第1話 社会科研究部
文字数 9,851文字
歴史を知らずして発明なく、地理を知らずして発見なく、政経を知らずして発展はない。
そう、過去の成功や失敗の歴史を知らなければ、新たな発明は生まれない。
地理を知らずに冒険に出た者は、未知の場所にたどり着くことすらできず、新たな発見はない。
そして政治体制や経済機構が無ければ、人間は獣の群れの領域から新たな発展をすることはなかった。
そんな全ての礎たる偉大な学問であるにもかかわらず、社会科は主要教科の中でもその地位は最も低いところに置かれている。
そして、その学問を好み、究めんとする者もまた「変わり者」「マニア」などと不当な評価を受け続けている。
-2年前-
静岡県中伊豆市運動公園アリーナ、全国中学女子バスケットボール選手権東海大会決勝、勝てば全国への扉が開かれる。
沼浜市立沼浜高校中等部の相手は絶対王者の名古屋橘花女学院、追い込んだが2点を追う最終エンド残り数秒、最後のタイムアウトを迎えていた。
王者の強烈なプレッシャーに耐えてきたが、だれが見ても万事休す。
奇跡が起こらなければ勝利はない。
どんな時も強気な副キャプテンは無言でうつむき、後輩の選手は絶望と疲労で泣きそうな顔をしている。
そんなチームメイト達にキャプテンは笑顔で言った。
「奇跡も番狂わせも起きるものじゃない、起こすものだよ」
話をしている彼女を観客席から心配そうに見つめる一人の同級生。
試合再開、ボールがキャプテンに渡り、最後のスリーポイントシュートを放ったのと同時にブザーが鳴る。
そして、会場の外で気だるそうに空を見上げている左手に傷のある少女の上を、大歓声が通り過ぎた。
大岡優月 は市立沼浜高校2年生 2年4組の学級委員長をやっている。
元沼浜高中等部バスケ部、卒業前に病気で引退したがブザービーターで絶対王者を沈めた選手であった。
しかし高校ではその事を知らない生徒が多く、ごく普通の女子高生としての生活を送っている。
そんな彼女の目の前に座っているのは小山 光 同級生で幼馴染だ。
「俺、生徒会選挙に出ようと思う」
全ては光のこの一言から始まった。
「なぜ?」
怪訝そうに優子は聞いた。
光は顔を真っ赤にしながら言った。
「俺が藤枝さんのこと好きなの知っているだろ」
藤枝さくら 生徒会副会長兼2年1組の委員長。
容姿端麗、頭脳明晰、スポーツ万能、知勇兼備、清廉潔白、ありとあらゆる美辞麗句が似合う完璧超人、それでいて優しく気取ったところがないというもはや神のような存在。
すぐその才を認められ、1年生ながら生徒会副会長に抜擢。辣腕をふるっている。
「それと生徒会選挙の何がつながるの?」
「生徒会に入れば彼女と仲良くなれる。」
光が言うには、今のままでは自分は彼女の認知外の存在でしかない。
認知されるには彼女と日常的に接することが必要だ、クラスも違うし彼女の周りはいつも人が取り巻いている。近づく方法としては、もはや自分が生徒会の役員になるしかない。
しかし、役員は立候補した者か推薦された者の中から会長が指名するから、特に目立った所のない存在である自分が役員に立候補しても選ばれる可能性はない。
藤枝さんは次期も必ず役員になるだろうから、自分が選挙に出るしかない。
光は自分の短絡した考えを自信満々に披露する。
コイツは・・相変わらずの天然だ、天然というか・・馬鹿だと優月は思った
そして小学生を諭すように言った
「あのね・・・選挙に出ても勝てなきゃ意味ないのよ」
何を当たり前のことを言うのかと不機嫌そうな光の態度。
「だから優月に協力してほしいんだ。」
そして今、場所を移した二人の前にいる男子は柚木 風太郎、沼浜高報道部の責任者兼編集長。
祖父は報道カメラマン、父は通信社の海外特派員を長く務め、叔父は地方紙の支局長という記者一族に生まれ、自らもジャーナリストを目指している。
彼は校内での新聞発行やニュース配信のため様々な情報を集め、生徒の興味を引きそうなネタを常に探している、生徒会選挙は彼が最も興味を持っているネタで特に力を入れて取材している。
光が最初に頼る先として選択したのが彼だったが、ヘタレの光は一人で行くのを嫌がって優月に同行を頼んできたのだった。
優月と光は小さいころからの腐れ縁で、こういう厄介ごとの時は常に優月を頼ってくる。
そして馬鹿な弟の面倒を見るような気持ちで、優月もつい世話を焼いてしまう。
いくら腐れ縁だからってとことんお人好しだな、と優月は自虐の言葉を心の中でつぶやきながら、光と一緒に彼のアドバイスを聞くことにした。
そして、柚木の答えはこうだった。
「社会科研究部って知っているかい?変わり者だらけな部活だけど、きっと君たちの力になってくれると思う。彼らに会いたければ僕から話をつけておいてあげるよ。」
そして、優月と光は翌日、柚木から教えて貰った社会科準備室の横にある部屋へ二人で向かった。
『社会科研究部』は学校内でも謎の多い部活の一つ。
新入生に対する部活紹介の場に出てきた部長と中等部時代から部員を公言し、新人勧誘の場でアピールしていた1年生の女子部員は顔が知られているが、それ以外の部員の存在は詳しくは知られていない。
社会科の得意な生徒が集まっていること、今年の文化祭では歴史とか地理の展示をしていたこと、テスト前によく当たる予想問題を配ったこと位しか優月も光もその活動は知らない。
部室は準備室奥の元倉庫で、出入口も廊下からは見えなくなっている、そのため出入りする生徒が準備室にいる先生に呼ばれたのか部員なのかが分からない。
優月も先生に呼ばれて準備室に来たことがあるが、横の部屋の存在には今日まで気が付かなかった。
準備室の脇を奥に進むと扉には小さく「社会科研究部」の表示と、名前だけは聞いたことがある政治家や学者の名言らしきものが貼ってあるが、一見しただけではただの倉庫で、この奥に誰かがいるようには思えない。
どんな変人たちが巣くっているのだろう・・・優月は内心不安で一杯になっていた。
光はすでにビビってしまって、今にも走って逃げ出しそうになっている。
優月はチラリと光を見て、ため息をつきながらドアノブに手を掛けた。
すると内側から誰かが開けたのか、扉が勝手に開いた。
「社会科研究部にようこそ」
扉を開けた人物は意外にも女の子だった。
その顔を見て、優月は驚いた。
「文子 ちゃん?」
同じクラスの岩波文子だった。
一歩扉の中に入ると、目に入るのは奇麗に整理された部屋と壁に据え付けられた本棚一杯の本と史料。
校庭にも出られるようになっているガラス戸から日光が入って部屋の中は明るい。
でも、本棚には分厚い洋書、政治や歴史の難しそうな本の横に「銀河英雄伝説」のような小説や「まんが日本の歴史」「エリア88」などの漫画まで置いてあり、他にも土器があるかと思えば軍艦や城のプラモまで置いてあって、その中身は全く統一感がなく雑然としている。
部屋に入った優月たちの目の前では男子と女子がタブレットを持って大騒ぎしていて、それを後ろから眺めている男子がもう一人。
タブレットの二人はどうやら歴史シミュレーションゲームをやっているらしい。
「え~っ、ここで寝返らせるなんて、卑怯だよ。」
制服のネクタイの色で1年生と分かる女子が叫ぶ
「裏切りや下剋上は歴史の醍醐味だよ。」
一緒にゲームをしているこちらも1年生と思われる男子生徒が静かに答える。
「そんな風に裏切ったり騙したりしていたら、友達いなくなるよ」
ゲーム女子が憎まれ口をたたく。
「裏切りの美学は時代の流れに大きな影響を与えることだよ。日常生活で裏切りをしても、些細な事でしかないから僕はそんなことはしない。つくづく生まれた時代を間違えたと思うよ。」
男子は穏やかでないことを口にしながら無邪気に笑う。
「まったく、こんな奴に人望があるなんて、みんな間違っているよね。」
女子は納得いかないのかまだブツブツ文句を言っている。
「二人とも、お客さんが来たから今日はここまでにしよう。」
二人を後ろから見ていた2年生の男子が、来客に気づいてゲームの終了を告げ、光と優月に椅子に座るよう促した。
光たちの向かい側に先ほどの2年生の男子と岩波が座り、右手に1年生のゲーム女子が座る。
ゲーム男子は片付けが終わると話を聞くことなく部屋から出て行った。
部屋から出るとき、2年の男子が声を掛けた。
「ゲームするときだけじゃなくて、たまにはちゃんとした活動の時にも来いよ。」
ゲーム男子は苦笑いをしながら、わかりましたと言って笑顔で去って行った。
「改めて、社会科研究部にようこそ」
「僕は部長をしている2年1組の高塚幸盛です」
高塚幸盛、圧倒的な知識量を誇る文科系の異才として学校中に知られている。
学校一の才女、藤枝さくらはテストのほとんどの科目で単独1位を取っている。
全科目と言えないのは、この高塚が社会科系の科目で一位を独占しているからだ。
しかし、理数系の科目は全く興味が無いようで、数学と物理は赤点補習の常連という実に極端な存在。
他にも中途半端な知識で彼を論破しようとした教育実習生を返り討ちにしたとか変な話題には事欠かない。
そして高塚は左を向き、岩波に自己紹介を促した。
「今日は優月ちゃんが来るんじゃないかなって思ったから、私も同席することにしたの。」
優月にとっては、歴史や地理が特別得意という感じではない彼女がここに同席していることが驚きだったが、それでも知り合いがいてくれるのはとても心強かった。
「岩波文子です、副部長をしています。得意なジャンルは世界史です。」
文子は1年の時から同じクラスで、明るくて面倒見がよく、優月が学級委員長に就任した時にも、全員一致で副委員長に指名される位、クラスの中の皆に頼りにされている存在だ。
「実は私、歴女なの」
突然カミングアウトすると、自分の推しの人物達について語り始めた。
普段見せないような恍惚とした表情でひとしきり語った後、ポカンとしている同級生の顔を見て我に返ったのか、ごめんねと手を合わせて次の人を紹介した。
「この子は御厨さん 見てわかると思うけれど1年生」
「1年5組御厨 花 です。」
かわいらしい子が起立してペコリとおじぎをする。
さっきのゲーム女子、中等部時代から部員を公言していた1年生はこの子だ。
「御厨ちゃんは可愛くてしっかりしているから1年生の中でとっても人気があるの。」
文子が付け加える。
「岩波先輩、そういう言い方やめてください。」
ふてくされた御厨を高塚がまあまあとなだめる。
「御厨さんは1年生の事情に通じているのと、様々な知識が豊富だから居てもらっているんだよ。」
高塚のフォローを聞いて御厨はすぐに機嫌を直し、ニコニコしながら優月に言った。
「今日ここに来られたのは理由があるんでしょう。説明してくれませんか。」
三人の視線が注がれる。
優月と光は簡単に自己紹介をした後、光が生徒会選挙への立候補に至る理由、そして柚木に相談し、ここを紹介された話までをした。
文子は苦笑し、御厨は小声でバカバカしいとつぶやいた。
高塚は真剣な表情で話を聞き、光に問いかけた。
「生徒会選挙に立候補するには推薦人を同じクラスで20人か1・2年生で50人集める必要があるけれど、その目途はあるのかな? まず選挙に出られるか、話はそれからだよ。」
この推薦人制度は、候補者が一定の支持があることの証明として課せられているもので、推薦人集めの動きから立候補しようとする者の名前は周りに筒抜けになる。
「推薦人が集まらないんじゃ話が始まらないからね」
その点については大丈夫だった。
光は天然バカだがクラスメートには友達も多い、さらに優月が後押しすれば、優月に対するクラスメートからの信頼もあり、20人の推薦は容易に達成できる。
「推薦人は集まります。」
優月の返事を聞いた高塚は、確認するように文子の方を向き、文子は黙ってうなずいた。
「第一関門はクリアだね」
「それでは本題に入ろう。」
「社会科研究部では部の活動として、生徒会選挙の状況を分析している。情勢を把握し、どうすれば劣勢の候補者が勝てるか、優勢の者はより圧倒的な勝利を得るためにどうすればいいか、シミュレートしたり歴史上の事例と比較したりしている。だから柚木は君たちに僕らのところに相談に来るように言ったのだろう。」
「そして結論から言えば、今のままでは小山君のシナリオを実現するのは不可能だ。」
えっという顔をしている二人に高塚はその理由を説明した。
「この学校の生徒会は男子が会長、女子が副会長を務めるという暗黙の了解があるのは知っているね?そのせいで、この時代に珍しいことに会長に女子が立候補したことがない。だからこそ小山君は選挙に勝って会長になり、藤枝さんを副会長選挙の勝者として迎えるか、他の役員に指名するつもりでいたんだろう?」
光はうなずく。
「普段だったら、相手にもよるけれど勝ち目があったかもしれないが、藤枝さくらは実は会長選挙に立候補する準備を進めている。立候補すれば実績や個人的人気で支持されるだろうから、現状では当選する確率は高い。」
状況をざっと説明した後、一息ついて高塚は光にとって絶望的な一言を言った。
「残念ながら、小山君が正面から立ち向かっても勝てる相手じゃない。」
光の安直なシナリオは完全に詰まってしまった。
シナリオが詰まったことと、恋しているさくらを敵に回さなければいけないことに光は明らかに戦意喪失し、股に尻尾を挟んで逃げだしそうになっている。
「別の手はないんですか」
精一杯の光の問いに高塚は
「単純なことさ、相手が誰であれ、会長選挙に勝てばいい。」
「選挙に勝って会長になれば、あえて彼女を役員に指名することもできる。断られても前任役員との引継ぎや会議で接点は今より増えるから、君の望みは一部でもかなうことになるね。」
それを聞いて暗い表情で光はつぶやいた。
「でも彼女を倒さなければいけないことは変わらない・・・」
優月はその言葉を無視して疑問を呈した。
「さっきは『不可能だ』と言っていたじゃないですか。」
「『今のままでは』そして『正面からでは』だよ」
高塚は光の方を見て
「ただ、当事者が戦意を喪失してしまっては、どんなに手を尽くしても無理だ。」
明らかに戦意喪失している光の態度を見た優月は暫く考えてから聞いた。
「正面からでは無理ということは、会長は藤枝さんに譲って、副会長選挙に立候補すればいいんですか?」
「それで済めば楽だったんですけれどね。」
優月の問いかけに御厨が厳しい表情で答えた。
高塚がその言葉に続ける。
「残念ながら事はそう簡単じゃない。彼女は副会長にも自分と繋がりのある1年生の生徒を立候補させようとしている。自らと志が異なる可能性のある者を執行部から排除したいのと、主張が圧倒的に支持されていると周りに明確に示すつもりなのだろうね。」
シナリオが詰んだことで、唐突に話は終わった。
帰ろうと席を立った二人に高塚は言った。
「状況は刻々と変化する。もしかしたら数日後には君に有利な状態になるかもしれない、気が変わったらまた来るといい。」
その言葉を背に受けて二人は部屋を出た。
「優月ちゃんは今の話を聞いてどう思った?」
廊下まで見送りに来た文子は優月に言った。
「やっぱり、安直に考えたシナリオ通り上手くいくわけはないよね。」
優月は廊下を一人で先に歩いていく光の落ち込んだ背中をちらっと見て苦笑いした。
それはそうよねと言った後、文子は続けた。
「実は私、半年前は藤枝さんが生徒会長になればいいのにと思っていたの。パーフェクトガールを超えた聖人君子と言っていいほどの存在だったから。優秀なだけじゃない、皆の話も聞けるし、気も配れる本当に素敵な子だった。だけど最近、彼女は変わってしまったように見える。」
「今は私が知っている彼女とは違う、独善的で疑心暗鬼になっている。このままではただの独裁者になってしまう。」
「孤独な独裁者の末路は歴史が証明しているわ・・・わかる? 破滅よ。」
文子と別れた後、優月は教室に帰るまでの間に、ふとゲーム男子のことを思い出した。
確か1年生の間で都田君と並んでカリスマ的に人気のある生徒の一人だ。文子の件も含め、優月は人には意外な一面があるものだと思いながら歩いて行った。
数日後、社会科研究部の部室には部員が集合していた。
今日も情勢分析のため、部のメンバーが集まっていた。
今回は高塚、岩波、御厨の三人のほか、前回不在だった2年生の男子が参加していた。
2年2組の足柄義時は一日中地図を眺めていても飽きないという地理の専門家。
どんな地図でも一枚あれば頭の中に風景を描け、絶対に道に迷わないというのを自慢にしている。
今回は残念ながら特技を披露する機会がないので、2年の情報収集を主にしている。
「また彼らは来ないのかい」
高塚があきれながら言った
「謀反人からは情報を聞いてありますよ。」
御厨が憎々しげに言った。
それを聞いて高塚はみんなに言った
「それでは報告会を始めよう。」
口火を切って足柄が2年生の状況の報告と分析を話し始めた。
「藤枝さんの動きですが、20人の推薦人にまだ署名はさせていないようです。書類を見せたら会長選挙に出ることがばれてしまいますからね。彼女は立候補への妨害を恐れているようなので、直前に書かせるのでしょう。周りはいまだに副会長選挙に立候補すると思っています。」
「しかし、少々ナーバスになりすぎているのではないでしょうか、女子の立候補を制限する明確な規定はないから先生方も選挙管理委員会も拒否できないのに、逆に自らに枷かせを掛けてしまっている気がします。彼女直属の副会長候補の1年生は推薦人集めに苦労していますし・・・彼女も藤枝さんが後ろ盾だと明らかになれば簡単に推薦人は集まるし、藤枝さん自身の主張の発信もしやすいんですがね。」
足柄の報告に高塚が意見をはさむ。
「いや、制限する明確な規定がないというのは、”制限しない”規定もないという曖昧なもので、解釈によりどうとでも読み替えられる。それに学校は先生という絶対的な存在がいるということを忘れてはいけないよ。一部の先生はあからさまに彼女に圧力をかけることも考えられる。」
高塚の言葉に文子が疑問を呈する。
「この時代にそんなことが許されるんでしょうか。」
「前時代的な考えだけど、『伝統』という名の下で正当化されることがあるのも確かだよ。妨害の恐れについては、この1年間の生徒会活動の中で彼女は何かを感じ取ったのではないかな。」
さくらが立候補を現時点で公表していないのはそれだけが理由ではない。
高塚はこのまま届出期限まで藤枝が会長に立候補という点では表立って活動しないことを確信していた。
彼女は誰も手を付けていない市場を先駆者として独占するという、経済用語でいうところのブルーオーシャン理論の実現を狙っている。届け出締め切り直前に動けば彼女に追従できる者はない、女子の代表という立場を独占できる。
高塚は足柄に続けるように促した。
「ほかに2年生では3組の伏見が立候補を考えているようです。伏見は吹奏楽部副部長です。支持が広がるかは文科系の部活が部員をどこまで固めるかですね。」
吹奏楽部はこの学校の部活の中で最大勢力だが、練習場所として占有していた講堂の使用権を巡って他の部活と対立し、その訴えを受けた生徒会が主導した裁定で、講堂の優先使用権をはく奪されている。裁定は公平だとの評価を得ていたが、裁定を主導した副会長の藤枝さくらが一部の吹奏楽部員から逆恨みに近い反発を買っていた。
伏見は権益回復を狙った部の先輩たちの命令で担ぎ出されただけあって、支持の広がりは薄いと高塚は見ていた。文化部代表と称するだろうが、他の部と対立をしている状態で文化系の各部が纏まるとは思えず、支持は所属クラスと吹奏楽部からだけで、票読みを混乱させるくらいの力しかないはずだ。
「それでは、私から1年生の状況を報告します。」
御厨が続いて発言する。
「先ほど足柄先輩が仰っていた、藤枝先輩直系の副会長候補は1年1組の吉原 さんです。藤枝先輩の年下のいとこですが、推薦人集めに苦労しています。」
「集まらないのには理由があって、一つ目は藤枝先輩が副会長選挙に出るという思い込みが1年生にもあることです。妹のように可愛がられている彼女が先輩に挑むなんて二人の間に何かあったに違いないと変に勘繰られてしまって、彼女も本当のことが言えないため説明がうまくできず、周りに不信感を与えてしまっています。二つ目、これは選挙全体への影響も大きいことで、彼女の所属する1年1組から会長に立候補する動きがあることです。」
「去年、藤枝さんが1年生として副会長選に出たのが画期的だと言われたくらいよ、1年生から会長には今まで誰も立候補すらしてないんじゃないかしら。」
文子が驚きの声を上げ、御厨は報告をつづけた。
「都田 君を中心とするグループが出馬に向けて動いています。」
「生徒会も学校も1年生の意見が届いていない。行事でも何でも上級生に使われるだけ、やりたいことがあっても話すら聞いてもらえない。一年間我慢しても、次の世代がまた同じ不満を抱えるだけだ。ここで自分たちが責任をもって全てを平等にする。というのが彼らの主張で、既に1年生の各クラスに積極的に働きかけ、支持を広げています。」
「動き出しが早いね。まずは1年生を確実に固めつつ他学年の動きを見ようということかな。」
高塚が感心する。
「さっきの1年生の副会長候補の話とどこが関係するんだ?」
足柄が疑問を呈した。
「都田君のグループも身内から副会長の候補を出そうとしているんです。その子が同じ1組の比奈さんで、こちらは都田君と一体になって活動していて、クラス内で20人を超える推薦確保は確実です。」
「クラスの人数は35人で、規定では重複して推薦人になることはできないから、クラス内推薦を確保できない吉原さんは他クラスも合わせて50人集めなければならないわけだ。簡単に集められる数じゃないね。」
足柄の感想に御厨はうなずいた。
「1年生の生徒会長と副会長なんてことになったら前代未聞のことね。」
文子が呟く。
「伝統の破壊というのが今年はトレンドなのかな。」
苦笑しながらそう言ったあと、高塚はしばし先日の相談者のことを考えた。
目的に合致するという点から考えて、その気があれば副会長に立候補するよう、小山君に勧めるべきだ。
このまま放っておけば副会長選挙に吉原という子は出られない可能性が高い。藤枝さくらの戦略は崩れる。ここまで慎重すぎるくらいに進めている自分の会長選挙の準備方針を変えてまで積極的な動きをするとは考えにくい。
そうすれば、問題はもう一人の1年生女子だけだ。主義主張から言って支持は1年生を中心としたものになる。他の2年生に副会長への立候補の動きがない以上、勝ち目はある。その上で副会長候補を擁立できない藤枝さくらに提携を持ち掛ければ盤石となるはずだ。
まあ、本人にやる気があれば…だが。
高塚が一つの結論を出したその時、ドアをノックする音が部室に響いた。
文子が開けたドアからは光と優月が入ってきた。
「突然どうしたの?何かあったの。」
文子の呼びかけにも反応せず、二人が何も言わずにただ立っていると、高塚が声を掛けた。
「良かったら今の状況と僕の考えを説明するけれど、聞いていくかい」
二人はその言葉にうなづいた。
高塚は二人に座るよう促し、ここまで受けた報告をもとに状況を簡単に説明するとともに、先ほど考えた私見も付け加えた。
「小山君、君が立候補するつもりなら早く動いた方がいい。状況は刻々と変化している。」
説明が終わると、高塚は机に置いてあったお茶を手に取った。
光がチラリと優月の方を見た後、おもむろに優月が発言した。
「実は・・・私が会長に立候補することにしました。」
そう、過去の成功や失敗の歴史を知らなければ、新たな発明は生まれない。
地理を知らずに冒険に出た者は、未知の場所にたどり着くことすらできず、新たな発見はない。
そして政治体制や経済機構が無ければ、人間は獣の群れの領域から新たな発展をすることはなかった。
そんな全ての礎たる偉大な学問であるにもかかわらず、社会科は主要教科の中でもその地位は最も低いところに置かれている。
そして、その学問を好み、究めんとする者もまた「変わり者」「マニア」などと不当な評価を受け続けている。
-2年前-
静岡県中伊豆市運動公園アリーナ、全国中学女子バスケットボール選手権東海大会決勝、勝てば全国への扉が開かれる。
沼浜市立沼浜高校中等部の相手は絶対王者の名古屋橘花女学院、追い込んだが2点を追う最終エンド残り数秒、最後のタイムアウトを迎えていた。
王者の強烈なプレッシャーに耐えてきたが、だれが見ても万事休す。
奇跡が起こらなければ勝利はない。
どんな時も強気な副キャプテンは無言でうつむき、後輩の選手は絶望と疲労で泣きそうな顔をしている。
そんなチームメイト達にキャプテンは笑顔で言った。
「奇跡も番狂わせも起きるものじゃない、起こすものだよ」
話をしている彼女を観客席から心配そうに見つめる一人の同級生。
試合再開、ボールがキャプテンに渡り、最後のスリーポイントシュートを放ったのと同時にブザーが鳴る。
そして、会場の外で気だるそうに空を見上げている左手に傷のある少女の上を、大歓声が通り過ぎた。
元沼浜高中等部バスケ部、卒業前に病気で引退したがブザービーターで絶対王者を沈めた選手であった。
しかし高校ではその事を知らない生徒が多く、ごく普通の女子高生としての生活を送っている。
そんな彼女の目の前に座っているのは
「俺、生徒会選挙に出ようと思う」
全ては光のこの一言から始まった。
「なぜ?」
怪訝そうに優子は聞いた。
光は顔を真っ赤にしながら言った。
「俺が藤枝さんのこと好きなの知っているだろ」
藤枝さくら 生徒会副会長兼2年1組の委員長。
容姿端麗、頭脳明晰、スポーツ万能、知勇兼備、清廉潔白、ありとあらゆる美辞麗句が似合う完璧超人、それでいて優しく気取ったところがないというもはや神のような存在。
すぐその才を認められ、1年生ながら生徒会副会長に抜擢。辣腕をふるっている。
「それと生徒会選挙の何がつながるの?」
「生徒会に入れば彼女と仲良くなれる。」
光が言うには、今のままでは自分は彼女の認知外の存在でしかない。
認知されるには彼女と日常的に接することが必要だ、クラスも違うし彼女の周りはいつも人が取り巻いている。近づく方法としては、もはや自分が生徒会の役員になるしかない。
しかし、役員は立候補した者か推薦された者の中から会長が指名するから、特に目立った所のない存在である自分が役員に立候補しても選ばれる可能性はない。
藤枝さんは次期も必ず役員になるだろうから、自分が選挙に出るしかない。
光は自分の短絡した考えを自信満々に披露する。
コイツは・・相変わらずの天然だ、天然というか・・馬鹿だと優月は思った
そして小学生を諭すように言った
「あのね・・・選挙に出ても勝てなきゃ意味ないのよ」
何を当たり前のことを言うのかと不機嫌そうな光の態度。
「だから優月に協力してほしいんだ。」
そして今、場所を移した二人の前にいる男子は
祖父は報道カメラマン、父は通信社の海外特派員を長く務め、叔父は地方紙の支局長という記者一族に生まれ、自らもジャーナリストを目指している。
彼は校内での新聞発行やニュース配信のため様々な情報を集め、生徒の興味を引きそうなネタを常に探している、生徒会選挙は彼が最も興味を持っているネタで特に力を入れて取材している。
光が最初に頼る先として選択したのが彼だったが、ヘタレの光は一人で行くのを嫌がって優月に同行を頼んできたのだった。
優月と光は小さいころからの腐れ縁で、こういう厄介ごとの時は常に優月を頼ってくる。
そして馬鹿な弟の面倒を見るような気持ちで、優月もつい世話を焼いてしまう。
いくら腐れ縁だからってとことんお人好しだな、と優月は自虐の言葉を心の中でつぶやきながら、光と一緒に彼のアドバイスを聞くことにした。
そして、柚木の答えはこうだった。
「社会科研究部って知っているかい?変わり者だらけな部活だけど、きっと君たちの力になってくれると思う。彼らに会いたければ僕から話をつけておいてあげるよ。」
そして、優月と光は翌日、柚木から教えて貰った社会科準備室の横にある部屋へ二人で向かった。
『社会科研究部』は学校内でも謎の多い部活の一つ。
新入生に対する部活紹介の場に出てきた部長と中等部時代から部員を公言し、新人勧誘の場でアピールしていた1年生の女子部員は顔が知られているが、それ以外の部員の存在は詳しくは知られていない。
社会科の得意な生徒が集まっていること、今年の文化祭では歴史とか地理の展示をしていたこと、テスト前によく当たる予想問題を配ったこと位しか優月も光もその活動は知らない。
部室は準備室奥の元倉庫で、出入口も廊下からは見えなくなっている、そのため出入りする生徒が準備室にいる先生に呼ばれたのか部員なのかが分からない。
優月も先生に呼ばれて準備室に来たことがあるが、横の部屋の存在には今日まで気が付かなかった。
準備室の脇を奥に進むと扉には小さく「社会科研究部」の表示と、名前だけは聞いたことがある政治家や学者の名言らしきものが貼ってあるが、一見しただけではただの倉庫で、この奥に誰かがいるようには思えない。
どんな変人たちが巣くっているのだろう・・・優月は内心不安で一杯になっていた。
光はすでにビビってしまって、今にも走って逃げ出しそうになっている。
優月はチラリと光を見て、ため息をつきながらドアノブに手を掛けた。
すると内側から誰かが開けたのか、扉が勝手に開いた。
「社会科研究部にようこそ」
扉を開けた人物は意外にも女の子だった。
その顔を見て、優月は驚いた。
「
同じクラスの岩波文子だった。
一歩扉の中に入ると、目に入るのは奇麗に整理された部屋と壁に据え付けられた本棚一杯の本と史料。
校庭にも出られるようになっているガラス戸から日光が入って部屋の中は明るい。
でも、本棚には分厚い洋書、政治や歴史の難しそうな本の横に「銀河英雄伝説」のような小説や「まんが日本の歴史」「エリア88」などの漫画まで置いてあり、他にも土器があるかと思えば軍艦や城のプラモまで置いてあって、その中身は全く統一感がなく雑然としている。
部屋に入った優月たちの目の前では男子と女子がタブレットを持って大騒ぎしていて、それを後ろから眺めている男子がもう一人。
タブレットの二人はどうやら歴史シミュレーションゲームをやっているらしい。
「え~っ、ここで寝返らせるなんて、卑怯だよ。」
制服のネクタイの色で1年生と分かる女子が叫ぶ
「裏切りや下剋上は歴史の醍醐味だよ。」
一緒にゲームをしているこちらも1年生と思われる男子生徒が静かに答える。
「そんな風に裏切ったり騙したりしていたら、友達いなくなるよ」
ゲーム女子が憎まれ口をたたく。
「裏切りの美学は時代の流れに大きな影響を与えることだよ。日常生活で裏切りをしても、些細な事でしかないから僕はそんなことはしない。つくづく生まれた時代を間違えたと思うよ。」
男子は穏やかでないことを口にしながら無邪気に笑う。
「まったく、こんな奴に人望があるなんて、みんな間違っているよね。」
女子は納得いかないのかまだブツブツ文句を言っている。
「二人とも、お客さんが来たから今日はここまでにしよう。」
二人を後ろから見ていた2年生の男子が、来客に気づいてゲームの終了を告げ、光と優月に椅子に座るよう促した。
光たちの向かい側に先ほどの2年生の男子と岩波が座り、右手に1年生のゲーム女子が座る。
ゲーム男子は片付けが終わると話を聞くことなく部屋から出て行った。
部屋から出るとき、2年の男子が声を掛けた。
「ゲームするときだけじゃなくて、たまにはちゃんとした活動の時にも来いよ。」
ゲーム男子は苦笑いをしながら、わかりましたと言って笑顔で去って行った。
「改めて、社会科研究部にようこそ」
「僕は部長をしている2年1組の高塚幸盛です」
高塚幸盛、圧倒的な知識量を誇る文科系の異才として学校中に知られている。
学校一の才女、藤枝さくらはテストのほとんどの科目で単独1位を取っている。
全科目と言えないのは、この高塚が社会科系の科目で一位を独占しているからだ。
しかし、理数系の科目は全く興味が無いようで、数学と物理は赤点補習の常連という実に極端な存在。
他にも中途半端な知識で彼を論破しようとした教育実習生を返り討ちにしたとか変な話題には事欠かない。
そして高塚は左を向き、岩波に自己紹介を促した。
「今日は優月ちゃんが来るんじゃないかなって思ったから、私も同席することにしたの。」
優月にとっては、歴史や地理が特別得意という感じではない彼女がここに同席していることが驚きだったが、それでも知り合いがいてくれるのはとても心強かった。
「岩波文子です、副部長をしています。得意なジャンルは世界史です。」
文子は1年の時から同じクラスで、明るくて面倒見がよく、優月が学級委員長に就任した時にも、全員一致で副委員長に指名される位、クラスの中の皆に頼りにされている存在だ。
「実は私、歴女なの」
突然カミングアウトすると、自分の推しの人物達について語り始めた。
普段見せないような恍惚とした表情でひとしきり語った後、ポカンとしている同級生の顔を見て我に返ったのか、ごめんねと手を合わせて次の人を紹介した。
「この子は御厨さん 見てわかると思うけれど1年生」
「1年5組
かわいらしい子が起立してペコリとおじぎをする。
さっきのゲーム女子、中等部時代から部員を公言していた1年生はこの子だ。
「御厨ちゃんは可愛くてしっかりしているから1年生の中でとっても人気があるの。」
文子が付け加える。
「岩波先輩、そういう言い方やめてください。」
ふてくされた御厨を高塚がまあまあとなだめる。
「御厨さんは1年生の事情に通じているのと、様々な知識が豊富だから居てもらっているんだよ。」
高塚のフォローを聞いて御厨はすぐに機嫌を直し、ニコニコしながら優月に言った。
「今日ここに来られたのは理由があるんでしょう。説明してくれませんか。」
三人の視線が注がれる。
優月と光は簡単に自己紹介をした後、光が生徒会選挙への立候補に至る理由、そして柚木に相談し、ここを紹介された話までをした。
文子は苦笑し、御厨は小声でバカバカしいとつぶやいた。
高塚は真剣な表情で話を聞き、光に問いかけた。
「生徒会選挙に立候補するには推薦人を同じクラスで20人か1・2年生で50人集める必要があるけれど、その目途はあるのかな? まず選挙に出られるか、話はそれからだよ。」
この推薦人制度は、候補者が一定の支持があることの証明として課せられているもので、推薦人集めの動きから立候補しようとする者の名前は周りに筒抜けになる。
「推薦人が集まらないんじゃ話が始まらないからね」
その点については大丈夫だった。
光は天然バカだがクラスメートには友達も多い、さらに優月が後押しすれば、優月に対するクラスメートからの信頼もあり、20人の推薦は容易に達成できる。
「推薦人は集まります。」
優月の返事を聞いた高塚は、確認するように文子の方を向き、文子は黙ってうなずいた。
「第一関門はクリアだね」
「それでは本題に入ろう。」
「社会科研究部では部の活動として、生徒会選挙の状況を分析している。情勢を把握し、どうすれば劣勢の候補者が勝てるか、優勢の者はより圧倒的な勝利を得るためにどうすればいいか、シミュレートしたり歴史上の事例と比較したりしている。だから柚木は君たちに僕らのところに相談に来るように言ったのだろう。」
「そして結論から言えば、今のままでは小山君のシナリオを実現するのは不可能だ。」
えっという顔をしている二人に高塚はその理由を説明した。
「この学校の生徒会は男子が会長、女子が副会長を務めるという暗黙の了解があるのは知っているね?そのせいで、この時代に珍しいことに会長に女子が立候補したことがない。だからこそ小山君は選挙に勝って会長になり、藤枝さんを副会長選挙の勝者として迎えるか、他の役員に指名するつもりでいたんだろう?」
光はうなずく。
「普段だったら、相手にもよるけれど勝ち目があったかもしれないが、藤枝さくらは実は会長選挙に立候補する準備を進めている。立候補すれば実績や個人的人気で支持されるだろうから、現状では当選する確率は高い。」
状況をざっと説明した後、一息ついて高塚は光にとって絶望的な一言を言った。
「残念ながら、小山君が正面から立ち向かっても勝てる相手じゃない。」
光の安直なシナリオは完全に詰まってしまった。
シナリオが詰まったことと、恋しているさくらを敵に回さなければいけないことに光は明らかに戦意喪失し、股に尻尾を挟んで逃げだしそうになっている。
「別の手はないんですか」
精一杯の光の問いに高塚は
「単純なことさ、相手が誰であれ、会長選挙に勝てばいい。」
「選挙に勝って会長になれば、あえて彼女を役員に指名することもできる。断られても前任役員との引継ぎや会議で接点は今より増えるから、君の望みは一部でもかなうことになるね。」
それを聞いて暗い表情で光はつぶやいた。
「でも彼女を倒さなければいけないことは変わらない・・・」
優月はその言葉を無視して疑問を呈した。
「さっきは『不可能だ』と言っていたじゃないですか。」
「『今のままでは』そして『正面からでは』だよ」
高塚は光の方を見て
「ただ、当事者が戦意を喪失してしまっては、どんなに手を尽くしても無理だ。」
明らかに戦意喪失している光の態度を見た優月は暫く考えてから聞いた。
「正面からでは無理ということは、会長は藤枝さんに譲って、副会長選挙に立候補すればいいんですか?」
「それで済めば楽だったんですけれどね。」
優月の問いかけに御厨が厳しい表情で答えた。
高塚がその言葉に続ける。
「残念ながら事はそう簡単じゃない。彼女は副会長にも自分と繋がりのある1年生の生徒を立候補させようとしている。自らと志が異なる可能性のある者を執行部から排除したいのと、主張が圧倒的に支持されていると周りに明確に示すつもりなのだろうね。」
シナリオが詰んだことで、唐突に話は終わった。
帰ろうと席を立った二人に高塚は言った。
「状況は刻々と変化する。もしかしたら数日後には君に有利な状態になるかもしれない、気が変わったらまた来るといい。」
その言葉を背に受けて二人は部屋を出た。
「優月ちゃんは今の話を聞いてどう思った?」
廊下まで見送りに来た文子は優月に言った。
「やっぱり、安直に考えたシナリオ通り上手くいくわけはないよね。」
優月は廊下を一人で先に歩いていく光の落ち込んだ背中をちらっと見て苦笑いした。
それはそうよねと言った後、文子は続けた。
「実は私、半年前は藤枝さんが生徒会長になればいいのにと思っていたの。パーフェクトガールを超えた聖人君子と言っていいほどの存在だったから。優秀なだけじゃない、皆の話も聞けるし、気も配れる本当に素敵な子だった。だけど最近、彼女は変わってしまったように見える。」
「今は私が知っている彼女とは違う、独善的で疑心暗鬼になっている。このままではただの独裁者になってしまう。」
「孤独な独裁者の末路は歴史が証明しているわ・・・わかる? 破滅よ。」
文子と別れた後、優月は教室に帰るまでの間に、ふとゲーム男子のことを思い出した。
確か1年生の間で都田君と並んでカリスマ的に人気のある生徒の一人だ。文子の件も含め、優月は人には意外な一面があるものだと思いながら歩いて行った。
数日後、社会科研究部の部室には部員が集合していた。
今日も情勢分析のため、部のメンバーが集まっていた。
今回は高塚、岩波、御厨の三人のほか、前回不在だった2年生の男子が参加していた。
2年2組の足柄義時は一日中地図を眺めていても飽きないという地理の専門家。
どんな地図でも一枚あれば頭の中に風景を描け、絶対に道に迷わないというのを自慢にしている。
今回は残念ながら特技を披露する機会がないので、2年の情報収集を主にしている。
「また彼らは来ないのかい」
高塚があきれながら言った
「謀反人からは情報を聞いてありますよ。」
御厨が憎々しげに言った。
それを聞いて高塚はみんなに言った
「それでは報告会を始めよう。」
口火を切って足柄が2年生の状況の報告と分析を話し始めた。
「藤枝さんの動きですが、20人の推薦人にまだ署名はさせていないようです。書類を見せたら会長選挙に出ることがばれてしまいますからね。彼女は立候補への妨害を恐れているようなので、直前に書かせるのでしょう。周りはいまだに副会長選挙に立候補すると思っています。」
「しかし、少々ナーバスになりすぎているのではないでしょうか、女子の立候補を制限する明確な規定はないから先生方も選挙管理委員会も拒否できないのに、逆に自らに枷かせを掛けてしまっている気がします。彼女直属の副会長候補の1年生は推薦人集めに苦労していますし・・・彼女も藤枝さんが後ろ盾だと明らかになれば簡単に推薦人は集まるし、藤枝さん自身の主張の発信もしやすいんですがね。」
足柄の報告に高塚が意見をはさむ。
「いや、制限する明確な規定がないというのは、”制限しない”規定もないという曖昧なもので、解釈によりどうとでも読み替えられる。それに学校は先生という絶対的な存在がいるということを忘れてはいけないよ。一部の先生はあからさまに彼女に圧力をかけることも考えられる。」
高塚の言葉に文子が疑問を呈する。
「この時代にそんなことが許されるんでしょうか。」
「前時代的な考えだけど、『伝統』という名の下で正当化されることがあるのも確かだよ。妨害の恐れについては、この1年間の生徒会活動の中で彼女は何かを感じ取ったのではないかな。」
さくらが立候補を現時点で公表していないのはそれだけが理由ではない。
高塚はこのまま届出期限まで藤枝が会長に立候補という点では表立って活動しないことを確信していた。
彼女は誰も手を付けていない市場を先駆者として独占するという、経済用語でいうところのブルーオーシャン理論の実現を狙っている。届け出締め切り直前に動けば彼女に追従できる者はない、女子の代表という立場を独占できる。
高塚は足柄に続けるように促した。
「ほかに2年生では3組の伏見が立候補を考えているようです。伏見は吹奏楽部副部長です。支持が広がるかは文科系の部活が部員をどこまで固めるかですね。」
吹奏楽部はこの学校の部活の中で最大勢力だが、練習場所として占有していた講堂の使用権を巡って他の部活と対立し、その訴えを受けた生徒会が主導した裁定で、講堂の優先使用権をはく奪されている。裁定は公平だとの評価を得ていたが、裁定を主導した副会長の藤枝さくらが一部の吹奏楽部員から逆恨みに近い反発を買っていた。
伏見は権益回復を狙った部の先輩たちの命令で担ぎ出されただけあって、支持の広がりは薄いと高塚は見ていた。文化部代表と称するだろうが、他の部と対立をしている状態で文化系の各部が纏まるとは思えず、支持は所属クラスと吹奏楽部からだけで、票読みを混乱させるくらいの力しかないはずだ。
「それでは、私から1年生の状況を報告します。」
御厨が続いて発言する。
「先ほど足柄先輩が仰っていた、藤枝先輩直系の副会長候補は1年1組の
「集まらないのには理由があって、一つ目は藤枝先輩が副会長選挙に出るという思い込みが1年生にもあることです。妹のように可愛がられている彼女が先輩に挑むなんて二人の間に何かあったに違いないと変に勘繰られてしまって、彼女も本当のことが言えないため説明がうまくできず、周りに不信感を与えてしまっています。二つ目、これは選挙全体への影響も大きいことで、彼女の所属する1年1組から会長に立候補する動きがあることです。」
「去年、藤枝さんが1年生として副会長選に出たのが画期的だと言われたくらいよ、1年生から会長には今まで誰も立候補すらしてないんじゃないかしら。」
文子が驚きの声を上げ、御厨は報告をつづけた。
「
「生徒会も学校も1年生の意見が届いていない。行事でも何でも上級生に使われるだけ、やりたいことがあっても話すら聞いてもらえない。一年間我慢しても、次の世代がまた同じ不満を抱えるだけだ。ここで自分たちが責任をもって全てを平等にする。というのが彼らの主張で、既に1年生の各クラスに積極的に働きかけ、支持を広げています。」
「動き出しが早いね。まずは1年生を確実に固めつつ他学年の動きを見ようということかな。」
高塚が感心する。
「さっきの1年生の副会長候補の話とどこが関係するんだ?」
足柄が疑問を呈した。
「都田君のグループも身内から副会長の候補を出そうとしているんです。その子が同じ1組の比奈さんで、こちらは都田君と一体になって活動していて、クラス内で20人を超える推薦確保は確実です。」
「クラスの人数は35人で、規定では重複して推薦人になることはできないから、クラス内推薦を確保できない吉原さんは他クラスも合わせて50人集めなければならないわけだ。簡単に集められる数じゃないね。」
足柄の感想に御厨はうなずいた。
「1年生の生徒会長と副会長なんてことになったら前代未聞のことね。」
文子が呟く。
「伝統の破壊というのが今年はトレンドなのかな。」
苦笑しながらそう言ったあと、高塚はしばし先日の相談者のことを考えた。
目的に合致するという点から考えて、その気があれば副会長に立候補するよう、小山君に勧めるべきだ。
このまま放っておけば副会長選挙に吉原という子は出られない可能性が高い。藤枝さくらの戦略は崩れる。ここまで慎重すぎるくらいに進めている自分の会長選挙の準備方針を変えてまで積極的な動きをするとは考えにくい。
そうすれば、問題はもう一人の1年生女子だけだ。主義主張から言って支持は1年生を中心としたものになる。他の2年生に副会長への立候補の動きがない以上、勝ち目はある。その上で副会長候補を擁立できない藤枝さくらに提携を持ち掛ければ盤石となるはずだ。
まあ、本人にやる気があれば…だが。
高塚が一つの結論を出したその時、ドアをノックする音が部室に響いた。
文子が開けたドアからは光と優月が入ってきた。
「突然どうしたの?何かあったの。」
文子の呼びかけにも反応せず、二人が何も言わずにただ立っていると、高塚が声を掛けた。
「良かったら今の状況と僕の考えを説明するけれど、聞いていくかい」
二人はその言葉にうなづいた。
高塚は二人に座るよう促し、ここまで受けた報告をもとに状況を簡単に説明するとともに、先ほど考えた私見も付け加えた。
「小山君、君が立候補するつもりなら早く動いた方がいい。状況は刻々と変化している。」
説明が終わると、高塚は机に置いてあったお茶を手に取った。
光がチラリと優月の方を見た後、おもむろに優月が発言した。
「実は・・・私が会長に立候補することにしました。」