第13話 三か月ぶりの実家

文字数 2,323文字

 十二月の最初の日曜日、修仁(しゅうじ)は一人で山梨に向かった。今回は聡子(さとこ)にも陸斗(りくと)にも内緒での行動だ。二人には「ちょっと出かけてくる」としか言っていない。

 修仁はあの暗い家の中にまた入るのか、と想像するだけで気が重かった。しかも卒業アルバムを探すとなると、二階の子ども部屋に入らざるを得ない。あの黒い生き物に出くわす可能性は十分にあると言えた。

 実家に着いたのは午前十時を少し回ったくらいだった。

 修仁は、普段であれば駐車スペースに頭から突っ込んで停めている車を、今日は道路上で切り返してから前向きになるように駐車する。
 そして自宅から持ち出してきた小型のLED懐中電灯を強く握りしめ、その指先の力から元気を得て運転席から外に出た。

 玄関は三ヶ月前に自分が施錠をした時と比べ、人の出入りの痕跡がますます失われていた。引き戸の前には落ち葉が厚く積もり、玄関マットが完全に隠されている。修仁は足を使って落ち葉を端にどかした。

 郵便受けを開けると、いくつかの広告チラシに挟まるかたちで美登里(みどり)が入れた免許更新葉書が入っていた。修仁はそれを抜き出すと穿()いていたチノパンのポケットに入れ、それから玄関の鍵を開けた。

 家の中は時間が停止しているかと思うくらいに物事の動きがなく、まるで古ぼけた写真の中に入り込んだようだった。

 玄関を入った瞬間から鼻腔(びくう)に感じた埃っぽい臭いは七月から変わりがないものの、気温が低いせいか刺激は弱かった。

 二階へ続く階段の先が、不安への入口のような仄暗(ほのぐら)さで迫ってきているように見えるのも夏から変わりはない。

 違うところといえば、土間にあったはずのサンダルが付近に見当たらないことだった。

 誰かが家に入ったのか。だが鍵を開けて入ったとすれば、それは駿(すすむ)しか考えられない。修仁は汚れた床を見て少し躊躇(ちゅうちょ)したものの、結局は靴を脱いで廊下に上がると、まずは和室に向かった。

 和室に変化はなかった。電気炬燵(こたつ)の上のガラスコップはそのままだ。

 修仁は大きく息を吐いた。今日は家を調べに来たのではない。卒業アルバムを回収するためだけに来たのだから、兄弟の部屋だけがターゲットだ。

 修仁は階段の前に立つと、LED懐中電灯を点けた。黒い生き物がいるかも知れないと考えると、すぐにでも家を逃げ出したい感情に駆られるが、もう居なくなっているのだろうと楽観すれば、怖がっている自分を嘲笑する感情も浮かんできた。

 一つの頭の中で、二つの相反する想像が混濁していた。

 修仁はできるだけ音を立てないように、足の運びをゆっくりすることを心掛けて階段を上がる。自分でコントロールできないくらいに全身が強張っているらしく、身体が前後に揺れた。

 数段上ったところで修仁は大きくよろめき、階段に手を突いた。懐中電灯が踏板に当たり、ガツンと大きな音が響いた。

 二階にたどり着いた修仁は、兄弟の部屋のドアが閉まっているのを見て、少しだけ安堵した。とりあえずドアを開けるまでの間、自分は安全圏にいるように思えた。

 そう言えば、七月に目の前の部屋から逃げ出したとき、自分はこのドアを閉めなかったような気がする。はっきりとした記憶ではないが、開けたままにしたのか、それとも閉めたのか、の二択であれば「開けたまま」が正解のはずだ。

 では、誰が閉めたのか。家中の窓が閉め切られているのだから外力は働かず、自然には閉まらない。

 駿兄(すすむにい)か、黒い生物のどちらかしか考えられない、という結論に至り、修仁は黒い生き物がドアを閉める姿が脳裏に浮かんだ。そして馬鹿馬鹿しくなって、身体の緊張が少し緩んだ。
もしもあいつが登場したら、また逃げればいいじゃないか。

 修仁はあえて荒々しくドアノブを捻ると、突き飛ばすようにドアを押した。勢いよく動き出したドアは回転半ばで軋んだ音を出し、そのまま止まった。

 室内は意外と明るかった、中央には白い布団が見える。黒い生き物の姿はそこにはなかった。

 修仁は部屋の中に足を踏み入れ、LED電灯の明かりとともに視線を四方に飛ばす。そして生き物がいないことが確認できると、懐中電灯のスイッチを切った。

 部屋が明るいのは、カーテンが破れ落ちた南の窓から、陽の光が入っているからだった。

 ほっとした修仁は、少し疲労を感じたので布団の上に座り込んだ。両手を背中側に伸ばして身体を支え、足を前に伸ばした状態で目線を前方にやる。その先には、駿の学習机があった。

 駿の高校の卒業アルバムは、学習机の備え付けの書棚に、大学受験の参考書と一緒に差し込まれていた。そこにあることは予想できていたものの、それでもお目当ての背表紙を見つけた修仁は安心した。

 駿が高校から持ち帰った後、なぜか明佳(さやか)の部屋に置きっぱなしにしていたのを片付けてやったのは修仁だ。それ以来、机の書棚を定位置とした卒業アルバムが別の場所に移動したことは一度もなかった。

 修仁は卒業アルバムを掴むと、埃を払ってから脇に挟んで部屋を出た。開けておいた方が家の中が明るいので、部屋のドアは閉めなかった。

 階段を下りようとしたところで、修仁はふと目の前にある父母の寝室が気にかかって足を止めた。閉まったままのドアの向こうで黒い生き物が潜んでいるように思えてきたのだ。

 思い切ってドアを開け、生き物が居ないことを確認したほうが気持ちが楽になりそうな誘惑に背中を押されたものの、結局はドアノブに触れるまでの度胸が修仁には無かった。

 あとは家を出て、帰るだけだ。修仁は(はや)る気持ちを抑えてゆっくりと階段を下りると、玄関で靴を履こうとした。

 その時、たった今自分が下りてきたばかりの階段の、最上階の方からバン、という音が聞こえた。

 修仁は瞬時に身体が硬直した。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み