文字数 1,483文字

「俺が、与茂七にいの言いつけを守らなかったばっかりに、とんでも無いことになってしもうた」
 茂蔵が語った。
「俺は、庄屋の家に行き、まずは金を返した。それでは、証文を、となった時、庄屋が、近隣の名主には、村をまとめてもらい、感謝している。特にお前の兄貴分の与茂七には頭が上がらないと褒められたんでちょっといい気になってしまった」
 言葉が途切れた。後悔の念が襲ってきたのか再び話し出すのに時間がかかった。
「庄屋が、酒も料理も準備しているので、どうぞたっぷり、やってくれ。その間に、あれは準備するからと言われ、目の前の豪華な膳に目が眩んだんじゃ。与茂七にいの言葉などどこかに消えてしまった。気がつくと、立てないほど酔っ払い、ふらふらになって家に帰って朝を迎えていた。もちろん、証文など手にしていない。俺は、慌てて庄屋宅に引き返し、証文を返してもらい損ねたことを訴えた」
 茂蔵が途切れ途切れに語った顛末について、残念だが、与茂七はすでに知っていた。言い伝え通りだったからだ。
「ところが、庄屋は、酒を振る舞ったことは認めたが、金を返してもらっていないと言い出し、証文は返せない。早く金を返せと逆に迫ってきた。俺は、俺は……。与茂七にいの心配していたことは、このことだったのかと、そこで気がついた」
 泣き崩れた茂蔵の話を引き継いだのは、たいまつをもった他の名主であった。
「その話を聞いて、近隣の名主を集め、こうなったら、みんなで庄屋にもの申さねばならんと、話がまとまった。名主だけでなく、金を借りた村人も加わり、庄屋宅の前に集まったのだが、庄屋は、恐ろしくなったとみえて、家の奥から出てこないんじゃ」
 与茂七は、もはや引き返せないところに来たと思ったが、これ以上の騒ぎを回避しなければならないと、
「こんなことをしたら、百姓一揆と間違われて、お上に咎められてしまうぞ。とにかく、家に帰れ。後は、儂が庄屋と話す」
 事情を知る茂蔵が残ることは認め、みんなを帰した。
 二人だけだから、中に入れて話をさせてくれと、大声で怒鳴ったが、庄屋宅の中からは何も返事がなかった。今日は遅いから、明日また出直そうということで、二人も帰ることにした。
 翌日、藩の捕り方が、与茂七と茂蔵の家を囲んだ。
(やはりこの日は避けられなかったか)
と、この先を知る、彼として、身が震えた。
 白洲では、前回同様、堂々と代官に意見を述べた。しかし、今回は、はっきりとした証拠がないため、圧倒的に不利な状況だった。
 証文の話をし、庄屋の家を調べて欲しいと訴えたが、受入れてもらえなかった。そのことよりも、庄屋を大人数で威嚇したことが、この時代では許されないことであった。
 二人は、牢獄に入れられ、お裁きを待つことになった。
「与茂七にい、俺が兄貴のいいつけを守らなかったばっかりに、とんだ迷惑をかけて、申し訳ねえ。みんな俺が悪いんだ。ほんとに申し訳ねえ」
 茂蔵は、ひざを落とし、両手を合わせ拝むように与茂七に詫びた。涙で、顔がぐしゃぐしゃになっている。
「茂蔵、けっして、お前のせいなんかじゃねえ。もともと庄屋が金を返してもらいながら受け取っていねえと、ごまかしたところから始まっている。悪いのは、庄屋なんだ」
「俺が酒に手を出したばっかりに……」
 彼は、運命に逆らえない自分を悲しく思った。
「儂が立ち会えなかったことが、ことを大きくした原因だ。むしろ、悪いのは儂だ」
「いや、与茂七にいは、村のけが人の対処をしなければならなかったんだ。勝手に動いた俺が悪かった。許してくれ」
 茂蔵の涙を見て、彼は覚悟を決める時が来たことを悟った。
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