第6話 仮初めの同盟

文字数 4,970文字

 敗者の元から人が去るのはあっという間だ。
 人間というものは・・・いや、生物はすべてそうなのかも知れない。
 敗者には憐れみ以外の価値を見出せないから。

 ここまで紆余曲折はあったものの、優月の立候補手続きは完了し、選挙戦が始まった。
 選挙期間は立会演説会までの前半、そこから投票日までの後半に大きく分かれる。
 生徒会長立候補者は予想されていた通り四人。
 今回は全く新しい方法、そして異なるタイプの候補者が四人も出たということで、生徒の興味も以前の比較にならないほど高く、そして過熱気味であった。
 選挙は祭りだと昔の人が言っていたとおり、学校の中はお祭りのような雰囲気になっていた。
 貼られた候補者ポスターでさえ祝祭感を醸しだしているように見える。

「本当にこんな格好して歩き回らなければいけないの?」
 優月は名前を大書したタスキを掛けた自分の姿に戸惑っていた。
「当り前じゃない。選挙の定番よ、定番。」
 タスキを掛け直しながら文子が答える。
「今日から期間中、休み時間や放課後はこのタスキを掛けるのよ、声をかけられたら投票をお願いするのを忘れずに。どんな時でも笑顔を欠かさないことと・・・。」
「もう、わかっているわよ、子供じゃないんだから。」
 2年4組のお母さんの異名を持つ文子のお節介に優月がぼやく。
「他のアイテムはみんなオシャレなデザインなのに、これだけ昭和よね。」
 優月の感想には訳があった。
 選挙開始と同時に各陣営はポスターを始めとした様々な掲示物やチラシなどのアイテムを展開したが、優月のそれは群を抜いて斬新かつスタイリッシュなデザインだった。
 社会科研究部が海外の選挙のものを参考に考えたアイデアを基に、2年4組に在籍している美術部員が作成し、クラスメート皆で貼ったり配ったりしているのだった。そのアイテムは目的通り多くの生徒の目を引き、優月を印象付けることに貢献した。
「このタスキ、もっとカッコイイ感じにしてくれればよかったのに・・・。」
「この落差がいいのよ。」
 二人のやり取りに周りにいるクラスメートたちも笑い出す。
 高塚は少し離れたところでその様子を見ながら、2年4組と優月の結びつきが想像以上の強さであることに目を見張っていた。彼女のクラスメートたちは、この場にいる生徒だけではなく、クラス中で『優月のためなら』と選挙の手伝いを買って出てきているのだった。
 この信頼と結束力の高さはこの後、様々な場面で威力を発揮するに違いない。
 その時は存分に使わせてもらおうと考えていた。

 各陣営の戦いが始まり、同時にその体制と戦略が明らかになった。
 都田は姫子を始めとした彼の仲間たちを中心に、決選投票までもつれ込ませるため、1年生を徹底的に固める戦略を取っていた。
 さくらは逆に本選挙で過半数を制し、決選に持ち込ませず一発で決める方針のもと、現生徒会役員を中心にして選挙戦を展開。
 伏見は吹奏楽部員を総動員してあちこちに働きかけていた。
 優月は社会科研究部と2年4組のクラスメートが中心となっていたが、その戦略は他とは一線を画していた。
 それは「優月を二人目に選んでほしい」というものだ。
 本選挙では新しい試みとしてパソコン部顧問が部員と開発した電子投票システムを使用することがアナウンスされていた、システム上、二人選ばなければエラーになり、棄権もできないことから、どうしても2人選ばないといけない。一人目と二人目はただの投票順の問題で等価値である以上、一人目にこだわることは何も意味を持たない。
 しかし、優月陣営以外は一人目にこだわった呼びかけをしているから、その隙を突いているのだ。
「正攻法では勝てないからね。ゲリラ戦に徹するということさ。」
 高塚はそううそぶいた。

 更に選挙戦が開始すると同時に、事前に報道部が行った投票アンケートの結果が公表された。
 支持率トップは藤枝さくら、3年生では圧倒的な支持があり、他でも広く支持されている。
 2位は1年生の支持が最も高い都田蹴人、3位で女子初の候補者として真っ先に名乗りを上げた大岡優月が僅差で激しく追うという構図となっていた。
『藤枝さくらはやっぱり強い』
 報道を見た誰もがそう思った。
 さくらは副会長選挙の活動を名目に生徒会役員を中心とした組織態勢を以前から整えていた。
 そして、会長選挙への立候補表明と同時に、その組織を会長選挙用に転用しフル稼働させてきたのだった。
 優月の出現は誤算ではあったものの、この点は彼女の目算通りに事が進んでいた。
「藤枝さんが強いという事で一気に支持が集まるかもしれないな。」
 作戦会議でアンケート結果を見た高塚はつぶやいた。
「だから立候補できない状況に追い込みたかったんだが…。」
「でも、まだまだわからないですよね。」
 文子の言う通り、まだまだ勝敗は分からない。
 支持率はあくまで全体の中でのもの、以前とは大幅に異なる今回の制度に当てはめてみた結果がどうなるかは全く分からない。前に優月に説明したとおり、全体で多数をとっても負ける可能性があるのだ。
「そのためには、流れを一方的に持っていかれないようにしないとならないね。」

 そして数日が経ち、お祭り騒ぎの裏で、様々な駆け引きや戦いも始まっていた。
 社会科研究部内では、工作や活動の担当が決められた。
 1年生の担当である御厨は一行だけ書かれた手紙を手に、その時、呼び出された場所に向かっていた。
『放課後、図書室へ』
 御厨を訪問してきた見知らぬ生徒が持ってきたものだった。
 差出人はおろか図書室のどこに行けばいいのかも書いていないが、その筆跡から御厨には相手の見当がついた。
 図書室に着くと脇目もふらずに人気のない一番奥にある古典文学コーナーへ向かう。
 そこでは差出人が一人で本を読んでいた。

 天窓からの光を浴びた長い髪がキラキラと光り、整った顔立ちと相まって、物語の中の姫君がそのまま出てきたかのように見える。
「源氏物語ね。」
 声を掛けられた相手は静かに本を閉じながら言った。
「小さい時からいつも考えていたわ、紫の上は幸福だったのか不幸だったのかって。」
 そう言うと、目の前に立つ御厨に座るように促し、その後方に視線をやりながら付け加えるように言った。
「あら、お仲間も来ているのかしら。」
 そう言われた御厨も背後に誰かの気配を感じ取った。
「ちょっと待って。」
 そう言うや否や御厨は素早く自分の後方にある書棚に向かい、その陰に隠れていた男子の耳を掴んで通路に引きずり出した。
「何をコソコソやっているの。」
「何すんだよ、俺は頼まれてボディーガードをしているだけだぞ。」
 耳を引っ張られて引きずり出された大柄な生徒は、悶絶しながら抗議した。
 隠れていたのは社会科研究部の準幽霊部員の一人、1年5組の由比(ゆい)だ。
 武術道場の息子で、たまにしか来ないが武術の歴史研究のために所属している。
「アイツに言っといて、余計な心配をするなって。」
「そうは言っても相手はあの荊姫じゃないかよ。」
 由比の言葉を聞くと御厨の目つきが一瞬で変わり、彼女は思いきり由比の脛を蹴飛ばした。
「その名で呼ぶんじゃない!とっとと帰れ。」
 ギャッと小さい悲鳴を出して武道家は退散し、それを確認すると御厨は席に着いた。
「さて、こんなところに呼び出して何の用なの・・・比奈さん。」
「随分と他人行儀ね。」
 姫子は微笑みながら、それに応じた。
「あたり前よ、今はあなたと私は敵同士なのよ。」
 御厨は険しい表情で返す。
「敵とはひどい言い方ね。」
 姫子は肩をすくめて言い、そして組んだ手に顎を乗せ、いたずらっぽい笑みを浮かべながら続けた。
「その敵と手を組む提案をしたら、あなたはどうする?」
「何を言っているの?」
「あなた達の『二番目作戦』の狙いは承知しているわ。さすが高塚さんといったところね。一番目でも二番目でもクラスで最も票を集めた者が一位のポイントを得るから。私たちが争っている隙に二番目に書かれた優月さんが一位になっていることもあるわね。」
 姫子の見解は核心を突いていた。
「考えすぎではないかしら、あなた達に対抗できないから些細な抵抗をしているだけよ。」
 とぼけた御厨の言葉を無視し、姫子は自らの意図を説明した。
「私たちは1年全クラスで一位を取って決選投票に進出する必要があるのよ。」
 姫子には自分たちが反抗的な一部の下級生ではなく、その主張は1年生の総意で、皆に支持されているという姿を全校に見せつけるという目的があった。
 実際、1年生の大半のクラスでは圧倒的に優勢となっていたが、唯一の懸念は御厨が所属する1年5組。

 姫子は御厨を指差し、はっきりと言った。
「そのためには、あなたの存在が邪魔なの。」
 5組は都田と優月の支持が五分五分で、どちらが1位になるか全く分からない。
「存在が邪魔とはひどい言い方ね。」
 御厨が姫子の言葉をまねて皮肉を返す。
「だから手を組もうと言っているのよ。」
 姫子の提案は、都田が1年生全クラスで一位を取るため、優月が1年生での活動を必要最低限に抑えることだった。
「その取引に乗ることで、私たちは見返りに何を得るの?」
「あなたたちの邪魔をしない、というのが見返りよ。」
 姫子はくすっと笑って答え、御厨は何を言っているのか理解出来ないというような顔をした。
 その顔を見て姫子は静かに言った。
「本気になれば、1年生全クラスで優月さんが二位すら取れなくすることだってできるのよ。」
 姫子の言葉、いや言葉と同時に吐き出した凄みを帯びた空気がその場に漂う。
 御厨はその空気に内心慄然としながらも、平静を装い不敵な笑みを浮かべ言い返す。
「そうね、私もあなたの目論見を潰して見せようか。」
「そんなことができるのかしら。」
「もう一息よ、あとは学級委員長が支持を明らかにすれば5組は私たちの手に陥ちるわ。」
「彼はこちらの味方だと蹴人は言っているわよ。」
 その言葉を最後に二人の間に緊迫した沈黙が流れた。

 やがて姫子はため息をつき、肩をすくめながら言った
「蹴人が1年生で一位を独占するためにあなた達が協力するなら、あなた達の邪魔をしないのはもちろん、逆に私たちは1年生全クラスで二位を優月さんが取れるように協力する。それでどう?」
「随分と大盤振る舞いをするのね。」
「私たちには大きな目的があるからよ。」
 姫子が恐れているのは、決選投票が行われない状態になることだった。
 決選投票まで行かなければ都田には勝ち目がない、勝つことを目指している以上、さくらの一人勝ちだけは絶対に避けたい。
 そして同時に負けるにしても「負け方」というものがある。
 手も足も出ない程の決定的な敗北を喫すれば、1年生全体に無力感と徒労感が広がり、都田の求心力は完全に失われ、再起のチャンスはなくなってしまうのだ。
「私たちは残念ながら上級生に食い込む術を持っていない。あなた達が1年生から手を引いて上級生の中で勢力を拡大することは、私たちの利益にもなるわ。」
「『敵の敵は味方』という訳ね」      
 悪くない取引だと思った。この話し合いが決裂すれば、無駄な対立の挙句に双方共倒れになる。
「分かったわ、その取引に乗りましょう。」
 御厨の返事に対して姫子はにこやかな表情でリストバンドを着けた手を前に出した。
「これで私たちは、しばらくの間は盟友ということになるわ。」
 御厨は差し出された手を握り返した。
 姫子の手は御厨が知っている昔の彼女の手と違い、ひどく冷たかった。

 二人は気づかなかったが、本棚の陰でこの話し合いを聞いていた生徒がもう一人いた。
(やれやれ・・・5組の委員長にも君はこの後ちゃんと話をするんだろうね。)
 そうつぶやくと、その生徒は音もなく去っていった。

 そして、このことを御厨が部に持ち帰って報告すると、高塚は少し考えて優月に問いかけた。
「優月君、君のクラスでこの選挙の少々無理な頼み事を確実に聞いてくれる人は何人くらいいる?」
「そうね・・・内容にもよるけれど15人くらいかな。」
「その中に光君と文子君も入れているかい。」
「いいえ、その二人は別よ。」
「では優月君を含めた18人で今から言うことをしてほしい。」
 そう言うと高塚は優月たちにある策を授けた。
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