第3話
文字数 1,146文字
七年前、俺は同じ職場の通子と結婚した。通子はつつましやかでおとなしい女性だ。俺は清楚で美しい通子をすぐにでも辞めさせて結婚したかった。だが、通子から、せめてもう一年は仕事をしたい、と請われたので待ってのことだった。
あの時。風邪気味だったので止せばよかったのだろうか。
結婚して二年経った頃、大学時代の友人達と、会社近くの居酒屋で飲んだ時だった。俺はやはり調子がよくなくて、居酒屋のトイレを使用していた。個室での用を終えた時、外から話し声が聞こえてきた。
「……俺もいろいろな女とつきあったけれど、見た目だけでは判らないぞ。ほら、木村さんと結婚したおくむらみちこを知っているか」
「ああ、おとなしそうな女性だよな」
「それがね、結婚が決まってからも、何度か俺と関係を持っていたんだぜ」
話はまだ続いたが、あとは洗浄の水音で聞こえなかった。
俺は、妻の通子ことではないだろう、と思いたかった。だが、名字もあっている。しかも、声は聞き覚えがある。会社の誰かだ。俺は二人がトイレから出ていった後しばらくしてから、仲間の席に戻った。時間が長かったからか、友人の一人が「具合が悪いのか」と聞いてきた。俺は「風邪のせいで悪酔いしたようだ」と答え、先に店を抜けることにした。出口へ歩いていくと、途中のテーブルに山本が居た。彼の同僚たちと一緒だ。山本は一瞬驚いたようだが、「あ、木村さん」と、声をかけてきた。俺も挨拶を返した。
さっきの声は山本か。
歩きながら確信していた。
家に帰っても俺は通子を問い詰めなかった。体調が悪かっただけではない。怖かったのだ。
機会を逸したまま時を過ごした。だが、鬱々とした気持ちは失せてはいなかった。
ある日、接待で飲んで帰った時、通子が
「あら、香水の匂いがするわ。あなた浮気をしてきたのじゃないでしょうね」と言った。
冗談だとは判っていた。が、接待が上手くいかなかったこともあり、爆発した。山本のことを一気にまくしたてた。通子は初め否定していたが、認めた。俺と結婚するまで関係が続いていたのだ。結婚を延ばしたのも、続けていたかったからに違いない。俺は追求したが、強く否定していれば通子を信じただろう。山本があの時作り話をしていていた、と思いたかった。
その後、俺たち夫婦はそのことを話題にしていない。だが、咽に刺さった棘のように残った。
真由美の口からでた山本の名前で、咽の棘はちくりと動いた。
たまに、会社で山本を見ることがある。いつも爽やかに挨拶をしてくる。だが、通子とのことで俺を嘲笑している、と思ってしまう。山本の自信に満ちた態度には嫉妬も感じる。山本は過去の女性関係をべらべら話すような下劣な男だ。俺はずーっと蔑んできた。その気持ちが、かろうじて俺を支えてきたのだ。
あの時。風邪気味だったので止せばよかったのだろうか。
結婚して二年経った頃、大学時代の友人達と、会社近くの居酒屋で飲んだ時だった。俺はやはり調子がよくなくて、居酒屋のトイレを使用していた。個室での用を終えた時、外から話し声が聞こえてきた。
「……俺もいろいろな女とつきあったけれど、見た目だけでは判らないぞ。ほら、木村さんと結婚したおくむらみちこを知っているか」
「ああ、おとなしそうな女性だよな」
「それがね、結婚が決まってからも、何度か俺と関係を持っていたんだぜ」
話はまだ続いたが、あとは洗浄の水音で聞こえなかった。
俺は、妻の通子ことではないだろう、と思いたかった。だが、名字もあっている。しかも、声は聞き覚えがある。会社の誰かだ。俺は二人がトイレから出ていった後しばらくしてから、仲間の席に戻った。時間が長かったからか、友人の一人が「具合が悪いのか」と聞いてきた。俺は「風邪のせいで悪酔いしたようだ」と答え、先に店を抜けることにした。出口へ歩いていくと、途中のテーブルに山本が居た。彼の同僚たちと一緒だ。山本は一瞬驚いたようだが、「あ、木村さん」と、声をかけてきた。俺も挨拶を返した。
さっきの声は山本か。
歩きながら確信していた。
家に帰っても俺は通子を問い詰めなかった。体調が悪かっただけではない。怖かったのだ。
機会を逸したまま時を過ごした。だが、鬱々とした気持ちは失せてはいなかった。
ある日、接待で飲んで帰った時、通子が
「あら、香水の匂いがするわ。あなた浮気をしてきたのじゃないでしょうね」と言った。
冗談だとは判っていた。が、接待が上手くいかなかったこともあり、爆発した。山本のことを一気にまくしたてた。通子は初め否定していたが、認めた。俺と結婚するまで関係が続いていたのだ。結婚を延ばしたのも、続けていたかったからに違いない。俺は追求したが、強く否定していれば通子を信じただろう。山本があの時作り話をしていていた、と思いたかった。
その後、俺たち夫婦はそのことを話題にしていない。だが、咽に刺さった棘のように残った。
真由美の口からでた山本の名前で、咽の棘はちくりと動いた。
たまに、会社で山本を見ることがある。いつも爽やかに挨拶をしてくる。だが、通子とのことで俺を嘲笑している、と思ってしまう。山本の自信に満ちた態度には嫉妬も感じる。山本は過去の女性関係をべらべら話すような下劣な男だ。俺はずーっと蔑んできた。その気持ちが、かろうじて俺を支えてきたのだ。