第1話

文字数 1,023文字

 昼休み。報告書に目を通していると、デスクの上に影ができた。
「木村課長――」
 顔を上げると、総務課の吉岡真由美が目の前に立っている。吉岡真由美は俺が去年までいた総務課の時の部下だ。
「来週の火曜日何か予定が入っていますか」
「予定? いや、特に無いはずだが」
 手帳を取り出しながら応えた。
「相談したい事があるのですが、お時間をとっていただけませんか」
「うん、いいよ。そうだな、鈴蘭でどうだ」
 時々利用する向かいの喫茶店を提示した。
「あ、わたしはお酒の方がいいです。ここに七時にお願いします」
 怒っているような表情でメモを寄こすと、くるりと背を向け歩いて行った。いつも見惚れる。均整のとれた体からスラリとのびた長い脚が眩しい。
 何事かな? もう部署も違うし、仕事の話とは思えない。個人的なことかなと、メモに目をやる。ほう? これは――。相談は口実で、飲みたいということかな。ま、いずれにしろ、たまには女性と二人で飲むのもいいな。しかもあんな美人と。
 顔がにやけているのが自分でも判る。場所と時間が書かれた美しい文字を眺めていると、休憩を終えた部下たちが帰ってきた。慌ててメモを上着の胸ポケットにしまう。

 高層ホテルの三十八階。スカイラウンジから見下ろす都会の夜景は美しい。ありふれた表現だが、宝石をちりばめたように輝いている。
 だが、離れて眺めるのは美しいが、眼下のオフィスや飲食店では、多くの人が帰りたい気持ちを抑え残業に追われ、また仕事を終えた人たちは異臭と喧騒の中で上司や家族の愚痴を言い合っているのだ。
 それらは、今の俺には別の世界だ。なぜ、人々の生活を見下ろす場所にいるだけで自分が別世界の人間になった気になるのだろう? 窓に目をやりながら考える。
 二杯目のスコッチのグラスを口にもっていき、目を窓から店内に戻す。ラウンジの入り口に真由美の姿が見えた。ウェイターに訊ねて、俺を見つけた真由美はゆっくりした足取りでこちらへ来る。くびれた胴の下で、脚の動きと共に揺れる腰がなまめかしい。体にフィットしたアイボリーホワイトのワンピースが薄暗い店内で真由美を目立たせる。
「ごめんなさい。遅れたわ」
 テーブルの角を挟んで隣に座る。香水の、やわらかなかおりが拡がる。
「ドライマティーニを。えーっと、ロックで」
 案内して来たウェイターにメニューも見ずにオーダーをする。仕事中は髪をアップに結っているが、ほどくと肩まで下がる。ゆるくカールした髪が弾んでいる。
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