文字数 1,402文字

「旦那、生きてここから出られませんぜ」
 牢名主というのは、大男でけもののような風体かと思っていたら、牢獄の奥から声をかけてきた老人は、この世のものとも思えないほど、体は痩せ、眼だけが、淡く光って見えた。後で他の囚人に聞いても、なんの罪で投獄されたかも知れず、いつからいるのかもわからない。しかし、どんな荒くれた者が入ってきても、誰もこの人の座を奪おうとせず、おとなしく従うそうだ。
「お前に、何がわかる」
 男は、投獄が不本意であることもあり、少し苛立ちながら言葉を返した。
 そのボロボロの着物に下帯だけの老人が言う。
「いやなに、旦那が、大竹貫一(おおたけかんいち)っていう代議士先生だってことを百も承知で話しておるんじゃ」
「ほう、では何を根拠に、儂がここから生きては出られんというのだ」
 大竹貫一と名指された男が尋ねた。
 男の顔は、髭が伸び放題であり、少し頬もこけていたが、眼光は鋭く、凛とした姿をしていた。彼は、四十五歳になっていた。
「大竹の旦那は、あの日比谷での騒動の首謀者として、ここに入れられなすった。お上には犯人が必要なんでさ。それは、徳川様から明治の御代になっても同じこと。言論の自由なんていっても、民の声は届いたためしがねえ」
 この男の逮捕は、「凶徒嘯集(しょうしゅう)罪」という容疑であり、政治犯としての投獄であった。
 明治三十八年九月五日。東京日比谷公園で日露戦争の講和に反対する大集会が行なわれることになった。彼は、この集会の主催者の一人として、民衆の前で政府に対する反対意見を堂々と述べ、政府に再考を迫ろうとしていた。しかし、当時、重い税金を払い、遠い敵地で奮戦したにも関わらず、生活はよくならず、しかも、政治に対して発言しようにも、選挙権がなかった民衆の不満は想像以上であった。結果的に、数万もの人々が首相官邸や新聞社を襲撃し、警察署や電車に火を放つなどといった暴動が起こった。彼は、そのきっかけをつくったかたち(﹅﹅﹅)になってしまった。事件の翌日には東京市府下一帯に戒厳令まで公布され、この大事件で、彼は、主催者数人とともに暴動を煽動した容疑で逮捕、投獄された。
 当時、彼は、帝国議会の代議士であった。明治二十三年の第一回議会が開会された四年後には、衆議院議員に当選し、この頃は古参代議士として活躍していた。ただし、彼は、自らの信念を優先し、当時、頻繁に行われていた政党再編によって生まれた与党には組せず、常に、少数野党に籍を置いていた。少数野党に属していても論が正しければいつか必ず、意見は実現するというのが、与党に誘われた時の断りの常套句であった。自分が納得したことは、与野党問わず賛成し、納得しなければ敵となる。そのことで、多くの人に尊敬され、同時に、与党には恐れられていた。
「まあ、正しいと思ったら、どんなことが起きても、弱気にならないことだ。願いは必ず叶う」
 彼は、明るく語った。
「何をのんきなことを……」
 老人は呆れ顔で呟いた。
「いや、儂の生まれ故郷では、ある言い伝えと一緒に、耳にタコができるほど聞かされておる話なのだよ」
「ほお、その話、聴いてみたいもんだな」
「ちと、長くなるがよいか——」
 彼は、幼い頃、祖母から何度も聴いた村に起こった出来事を語り始めた。
「今から二百年ほど前の我が大竹家のご先祖の与茂七(よもしち)様の話じゃ」
 彼が、語り始めると、老人だけでなく、周りの囚人たちが耳をそばだてて聴いているのが分かった。
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