第5話

文字数 1,058文字

 もはや明確だ。躊躇することはない。俺も真由美を見る。
「君の想いを、叶えてあげることが、僕には、できるよ」
 意外とすんなりこの言葉が出てきた。
 真由美の表情はほとんど変わらなかったが、目が微かに(うなず)いた。
 俺はこの場で真由美を引き寄せ、抱きたい衝動に駆られた。それを、かろうじてこらえた。
 軽く咳払いをして、何気ない風に「ちょっと電話をしてくる」と、離れがたい気持ちを抑えて言った。店内は携帯電話が禁止されている。俺は店のエントランスホールまで動いた。
 電話を終えて戻ると真由美はスコッチとジントニックを追加オーダーしていた。
「ごめん」
 俺は席にかけながら言った。「どこに電話してきたと思う?」
 自分の質問で俺は興奮していた。にこりと笑ったつもりだが、どうだろう。目がぎらぎらしていなければよいが。
「え? う~ん」
 真由美は首をかしげながら腕を組んだ。腕が胸のふくらみを押し上げる。俺は、視界の隅にそれを捉えたが、視線を移すのは耐えた。
「奥さんかな? 今晩遅くなる、って電話したのかしら」
 真由美の目はその応えを期待している、ように見えた。
「いや、違う。それは先週のうちに伝えてある」
 家では些細な予定は居間のカレンダーに書き込むことにしている。幼稚だが、自分から話しかける機会を、わざと少なくしているのだ。今晩の件は『19:00 後輩と飲み』と書いておいた。詳細を訊かれることはめったにない。帰りが遅くなった時でも、何か言ってくることもない。
 スコッチとジントニックが運ばれてきた。俺はグラスが置かれるのを待つあいだ、口の中の唾を飲み込んだ。
「電話は、このホテルへかけたんだ」もう一度唾を飲み込む。
「ツインルームを予約してきたよ」
 真由美は驚いた様子は見せなかった。二、三秒間――俺には長く感じられた――黙った後、言った。
「わたしも泊りたいな」
 そしてジントニックに手を伸ばす。口に含み、ごくりと小さく飲み込む。また俺の顔を見る。俺は真由美から眼をそらすことができない。そのことの期待で、下半身が疼く。それを気取られないよう、話す言葉を探した。が、無理だった。真由美の目に捕らえられていた。二人の視線がからみあう。俺は、小さなエクスタシーを感じた。
 そのエクスタシーには性的なものの他に、加虐的なものもあることを覚えた。
 ――俺は山本に、同じ嘲笑を返してやれる。
 俺のエクスタシーが伝わったのか真由美の目は潤み、妖しく光ってきた。
 ――山本が結婚する女を、俺は抱くんだ。
 また通子のことが思い浮かんだ。罪悪感はない。
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