も経験してもらった」
「何を言っているか、さっぱりわからん」
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