10月17日、中津川、金木犀の季節

文字数 2,417文字

 6畳の和室の1k。
 ここが私の場所。
 岐阜県中津川市の雑居ビルの一室には、当面の着替えと布団と本があった。私は膝を抱えていた。
 知らない場所で一人ぼっちだった。
 10月で、薄曇りの日だった。私が故郷を逃げ出して最初にしたことは、荷解きよりもまず、「家の籍を抜けろ」という母の要望に応えるべく市役所に向かうことだった。
 このときのことは鮮明に思い出せる。
 窓口には子供向けの絵本が並んでいた。
「一度籍を抜けたら二度と戻れませんが、構いませんか?」
 市役所の職員が聞く。30代前半あたりの男性だ。私は眩暈をこらえて頷いた。
「はい」
 それから長く待たされる。10分? 20分? わからない……私はじっとして動かない……やがてさっきの職員が戻ってきて告げた。
「お待たせしてすみません。あなたの実のお父さんの消息がわからなくて、手続きが止まっているんです」
 私は顔を上げる。
「生きているんですか?」
 職員は顔をしかめる。
「少なくとも、死亡届けは出ていません」
 窓口の奥から二人の女性職員がじっと私を見ていた。あのとき込み上げた感情の正体がなんなのか、今でもわからない。

「お兄ちゃんは私の子、とよねはお父さんの子」
 母はよくそう言っていた。父は刑務所に入って以来行方がわからない。警官が何度も家に来て、家の中を調べていった。
 どうしてだか、それが中学生のときだったか高校生のときだったか思い出せない。なんでだろう。ショックだったのかな?
 確かなのは、家の中での私の孤立が深まったことだった。
 残酷すぎて明言さえされなかったものの、つまりこういうことだ。
「お兄ちゃんは私の子、あんたは犯罪者の子」

 全能の父なる神でも想定しない限り、何ものが私の父として、アイデンティティの礎たり得るだろう?

 私は一度死んだのだと思う。あの日、中津川の市役所で。
 分籍の通知書を今でも持っている。
 日付けは10月17日となっている。
 この日が私のもう一つの誕生日だ。
 金木犀の季節。

 JR中津川駅の改札付近には、だしの匂いが漂っている。立ち食い蕎麦屋があるのだ。
 改札を出たらロータリーで、真正面に町の目ぬき通りが伸びている。
 その通りの正面に見える、最も高くて山頂の平らな山が恵那山だ。
 道沿いに歩くと複合型商業施設があり、現在ルビットタウンと呼ばれるそこは、私が引っ越したときにはまだアピタだった。
 アピタを通り過ぎるとauショップがある。
 最初の給料が出た日、私はそこで止められていた携帯電話の滞納料金を支払った。仕事帰りで、寒く、星が光っていた。
 再びアピタの前に戻り、バス停を通り過ぎて横断歩道の信号が変わるのを待つ。横断歩道を渡った先には『すや』という和菓子屋があり、全国のお取り寄せガイドにも載っている栗きんとんの名店だ。
 その、『すや』の近くの横断歩道で信号を待って佇み、星を見上げたときに、私は初めて自由になったのだと理解した。
 これからは、孤独なのもお金がないのも私の責任なのだ。
 私は自分の人生の責任を負えるのだ。これが自由なのだ。
 そのときの深い喜びが、今もまだ胸にある。
 このサイトに載せている『アースフィアの戦記』シリーズの2作目『鳥籠ノ国』と外伝1作目『失語の鳥』は、中津川で書いたものだ。
 小説があるから私は一人ではなかった。

 中津川で夢中になって小説を書いた日々があってよかった。
 さもなくば、私は過去を持たない者となっていたと思う。(認めるには惨めな過去だから。だけど、中津川で始めた新しい生活を輝かせるための前景としてなら、ひどい過去の存在を容認してやることもできる)
 私の過去は2種類ある。
 家を去るまでの日々。そして、中津川の6畳の1kの部屋で始まった第二の日々から今日に至るまで。
 過去が時系列ではなく、種類別になっているのだ。

「実家にいた頃は、兄と母は二階で暮らし、私は一階の離れのような部屋で暮らしていました。
 朝になると、兄が階段を下りてくるんです。その足音で機嫌がいいか悪いかわかるんです。
 今でも朝方、夢うつつでいると、階段をおりてくる兄の足音が聞こえるんです。それでハッと目を覚まして、大丈夫だ、私は自由だ、ここは安全だって確認するんです」
 この話をしたとき、カウンセラーは少し驚いたように見えた。私が何年経ってもまだ兄の足音を聞いていることに。
 カウンセリングのときにはこんな話もした。
「私が経験したことは、もしかしたらこれからくるかもしれないもっと悲惨な出来事の予行演習だったのかもしれません」
 カウンセラーは聞いた。
「これからもっと悪いことが起きると思いますか?」
「はい」
 そのときは、質問の意味がわからなかった。今はなんとなく、そう聞かれた理由がわかる。私の過去がどの程度未来に向けて影を投げているか、測ろうとしたのではないだろうか。

 ある人が私に言った。
『私には一人になる勇気がありませんでした』
 私は一人になる勇気があったから家を出たのではない。勇気云々ではなく、燃え盛る場所から逃げるという当たり前の反応をしただけだった。
 カウンセラーにしか話したことがないけれど、私はその家で自殺しようとし、直前で思い留まった。思い留まって逃げた結果、罵倒と侮辱にさらされない、暴力に怯えることのない当たり前の日常を手に入れた。

 私は孤独だ。でも、自由と尊厳は孤独より大きい。

 こんなことがあった。
 中津川市に逃げ込んで数日後、先述のアピタで魚の風船をもらった。子供の頃もらったことのある、確かに短いあいだ実家にあったのと同じ風船だった。
 翌朝、和室とキッチンの窓を開けて空気を入れ替えながら、私はぼんやり佇んでいた。
 ふと気配を感じて振り向くと、和室にあったはずの魚の風船が真後ろにあった。
 あっ、と思っている間に、風船はキッチンの窓から外に出ていった。
 東濃の山々に吸い込まれていく風船を今も覚えている。


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