第2話 決断の理由

文字数 5,181文字

 「実は・・・私が会長に立候補することにしました。」

 その場にいた部員からは「なぜ」とか「冗談でしょ」という言葉しか出てこなかった。
 冷静な高塚でさえ、口に含んだお茶を吹き出しそうになり、激しくむせている。
 「優月ちゃん、どういうこと?」
 文子の問いに優月は静かに、そして毅然とした態度で話し始めた。
 「個人的な話ですが、さっき話に出てきた1年生の吉原さん。彼女は私にとって中学の部活の後輩です。」

 数日前・・・。

 優月は廊下で偶然に会ったバスケ部の元後輩である吉原瑞穂と久しぶりに話をした。
 大人しいけれど、笑顔を絶やさない子だった瑞穂は、暗く疲れ切った表情をしていた。
 「瑞穂、何かあったの? 元気ないけど・・私でよかったら話してごらん。」
 「優月先輩・・私・・・。」
 瑞穂は昔と変わらない優月の声を聞くといきなり泣き出した。
 優月は突然泣き出した瑞穂の肩を抱き、泣き出した理由を聞いた。
 しかし瑞穂は、理由はどうしても言えないと泣きじゃくるだけだった。
 ただ一言、私の力不足がいけないんです。とだけつぶやいた。
 しばらく優月に肩を抱かれて泣いていた瑞穂は次第に落ち着きを取り戻してゆき、力のない声で心配かけてすみませんと謝り、去って行った。
 その憔悴した様子が心配になった優月は、瑞穂と姉妹のように親しくしているさくらの元に行った。
 実は優月とさくらは中等部時代に瑞穂を通じて友人となっていた。
 パーフェクトガールと称されるが故に弱音を吐けないさくらと、バスケ部のエースでありながら病気を隠して気丈に振舞っていた優月、お互いにシンパシーを感じ、いつの間にか親友といえる間柄になっていた。
 しかし、その事を知るのは瑞穂を含め僅かな人だけ、二人とも人前ではただの同級生に徹していた。
 「藤枝さん、瑞穂のことで話があるのだけれど。」
 優月が教室にいたさくらに瑞穂の様子を話そうとすると、さくらは何も言わず優月の腕をつかみ、教室から人気のない階段まで引っ張っていった。
 「瑞穂に何かあったの?」
 優月は先ほどの瑞穂の様子を話した。
 「そうなの・・・あの子、何か理由を言っていた?」
 何も言ってくれなかったという優月の返事を聞いて、さくらはため息をついた。
 そのため息は理由を言われなかった安堵のものか、あきれたのか、いずれにしても瑞穂を心配してのものではないことは明らかだった。
 「教えてくれてありがとう。あの子には私から話しておくから、この事は忘れて。」
 「瑞穂が悩んでいる理由を知っているの?」
 「私たちの問題だから二人で解決するわ。だからそっとしておいて。」
 明らかに作った笑顔でそう言い背を向けたさくらの姿を見て、優月は先日の社会科研究部での話を思い出した。
 「もしかして・・・生徒会長選挙に関係すること?」
 「優月、あなたには関係ない。放っておいてと言っているのが分からないの。」
 さくらは背を向けたまま、先ほどまでとは別人のように厳しい口調で言った。
 「あの子にはもっと頑張ってもらわなければならないの。邪魔をしないで。」
 その言葉に優月は思わず反応した。
 「関係無くはないわ。私たちも生徒会選挙に出ようとしているから。」
 さくらは振り返り、険しい表情で確認するように言った。
 「私たち?」
 そしてフッと鼻で笑うと。
 「あなたとあなたのお友達が、どんな考えで選挙に挑もうとしているか知らないし、知りたくもない。」
 そして、壁を背にして立つ優月に少しずつ迫り寄りながら話し続けた。
 「私は半端な覚悟で挑んでいるわけじゃないのよ。理想を実現するために闘っているの。」
 その眼には怒りがこもっていた
 「あなたはこの一年、どれだけ私が悔しい思いをしたかを知らないわ。」
 「女子だというただ一点だけで下に見られ、任されるのは雑用ばかり。意見しても無視され、何かを達成すると手柄は横取りされる。問題が起きれば所詮女子のやったことと嘲笑され切り捨てられる。私たちはいつまでも都合のいいお飾りのまま、そのすべては、この学校の悪しき伝統に原因があるって私は気づいたの。」
 そして、優月の顔の横の壁に右手を突き、優月の眼を至近距離で見据えながら言った。
 「私はこの学校にある『ガラスの天井』を破壊する。」
 「生徒会選挙に完全勝利することは、その象徴なの、誰にも邪魔はさせない。そのためには私は鬼になるし悪魔に魂も売る。そして利用できる道具は何でも利用する。」
 そして高ぶった気持ちを鎮めるように息を吐き、妖しげな笑みを浮かべながら優月にささやくように言った。
 「あなたも分かってくれるわよね?私たち親友だもの。」
 優月はさくらの視線を避けるように目を背けて言った。
 「私も女子が生徒会長になれないような変な決まり事はもちろん、女子の意見が軽く見られていることにも頭に来ることもあるし、おかしいと思うわ。だから、きちんと話をしてもらえば、あなたのことを心から応援できたと思う。」
 さくらは優月の言葉を聞いて口元に少し笑みを浮かべた。
 その笑みは勝ち誇ったようにも、喜んでいるようにも見えた。
 しかし、優月は背けた目を再びさくらに戻し、その眼を睨みつけながら言った。
 「勘違いしないで。いつものあなただったら・・・の話よ。」
 「さくら、あなたは変わった。何故そうなってしまったかは分からないけれど、あなたを慕っている子を苦しめてまで、自分の理想を通そうとするなんて、そんなことは間違っている。」
 「間違っている?」
 「理想が正しくても、慕ってくれる人を道具のように扱っては誰もあなたを信じない。誰にも信じられないで、味方がいなくなって、たった一人で追い求めて実現する理想に価値なんてない。」
 優月はその目に涙を浮かべながら語りかけた。
 「あなたは私の親友。だから間違った道を進もうとしている時は止めなきゃいけないと思っている。」
 さくらはひどく悲しげな表情をした後、右手をゆっくりと壁から放し、その手で自分の長い髪をかき上げながら言った。
 「そんな甘いことを言うのは、私に勝ってからにしてほしいわ。」
 「さっき、女子が軽んじられているのはおかしいって言っていたわね。だったら私と志は同じはずよ。あなたも会長選挙に出てみればいいわ。」
 その眼には再び怒りが宿っていた。
 「私が間違っているというのなら、あなたのやり方で私を止めて見せればいい。止められなければ、私が正しいということの証になるわ。」
 さくらはそう言うと、優月に背を向けて去って行った。
 その後姿を黙って見ていた優月はこの時、ある決意をした。

 優月はさくらと間で起こった出来事を皆に説明した。
 「彼女の挑発に乗ったってわけか。」
 「暴走する友達を止めるためというわけですね。」
 「友達と後輩、苦しんでいる二人を救うためね。」
 足柄、御厨、文子の三人が優月の話を聞いて各々思ったことを口にする。
 優月は三人の感想に肯定も否定もしなかった。

 ここで黙って聞いていた高塚が口を開く。
「優月君、君はここにその話をしに来ただけかい?」
 優月は皆に訴えかける様に言った。
「藤枝さんとの件だけじゃなく、改めて考えてみてのことです。おかしいことが多すぎる。伝統と言って女子を区別するのも、それに抵抗するのに正々堂々と声を上げられないのも、みんな納得できない。私はこの変な状況を変えたい。」
 重ねて高塚が静かに問う。
 「それだけかい?」
 しばしの無言
 「いいえ・・・私の友達を破滅から救いたい。だから皆さんの力を貸してほしい。」
 その言葉を聞いた高塚は、部員で話し合いをするからと言って二人に外で待つように伝えた。
 
 さっきからポカンとしながら聞いていた光は、部室の外に出されたところで我に返って言った。
 「お前と藤枝さんが友達だなんて聞いてないぞ。」
 それならこんな回りくどいことをしなくてよかったのにとブツブツ言う光に向かって。
 「光、ありがとう。あんたの馬鹿なシナリオに付き合ったおかげで、病気で部活を辞めた後、何かを見失っていた私がやらなければならないことが見つかった気がする。」
 優月の満面の笑みを見た光はもう何も言えなかった。

 部室の中では高塚が部員たちに優月への助力について尋ねた。
 「私は優月さんと関係が近いので、賛否は言いませんが・・部としては興味深い依頼だと思います。」
 文子が最初に意見を言った。
 「俺も中立だな。今回は出番があまりなさそうだしね。部の決定に従うよ。」
 足柄も続いた。
 「私は反対です。」
 御厨はキッパリと意見を述べた。
 「立候補の理由は結局、優月先輩の個人的な因縁じゃないですか。私たちが手を貸さなければならない理由もないですし・・・それに、こんなことに手を貸して、学校から睨まれたらどうするんですか。この部室だって社会科の先生方の厚意のおかげで使えているんですよ。」
 反対が一人で、棄権が二人。この場にいる部員で意見を表明したのはたった一名だが、多数決の原則に従えば、助力はしないという結果になる。
 「部長は手を貸したいと思っているかもしれませんが、部のルールには従ってもらいますからね。」
 御厨がいつになく厳しい口調で言う。
 社会科研究部のルールでは、何かを議決する際、議長役の意見は賛否が同数になった時にだけ表明・反映される。今回、議長になっている高塚は残念そうに苦笑いをするしかなかった。

 「僕は賛成ですよ。」
 突然、風が部屋を通りぬけたかと思うと、本棚の陰から声がした。
 いつの間にかベランダから入ってきていた1年生の男子だった。
 「千早、何を言ってんの?あんた意見を言える立場?」
 千早と呼ばれた男子に向かって御厨が言う。
 「僕だって部員なのだから、発言する権利はあると思うけれどね。」
 「ロクに部活にも来ない奴が何を偉そうに言っている・・・。」
 御厨の放ったとげとげしい言葉を無視して千早は続けた。
 「皆さん忘れていませんか。僕たちの部活の目指すものを。」

 『社会科の力を証明する』
 御厨が誰よりも早く答えた。
 「その通り。少なくともここにいる僕らは、その言葉に共感してこの部活に集ったはずだと思うけれど・・・。」
 少しの間をおいて、千早は御厨の座っている席の後ろに移動し、その耳元で囁くように言った。
 「花、君は違うのかい。」
 御厨の顔は恥ずかしさか怒りからかみるみるうちに赤くなった。
 「選挙の分析なんて趣味でやっている訳じゃないでしょう。僕らの愛する社会科が持つ力を証明する時のためですよね。今以外にその時があるのでしょうか。」
 千早はその場にいる部員に語り掛けるように言うと、高塚の方を振り返り、発言を促した。
 「これで賛否は1対1になったね。僕の意見は・・・。」
 「違います。全員賛成ですよ、部長。」
 高塚が意見を言おうとするのを途中で遮って、御厨が言った。
 文子も足柄も同意の視線を高塚に向けていた。
 「千早に言われたのは癪ですが、部が目指していたものを忘れていました。」
 千早をちらっと見た後、御厨は照れ臭そうに笑いながら言った。
 その姿を見て文子と足柄、そして高塚と千早も自然と笑顔になっていた。
 
 「では、作戦会議を始めよう。」
 高塚の声が部室に響く。
 「部長、僕は何をすればいいですか。」
 早速、千早が高塚に指示を仰ぐ。
 「いや、君はしばらく自分の判断で動いてくれ。その時が来たら僕から改めて指示を出す。」
 「了解です。僕が望むことを一番よく知っているのは部長ですからね。それに僕の存在は依頼人にも秘密にしておいたほうがいいでしょうし。」
 そう言うと、入って来た時と同じように、音もなく千早はベランダに出て行った。
 「全く・・・あいつをあまり甘やかすのは良くないですよ、部長。」
 「そう言うな、彼のお目付け役は頼んだよ」
 高塚の言葉に頭を抱えながら御厨はため息をついた。

 少し時間が過ぎてドアが開き、文子が二人を部室に招き入れた。
 優月と光が席に着くと高塚は二人に告げた。
 「社会科研究部は君の会長選挙をサポートする事にした。」
 「ひとつ確認しておくよ、僕たちのやり方は、君のまっすぐな気持ちに沿うものではないかもしれない。勝つためには汚いと罵られる様なことをするかもしれないし、そのために君も同じように罵られるかもしれない。それでもいいかい。」
 優月は黙ってうなずく
 「戦略は任せます・・ただし条件を付けさせてください。二つ・・・一つ目は瑞穂をこの争いの中心から遠ざけるようにしてください。彼女はこんな争いには向いていない子です。二つ目、私が会長になれなくてもいい、さくらを止めてください。」
 高塚は暫く考えたあと、それを了承した。

 「では、契約成立だね。」
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