悲惨の大きさ
文字数 1,796文字
明け方の夢の中で、私はまだ実家にいる。
医学生の兄が海外留学に行く朝、彼は寝ている私のもとに来て、布団をはぎ取り、
「今までお前に使われたこの家の金は全部無駄金だった。着ているものを全部脱いで、家から出ていけ」
と言う。
私は頷く。「そう」
私には彼が不憫でならない。こんなことをしなければならない彼が。だから、着ているパジャマを脱いで差し出す。
「全部だ! 下着もだ!」
こんなことをしても決して彼の心が満たされることはないと、私は知っている。だから彼がかわいそうで仕方がない。
どこかから、母が兄に猫撫で声で呼びかける。
「そろそろ出る時間だよ」
それで兄は行ってしまう。行ってしまったのだ。遠いところに。もう何年も会っていない。きっと今頃、すっかり私の知らない人に変わっていることだろう。
私は目を覚ます。記憶が混乱している。さっきの夢は本当にあったことだろうか? わからない。起き上がって、冷蔵庫に常備している水出しコーヒーを飲む。だんだんと落ち着いてくる。
いや、あれは実際にあったことではない。
「今までお前に使われたこの家の金は全部無駄金だった。着ているものを全部脱いで、家から出ていけ」
しばしば私にこう言ったのは、兄ではなく父だった。四歳か、五歳のときだろう。父は私を立たせ、着ているブラウスのボタンを一つずつ外していく。私は素っ裸で外に放り出されるのが嫌で、恐くて泣きながらボタンをかけ直していく(今でも私は服のボタンをかけるのが人より早い)。
父は癇癪を起こして私の頬を張る。私は救いを求めて母と兄とを見る。
二人は何事も起きていないかのように、食い入るようにテレビを見ている。
その、沈黙の背中。
私は最近、通信制の大学で近現代史を勉強している。
私の目が向くのは、戦争と虐殺。
もう何年も前のことだが、スレブレニツァの虐殺という事件を知ったとき、それを下敷きにして小説を書いた。スレブレニツァからトゥズラへと死の行軍をした人々を想像して。
虐殺。
南京で。アウシュヴィッツで。ポル・ポト政権下のカンボジアで。今はロシアとウクライナの戦争から目が離せない。
1994年4月のルワンダの大殺戮について最近学んだ。
ルワンダはベルギーの元植民地で、多数派のフツ族と、少数派のツチ族が住んでいた。
ベルギーは、背が高くて僅かに白人に特徴が似ているからという理由で、ツチ族を優遇し、フツ族を支配させた。
そうすれば、ツチ族はベルギーを憎まず、フツ族もツチ族を憎むようになるのでベルギーを憎まない。そういう、対立の下地があった。
ルワンダの大統領が乗った飛行機が何者かに撃墜され、ラジオが人々を扇動した。
「ツチの奴らはゴキブリだ、殺せ」
こうして1994年4月10日からの約100日間にわたり、猟奇的な大殺戮が行われた。犠牲者の数は80万から120万人と言われる。
これは、ラジオが「殺せ」と煽ったからフツの人々がツチの人々にわーっと襲い掛かったという、そんな単純な話ではない。
ラジオ放送が行われた時点で、フツ族の武装組織には十分な量のライフルと弾薬が行き渡っていたのだ。フツの普通の人々の家にも、ナタ状の刃物が行き渡っていた。
一触即発の現状が何度も訴えられた。
だが国連も国連軍も、旧ユーゴスラヴィアの紛争で疲弊しきっていた。
ルワンダの人々は見たのだ。
国連の、沈黙の背中を。
想像してほしい。あなたがルワンダの空港に降り立ったその瞬間から、大気に強烈な腐敗臭が立ち込めているところを。
道にも路傍にも、建物の中もどこにも、死体や生きたまま切断された手足や生殖器が積み上げられ、犬ほどの大きさに肥ったネズミが走り回っているところを。
地獄……
生まれてしまったこの地獄を解消するために、『霊に満たされたキリスト教徒』なるものがいったい何人必要なのだろう?
キリスト教の聖職者は何人いる?
何人の臨床心理士が必要なの?
精神科医はどれくらい必要?
そういことなどを学んで、夜、私は床につく。そして恐怖に囚われる。世界のこれほど大きな悲惨を学んでも、私個人の悲惨さは、消えていないどころか、姿形を変えてもいない事実に慄然とする。
私は未来に進もうとしているのに、擬人化された過去が「置いていかないでくれ」と追い縋ってくる。過去が私とは違う人格を持っているんだ。
あれは私ではない。
医学生の兄が海外留学に行く朝、彼は寝ている私のもとに来て、布団をはぎ取り、
「今までお前に使われたこの家の金は全部無駄金だった。着ているものを全部脱いで、家から出ていけ」
と言う。
私は頷く。「そう」
私には彼が不憫でならない。こんなことをしなければならない彼が。だから、着ているパジャマを脱いで差し出す。
「全部だ! 下着もだ!」
こんなことをしても決して彼の心が満たされることはないと、私は知っている。だから彼がかわいそうで仕方がない。
どこかから、母が兄に猫撫で声で呼びかける。
「そろそろ出る時間だよ」
それで兄は行ってしまう。行ってしまったのだ。遠いところに。もう何年も会っていない。きっと今頃、すっかり私の知らない人に変わっていることだろう。
私は目を覚ます。記憶が混乱している。さっきの夢は本当にあったことだろうか? わからない。起き上がって、冷蔵庫に常備している水出しコーヒーを飲む。だんだんと落ち着いてくる。
いや、あれは実際にあったことではない。
「今までお前に使われたこの家の金は全部無駄金だった。着ているものを全部脱いで、家から出ていけ」
しばしば私にこう言ったのは、兄ではなく父だった。四歳か、五歳のときだろう。父は私を立たせ、着ているブラウスのボタンを一つずつ外していく。私は素っ裸で外に放り出されるのが嫌で、恐くて泣きながらボタンをかけ直していく(今でも私は服のボタンをかけるのが人より早い)。
父は癇癪を起こして私の頬を張る。私は救いを求めて母と兄とを見る。
二人は何事も起きていないかのように、食い入るようにテレビを見ている。
その、沈黙の背中。
私は最近、通信制の大学で近現代史を勉強している。
私の目が向くのは、戦争と虐殺。
もう何年も前のことだが、スレブレニツァの虐殺という事件を知ったとき、それを下敷きにして小説を書いた。スレブレニツァからトゥズラへと死の行軍をした人々を想像して。
虐殺。
南京で。アウシュヴィッツで。ポル・ポト政権下のカンボジアで。今はロシアとウクライナの戦争から目が離せない。
1994年4月のルワンダの大殺戮について最近学んだ。
ルワンダはベルギーの元植民地で、多数派のフツ族と、少数派のツチ族が住んでいた。
ベルギーは、背が高くて僅かに白人に特徴が似ているからという理由で、ツチ族を優遇し、フツ族を支配させた。
そうすれば、ツチ族はベルギーを憎まず、フツ族もツチ族を憎むようになるのでベルギーを憎まない。そういう、対立の下地があった。
ルワンダの大統領が乗った飛行機が何者かに撃墜され、ラジオが人々を扇動した。
「ツチの奴らはゴキブリだ、殺せ」
こうして1994年4月10日からの約100日間にわたり、猟奇的な大殺戮が行われた。犠牲者の数は80万から120万人と言われる。
これは、ラジオが「殺せ」と煽ったからフツの人々がツチの人々にわーっと襲い掛かったという、そんな単純な話ではない。
ラジオ放送が行われた時点で、フツ族の武装組織には十分な量のライフルと弾薬が行き渡っていたのだ。フツの普通の人々の家にも、ナタ状の刃物が行き渡っていた。
一触即発の現状が何度も訴えられた。
だが国連も国連軍も、旧ユーゴスラヴィアの紛争で疲弊しきっていた。
ルワンダの人々は見たのだ。
国連の、沈黙の背中を。
想像してほしい。あなたがルワンダの空港に降り立ったその瞬間から、大気に強烈な腐敗臭が立ち込めているところを。
道にも路傍にも、建物の中もどこにも、死体や生きたまま切断された手足や生殖器が積み上げられ、犬ほどの大きさに肥ったネズミが走り回っているところを。
地獄……
生まれてしまったこの地獄を解消するために、『霊に満たされたキリスト教徒』なるものがいったい何人必要なのだろう?
キリスト教の聖職者は何人いる?
何人の臨床心理士が必要なの?
精神科医はどれくらい必要?
そういことなどを学んで、夜、私は床につく。そして恐怖に囚われる。世界のこれほど大きな悲惨を学んでも、私個人の悲惨さは、消えていないどころか、姿形を変えてもいない事実に慄然とする。
私は未来に進もうとしているのに、擬人化された過去が「置いていかないでくれ」と追い縋ってくる。過去が私とは違う人格を持っているんだ。
あれは私ではない。