第3夜 【白いハイヒール】(1)

文字数 1,093文字




その日は二月にしても、特別に寒い日だった。

午前二時。

気味の悪いほどの青白い満月が、田んぼの中、真っ直ぐ続く広い農道に煌々とした光を投げかけていた。 

車の代行業を始めて、半年。

夜の車の運転にも大分慣れたなと思いつつ、俺、田口勝(たぐちまさる)は快調に車を走らせていた。

遠方の客を家まで送り届けた帰り道。

田舎の一本道には対向車も無く、月の光が黒々とした山陰を浮かび上がらせている。

薄気味悪い夜だな。

狐か狸にでも化かされそうだ……。

俺は心のなかで一人ごちると胸ポケットをまさぐり、片手で煙草を一本取り出して口にくわえた。

いつもの勘で、手元を見ることもなくシガーライターに手を伸ばし、ポンと押し込む。

助手席にチラリと視線を走らせると、今日の相棒の坂崎が、カーラジオから聞こえる音楽を子守歌にして、気持ちよさそうにいびきをかいて眠っていた。

不況の余波で、この代行業も随分と売り上げが落ち込んだ。

数年前に施行された代行業の許可登録制度も、それに拍車を掛けている。

乗客を乗せるタクシー業には普通免許の他に二種免許が必要だが、その必要がない代行業は、急なリストラで路頭に迷うところだった俺には救いの主だった。

女房とまだ幼い二人の子供を抱えた一家の大黒柱。

30歳と言う年齢を考えれば、もっと堅実な仕事を見付けた方がいいのだが、妙にこの仕事が性に合っていた。

昼勤の普通のサラーリーマンから夜勤の代行業への転職は、確かに最初は辛かったが、慣れればどうと言うことはなかった。

何よりも、対人関係のストレスがサラリーマン時代とは比べ物にならないくらいに減ったのだ。

たまに、(たち)の悪い酔っぱらいに当たって手こずる事はあっても、営業で胃薬を飲みながら接待浸けの毎日を送っていた事を思えば、何でもない。

カチッ。

考えに沈んでいた俺は、シガーライターの鳴る音に、はっと我に返った。

危ない危ない。

いくら空いた道でも、油断は禁物。

夜道を飛ばして走る代行業者が起こす事故は大きくなりがちで、悲惨な死亡事故も少なく無かった。

俺は、背筋をぐっと伸ばして、前方に意識を集中した。

しばらく行くと、前方数10メートルほど先、道路の左端にジュースの自動販売機が立っているのが視界に入る。

そう言えば、喉が渇いたな……。

急に、何か飲みたい衝動に駆られた俺は、バックミラーで後続車がいないのを確認して、自販機の前にすっと車を止めた。

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