第5話 ジャンヌ・ダルクの運命
文字数 6,651文字
職員室に戻ってきた二人は、他の先生と生徒の注目を浴びながら簡易なパーティションで仕切られた打ち合わせスペースに座った。
一瞬の沈黙の後、先手を打って優月が口を開いた。
「私、先生に呼び出されるほど何か悪いことをしましたか?」
ヘラヘラした笑顔での無邪気な問いかけを無視し、副校長は冷たく優月に言った。
「大岡さん、本当に会長選挙に立候補するつもりなのかしら。この学校では長年、会長は男子、副会長が女子という構成になっているのは知っているわね。」
「もちろん知っています。でも女子が会長になってはいけないという事は規則で決まっている訳ではないですよね。」
優月は笑顔を崩さず答えた。
「大岡さん、あなたの意欲は素晴らしいし、私もその勇気には感銘を受けているわ。ただ、今の状況では女子が立候補することが難しいという現実もあるのよ。不文律というものになるかしら、明文化されていない決まり事。この棲み分けも不文律にあたるものよ。」
「もちろん、私はあなたが何かを変えたいという強い意志で動いているのも分かっているの、でも、この学校の生徒会は、会長の権限も副会長の権限もほぼ同等になっているわ。あなたがやりたい事は副会長ではできないことなのかしら。会長にならなくても、あなたのやりたいことは達成できるのではない?他の方法であれば、それがどんな方法であれ、私はあなたのやりたいことを可能な限り全力で応援するわ。」
副校長は優しく諭すように言った。
優月は副校長の言葉を聞きながら考えた。自分やさくら以前に立候補しようとした人たちは、こうやって言いくるめられ、あるいは副校長のサポートを受ける代わりに身を引いたのだろう。
だが、どこか空虚に聞こえる言葉を信用する気は優月にはなかったし、自分のやりたいことは先生に頼って叶うことではない。
最初の理由は親友たちを苦悩から救いたいからだった。しかし、立候補を決めてから何度も高塚たちの情勢分析の話を聞き、そして周りを色々と観察してみて見えてきたことがあった。
今は動きを見せていないが、さくらは確実に立候補する。しかし、自分以外は全て敵か道具のどちらかにしか見えていない今の彼女では、当選してもいずれ支持者を含めてあらゆる生徒と不協和音を奏でた挙句、衝突する。
都田も同じだ。彼の主張は正しいが、彼が起こしつつある波は上級生と下級生の間に少しずつ微妙な隙間を生じさせている、このまま隙間が広がり、亀裂になり対立が進めば深刻な分裂をもたらす可能性が高い。
さくらは疑心暗鬼のため、都田とその仲間は熱狂のため、周りが見えずに自分の正義を押し通そうとしている。このままでは学校が、生徒みんながバラバラになってしまう。
誰かが止めなければならない・・・それを止められるのは、今はもう私しかいない。
「簡単に言うと『決まり事だから従いなさい』という事ですか。」
優月は急に真面目な口調で返した
「乱暴な言い方をすればそう言うことになるわね。」
優月の変化にも副校長は動じずに答えた。
「副会長では意味がありません。私のやりたいことは会長にならなければできないことです。」
生徒間に漂う不満を和らげ、対立ではなく和解と寛容を復活させること。
優月は姿勢を正して毅然と言った。
その返事を聞くと、副校長は手にしていたファイルから書類を出した。
それは報道部のニュース配信をプリントしたもので、副校長はプリントを一瞥すると机に放ち嫌悪感をにじませながら言った。
「『ジャンヌ・ダルク』ですか・・・救世主ごっこも度が過ぎると悪趣味ね。」
「でも、みんな応援してくれています。女子生徒の代表だって。」
「だから『ごっこ』なのよ。あなたを応援してくれる人達は、今まで自分たちは何もしていないわ。なぜ自分たちの名前と顔を出して声を上げないのかしら?」
優月はその問いに答えることができなかった。
一つため息をついて副校長は言った。
「そういう中途半端な感情は迷惑なのよ。」
「声を上げた子を祭り上げて、いざとなると梯子を外して何もなかったかのように振る舞う。そんな例は枚挙にいとまないわ。梯子を外されてしまった子の後始末がどれくらい大変かあなたは分かる?だから私や前任者達は会長選挙ではそんなことが起こらないように『説得』をしてきたのよ。」
優月は確認するように尋ねた。
「ある子が会長選挙に出ようとすると先生たちの妨害があると恐れていましたが・・・本当のことだったんですね。」
「妨害と言う言い方は心外ね。過去にはもっと厳しく対応していた方もいらっしゃったようですが、私が副校長になってからの間に立候補を希望した数人の生徒は、みんな話をしたら分かってくれましたよ。」
そして何かを思い出したかのような表情をした。
「ああ、そういえば2年1組の藤枝さん、少し前に相談されたのだけれども、彼女は中々納得しなかったわね。あなたと同じように自分がトップに立たなければ何も変わらないとか言っていたわ。でも、適当な男子を祭り上げてあなたが裏で操りなさいと諭したらようやく引き下がったわ。表に出るばかりが目的を実現する方法ではないわよ。」
副校長がほほ笑むのを見て優月は自分の頭に血が上るのを感じた。
さくらが変わってしまった原因のひとつはこれだったのだろう。同じ女性で信頼に足る先生、自分の気持ちは分かってくれると思い相談したが、結果として裏目に出たのだった。
絶望の果てに疑心暗鬼になり、簡単に人を信じて秘密を打ち明けた自らの愚かさを恥じ人間不信になってしまったのだ。
「恥ずかしくはないんですか。」
優月は怒りに満ちた声で言った。
「貴方のせいで私の友達は笑顔を失い、友情は壊れてしまった。」
「こんなことで壊れるようなものなら、それは本物の友情とは言えないわね。」
副校長の冷たく言い放った言葉に、優月は自分の心の中の歯止めが壊れる音が聞こえた。
優月は机を叩いて立ち上がり、叫んだ。
「くだらない伝統なんてクソくらえよ!そんなものはぶっ壊してやるわ!」
職員室中に優月の叫び声が響く。
パーティションの向こう側から聞こえてきていた様々な音が止まり、職員室を静寂が支配する。
職員室中の先生と生徒が聞き耳を立てていても関係ない。
優月はそのまま部屋全体に響き渡る大声で宣言した。
「私は何があっても立候補をやめない。誇りに掛けて大人たちの都合に屈したりはしない。」
静寂に響き渡る大声にも動揺することなく、副校長は上目遣いで優月を見つつ静かに通告した。
「あなたは立候補することはできないわ。」
優月は副校長の言っていることの意味が分からず一瞬躊躇した後、改めて聞いた。
「なんでそんなことが言えるんですか。」
「私が認めないからよ。」
「そんな理不尽が通るなんて信じられません。」
副校長は明確に自分の権限で優月を潰すことを宣言したのだった。
「大岡さん・・・大人の世界では理不尽であってもそれを通すことで社会が保たれていることが山のようにあるわ。私は好むと好まざるとにかかわらず、理不尽の側にいるの。学校の秩序を乱したということで、あなたを停学処分にすることもできるのよ。」
優月は副校長の恫喝の言葉に対して、自分が異常に冷静になっていることに気づいた。
「では結構です。停学にでも何でもしてください。ただ、私は従いませんが。」
そして二人はしばらくの間無言でにらみ合った、二人の会話が途切れると職員室は再び無音の空間と化した。
その時、その静寂を破るように職員室のドアが開く音がして、誰かが副校長を呼んだ。
「副校長先生、こちらでしたか。」
職員室の誰かが教えたのか、パーティションの間から入ってきたのは校長だった。
「何か御用ですか、校長先生。」
副校長は立ち上がり、何事もなかったかのような声で答えた
「副校長先生、これから静岡県民新聞が取材に来るそうです。本校で創立以来初めて女子が生徒会長に立候補することについて。」
さらに校長は横にいた生徒が優月と気づくと笑顔で言った。
「丁度よかった。大岡さんも一緒だったのだね。」
そう言うと副校長のほうを再び向いて小声で言った。
「今言った通りです。すでに市の教育長にも取材に行っているようですので、くれぐれも軽挙妄動は慎んでくださいね。こんな時代ですし、副校長も今後のことがありますから。」
優月がいるにもかかわらずこのようなことを言うということは、優月には何も隠し立てをする気がないということだ。
校長は優月に向かって笑顔で言った。
「大岡さん、副校長先生との間に何かトラブルがありましたか?」
優月はその笑顔の下に隠された言葉を敏感に読み取った。
(他言無用、生徒会長の立候補は認めてやるからこのまま黙っていろと言うことね。)
「いいえ、先生は選挙が始まるのでナーバスになっていた私に色々お話をしてくださっていただけです。」
「そうですか、なら結構です。」
校長はそう言うと職員室を出て言った。
校長が去ると、副校長は崩れ落ちる様に椅子に頭を抱えてへたり込んた。
その姿を見て優月は悟った。
ああ・・この人も苦しんでいたんだと。
「大岡さん、最後にひとつ貴女に言いたいことがあるの、いいかしら?」
優月は黙ってうなずいた。
「使い捨てにされないようにしなさい。」
「貴方の異名の元になったジャンヌ・ダルク、彼女は見捨てられて業火の中に若い命を散らしたの。彼女がブルゴーニュ軍に捕らえられた時、フランス王は救出をしなかった。彼女のカリスマを恐れたとも、あまりに純粋すぎる彼女が邪魔になったからとも言われているわ、それでいて死後には救世主として崇めたてている。」
「人は自分たちの都合のいいように他人を利用し、見捨てるものよ。特に女に対してはね・・・あなたも覚えておきなさい。」
それだけ言うと副校長は席を立った。
「先生・・・ご忠告感謝します。」
そう言うと、優月は副校長の後姿に一礼した。
優月がパーティションの外に出ると、職員室はもとの騒々しい空間に戻っていた。
「お疲れ様、優月ちゃん。」
社会科研究部の部室に戻ってきた優月を文子が迎える。
「よく耐えきったね、おかげで私たちの策も何とか間に合ったのよ。」
会議室の件以外の策って何?と不思議がる優月に高塚は言った。
「取材に来た記者は柚木の叔父さんが派遣したんだよ。」
高塚は記事の公開から立候補受付日までの日程から学校側が動く日を読み、あらかじめ柚木を通して取材の依頼をしていたのだった。
いくら柚木の叔父が地元紙の支局長とはいえ、取材価値があるものでなければ記者を派遣したりはしない。沼浜高校70年の伝統を破るということは、それだけの事件ということだった。
副校長と優月の対決は、職員室に居合わせていた複数の生徒からその友達に伝わり、そこから先は様々な手段で波のように広がってゆき、多くの生徒の知るところとなった。
当然、その波を大きく広げるのに高塚が一枚噛んでいたことは言うまでもない。
副校長と正面から対峙した優月の名は更に高まったが、同時に高塚が想定していなかった問題も起きた。
『妨害を受けないくらいの実力や実績を持った女子が選挙に出たほうが良いとみんなが言っている。』という話が一緒になって広がっていたのだ。
実力も実績もある女子といったら誰か。答えは一つしかない。
その聡明な女子はこの機を逃すまいと次の手を直ちに打ってきた。
沼浜高校報道部 ニュースヘッドライン
『生徒会役員とクラス委員の有志が藤枝さくら生徒会副会長に会長選挙に立候補を要請』
『現生徒会の役員と各学年の女子クラス委員の一部が、現生徒会副会長の2年1組 藤枝さくらさんに女子生徒の代表として次期会長選挙に立候補するよう要請した。要請を行ったのは生徒会書記の家山さんら生徒会役員と各学年のクラス委員の女子たち。家山さんは「最初に手を挙げた大岡さんの勇気はすごいと思うけれど、みんなが不安に思っている中、なか、大きな変化を成し遂げることができるのは、藤枝さんしかいない」と理由を語った。藤枝副会長は要請を受け入れ、立候補の手続きを進める模様。取材に対して藤枝さんは「(女子の地位向上という)思いを共にする大岡さんの邪魔をすべきではないと悩みましたが、私の力を必要としてくれている人たちの気持ちに応えるのは義務だと考えます。」とのこと。これにより、既に立候補を表明している大岡さん、都田君、伏見君を合わせ立候補者は四人となる。』
「話に余計なおまけがついたのは計算外だったな」
部室での作戦会議で、記事を見ながら高塚が呟いた
「彼女はやることが素早いですね。事前に準備をしていた事でしょうが、絶妙のタイミングで動いてきました。」
文子がそれに応じる。
優月の出馬を真っ先に報道部に流したのも、先生からの圧力が他の生徒に知られるように仕向けたのも、すべては他の候補、特に直接のライバルとなる藤枝さくらに対して遜色のないレベルまで優月の知名度と好感度を上げることが目的だった。
そして優月には説明しなかったが、優月の女子代表としての地位を不動にすることで、さくらが起つ理由を完全に失わせ、彼女が戦意を喪失するか自滅するのを狙っていたのだったのだが・・・彼女は意外にしぶとかった。
「上級生の支持は優月先輩と藤枝先輩の二つに割れますね。」
御厨がいつものように冷静に言った。
「でも男子の中では意外に優月の人気が高いんだよね。藤枝さんと比べて話しやすいところがあるから。それに伏見は吹奏楽部員が固まっているクラス以外では人気がないから、男子の票では有利なんじゃないかな。」
光が珍しく会議に口を挟む。
「まあ、これからが本当の闘いだよ。」
高塚と優月を始めとしたメンバーは立候補手続き後の選挙活動の戦略と立会演説会について議論を始めた。
その頃、さくらは生徒会室で記事を見て胸をなでおろしていた。
「さくらちゃん。上手くいったね。」
横で同じ記事を見ている瑞穂が校内であることを忘れて嬉々とした声で言った。
いつもは校内でこのような呼び方をされるのを嫌うさくらだが、今日は瑞穂に対してそんなことは言えなかった。
(早い段階でこの話をキャッチできたのは幸運だった・・・もし瑞穂の耳に入らなかったら・・・。)
職員室での優月と副校長の対決に居合わせた生徒の一人から話を聞いた瑞穂から、さくらの耳に入り、さくらは瑞穂に一言付け加えて改めて噂を広げるように指示した。
「優月先輩は学校に目をつけられた。別の人が出たほうがいいとみんな言っている」
“みんな言っている”というパワーワードの力もあって、加工した噂は大きく拡散し、更にその過程で少し尾ひれがつき、「学校に認められる力を持った人が出るべきだとみんな言っている」という論調に変わっていたのだった。
実際、不本意ながらこのような不確実な策を弄しなければならないほど、さくらは追い込まれていた。
会長選挙に優月が女子初の候補として先に手を挙げ、支持を得たことで、自分が起つ理由が失われてしまっていたのだ。
理由も大義名分もないまま起てば、周りから推されたという体裁をとっても『勇気ある』優月を邪魔するだけの悪役に成り下がってしまい、苦戦は必至。もし共倒れなんてことになったら女子が会長になる千載一遇の機会を失うことになり、その戦犯として自分の名が永遠に残ってしまう。
高塚の目論見の通り、さくらは進退極まって身動きがとれない状態にされてしまっていた。
そんな所に降って湧いた出来事。
自分たちが加工した噂が広がるか、フェイクだと見破られるかは大きな賭けだったが・・・さくらは賭けに勝った。
生徒に広がる不安を鎮める、そして女子の地位向上を断固として成し遂げるという大義名分が立ったのだ。
程よく広がったところで、以前から準備していた手筈通りに自分の支持者から声をあげさせ、それを全校に報道させる。全てが完璧なタイミングで進行していった。
「『天佑神助』とはこの事ね。」
軽口が思わず口をつくほど、さくらは上機嫌だった。
とにかく選挙戦に持ち込めば何とかなるという自信があるからだ。
「優月・・・小細工もここまでね。ここからは私が主導権を握らせてもらう。」
一瞬の沈黙の後、先手を打って優月が口を開いた。
「私、先生に呼び出されるほど何か悪いことをしましたか?」
ヘラヘラした笑顔での無邪気な問いかけを無視し、副校長は冷たく優月に言った。
「大岡さん、本当に会長選挙に立候補するつもりなのかしら。この学校では長年、会長は男子、副会長が女子という構成になっているのは知っているわね。」
「もちろん知っています。でも女子が会長になってはいけないという事は規則で決まっている訳ではないですよね。」
優月は笑顔を崩さず答えた。
「大岡さん、あなたの意欲は素晴らしいし、私もその勇気には感銘を受けているわ。ただ、今の状況では女子が立候補することが難しいという現実もあるのよ。不文律というものになるかしら、明文化されていない決まり事。この棲み分けも不文律にあたるものよ。」
「もちろん、私はあなたが何かを変えたいという強い意志で動いているのも分かっているの、でも、この学校の生徒会は、会長の権限も副会長の権限もほぼ同等になっているわ。あなたがやりたい事は副会長ではできないことなのかしら。会長にならなくても、あなたのやりたいことは達成できるのではない?他の方法であれば、それがどんな方法であれ、私はあなたのやりたいことを可能な限り全力で応援するわ。」
副校長は優しく諭すように言った。
優月は副校長の言葉を聞きながら考えた。自分やさくら以前に立候補しようとした人たちは、こうやって言いくるめられ、あるいは副校長のサポートを受ける代わりに身を引いたのだろう。
だが、どこか空虚に聞こえる言葉を信用する気は優月にはなかったし、自分のやりたいことは先生に頼って叶うことではない。
最初の理由は親友たちを苦悩から救いたいからだった。しかし、立候補を決めてから何度も高塚たちの情勢分析の話を聞き、そして周りを色々と観察してみて見えてきたことがあった。
今は動きを見せていないが、さくらは確実に立候補する。しかし、自分以外は全て敵か道具のどちらかにしか見えていない今の彼女では、当選してもいずれ支持者を含めてあらゆる生徒と不協和音を奏でた挙句、衝突する。
都田も同じだ。彼の主張は正しいが、彼が起こしつつある波は上級生と下級生の間に少しずつ微妙な隙間を生じさせている、このまま隙間が広がり、亀裂になり対立が進めば深刻な分裂をもたらす可能性が高い。
さくらは疑心暗鬼のため、都田とその仲間は熱狂のため、周りが見えずに自分の正義を押し通そうとしている。このままでは学校が、生徒みんながバラバラになってしまう。
誰かが止めなければならない・・・それを止められるのは、今はもう私しかいない。
「簡単に言うと『決まり事だから従いなさい』という事ですか。」
優月は急に真面目な口調で返した
「乱暴な言い方をすればそう言うことになるわね。」
優月の変化にも副校長は動じずに答えた。
「副会長では意味がありません。私のやりたいことは会長にならなければできないことです。」
生徒間に漂う不満を和らげ、対立ではなく和解と寛容を復活させること。
優月は姿勢を正して毅然と言った。
その返事を聞くと、副校長は手にしていたファイルから書類を出した。
それは報道部のニュース配信をプリントしたもので、副校長はプリントを一瞥すると机に放ち嫌悪感をにじませながら言った。
「『ジャンヌ・ダルク』ですか・・・救世主ごっこも度が過ぎると悪趣味ね。」
「でも、みんな応援してくれています。女子生徒の代表だって。」
「だから『ごっこ』なのよ。あなたを応援してくれる人達は、今まで自分たちは何もしていないわ。なぜ自分たちの名前と顔を出して声を上げないのかしら?」
優月はその問いに答えることができなかった。
一つため息をついて副校長は言った。
「そういう中途半端な感情は迷惑なのよ。」
「声を上げた子を祭り上げて、いざとなると梯子を外して何もなかったかのように振る舞う。そんな例は枚挙にいとまないわ。梯子を外されてしまった子の後始末がどれくらい大変かあなたは分かる?だから私や前任者達は会長選挙ではそんなことが起こらないように『説得』をしてきたのよ。」
優月は確認するように尋ねた。
「ある子が会長選挙に出ようとすると先生たちの妨害があると恐れていましたが・・・本当のことだったんですね。」
「妨害と言う言い方は心外ね。過去にはもっと厳しく対応していた方もいらっしゃったようですが、私が副校長になってからの間に立候補を希望した数人の生徒は、みんな話をしたら分かってくれましたよ。」
そして何かを思い出したかのような表情をした。
「ああ、そういえば2年1組の藤枝さん、少し前に相談されたのだけれども、彼女は中々納得しなかったわね。あなたと同じように自分がトップに立たなければ何も変わらないとか言っていたわ。でも、適当な男子を祭り上げてあなたが裏で操りなさいと諭したらようやく引き下がったわ。表に出るばかりが目的を実現する方法ではないわよ。」
副校長がほほ笑むのを見て優月は自分の頭に血が上るのを感じた。
さくらが変わってしまった原因のひとつはこれだったのだろう。同じ女性で信頼に足る先生、自分の気持ちは分かってくれると思い相談したが、結果として裏目に出たのだった。
絶望の果てに疑心暗鬼になり、簡単に人を信じて秘密を打ち明けた自らの愚かさを恥じ人間不信になってしまったのだ。
「恥ずかしくはないんですか。」
優月は怒りに満ちた声で言った。
「貴方のせいで私の友達は笑顔を失い、友情は壊れてしまった。」
「こんなことで壊れるようなものなら、それは本物の友情とは言えないわね。」
副校長の冷たく言い放った言葉に、優月は自分の心の中の歯止めが壊れる音が聞こえた。
優月は机を叩いて立ち上がり、叫んだ。
「くだらない伝統なんてクソくらえよ!そんなものはぶっ壊してやるわ!」
職員室中に優月の叫び声が響く。
パーティションの向こう側から聞こえてきていた様々な音が止まり、職員室を静寂が支配する。
職員室中の先生と生徒が聞き耳を立てていても関係ない。
優月はそのまま部屋全体に響き渡る大声で宣言した。
「私は何があっても立候補をやめない。誇りに掛けて大人たちの都合に屈したりはしない。」
静寂に響き渡る大声にも動揺することなく、副校長は上目遣いで優月を見つつ静かに通告した。
「あなたは立候補することはできないわ。」
優月は副校長の言っていることの意味が分からず一瞬躊躇した後、改めて聞いた。
「なんでそんなことが言えるんですか。」
「私が認めないからよ。」
「そんな理不尽が通るなんて信じられません。」
副校長は明確に自分の権限で優月を潰すことを宣言したのだった。
「大岡さん・・・大人の世界では理不尽であってもそれを通すことで社会が保たれていることが山のようにあるわ。私は好むと好まざるとにかかわらず、理不尽の側にいるの。学校の秩序を乱したということで、あなたを停学処分にすることもできるのよ。」
優月は副校長の恫喝の言葉に対して、自分が異常に冷静になっていることに気づいた。
「では結構です。停学にでも何でもしてください。ただ、私は従いませんが。」
そして二人はしばらくの間無言でにらみ合った、二人の会話が途切れると職員室は再び無音の空間と化した。
その時、その静寂を破るように職員室のドアが開く音がして、誰かが副校長を呼んだ。
「副校長先生、こちらでしたか。」
職員室の誰かが教えたのか、パーティションの間から入ってきたのは校長だった。
「何か御用ですか、校長先生。」
副校長は立ち上がり、何事もなかったかのような声で答えた
「副校長先生、これから静岡県民新聞が取材に来るそうです。本校で創立以来初めて女子が生徒会長に立候補することについて。」
さらに校長は横にいた生徒が優月と気づくと笑顔で言った。
「丁度よかった。大岡さんも一緒だったのだね。」
そう言うと副校長のほうを再び向いて小声で言った。
「今言った通りです。すでに市の教育長にも取材に行っているようですので、くれぐれも軽挙妄動は慎んでくださいね。こんな時代ですし、副校長も今後のことがありますから。」
優月がいるにもかかわらずこのようなことを言うということは、優月には何も隠し立てをする気がないということだ。
校長は優月に向かって笑顔で言った。
「大岡さん、副校長先生との間に何かトラブルがありましたか?」
優月はその笑顔の下に隠された言葉を敏感に読み取った。
(他言無用、生徒会長の立候補は認めてやるからこのまま黙っていろと言うことね。)
「いいえ、先生は選挙が始まるのでナーバスになっていた私に色々お話をしてくださっていただけです。」
「そうですか、なら結構です。」
校長はそう言うと職員室を出て言った。
校長が去ると、副校長は崩れ落ちる様に椅子に頭を抱えてへたり込んた。
その姿を見て優月は悟った。
ああ・・この人も苦しんでいたんだと。
「大岡さん、最後にひとつ貴女に言いたいことがあるの、いいかしら?」
優月は黙ってうなずいた。
「使い捨てにされないようにしなさい。」
「貴方の異名の元になったジャンヌ・ダルク、彼女は見捨てられて業火の中に若い命を散らしたの。彼女がブルゴーニュ軍に捕らえられた時、フランス王は救出をしなかった。彼女のカリスマを恐れたとも、あまりに純粋すぎる彼女が邪魔になったからとも言われているわ、それでいて死後には救世主として崇めたてている。」
「人は自分たちの都合のいいように他人を利用し、見捨てるものよ。特に女に対してはね・・・あなたも覚えておきなさい。」
それだけ言うと副校長は席を立った。
「先生・・・ご忠告感謝します。」
そう言うと、優月は副校長の後姿に一礼した。
優月がパーティションの外に出ると、職員室はもとの騒々しい空間に戻っていた。
「お疲れ様、優月ちゃん。」
社会科研究部の部室に戻ってきた優月を文子が迎える。
「よく耐えきったね、おかげで私たちの策も何とか間に合ったのよ。」
会議室の件以外の策って何?と不思議がる優月に高塚は言った。
「取材に来た記者は柚木の叔父さんが派遣したんだよ。」
高塚は記事の公開から立候補受付日までの日程から学校側が動く日を読み、あらかじめ柚木を通して取材の依頼をしていたのだった。
いくら柚木の叔父が地元紙の支局長とはいえ、取材価値があるものでなければ記者を派遣したりはしない。沼浜高校70年の伝統を破るということは、それだけの事件ということだった。
副校長と優月の対決は、職員室に居合わせていた複数の生徒からその友達に伝わり、そこから先は様々な手段で波のように広がってゆき、多くの生徒の知るところとなった。
当然、その波を大きく広げるのに高塚が一枚噛んでいたことは言うまでもない。
副校長と正面から対峙した優月の名は更に高まったが、同時に高塚が想定していなかった問題も起きた。
『妨害を受けないくらいの実力や実績を持った女子が選挙に出たほうが良いとみんなが言っている。』という話が一緒になって広がっていたのだ。
実力も実績もある女子といったら誰か。答えは一つしかない。
その聡明な女子はこの機を逃すまいと次の手を直ちに打ってきた。
沼浜高校報道部 ニュースヘッドライン
『生徒会役員とクラス委員の有志が藤枝さくら生徒会副会長に会長選挙に立候補を要請』
『現生徒会の役員と各学年の女子クラス委員の一部が、現生徒会副会長の2年1組 藤枝さくらさんに女子生徒の代表として次期会長選挙に立候補するよう要請した。要請を行ったのは生徒会書記の家山さんら生徒会役員と各学年のクラス委員の女子たち。家山さんは「最初に手を挙げた大岡さんの勇気はすごいと思うけれど、みんなが不安に思っている中、なか、大きな変化を成し遂げることができるのは、藤枝さんしかいない」と理由を語った。藤枝副会長は要請を受け入れ、立候補の手続きを進める模様。取材に対して藤枝さんは「(女子の地位向上という)思いを共にする大岡さんの邪魔をすべきではないと悩みましたが、私の力を必要としてくれている人たちの気持ちに応えるのは義務だと考えます。」とのこと。これにより、既に立候補を表明している大岡さん、都田君、伏見君を合わせ立候補者は四人となる。』
「話に余計なおまけがついたのは計算外だったな」
部室での作戦会議で、記事を見ながら高塚が呟いた
「彼女はやることが素早いですね。事前に準備をしていた事でしょうが、絶妙のタイミングで動いてきました。」
文子がそれに応じる。
優月の出馬を真っ先に報道部に流したのも、先生からの圧力が他の生徒に知られるように仕向けたのも、すべては他の候補、特に直接のライバルとなる藤枝さくらに対して遜色のないレベルまで優月の知名度と好感度を上げることが目的だった。
そして優月には説明しなかったが、優月の女子代表としての地位を不動にすることで、さくらが起つ理由を完全に失わせ、彼女が戦意を喪失するか自滅するのを狙っていたのだったのだが・・・彼女は意外にしぶとかった。
「上級生の支持は優月先輩と藤枝先輩の二つに割れますね。」
御厨がいつものように冷静に言った。
「でも男子の中では意外に優月の人気が高いんだよね。藤枝さんと比べて話しやすいところがあるから。それに伏見は吹奏楽部員が固まっているクラス以外では人気がないから、男子の票では有利なんじゃないかな。」
光が珍しく会議に口を挟む。
「まあ、これからが本当の闘いだよ。」
高塚と優月を始めとしたメンバーは立候補手続き後の選挙活動の戦略と立会演説会について議論を始めた。
その頃、さくらは生徒会室で記事を見て胸をなでおろしていた。
「さくらちゃん。上手くいったね。」
横で同じ記事を見ている瑞穂が校内であることを忘れて嬉々とした声で言った。
いつもは校内でこのような呼び方をされるのを嫌うさくらだが、今日は瑞穂に対してそんなことは言えなかった。
(早い段階でこの話をキャッチできたのは幸運だった・・・もし瑞穂の耳に入らなかったら・・・。)
職員室での優月と副校長の対決に居合わせた生徒の一人から話を聞いた瑞穂から、さくらの耳に入り、さくらは瑞穂に一言付け加えて改めて噂を広げるように指示した。
「優月先輩は学校に目をつけられた。別の人が出たほうがいいとみんな言っている」
“みんな言っている”というパワーワードの力もあって、加工した噂は大きく拡散し、更にその過程で少し尾ひれがつき、「学校に認められる力を持った人が出るべきだとみんな言っている」という論調に変わっていたのだった。
実際、不本意ながらこのような不確実な策を弄しなければならないほど、さくらは追い込まれていた。
会長選挙に優月が女子初の候補として先に手を挙げ、支持を得たことで、自分が起つ理由が失われてしまっていたのだ。
理由も大義名分もないまま起てば、周りから推されたという体裁をとっても『勇気ある』優月を邪魔するだけの悪役に成り下がってしまい、苦戦は必至。もし共倒れなんてことになったら女子が会長になる千載一遇の機会を失うことになり、その戦犯として自分の名が永遠に残ってしまう。
高塚の目論見の通り、さくらは進退極まって身動きがとれない状態にされてしまっていた。
そんな所に降って湧いた出来事。
自分たちが加工した噂が広がるか、フェイクだと見破られるかは大きな賭けだったが・・・さくらは賭けに勝った。
生徒に広がる不安を鎮める、そして女子の地位向上を断固として成し遂げるという大義名分が立ったのだ。
程よく広がったところで、以前から準備していた手筈通りに自分の支持者から声をあげさせ、それを全校に報道させる。全てが完璧なタイミングで進行していった。
「『天佑神助』とはこの事ね。」
軽口が思わず口をつくほど、さくらは上機嫌だった。
とにかく選挙戦に持ち込めば何とかなるという自信があるからだ。
「優月・・・小細工もここまでね。ここからは私が主導権を握らせてもらう。」