第4話

文字数 1,141文字

「ふぅ~ん、山本君がね」
 俺はあまり関心を示さないような素振りをした。「で、何で僕に相談なのだね」
 真由美は、眼の高さに持ち上げたグラスを見ていたが、俺の方を向いた。
「課長、わたし、課長が総務課にいらした時、とても楽しかったの」
「ああ、僕も楽しかったよ」
 真由美は「わたしの場合はね」口を少し俺の耳に近づけて
「わたしの、好きな、素敵な、上司が、いたから、なの」と言った。
 え? 真由美は俺を好きだったのか。
「忘れた訳ではないでしょう。居酒屋に連れて行っていただいた時、課長はわたしの理想の男性よ、と言ったわ。酔ったからでないのよ」
「うん、そりゃ覚えているさ」
 まんざらでない気分だったことを思い出した。
「わたし、歓迎会で初めてお会いした時から課長のことが気になっていたの」
 思いがけない展開に改めて真由美を観る。やはり綺麗だ。無言で次の言葉を待つ。
「今日この店を選んだのも、飾りなく自分の感情を話せると思ったからなの」
 俺は話を整理した。真由美は山本から、つきあってくれと、告白されている。だが、真由美は俺のことが好きだ。つまり独身で将来有望な山本を振ってまで、俺とつきあいたい。そのことを俺に言いたいのだ。
 俺はグラスの淵に沿わせて氷を回した。クリスタルの澄んだ音が小さく響く。
 こんなに魅力的な女が俺に求愛をしている。
 心臓の鼓動が速くなった。どうにか、陳腐な言葉を探し出した。
「山本君とつきあっていいかどうか、僕に答えをだして欲しいのだね」
 ここは、考え直した方がいいのじゃないか。もっとふさわしい人が現れるよ、と続けようとした。
 だが真由美の口から出た言葉は、予想と違っていた。
「いえ、その答えはもう決めているの。結婚を前提におつきあいすることにしたわ。でも、返事は来月まで待ってもらっているの」
「来月?」
「何故来月かわかる?」
 グラスの側面を撫でる。
「今月中にわたしの恋を整理したいからよ」
「……」
 俺は真由美の真意を探っていた。
「わたし、決めたの。山本さんとつきあい始めたら、彼以外は考えないと。でも、それまでにわたしの恋の想いは叶えておきたいの」
 それを叶えられるのは――、そう言うと真由美は、深く俺を見た。
 その目に応じる言葉は俺にはなかった。目で応えようと、綺麗な顔を見るだけだ。心臓の鼓動が耳まで響いてきた。真由美の声が聴こえにくい。俺は真由美の口の動きを見る。今度は、吸いつきたいほどそそられる。
「課長、恋と結婚を割り切る女をどう思う?」
 返答に窮する問だ。ちらりと通子のことを考える。
 真由美は返事を待たずに続ける。「わたし、たぶん山本さんを好きになれる、と思う」
 でも――、声が少しふるえた。「わたしの最後の恋は課長なの」
 真由美の視線は、俺から離れない。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み